第17話 伏見朱莉3

「到着しました」


 疲れているのか芦谷は目を瞑って、正面を向いたまま寝ていた。声をかけると微動だにせず、目を覚ます。歳にして七十歳は越えている。しかし衰えは感じさせず、その風格が歳を重ねて、さらに熟されているようだった。


「分かった、では君たちは先に降りてくれ」


「芦谷様はどうなさるのですか」


「少し伏見と二人だけさせてくれ」


 芦谷はSPだけを車から降ろした。つまり警備の目が芦谷から離れたことになる。突然やってきた暗殺の好機に汗がどっと出てくる。

 老体からにじみ出るオーラに当たられた人たちは委縮する。

 芦谷の威光と暗殺による緊張で、車内の空気は圧迫していた。

 額に汗を感じる。長い髪の毛が張り付いて気持ち悪い。残暑の九月だが、車内はクーラーが効いていて、決して暑くはなかった。むしろ涼しいくらいで、手は冷え切っていた。

 しかし体の中心から冷たい汗が湧き上がってくる。


「なにかお話があるのですか」


 俺はバックミラー越しに芦谷の表情を確認した。

 震えた手でホルスターを触る。指先が拳銃に触れ、ばれないように握り込む。

 芦谷がこの質問に答え、振り向きざまに発砲する手筈だった。じっくりとミラー越しの動きを確認する。

 しかし車内には沈黙が続き、芦谷も答える様子はない。それどころか、後部座席の窓から外を眺めている。

 俺の行動に全く気が付いていない様子だった。

 息を吐く。失敗はできない暗殺に、緊張感が高まる。

 そしてついにホルスターから拳銃を抜き、芦谷の頭めがけて、突きつけた。この距離ならいくら素人でも外さない。

 狙いを定め、引き金を引こうとした瞬間、芦谷は声を出した。


「君、伏見ではないじゃろう。それどころかこの世界の人間ではないのかもしれん」


 俺は驚きのあまり、手が止まった。


「未来人か、それとも宇宙人か。どちらにせよ、君はこの時間軸にはいない外部の人間じゃろうな」


 芦谷は外を眺めたまま言った。


「なぜそれを……」


「分かるのじゃよ。儂が何年、伏見と共にいたと思う? ただでさえ儂は目の前に立った人間の全てが見えてしまう。この人間がいままでどのような人生を送ったか。腹の中で何を企んでおるのか。表情、仕草、足の指から脳天まで、至るところに情報が散らばっている。だから儂は知りたくなくても知ってしまうのじゃ。そして君が伏見でないことは起こしに来た時に気が付いた。では誰か。儂を暗殺しきた刺客かとも思った。しかし話せば話すほど、君の実態が見えない。見えても、今までには見たことのないタイプの人間じゃった」


 他の人は騙せても芦谷は騙せない。俺たちとは場数が違うのだ。銃口を突きつけられても物怖じせず、何事もないように喋っている。


「しかしあり得ない……とは思わなかったのですか」


「ならば今が一番があり得ぬ。伏見が儂に銃口を向けることから考えれば、未来人のほうがよっぽど現実味を帯びてるわい」


 俺は動揺を隠せなかった。芦谷は依然としてこちらを見ていない。ここで引き金を引けば由和が助かる。テロは起こらない。しかしなぜか俺の体は言うことを聞かなかった。


「その銃を下ろしなさい」


 芦谷が振り返り、こちらを顔を見せた。その顔は俺よりもずっと冷静で優しく、そして鋭利な視線だった。

 蛇に睨まれた蛙のように膠着し、息が詰まった。

 俺は無意識のうちに肩の力が抜け、手から拳銃が零れ落ちる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る