第18話 伏見朱莉4

「ここで儂を殺せば、誰かが助かるのじゃろう?」


「ああそうだ……お前が死ねばテロは起こらない。ここで死んでくれれば、由和は助かる」


「やはり未来からここに来おったのか。君にとって儂を殺すことが使命なのか。それともそのテロとやらを防ぎ、最愛の人を助けるのが使命なのか。はっきりさせなさい」


「まさかテロが起こるのも勘づいていたのか」


「死はいつでも覚悟しておる。しかしそれはこの車内ではない。君はその口調からすると、どうやら伏見に乗り移った男の霊と言ったところか。ではその霊に聞きたい。儂の最期をどうだった? 君はそれを見て来たのだろう」


「今日だ。今日、台湾行き375便はハイジャックされ、墜落する。しかし通報するにせよ、犯人がどこに居るのか誰なのかすら分からない。テロを起こすことを知っているのは俺だけなんだ」


「分かった。ならば儂の命の後、数時間か」


「乗れば必ずテロは起こる」


「儂はそれでも乗るがな」


「何を言ってるんだ! それで沢山の人間が死ぬんだぞ」


「儂がエゴイストに見えるか」


「ああ見えるよ、死にたいなら独りで死にやがれ!」


 俺が叫けびに相反して、芦谷は高笑いを始めた。


「なにが可笑しんだ……」


 芦谷は墜落すると分かっている飛行機に乗るつもりだ。死にに行くようなものではないか。


「人の生と死には意味があるとは思わんかね」


「意味なんて……死んでしまったら終わりじゃないか」


「生きているだけで人は誰かに干渉し、影響しあっている。生きるということはそういうことじゃ。しかしそれは死もしかり。もし儂は君にここで射殺され、誰の目にも付かずに死んだとしよう。その死における影響はせいぜい儂の家族と君くらいだ。しかしその影響を広げることは出来る。生き方、そして死に方。この二つに意味を持たせるのは自分自身なのじゃよ」


「その影響で俺の妻はテロに巻き込まれた」


「それは儂が悪いのか」


「なんだと!」


「包丁を使った殺人で君は包丁を裁判にかけるのかね」


「それは……」


 俺は言葉に詰まってしまって、黙り込む。


「儂の死は日本の生に繋がる。儂がハイジャック犯に殺されたとなればアメリカとて黙ってはおらぬ。共産党の脅威を水際で防がなくてはならぬのだ。台湾のいまの姿は日本にも置き換えられる。それでも儂をここで殺すか」


 俺の沈黙は続いた。


「儂をここで殺せば、その死に意味はない。日本人が日本人に暗殺されたところでアメリカは動かん。君に使命があるように儂にも命を懸けるほどの使命がある。確かに儂がこの車内で死ねば、テロリストは黙って帰るだろう。しかしその後はどうなる?。ここで一手を打たずして、いつ打つ。ならば儂を殺すのではなく、テロを防げ若者よ。それが君の使命だろうに」


 気が付くと涙が頬を伝っていた。人に与えられた使命。それが人を動かし、生かしているのだ。

 俺は肩を震わせながら、泣いた。ぽろぽろとな涙が落ちていき、パンツスーツに染みがついていく。


「君はオフィスに帰りたまえ、わざわざ乗る必要はない」


「しかし私は芦谷様の秘書です」


「一つ言うが伏見は芦谷様などと言わぬ。君は君として生きなさい。そしてその目的を達成しなさい。今は無理でも必ず、その時はやってくる。信念を曲げずに挑み続ければいずれ好機は訪れるのじゃ」


「全てを見通してるのですね」


「見ようとしてるわけではない。見えてしまうのじゃ」


 俺は頷くことしかできなかった。


「では儂は行く。君はこのまま、帰ってくれ。戦を起こすには策を練ることが必須じゃろう。健闘を祈っている」


「必ず、成し遂げます! その時には」


「ああまた会おうぞ」


 芦谷は片手を挙げながら車から降りた。

 すると途端にSPが駆け寄って来る。俺が銃を突き付けている姿はスモークで見えなかったようだ。

 窓から見える後姿は到底七十歳には見えない。俺は芦谷に生き方を学んだ。そして本気で思った。

 徹底的にテロリストを戦ってやろう。テロを防ぎ、全てを助ける。最高の未来のために。俺はエンジンをかけ直した。

 バックミラーを見ると目の周りが赤く、腫れている。泣いたのは何年ぶりだろうか。俺の心の中にあった焦燥が吹っ切れた。


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