第2話 話が違うじゃない!

 目の前に広がるのは、どこまでも青々としている緑の大地。多少上がったり下がったりしているらしく、黄緑から緑、そして深緑という美しいグラデーションになっている。

 その緑を横切るのは、茶色い柵のようなもの。ところどころ茶色やピンク、黒の物体がうごうごしていて、耳を澄ませてみると「モ~」という鳴き声と「ブヒッ」という鼻息と「ヒヒーン」という嘶きが聞こえてくる。


「……ねぇ、ヘレン?」


 着古したメイド服ではなく、袖が膨らんで光沢のある黒いワンピースと、心なしかいつもよりフリルが多い白いエプレンドレス、ホワイトブリムを身につけているヘレンに、ちらりと視線を寄越す。


「何でしょう? マユ様」

「わたくし、今日は牧場の動物に見せるためにドレスアップしたのかしら?」


 うふふ、と扇で口元を隠しながら、どうにか言葉を紡ぐ。

 ああ、こめかみがヒクヒクするわー。


 てっきり、黒い扉の向こうにはバーンとした広い廊下があって、赤い絨毯とか敷かれていて、

「マリアンセイユ様!」

「おはようございます!」

「本当にお美しい!」

「お会いできて感無量です!」

……って感じで、めちゃくちゃ歓迎されて、執事やメイドなどの使用人がズラーッと並んでいる光景を想像していたのに。


 扉を開けたら、いきなり外! 私を待ってたのは牛と豚と馬だけ!

 驚いたわよ。


 つまり私がいた場所は、30畳一間にトイレ、風呂、小さめのキッチンだけが備え付けられていた、ワンルーム一戸建てだったのよ。

 しかもその場所は、鬱蒼とした森のそば。めちゃめちゃ端っこ! お屋敷なんてどこにも見えない!


「ですから、扉を開ける前にご説明しましょうか、と申し上げましたのに。楽しみが減るから黙ってて、とおしゃったのはマユ様ですよ」

「そうだけどぉ、でもさ……」

「ここはお屋敷ではなく、お屋敷からも飛び抜けて離れた場所、と以前お話ししたかと思いますが」

「飛び抜け過ぎてない!?」


 辺りを見回したけど、緑しかないわ! あるのはどうやら厩舎らしきレンガ造りの建物だけなんだけど!

 あと、三階建てマンションぐらいのベージュの石造りの建物と、その隣にこぢんまりとした比較的新しそうな一軒家。遠くの方には、あの、サイロだっけ? 干し草とか貯蔵する丸い塔みたいなのが見える。

 たったそれだけ。あとは辺り一面、緑の草地、その奥は森しかない。


「仕方ありません。ここは初代フォンティーヌ公爵が隠居されてお住まいになっていた場所で、少なくとも九百年は主不在ですから」

「そうなの!?」

「住めるとしたら、オルヴィア様が自然と触れ合うために作ったこの『黒の家リーベン・ヴィラ』と、あちらの使用人用の住居だけです。あちらは建物は大きいですがお部屋の一つ一つは狭いですし、そんな場所にマユ様をお連れする訳にはいきませんから」

「あの一軒家は?」

「オルヴィア様がこちらにお泊りになる際、付き従っていた使用人が泊る場所です。現在はわたくしとアイーダ女史の住居となっております」


 ふうん、だからあれだけ新しいのか。

 ということは、つまりこの『パルシアン』は動物を育てるためだけの場所だったってことかー。

 そしてベージュの建物は、その牧場を世話する人達の住居となっているらしい。

 ちなみにその人達は、今ちょうどお昼休憩でこの場にいないそうです。


 別にいいけどさ、もうちょっと関心を持って! 公爵家のお嬢様よ! 晴れの舞台、復活の日なのよ!

 何だよ、もう。スネちゃうぞー。


「どうして牧場だけ経営してるの?」 

「初代フォンティーヌ公爵の時代からずっと繁殖が続けられている種類の牛や豚で、今となってはとても珍しい品種となっているのです。非常に貴重で高価なお肉で、フォンティーヌ家の収入源の一つとなっています」


 ブランド牛、ブランド豚ってやつかな。


「じゃあ、馬は?」

「馬を育てることも重要です。国内の移動は騎馬か馬車ですから需要がありますし、上流貴族の当主は『リンドブロム聖女騎士団』の団長も兼ねていますから。他国に遠征となれば、たくさんの馬を用意する必要があります。ですのでお屋敷に人が住まなくなっても、これらはずっと維持されてきたのです」

「はぁー」


 ということは、私はやっぱり豚と牛と馬に見せるためだけにこの格好をしたんだろうか。

 あれ、おかしいな。一歩外に出たら誰かに会う可能性があるからっていうんで礼儀作法を仕込まれたんだし、なかなか外に出してもらえなかったんじゃなかったっけ?


