第3話 倒したはいいものの
あああ、これは想定外……想定外だったわ。
うぷ、とこみ上げる吐き気を抑えながら、フラフラと地面に両手両膝をつく。
ハティとスコルが円筒の土壁の中に飛び込んだあと、ゴオオッという炎の音や、ガフッという噛みつく音、グオウッという巨大ホワイトウルフの呻き声が聞こえてきた訳なんだけど。
やがて、それらが静まり、どうやらトドメを刺せたらしいと安堵の息を漏らしたのも束の間。
――ハティたちのお食事が、始まってしまった。
“オレ、ここが好き”
“ハトも、そっち、がいい”
“え? 仕方がねぇなー。半分コな”
……という微笑ましい会話はいいんだけどさ。
それに伴って、ベキッ、バキッ、ゴリゴリッ、メチャッ、ピチャッ、みたいなスプラッタな音がえんえん聞こえてきたので、慌てて耳を塞ぎました。まぁ、会話は思念で聞こえてくるしね。
そのうち何とも形容しがたい臭いまで漂ってきたので、こっちに来ないように風の魔法でシールドを作りましたけども。
あああ、盲点だった! だってゲームなら、ボシュンと煙のように姿が消えちゃうからさあ!
でも、実際は違うよね! ガッツリ食べるのよね! 確か魔界には持って帰れないって話だったしね!
それに亜種の巨大ホワイトウルフともなれば、魔の者にとってはご馳走。残さず頂いちゃうわよね。その魔精力だって自分の糧になるんだろうし。
そういやお菓子じゃ何の足しにもならない、とか言ってたっけ。
“一緒に食べるの、久しぶりだな”
“ルヴィ、いなくなった、から”
“……そうだなー”
そうか、二人が人間界に一緒にいられること自体が、本当に久しぶりなのよね。
聖女シュルヴィアフェスがいつ亡くなったのかは知らないけど、きっと何百年も経ってる。その間、二人は魔界でしか会えなかったんだから。
食糧は人間界で摂取するってスコルは言ってた。本当に久しぶりの兄弟水入らずの食事な訳で、ここはそっとしておかないと駄目よね。
ただ、耳を塞いでも聞こえてくるゴキッ、ベチャッ、はどうにかならないものかしら……。
“うめぇな、やっぱ”
“ウン、オイシー”
“はー、地上サイコー!”
“ウン……ゴフッ、ゴフッ”
“落ち着いて食え、ハティ。マユ、水くれ、水ー!”
お前は亭主関白なダンナか、と思いながら風のシールドを解く。
額から流れる大量の冷や汗を右手で拭い、
『万物の命の源……“マ=ゼップ=セィア=ネィロ”』
と、超簡易呪文で左手の手の平から水を出した。綺麗な放物線を描き、土の壁のてっぺんから中に注ぎ込む。ビシャビシャとハティ達に当たる音が聞こえた。
“うおっ、雑だな!”
「文句を言わないで。こっちは疲れてるのよ」
“オレたちだって疲れたぞ”
「疲れの種類が違うのよ!」
フォンティーヌ邸から50kmは離れたギルマン領まで連れてこられて、初のバトルだというのにいきなりボス戦!
しかもこの血生臭い宴会に付き合わされて……。
肉体的にも精神的にもボロボロよ!
“アリガト、マユ、オイシー”
「そ、良かった」
“オイ、態度が違いすぎねぇか?”
「ちゃんとお礼が言える子は可愛いのです」
“あ、そっか。ありがとな!”
「はいはい」
まぁ、頑張ったご褒美は必要だもんね。
貴重な二人の一緒ご飯、大事にしてあげよう。
しばらくすると、存分に堪能したらしいスコルとハティのガサゴソ動く音が聞こえた。そしてピョーンと円柱の土壁から元気よく飛び出してくる。
やれやれと思いながら二匹の顔を見て、ギョッとした。口の周りは赤茶色いベッタリしたものがこびりついているし、特大ホワイトウルフの肉片みたいなものが体中についている。
そしてこの何とも言い難いニオイ……っ!
「汚っ! クサッ!」
“そりゃあな”
“ウン”
「冗談じゃない! 落とすわよ!」
やっぱり獣は獣、と思いながら再び手の平から水を出し、二匹の灰色の狼に浴びせる。
まずは手前にいたスコルの身体を引き寄せ、左手から水を出しながら右手でわしゃわしゃと顔と口の周りの汚れを落とす。
よく見ると、そのお腹はやけにポッコリしている。
本当にきちんとそれぞれの胃袋に収めたらしい。自分たちの四倍以上もあったホワイトウルフ、二人で半分こにしたとしても相当な量だと思うんだけど……いったいどこにどう入って消化されたのやら。
いや、ごめんなさい、知りたくないわ。そういうつもりで土の壁を作った訳じゃないけど、目撃しなくて本当に良かった。
“んがー、んごっ!”
