第8話 千切られた糸は、花を形どる

 トラ子の涙声を聞いた紅子は、苦い顔をする。「なんで、こんなところに」といった思いで頭はいっぱいだ。視線は氷央から逸らすわけにはいかない。

 そんな時、円の声が耳にはいる。


「トラ子ちゃん! さすがに危ない!!!」


 紅子が叫ぶ。


「先生ッ!」


 紅子の大きな声に驚きながらも、円が声を返す。


「はいぃ!」

「トラ子を安全なところへ!」


 そのやりとりを聞いて、氷央の顔がまた歪む。




「あんな子供、どうもしないわよ」




 紅子が、氷央をあざわらう。




「そんな分別があるのか。意外だな」




 氷央も牙を向けて可憐に笑う。


「妖怪ってだけで、すべて排除しようとするお嬢さんよりはね?」


 トラ子は、この状況をどうにかしなくてはと、考えをめぐらす。


 引き戻そうとする円の手から、トラ子がするりと抜けてしまう。

「トラ子ちゃんッ!」

「オラは大丈夫だ! ガマ吉がいる!」

「そうかも、しれないけど!」


 円の肩に、ずしりと静の体がのしかかる。

「え! 静!?」

 

 ぐったりと、うなだれた静からは、反応がない。

 

 ガマ吉が静の様子をみて、勘づく。

「氷央が、大分多く力を使ったんだ。このままじゃ繋がってるやつらが」


 円がうろたえる。

「どうしよう! ガマ吉くん!!!」



 トラ子はガマ吉に勢いよく問いかける。

「オラとガマ吉で、鬼のお姉さんをのとって、糸を切れないだか!? そうすれば、紅子と、静を助けられる」

「糸を切る? ……。やってみたことは、ないが。 トラ子となら……、できるかもしれない」


「でも……、そうすると鬼のお姉さんは大丈夫だか!?」

「多分、そうとう食ってるから大丈夫だろう」


 矢継ぎ早に行われるトラ子とガマ吉のやりとり。聞いている円が、声を上げる。


「え!? そんなことして二人は大丈夫なの!?」



 そこには、既に人の姿のガマ吉がいる。



 円が初めて出会った時のガマ吉。妖怪「傀儡」が青年の姿で立っている。


「わあ! 男前なガマ吉くん!」


 ガマ吉が円の方を向いて、微笑む。

「先生、静とトラ子は大丈夫」

「カッコ……良すぎるよ! ガマ吉くん!」


 氷央に向かってガマ吉が左手をかざす。トラ子が右手をかざす。二人の指には赤い糸が繋がっている。


「トラ子は俺が守る!」

「ガマ吉はオラが守る!」




 氷央が銃の玉を確認する。そして紅子に銃を向ける。



「最後に、言いたいことある?」

「せめて、何発か食らわせられてよかった……」

 

 少し間をあけて紅子がニヤリと笑う。



「……化け物にな」




 氷央が呆然とする。




「……。意地が悪いわ。私が気にさわることに勘付いて、あえて、そう言うのね……」



 憎々しい表情を浮かべたあと、悲しい顔をした氷央が引き金を引く。

「さようなら」



 しかし、銃が発射される寸前で、氷央は小さくうめき声を上げ、急に苦しそうに体を屈める。


 氷央は感じたことのない痛みを覚える。


 痛みに、耐えながら考えを巡らす。こんなことが、出来るのは一人しかいない。しかし、これは氷央も知らない力。



 氷央がガマ吉を睨みつける。


「傀儡ッ!」


 氷央の、小指の糸が、ひらりと一本切れる。


 続いて、何十本もの糸が次々と弾けるように、千切れる。





 彼岸花が咲いたように、真っ赤な糸が氷央の周囲で舞い散る。






 氷央がその場で倒れこむ。


 その様子をみた円が、トラ子とガマ吉に聞く。

「大丈夫だったの!? 糸は切れたの!?」


 トラ子が頷く。

「糸は、全部切れただ……」



 しかし、氷央の様子を見て、トラ子が慌てる。

「ガマ吉! 鬼のお姉さんも大丈夫って話しだっただよ?」

「うん? 氷央……あんまり食って……、なかった!?」



 円が静に声を掛ける。

「静!」

 

 静が、おもむろに目をゆっくり開ける。

「兄ちゃん、今までありがとう……」

 円には、静の顔色が比較的、良いようにみえる。

「……うそッ! 静! 結構、大丈夫でしょう!?」

「分かる? なんか、雰囲気的に期待されてる気がして」

「本当にバカなの!?」


 ガマ吉が、そんな静をみていう。

「やっぱ、氷央、あんま食ってないわ!」


 静が倒れた氷央を目にする。

「氷央ちゃん!」


 静が、氷央のところへ、トラ子が紅子のところへ駆け出していく。


 ガマ吉もトラ子と一緒に、駆けだそうとする。



 そのガマ吉の肩を、円がトントンと叩く。

 

