第87話 我

 

 歩くことが呼吸だった。


 動くことが酸素だった。


 止まらないことが生きる術だった。


 ――なつめ雲雀ひばりは止まれない。


 家にいる時も、授業を受ける時も、眠ろうとする時でさえ止まれない。


 彼女の動きが止まることはそれ即ち、彼女が死ぬことに直結する。


 中学の授業中、雲雀は酸欠で倒れた。それが全ての始まりであり、彼女はその頃から椅子に座れなくなった。


 いつもいつでも運動靴を履き、授業中は自分で持ち込んだ立ち席で板書をする。一歩だけ隣に移動し、苦しくなる前にまた一歩戻る。彼女はどれだけ疲れても、地面の同じ位置に居続けることはしなかった。


「棗さん、目立つ行動は控えるように。他の子の迷惑になるから」


「はい」


「足音も極力立てないように」


「……はい」


「ちゃんと分かってる? 立って授業を受けることを特別に許可してるんだから、棗さんの協力もいるんだよ」


「分かって、ます」


 教師の話中も雲雀は止まれない。直立していれば徐々に喉が締まっていく気がして、我慢できずに一歩動く。動くことで呼吸を守る。それを繰り返していれば、眉を顰めて雲雀を窘めた。


「ちゃんと聞きなさい」


(……聞いてるのに)


 言葉を飲み込んだ雲雀は唇を噛み、小さく「ごめんなさい」を零すのだ。


 夜も眠れなくなった彼女は、鶯が頼むより先に小梅の元を訪れた。小梅は自動的に寝返りを打たせるマットレスを介護ベッドから知識を貰って試作し、雲雀は浅い浅い眠りで日々を過ごす。


「これ、凄いね。ありがとう」


「あら……隈も凄いようですので、改良しますわね」


「……ごめんね」


「謝らないでくださいませ」


 溌剌と笑う小梅に、雲雀は泣きたい気持ちを駆り立てられる。目元に力を入れた少女は、努めて笑って見せた。だから小梅もやる気をみなぎらせ、せっせと試作品を作り続ける。


 しかし。桜色の努力虚しく雲雀は寝不足となり、授業中でも食事中でも欠伸を零すことが増えた。その姿が彼女の態度を悪く見せようとも、雲雀には俯いて謝罪することしか出来ない。


「雲雀、ドライブ行こうか」


「……うん」


 両親はたびたび娘をドライブに誘った。車ならば乗っているだけで雲雀のヤマイを抑制できたからだ。


 だが、雲雀は閉じ込められるような車の中が嫌いだった。唯一体を休められる時間であっても、心までは休めることが出来なかったから。両親がドライブに連れて行く、もう一つの理由の為に。


「いい? 雲雀。ヤマイである雲雀は、いるだけで迷惑をかけちゃうの」


「……うん」


「だから他のことで迷惑かけちゃだめよ」


「……はぁい」


 何十分間のドライブで、両親は雲雀に言い聞かせた。誰にも迷惑をかけないこと。ヤマイなのだからそれ以外のことで目立ってはいけないこと。疲れ切った顔の娘の左手には印数三が刻まれている。


(人に、迷惑をかけちゃいけない)


 雲雀は頭の中で反芻し、許された時間で眠ろうと目を閉じた。両親はそんな娘の姿に泪しながら、車を走らせる。


「ヤマイだなんて……」


「この子はもう、幸せにはなれない。まともな生活だって望めないんだな」


「ほんと、可哀想に」


「……残念だよ」


 自分を憐れむ両親に、雲雀は気づいていた。両親が望む子にはなれなかったのだと気づかされた。


 クラスメイトが自分を煙たがっている目にも気づいていた。自分を嘲笑の対象にしているとも気づいてしまった。


「せんせー、棗さんのせいで集中できませーん」


 人は誰か一人、目につく者を攻撃してしまう。


 雲雀は迷惑をかけないように気を遣った。邪魔にならないように心を配っていた。


 しかし、授業中に自分を笑う声を聞いて、両親や教師の言葉を疑った。


(なんで私だけ我慢しなくちゃいけないの?)


 雲雀にとって歩くことは呼吸であるのに。


 彼女にとって動くことは不可欠なのに。


 少女にとっては、止まらないことが生きる術なのに。


 どうして息をするだけで笑われるのか。なぜ自分は目の敵にされるのか。面白いことなど一つも無いのに。自分は、生きるだけで迷惑をかけているのか?