「暴れないで」
“こんなの気にしてたら魔のモノやってられねーんだけど”
「私は嫌なの!」
“マユ、ハトもー!”
文句を言うスコルに対し、ハティがその血生臭い体のまま飛びつこうとする。ギョッとしてのけぞると、ハティがちょっと悲しそうな顔をした。
“マユぅ……”
「ハティ、ごめん、ちょっと待って。本当に臭いが凄いから!」
“んー”
「……はい、いいよ。おいで、ハティ」
スコルをあらかた綺麗にしたので、今度はハティの身体をわしゃわしゃと洗ってあげる。スコルと違い、ハティはおとなしくされるがままになっていた。目を細めて気持ちよさそうにしている。
だけどしばらくすると
“あ、時間!”
と小さく叫んでパッと碧色の目を見開いた。
「時間?」
“召喚、切れる”
「あ、そっか」
ハティは本来、昼の間に地上にいることはできない。私が召喚したからその契約の下、存在しているだけ。
ポンッと何の前触れもなく、目の前からハティの姿が消えた。バシャバシャと水が弧を描いて地面に落ちているのに気づき、慌てて魔法を引っ込める。
しまった、帰るときはバイバイぐらい言おうねって教えるの、忘れてたわ。
召喚時間は……そうね、1時間ぐらいかな。今後のためにも覚えておこう。
「ハティ、水浸しのまま帰っちゃったわね。風邪ひかないかな」
“マユ、聖獣を何だと思ってんだ?”
ブルブルブルッと体を震わせ、水飛沫を飛ばしながらスコルが呆れたような声を上げる。
「だって、ハティの方が身体が弱そうだし」
“まぁ、それは合ってるけど……あ”
スコルはふいっと顔を上げると『やべぇ』みたいな顔をした。そしてくるりと後ろを向き、トコトコと歩き始める。
“オレも帰ろー。ボロが出そうだし”
「え?」
“じゃーなー”
「ちょっと待った!」
むんず、とスコルの尻尾を掴む。
“何だよ”
「ちょっと、私はどうやって家に帰ればいいのよ!」
“あー、だいじょぶ、だいじょぶ”
「全然、大丈夫じゃ……あっ!」
私の手の力が緩んだ瞬間、スコルはするりとすり抜けてダダダーッと駆け出してしまった。ジャンプして右手の林の中に飛び込む。
何しろ時速300km越え、あっという間にその姿が見えなくなった。
「はぁ……」
そう言えば、スコルの背中につけていた鞍、いつの間にか消えていたわね。あれ、ハティが所有していたのよね。私を乗せるためにハティが改造したのかしら。何か私を守る魔法もかかってたみたいだし……。
今度その辺もちゃんと聞かないと。
ところで、二人に置き去りにされた私は、ここからどうやって帰ればいいんだろう、本当に?
「――マリアンセイユ!」
急に野太い声が後ろから飛んできて、飛び上がる程驚いた。
そうだ、すっかり忘れてたけどブラジャー工場から丸見えなんだった、ここ。
だけどこの声は……?
「……ひっ!」
恐る恐る振り返った私の目にまず映ったのは、青空の中にハタハタとひらめく大きな旗。黄色い布に、赤い優勝カップみたいな盃。中央には遠吠えをするような勇ましい狼の紋章。
何か見覚えがあるわ、コレ……。
てん、てん、てん、と視線を下に向けて、ビクッと思わず後じさる。
鈍く光る銀色の鎧姿の集団。ざっと見て、三十人はいる。いつの間にこんなにギャラリーが集まってたのかしら。ハティ達に気を取られて、全然気づかなかった。
そしてその中央には、ひと際体格のいい男が仁王立ちになっている。唯一兜をつけていない、その男性は――。
「お前、どうして!?」
ひどく険しい顔をし、大きな声で怒鳴る男。
はい、オニーサマであるガンディス子爵です。ということは、ここに並んでいる鎧姿の皆さんは、聖女騎士団のフォンティーヌ部隊の方々よね。
あああ、表に出るときは最高に着飾って最高の笑みを浮かべ最高の社交界デビューをするはずの公爵令嬢、マリアンセイユ・フォンティーヌが!
まさか、熊手を片手に魔物を蹴散らす姿を見せることになるとは!
コレ、絶対に怒られるパターンよね。そうよね!?
ど、ど、どうしよう!
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