第6話 篠原伸3
篠原のアパートから成田空港まで電車の乗り継ぎ、約三時間ほどかかる。
俺の目的として、由和を助け出すことが最優先であるが、それ以上に元々の俺、つまり今村尚志がどのようになっているのかが気になる。今は篠原の体の中にいる。では俺の本体は一体、誰が操作しているのだろうか。
俺ではない誰かか、昨日の俺が操作しているのだろうか。電車に乗りながらそんなことばかりを考えていた。
成田空港駅を降りた頃には、十一時を回っていた。昨日の通りに俺が動いているなら、俺と由和が到着するのは午後二時のはずだ。
それまであと三時間も時間がある。搭乗する時間からすればまだ六時間だ。
由和を飛行機に乗せないために飛び出してきたが、篠原の姿になった俺が由和を止めたところで信じるわけがない。
おかしなサラリーマンに絡まれたと思われるのが関の山だ。
成田空港は世界に繋がる玄関口だ。この中からテロリストを探そうにも、無理がある。予想は中国人。しかしそうとも限らない。共産主義者は日本にも居るし、仮に中国人でも見た目は黄色人種。その上、日本語を喋っていては分かるはずもない。
時間が巻き戻れば、助けることができると思っていたがそれはフィクションの世界の話だ。現実はそう単純ではない。
一般人の俺が何度戻ろうと、敵のテロリストは殺人のプロだし、俺の言うことを聞く人間なんて一人もいない。
昨日を繰り返してることを知っているのは俺だけだし、これからハイジャックが起こることを知っているのも俺だけなんだ。
仮に事実を話したところで常識の檻が俺の意見を全力で跳ね除ける。
何だが酷く、孤独に思えてきた。この世界に、未来を完璧に理解してるのは俺だけであり、それを伝えるのも困難極まりない。
成田空港のベンチに座り込み、虚無的な時間をただじっと過ごしていた。
それから一時間ほど経過した。目の前のモニターには海外の天気予報などが映し出されている。俺はそのモニターを呆然と眺めていた。
「旅行ですか」
不意に話しかけられた俺は驚いて、持っていたチケットを落としてしまう。
「ええ、ちょっと」
チケットを拾おうと手を伸ばすと、その男が先にそのチケットを広いあげた。
「僕と同じで台湾ですね。しかし旅行を? こんな時期に」
「ごめんなさい、正確には旅行というわけではないんです。それに台湾に行くわけでもない。台北を経由してインドに出張ですよ」
「インドですか、貿易の仕事ですか」
「まあそんなところです」
「僕もこの飛行機に乗るんですよ」
「ジャーナリストですか」
「おっ、鋭いですね」
男は笑顔で答える。
「別に鋭くはないですよ、いまの台湾に行く人なんて、野次馬くらいなもんですよ」
「ジャーナリストも野次馬ですか」
「いや、野次馬のための働く仕事でしょ」
「それもそうですね」
「真実も求め、世界を飛び回ると人間観が変わる。私の知り合いもジャーナリストなんですよ」
由和から散々聞かされた謳い文句だった。すると男は笑みを浮かべる。
「みんなそう言いますよね、ジャーナリストは。でも僕は違うかな、ペンは剣よりも強しって言うでしょ。いまの世の中ペンが一番強いんですよ」
「それでも金には勝てませんよ。人を蝕むのはいつだって紙切れ一枚だ」
「結局、紙には勝てないんですかね」
男の言った「紙」が俺には「神」のように聞こえた。そんな意図はなかったのかもしれないが、俺の耳にはそう届いた。
男は追い打ちをかけるように付け加えてくる。
「ペンだって紙に書くんですよ。いつの間にか僕たち人類は薄っぺらい紙一枚で動かされるようになってしまった。週刊誌なんて言う一枚の紙で人生を破壊され、金と言う一枚の紙で簡単に寝返る」
「銃や剣よりもよっぽど殺傷能力があるのは紙のほうなんですね」
「ええ、本当に」
男はふらふらと去っていった。あの男が誰だったのか名前も聞かなった。しかし見るからに気が弱そうで男で、到底ジャーナリストには見えない。しかしこの男の命も残り僅かである。
それを知ってる俺は台湾行きのチケットをじっと見つめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます