第9話 辺境の地で咆える
フィッサマイヤは、フサフサとした長い尻尾を持つ金色の狐。小さい顔に大きな耳、体長は50cmほどと、魔獣とは思えない可愛らしい姿ですが、人語も解するれっきとした魔獣。額にある赤い宝石は、すべての魔法を無効化する力を持っています。
魔物と意思を交わす術を覚えたシュルヴィアフェスは、魔物を駆逐する人間の味方につくことはできませんでした。
そして勿論、人間を粛正する魔王の味方につくこともできず、逃げることしかできなかったのです。
そんなシュルヴィアフェスの「自分を隠してほしい」という願いに応え、フィッサマイヤは魔界より現れ、彼女を自分の森に匿うことにしました。
しかしここに、聖女を探す使命にかられたジャスリー・ワイズ王子が現れます。
「――世界中を探したが見つからない。聖女はきっと、此処にいる」
彼はそう、確信していました。
『フィッサマイヤの森』は魔法が一切効かない恐怖の森。魔物に出くわせば、人間などひとたまりもありません。
しかし世界一とも謳われる剣の腕を持っていた彼は、
「聖女を見つけられるのは自分しかいない」
と臣下の反対を振り切り、一度入ったら二度と出られぬ『フィッサマイヤの森』に、たった独りで足を踏み入れました。
心優しいシュルヴィアフェスは、人間も魔物も選べなかっただけ。王子を亡き者にしたかった訳ではありません。
傷だらけになりながら魔物と戦い、深くより深くと森に入ってくる彼を、見殺しにすることはできませんでした。
こうして――『聖女』シュルヴィアフェスと後に彼女の『伴侶』となるジャスリー王子は、フィッサマイヤの森で運命的な出会いを果たすのです。
* * *
「いやーん、何ー!? 急にラブファンタジーだわ!」
思わず叫び声を上げる。ハッとして右手で口を塞いだけど、例の嫌味な声は降って来なかった。
顔を上げて辺りを見回すと、セルフィスの姿はどこにもない。いつの間にか帰ったらしい。
それならそうと、一言言ってくれればいいのに……。来るのも帰るのも突然なのよね。
まぁ、私の報告のほか、市井の様子を探るということもしているみたいだから、忙しいのかもしれないけど。
「マユ様? よろしいでしょうか?」
コンコン、というノックの音が聞こえ、ヘレンの声が聞こえる。
「あ、うん。大丈夫」
「昼食をお持ちしました。入りますね」
カチャリと扉を開け、ヘレンが四つほどお皿の乗ったお盆を抱えて現れる。
お昼ということは、今日の読書はここまでか。午後からはヘレン先生指導の元、刺繍の時間だもんね。
ヘレンが白の丸テーブルに皿をセッティングしてくれたので、黒い椅子から立ち上がる。
ふと、机や紙に飛び散ったインクが目に入った。
「ヘレン、布巾ってあるかなあ」
「布巾、ですか? ございますが」
「インクこぼしちゃったの。拭くから貸して」
「まぁ、何を仰いますやら!」
シュタタタッという効果音が出そうな勢いでヘレンが布巾片手にやってくる。
「そのようなことはわたくしがやりますから、マユ様はお食事をなさってください!」
「え、あ……そう?」
ドレスは一人で着るのが難しいから仕方ないけど、これぐらいなら自分でやるのにな。
でも、ここはそういう世界なんだろう、うん。……なかなか慣れないけど。
一番慣れないのは、お風呂の後のヘレンの全身マッサージなんだよね。
何でも、眠っている間も身体を拭き、香油を擦り込み、徹底的に全身を揉みまくっていたらしい。
「ずっと横たわったままでは筋肉が固くなり、骨も歪み、せっかくのお身体が崩れてしまいます。ですからわたくしは毎晩毎晩、マリアンセイユ様のお身体を揉みほぐしておりました」
と、ヘレンが力説してた。
えーと、まぁ、この重力に負けない奇跡のカラダを作ってくれたのがヘレンで、そしてこの身体が魔精力の制御に役立っているという事であれば、目覚めたのはヘレンの功績が大きい、ということになる。
ありがとう、と言うしかなかったんだけども……そのどっかイッちゃってる目とわきわきさせている両手は止めて、とツッコミたくなったわー。
「じゃあ、ご飯食べる。机の上、よろしくね」
「どうぞお召し上がりください。ついでに散らばっている本を少々整えさせて頂いてもよろしいでしょうか」
「あ、うん。ありがとう、ヘレン」
ヘレンにお礼を言うと、その言葉に甘えて私はそのまま黒い机から離れ、中央の丸テーブルに着いた。
この世界の食事は、言うなれば日本のコース料理、という感じだろうか。前菜とスープとパン。それに肉か魚。
ナイフとフォーク、スプーンで食べる。夕食はアイーダ女史と一緒でそのときに礼儀作法も教わってるから、最近はだいぶん使い慣れてきた。
てきぱきと机の上を片付けながら掃除し終わったヘレンは、次にソファへと向かった。
午後から始める刺繍のためか、裁縫箱を小脇に置き、何か大きな布を広げ始める。
「え、それ……」
ヘレンがソファに広げたのは、見覚えのないオフホワイトのワンピース。スタンドカラーって言うんだっけ、襟元がつまっている形で、フリルがついている。首から胸元にかけてはピンクのバラみたいな花が散らされていて、胸元のV字の切り返しにも花がたくさん。袖がふっかふかに膨らんでいて、スカート部分にもたくさんの花のコサージュがつけられている。
