第3話 忌み嫌われし妖怪

 ようやく収まったのか、紅子がトラ子の方を向く。


「悪いようにはしない。娘、来い」


 紅子の振る舞いに驚き、トラ子はあっけにとられている。紅子の命令に対しても、もう頼っていいいのか、頼るしかないのか、考えが追い付かない。


 そんなトラ子の様子をみた静が、紅子には任せておけないと判断したのか、優しくトラ子に話しかける。


「めちゃくちゃ怯えさせちゃって、ごめんね。ちょっと話を聞いてもらえるかな」


 静が腰をかがめ、トラ子の目線に合わせて、優しく語り掛ける。そして、ふと思い出し、紅子の方を振り返り、釘をさす。


「隊長、静かにしててくださいよ!」


 紅子は不服そうだが、静がこういったことの対処を得意としているのが、分かっているらしく、大人しく頷く。


 静がトラ子の方へ目線を戻す。


 紅子よりも、大分、物腰の柔らかい静の振る舞いに、トラ子も少し心を落ち着ける。

 その様子を感じ取った、静が説明する。


「僕達は邏卒。分かるよね? 治安を守ってるんだ。君が大切にしている、その、おしゃべりするお財布のことは置いておいて、人身売買の被害に合った君を保護したいんだ」


 紅子が口を挟む。


「違うぞ。妖怪と繋がってる子供の話を聞いた。人身売買はたまたま出くわしただけだ」


 静が驚いて紅子を見る。


「隊長!?」


 紅子が、真っ直ぐトラ子を見る。

 

「嘘を言うな静。この子供はバカじゃない。こういう類の局面にはいつも接している。そんなもの通用しない」


 その紅子の発言に、トラ子とガマ吉は少し紅子のことを見直す。


 そう、トラ子にはこんなことは通用しない。直ぐに見破れる。子供扱いされなかったことにトラ子は少し紅子を信頼しそうになる。



 紅子はおべっかを使う人間ではない。



 紅子がトラ子に話す。

「妖怪は人の心を食う。糸で繋がってると言ったな。お前はもう危ない。そこまでいけば精神を食い潰される日も近い」


 しかし、トラ子はガマ吉がそんなことをするとは、到底思えない。ガマ吉はたった一人の友達なのだ。いつも、ずっと一緒にいてくれた友達だ。そんなことが、あるはずがないのだ。トラ子はどんどん、不安になってくる。


「ガマ吉は、そんなことしないだよ……」

「来い。妖怪などすべて消してやる。始めは親切面して現れるんだ」


 紅子は、おべっかを使う人間ではない。紅子が信頼にたる人物かもしれないことは、何となく感じ取れる……でも……、

 ガマ吉が親切面? そんなことがあるはずがない。紅子はガマ吉の何を知っているというのだ。何も知らないじゃないか。


 立て続けにいろんなことが起きて、トラ子の心はもう、不安でいっぱだ。もう心のバケツが不安で一杯。涙まで溢れてきそうになる。ぐっとこらえているトラ子に、優しい声がする。


 ガマ吉だ。


「トラ子! 大丈夫か!?」

 

 何だっていい。自分が見てきたガマ吉が、トラ子のすべてだ。それでいい。それ以外には何もない。何もなくていい。


 トラ子は黙って、うつむく。そして、紅子を睨む。


「ガマ吉は……渡さないだよ!」


 トラ子が紅子達、邏卒の方に手を掲げると、仲介人達の犬が一斉に、紅子達を襲う。


 犬と応戦しながら、静香が叫ぶ。

「隊長、本当にバカなんすか! もうヤダ、最悪! 絶対、この犬に噛まれたらヤバいっすっもん! 注射とかしてないっすもん! 絶対!」

「黙れ静!」


 静に飛びかかる犬を、間一髪で紅子が蹴り飛ばす。


「わあ! 隊長、カッケー! ……全部、隊長のせいですけど!」


 そのすきにトラ子が逃げる。

 