 そんなことを考えていると、遠くからパカッパカッという音が聞こえ、二頭の黒毛の馬が現れた。後ろには黒いお茶碗みたいな形に金色の装飾が施された客車を率いている。

 馬を操縦している人……えーと、御者って言うんだっけ。黒い帽子にグレーのスーツ、赤いチーフをした白いひげのおじいちゃんだった。人の良さそうな顔をした、サンタクロースの衣装が似合いそうな人。

 どうやらお屋敷には、この馬車で向かうらしい。


 良かった、ちゃんと見せる人がいたわー、とホッと胸を撫で下ろす。

 おかげで肩の力が抜けて、自然に素敵なスマイルが出来た気がした。



   * * *



 馬車から見える景色について、隣のヘレンがいろいろと説明をしてくれた。

 ヘレンとアイーダ女史は、さっき見た一軒家から私がいる黒い家リーベン・ヴィラに通っていたらしい。

 私の食事も、その一軒家でヘレンが作ったものを運んでいたそうだ。その他、洗濯、縫物など、私が目覚めたことでやることが増えて、大変だったみたい。

 道理で、部屋に一人きりにされる時間が長いな、と思ってた。だからセルフィスも侵入しやすかったのかもしれないけど。


 アイーダ女史としては料理人とあともう1人ぐらいはメイドを追加してほしいみたいだけど、私が起きていることは内緒になっている以上、どうにもならないらしい。

 ヘレンの手料理は十分美味しいし、行動範囲が狭いからそんなに部屋を散らかすわけでもないし、他の人に世話されるのなんて嫌だし、私は今のままでもいいんだけどな。


 食料を仕入れたり公爵に手紙を出したりするために領地内を移動するときは、もっぱら馬に乗って移動するそうだ。

 アイーダ女史もヘレンも馬に乗れるんだ……。

 想像して、ちょっと笑ってしまった。特にアイーダ女史は、脇目も振らずにものすごいスピードで走りそう。


 そして今日はというと、そのずっと誰も住んでいない旧フォンティーヌ邸を見せてくれるそうだ。

 そろそろ社交について勉強しなければならず、記憶がない私には一度どういう場所で行われるものか見せたい、とアイーダ女史は考えたらしい。

 だけど旧フォンティーヌ邸は重要文化財のようなもので、公爵の許しがなければ勝手に立ち入る訳にはいかない。


 どうしたものか困っていたところ、公爵から

「1年経ったし、そろそろ成果を見せてほしい」

と、本邸から執事長と女中頭を寄越す、というお手紙が来たそうだ。

 ちょうど旧邸のメンテナンスの時期が来ていて、そのついでらしい。


「つまり、出張講義と中間試験みたいなものね」

「えーと……そうですね」


 私の事忘れてなかったんだね、ありがとう……とは思ったけど、ついでに何人かメイドも寄越してくれればいいのに。ケチだな。

 まぁでも、今の生活は気楽だし、他のメイドの前では自由にふるまう事なんてできないだろうから、まぁいいけどさ。

 ヘレンは大変だろうけど……。もうあんまり、我儘言わないようにしよう。


「執事長と女中頭ということは、公爵家でも口が堅い、かなり信用できる人たちってことよね?」

「ええ。わたくしもメイドとしての立ち振る舞いを審査されることになりますので、気をつけたいと思います」


 実際に人が住んでいたのは九百年以上昔だから、旧フォンティーヌ邸には調度品などは何もない状態らしい。つまり、持っていけるような貴重なものはなく、鍵もかかっていないそう。

 今回の試験のため、大広間にはいくつか椅子やテーブルを入れたらしいけどね。

 つまり、建物そのものが文化遺産、みたいな? どんな感じなんだろう。ワクワクするよね。


「じゃあ、これからはお屋敷を自由に見て回ってもいいの?」


 新しく行ける場所が増えたら、まずは隅々まで見て回るのがRPGの鉄則。いくらゲーム世界だからって、宝箱が置いてあるとまでは思ってないけどね。


「それはアイーダ女史に伺ってみないと、何とも言えません」

「だよねー」


 何はともあれ、この中間試験をクリアしないとね。


 そんな話をしているうちに、遠くに緑の屋根と茶色い壁が見えてきた。

 きっとあれが、お屋敷なんだな。さて……何が眠っているんだろうか。

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