「なら、私に死ねって言いなよ」


 笑っていた教室の空気が凍り付く。教師の顔が煮えるように赤くなっていく。


 棗雲雀は、他人を考えることをやめた。


 取捨選択は全て自分の基準。自分にとって必要かどうか。自分がどう動きたいか。自分がどうしたいか。


 そうしなければ雲雀は、自分の呼吸を、心を、守れないと知った。


「なんでそんなに動き回るの? ウザいんだけど」


「生きる為だけど」


「生きるとか壮大すぎだろ」


「私にとっては死活問題なんだよ」


 雲雀は自分の進行を止める者を許さなくなった。笑って受け流すこともせず、好きに言わせることもせず、ただ一人で動き続けた。


 揶揄からかわれようとも無視した。周りの事などどうでもよく、自分の呼吸だけを優先した。


「どうして、雲雀はもっと大人しく出来ないの」


 学校は雲雀の態度を素行不良とした。両親は娘に大人しくするようにきつく言い聞かせるが、雲雀は聞こうとしない。


「どうして私だけ我慢しなくちゃいけないの」


 雲雀は気づく。両親は娘の将来に期待せず、存在に神経質となり、世間体を気にしているのだと。


 彼女は他人を見る度に嫌になる。ヘルスを見る度に沸々と憤りが湧いてくる。


 雲雀にとって止まることは死と同義。だから彼女は何も悪く感じない。


 実働部隊ワイルドハントの存在を知った時、雲雀は入ることを自分で選んだ。誰に言われたわけでもなく、自分が楽になる為に、自分の呼吸を守る為に、自分が走り続けても許される場所を選び取った。


 彼女の心に罪悪感は無い。彼女は生きていたいのだ。


 動いて動いて、動き回って。


 双節根ぬんちゃくを握った少女は、迷うことなく黒いペストマスクを砕き壊した。


「私が生きる糧になって」


 メディシンがあれば止まっていられる時間が少しだけ伸びる。だから彼女は武器を持った。


 学校を休んで戦闘員を相手にすることも、家に帰らずアテナへ飛ぶこともした。


 彼女は学ぶ。ヤマイは誰も守ってくれないと。ヤマイになった時から、ヘルスはヤマイを人外にするのだと。


 だから彼女は自分で自分を守り、自分を救おうと、自分の呼吸を得ようと走り続けた。


 そんな彼女から見れば、椿つばきうぐいすは酷く生きにくそうだった。


 罪悪感で胃の中を逆流させ、泪を流しながら蹲る姿は痛々しい。


「なんで、俺……こんなこと頑張ってんだろ」


 絞り出された少年の言葉に、雲雀は口を閉じてしまう。


 頑張る自分を疑って、頑張る理由が分からなくて、自分が犯した事柄に責任を感じて。


 雲雀はそんな鶯を――綺麗だと思ってしまった。


 自分が今まで見てきたヘルスより、武器を向ける戦闘員より、怯えた目をしたヤマイより。


 誰よりも、何よりも。


 繊細な鶯に、雲雀は微かに惹かれてしまった。


「誰かの為に頑張るからしんどいんだよ」


 だから雲雀は鶯の隣に膝をつく。徐々に自分の呼吸が苦しくなっても、自分より苦しそうな少年を一人にしたくなくて。


「誰かの為じゃないよ。自分の為に私達は頑張るの。守る為に頑張るの。だって自分が一番大切だもん」


 水筒とハンカチを持たせた雲雀は、目元を赤くした鶯を笑ってしまう。少女は苦しくなる姿を悟らせずに立ち上がり、踊るように足を動かした。


「君、名前は?」


「……椿、鶯」


「あぁ、君が! なるほどね、小梅ちゃんから聞いてたけど、私と同じ鳥の名前だ! いいねいいね! あ、私は棗雲雀だよ! よろしくね」


「よ、ろしく」


 雲雀は努めて明るく見せた。暗い路地の中で、少年が黒に溶けてしまわぬように。


 緑の瞳を見た雲雀は、新緑の森を脳裏に描いていた。


(彼みたいな人が……椿君みたいなヤマイが救われないなんて、おかしいよ)


 その日から雲雀は、壊れそうな鶯を見かけては傍に寄った。


 少年は眠りたくないのに眠ってしまう。陽光を浴びない為に顔色が悪い。頑張る理由が分からなくて、頑張り方を知らなくて、目覚めた時には世界に置いていかれている。


 雲雀は傷を作ってアテナから戻った時、メディシン投与権を見下ろした。


「……楽になって、欲しいなぁ」


 それは小さな願望だった。


「あの目、もっと見たいんだけどなぁ」


 それは期待の入り混じった感情だった。


 雲雀は綴った。メディシンの投与者欄に〈椿鶯〉と。彼には内緒で。


 鶯は薄曇りならば目覚めるようになった。そうすれば、雲雀は何があったか、どんなものを見たか伝えてみた。起きた彼が一人ぼっちにならないように、置いてけぼりにならないように。新緑の瞳が陰ってしまわないように。