 走り去るトラ子の耳に、紅子や静の慌てている声が聞こえる。

「あー、悪いことしただ!」

「トラ子……。あいつらの所へ行った方がお前は……」

「ガマ吉は絶対に渡さないだよ。オラとガマ吉はずっと一緒にいるだよ」

 トラ子が、ガマ吉にニコッと笑う。


 紅子が犬を払いのけ続けるが、犬たちが絶え間なく襲ってくるので、埒が明かない。


 紅子は腰の拳銃を抜く。


 そして、襲ってくる犬を、拳銃で打ち抜く。


 大きく激しい音が、周囲に響き渡る。


 犬の鳴き声と、トラ子の叫び声が重なる。


 その音と、叫び声に、打たれていない犬達も、邏卒達から、一目散に逃げていく。

 

 肩を撃ち抜かれた犬と同じ場所、肩を手で抑えたトラ子が膝をつく。


 痛みでトラ子の顔が歪む。


 犬を操っていたトラ子自身にも、撃ち抜かれた痛みを感じることを、トラ子は直感する。


「ワンちゃんを打ち抜いただ……。 動物虐待……」


 ガマ吉が叫ぶ。


「トラ子!」


 トラ子がその場で気を失い倒れる。


 ガマ吉がトラ子の傍で、ピョンピョン跳ねながら、トラ子を呼ぶがトラ子は返事をしない。


「トラ子!!!」


 何度、叫んでもトラ子からの反応はない。ガマ吉は叫ぶのをやめる。


 

 紅子と静がトラ子に追いつく。

 


 見知らぬ袴姿の青年が、トラ子を抱きかかえている。


 ガマ口の財布の姿はない。


 青年が、苦しそうにトラ子に謝っている。

「トラ子……、こんな思いをさせて、すまない……」



 静は、青年がトラ子を抱きかかえている姿をみて安心する。

「その子のこと保護してくれたんですね。ありがとうございます。ていうか、めちゃくちゃ、男前っすね!」 


 紅子が青年に銃を向ける。


 静がそんな紅子に当然驚く。

「え? どうしたんすか、隊長!」


「そいつは、さっきのガマ口の財布だ」

「へ?」

 静が素っ頓狂な声を上げる。


 紅子が静かには構わず、青年に問いかける。

「犬を操るあの力……。妖怪『傀儡』。生きていたのか……。その娘を離せ」


 青年が紅子を睨む。


「今、この子と糸を切るわけにはいかない」


 青年が紅子達に向けて手を掲げる。


 紅子が静香の方に目を向ける。

 

 そこには、紅子に銃を向けている静の姿がある。

 

 静が紅子に銃を向けたまま、説明する。


「違うんです! この前仕事押し付けられて、残業になって、ふざけんなって思いましたけど、違うんです! 勝手に体が! って言ってて、アホっぽいんですけど、ほ、本当です」

 無言のまま静を睨む紅子。

「信じてください!」


 紅子が叫ぶ。


「うるさい! 黙れ! 静に上官に歯向かうなんて度胸があるわけがない。空気が読めずに、軽口を叩くのが、せいぜいだ」

「信じてもらってるっていうか、ひどくないっすか?」


 紅子が少し怯えたような、それでいて目はギラつかせたまま、青年を、まじまじとみる。



「生き物の心を奪い、操る……。最も忌み嫌われし妖怪」


 静は自分の身に起こっていることが理解できず、動揺するしかない。紅子にすがるように、問いかける。

「俺、この男前に操られてるんすか?」

「大人しくしていろ、静! ……本当に傀儡か」


 青年が紅子に苦しそうにいう。

「こんなことはしたくない」


 紅子があざわらう。

「妖怪風情が、そんなことを」

「したくないが、あなたが動けば、あなたの命はない」


 静が、ここぞとばかりに慌てる。

「ええ! オレ、上官殺しになっちゃうじゃないですかッ! 隊長! ここは大人しく!」

「黙れ、静!」


 二人がもめている間に、トラ子を抱えて、青年が走る。

 

 虚ろな目で、トラ子が青年を見上げ、なんとか声を絞りだす。

「ガマ吉……、本当の姿になって大丈夫だか……。オラは大丈夫。財布に戻るだよ」


 青年が涙を浮かべる。

「すまない……トラ子……」


 青年がとにかくトラ子を抱えて走る。すると、一人の男性が現れ、声をかける。

 「色男のお兄さん! こっちに! こっち! 抜け道がある」


 青年はトラ子のように戸惑う。この男性を頼ってよいものか、どうか。しかし、トラ子のことを考えると、もう選択肢がない。とにかく、何処かで休ませてやりたい。


 青年は、男性の呼ぶ方へ向う。

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