 人の姿のガマ吉が円の方へ振り返る。


「ガマ吉くん、静を助けてくれてありがとう」


 その言葉に、ガマ吉は面食らう。

 円はもう一度同じ言葉を繰り返す。


「ありがとう」


 ガマ吉は首を大きくふる。


「俺はなにも。トラ子の考えだし、俺だけじゃ、こんなことはできない。トラ子との相性っていうか。トラ子なしでは糸なんか切れない」


 円が首を傾げる。


「じゃあ、トラ子ちゃんと、ガマ吉くんの力が、静と紅ちゃんを助けてくれたんだ」

「オレが? 助けた?」

「そうだよ? それ以外ある!?」


 円が、うんうんと頷く。

 ガマ吉の目から、涙がにじむ。


 そんなガマ吉に、円がぎょっとする。


「大丈夫!? ガマ吉くん!? 男前が、より男前に!」


 ボロボロと涙を流すガマ吉に、うんうんと、また頷きながら、円が優しく落ち着かせるように、肩をたたく。



 トラ子が紅子を抱えてて、軒先に連れて行く。ちいさなトラ子に抱えられた紅子が、トラ子の身を案じる。

「すまない」

「このくらい何でもないだよ」


 軒先の壁に紅子をよりかからせる。

 トラ子が紅子の腕をみると、膨れ上がっている。

「すごいだよ!」

「大丈夫だ。折れてるだけだ」

「それは、大丈夫じゃないだよ!」


 トラ子が涙を滲ませる。


 そんなトラ子の顔を紅子が、みつめる。


「すまない……」

「なんで、謝るだよ?」

「現場を……、ひどいものを見せてしまったから」


 紅子が折られていない方の腕を伸ばし、トラ子の頭をなでる。


「それより、手当を! 紅子、制服を切るだよ?」


 トラ子が袖から、ちいさな裁縫セットを取り出す。その中の小さなハサミで、袖を切っていく。


 丁寧に黙々と作業をするトラ子。しばらく黙っていた紅子だが、さすがに口を出す。


「トラ子……。さすがに、それだと日が暮れないか?」

「はっ! つい! 破ったらもったいないと思って! 繕いやすいように! 貧乏性が!」



 すぐにガマ吉と、円も駆けつける。


 制服の上からも分かる程に腫れあがった腕に、円が痛痛そうな顔をする。

「わあ! 紅ちゃん!」


 ガマ吉がトラ子の隣にいく。

「トラ子、ちょっとどいてろ」

「分かっただよ」


 ガマ吉が紅子の腕に、手をかける。紅子は、首を横に振り、ガマ吉の手を振り払う。


「いい。放っておけ」

 

 トラ子が紅子の顔をニッコリ笑って覗き込む。


「大丈夫だよ。ガマ吉は長生きだから、何でも出来るし、何でも知ってるだよ」


 紅子はトラ子の笑顔をみると、小さく少しだけ頷く。ガマ吉が紅子の腕に、手をかけるが、今度は紅子は抵抗せず、大人しくしている。



 ガマ吉は紅子の制服の袖を掴み、力を入れて破く。



 トラ子が指をさす。

「それなっ! オラも本当は、それがやりたかっただよ! また次の機会に」

 トラ子の肩に円がそっと手をおく。

「次があったら、困るよ……、トラ子ちゃん」


 折れた腕は、赤く腫れ上がっている。



 ガマ吉は、状態を確認すると、手早く紅子の腕を固定する。


「わあ! ガマ吉くん! 本当にカッコイイ」

 

 紅子は、目を合わせずガマ吉にいう。


「ありがとう……」



 ガマ吉は、ただ微笑んで、首を横にふる。



 そんなガマ吉をみた、円は焦る!


「ガマ吉くんッ! それは反則! 眩しい! そういえば、私……なにもしてないかもぉッ!?」


 ガマ吉が不思議そうな顔をしたあと、真面目な顔をして円をじっとみる。


「先生は……、たくさんしてくれている。すごく、たくさん……」


 円は、ガマ吉の真っ直ぐな目を見ると黙ってしまう。少しして、ハッと我にかえる。


「だから! カッコイイよ! もうドキドキするからッ! 財布に戻って欲しい」

 そんな円にトラ子が少し、あきれてしまう。

「もう先生、緊張感がなくなるだよ〜」


 こんな状況にも関わらず、少し笑いがおこる。


 少し落ち着いた紅子の目に、ふらふらと、氷央のもとに歩いていく静が映る。




 穏やかだった紅子の顔が、みるみる曇る。紅子が叫ぶ。




「静ッ!」




 静は、紅子の声に反応することなく、歩いていく。


 もう一度、紅子が叫ぶ。

「静! 何をする気だ! 行くな!」



 静がやっと、紅子のほうを振り返る。




 少し間の抜けたような、きょとんとした顔だ。



 何度も顔を合わせてきた、いつもの顔。





 自分に向けられいた、……自分だけに向けて欲しいと思った顔。





「行くな! 静! 私は……、お前のことが……」




 静は、少し待つが、紅子がその先を言わないため、また歩きだす。




「静ッ!」

 

 



 静はふらふらしながらも、氷央のもとに、なんとか辿り着く。


 角も、牙もなくなった氷央がぐったり倒れている。

「氷央ちゃんッ!!!!」

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