「フォンティーヌ公爵よりマユ様の新しいお洋服が届きました。今日の午後は少々お直しをさせていただきたいのですが」
「それはいいけど……何か、すっごくゴテゴテしてるね」
「令嬢の間で今、流行っているそうですが……」
ヘレンは広げたワンピースを遠巻きに眺めている。その表情は、あまり芳しくない。
「マユ様にはあまり似合わないかも、と」
私の容姿を磨き上げることに関しては妥協を許さないヘレンが、ズバッと言う。
ヘレンも最初に比べるとかなり私に慣れてきて、遠慮なく自分の意見を言うようになってきた。いい傾向だと思う。
なお、最初は「マユって呼ぶのは二人っきりの時ね」という話だったんだけど、アイーダ女史にも話が通ったので、目覚めた後の私のことは「マユ」と呼ぶことで統一されました。
何か気分がいい。同盟を組んだみたい、というと大袈裟かな。
そうだ、ゲームで言うと、ゲストキャラじゃなくてちゃんとパーティキャラになったというか、そんな感じ。
「んー、確かに、何だか可愛らしすぎるもんね。フケ顔の私には向いてないかも」
「何を仰いますか! そういう意味ではございません!」
ヘレンがびっくりしたような声を上げてブンブンと右手を横に振る。
「マユ様のようにお胸が立派な方は、襟がつまっていたりあまり飾りが多いと太って見えてしまうのです」
「ああ、なるほど」
「サイズはお知らせしておいたので、合っているとは思うのですが……」
そうよね、お胸が立派だもんね、私ったら。うふっ、うふふっ、うふふふふっ。
しかし公爵もアレだな、流行りのドレスで豪華なやつでも送っておけばいいだろ、って感じよね。
ちゃんと本人に会いに来てよ。そんなドレスが全く似合わない顔とカラダをしてるんだから。
きっと眠ってる間も、一度も顔を出さなかったんだろうな……。こんな僻地に閉じ込めるぐらいだから。
「ねぇ、ヘレン。私の事って、公にはどうなってるの?」
「お目覚めになったことは、大公殿下には内々に伝わっています。ですが、大公家の他の方々や貴族の方々には伏せてあるそうです」
「え、何で?」
「知らせてしまうと、お見舞いだのなんだのと社交の問題が出てきますから。マユ様は、まだ……」
「ああ……」
確かに、表に出せる状態じゃないもんねー。
でも、それと全く会おうとしないというのは、全然別問題だと思うけどさ。
「そうだよね。頑張らないとなー、淑女になるために」
そうすれば、セルフィスもいい報告が大公にできるだろう。
見てろよ、ギャフンと言わせてやるから!
あは、ベタな死語を使っちゃった。
ふと、自分のドレスを見回す。机と紙にあれだけインクが飛び散ったのに、ドレスには一つもついてない。
今の季節は、秋。さっきバルコニーに出て思ったんだけど、結構風は冷たいのよね。だけどこんな薄手のドレスなのに全然寒くない。
「ねぇ、ヘレン。アイーダ女史がね、刺繍は魔精力の制御にも役立つって言ってたんだけど」
「ええ、そう伺っています。わたくしは魔導士ではありませんので、詳しくは存じ上げませんが」
「このドレスってオルヴィア様の刺繍が施されてるでしょ? それって何かの魔法がかかってたりする?」
「ええ、恐らくは。オルヴィア様は創精魔法の魔導士ですから、刺繍を通して何らかの魔術を練り込むことはできたのではないかと思います」
「なるほどねー」
自分で作ったキャンパスに自分で画材を用意し自分で絵を描く、創精魔法。
それは単に『炎を出す』とか『竜巻を作る』という自然現象だけじゃなくて、例えば『魔物を寄せ付けない』とか『怪我を治す』みたいないろいろな魔法が編み出せるに違いない。
そうだ、今やっている、ヘレンのお手本を真似て針を刺す練習。
これはいうなれば、模倣。自然から力を借りて魔法で再現する、という模精魔法の練習も兼ねているのかもしれない。
うーん、確かに理屈が分かると、勉強も作業もやる気になるよね。
ただやらされてるんじゃ駄目。アイーダ女史が言った通り、まず理解することが大事なのかも。
こんなこと、前は考えたことがなかったなあ。申し訳ないけど、ゲーム三昧で真面目に勉強してなかったし。
「ヘレン。私、刺繍の練習、頑張るね。刺繍だけじゃない。いろんなこと、全部」
「え? どうされました、急に?」
「見返したいの。……周りを」
父親にも兄にも邪険にされていた、マリアンセイユのために。
あんたたちは綺麗な花を咲かせるはずだった若芽を枯らしかけたんだよ、と言ってやりたい。
顔も見たことが無い、トーチャン、アニキ!
マリアンセイユはこんなにもデキる子だったんだぞ、と見せつけてやる!
それと、セルフィス。
いつまでもマリアンセイユ様は立派だったと嫌味のように言う、あんたもね!
何をどう言おうが、今ここにいるのはこの私、マユなんだから!
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