 少女にとって、少年の隣は居心地が良かった。動くしか能のない自分が見た景色が彼に安らぎを与えていると分かったから。開眼した時、自分を見た鶯の目が安堵していると伝わったから。


 棗雲雀は、椿鶯が目覚める瞬間が生きがいになった。


「棗」


「なぁに? 柊君」


「お前、メディシンを椿に譲渡しているのか」


「だったら何?」


「それを椿は知っているのか」


 ある日、齢九つの葉介が雲雀に問いかける。止まることを忘れた少女は、踊るように床を蹴った。


「知らないよ。これは私が勝手にやってることだから」


 傷を撫でて、包帯を握って、雲雀は笑う。葉介は理知的な瞳を細めて少女を観察し、それ以上なにかを言う事はなかった。


 それは、知らず知らずのうちに少女を蝕んでいたのに。


 アテナで怪我をして、アレスでも戦闘員を相手にして、実働部隊ワイルドハントに所属することで定期健診が免除され、結果的に雲雀はメディシンを投与する事がなくなった。


「……ぁれ、」


 徐々に雲雀の止まっていられる時間が減った。


「なに、なんで」


 歩くだけでは呼吸が整わず、足が勝手に走り出すことが増えた。


「ぃや、嫌だ、いやだよ」


 歩いても苦しくて、走っても苦しくて、しかし止まればより苦しくて。


 雲雀は喉を掻き毟りながら走り出した。アテナから帰って来て怪我をした姿で、疲れた体に鞭を打って。


 頭が酷く混乱していく。今まで溜めてきた感情の制御が出来なくなり、叫び出したい衝動に駆られた。


 研究員にぶつかっても気にしない。障害物全てを鬱陶しく感じ、自分の道を塞ぐもの全てが疎ましく思えてくる。


「邪魔、ジャまだよ」


 雲雀の視界が狭くなり、呼吸が荒く浅くなっていく。


 それでも彼女は止まれない。彼女は止まれば死んでしまう。


 走る彼女の視界が滲む。駆ける自分を疎ましそうに見る研究員達に苛立ちが募っていく。


「……棗?」


 廊下で鉢合わせた鶯を、雲雀は突き飛ばした。決して、酷いことがしたかった訳ではないのに。


 自分の呼吸を守る為に、自分の酸素を獲得する為に。


 目に映る全てが、彼女を殺す障害に見えてしまったから。


「苦しい、クルしぃ、こわい、怖い、コワいよッ」


 気づけば雲雀は泣いていた。泣きながら走っていた。広いパナケイアの敷地内を、誰にも留めることの出来ない速度で。


 白目が黒に反転し始めたとも気づかない。パナケイア内に響く警鐘も耳に入らない。


 雲雀はただ呼吸を求めた。酸素を求めて走り続けた。


「おら、止まれ暴走少女」


 呼び出された金髪、皇が容赦なく雲雀を蹴り飛ばす。少女は勢いよく窓硝子を割り、中庭に吹き飛ばされた。


 それでも彼女は止まらない。止まれば死んでしまうから。


 狼牙棒を担いだ皇は赤い目を細めて、足を震えさせる雲雀を見つめた。


「ジャマ、しないでよ」


 自分勝手で何が悪いの。


 誰かの顔色を窺ってたら、私は生きていられない。


 雲雀は双節根ぬんちゃくを回し、皇に殴りかかった。


「聞けよ、プラセボ打ってやっから」


「ドけ!!」


 皇が狼牙棒を回す。雲雀は素早く双節根ぬんちゃくを振り被る。


 両者は激しく武器を叩き合わせ、雲雀は肩で呼吸をした。


 ――迷惑をかけないで


「メイワくにナるから、シねばイイの」


 酸素が足りない、空気が足りない。


 ――目立たないで


「ヤマイだかラ、シネばいいノッ?」


 自由が足りない、安らぎが足りない。


 ――周りのことを考えて


「そレナら、どウして、ワタしたチはうまれテキたの!!」


 理解が足りない、節度が足りない。


 雲雀の体の奥底から、本能による言葉が、思考が溢れ出る。


 私は誰かの為に生きてない。誰かを意識して生きてない。誰かに迷惑をかけないとか、誰かに認められるとか、そんな生き方望んでない。


 動いていなくちゃ、動かなくちゃ、私はッ


「ワタシは、いキを、してタいだけだッ!!」


 皇は双節根ぬんちゃくを受け止めると同時に、雲雀の言葉も受け止めていた。


「……そうだよなぁ、俺達ヤマイって、なんで生まれてきたんだろうな」


 皇の狼牙棒が雲雀の鳩尾を殴打する。少女は白い衣装を赤く染め、酸欠が心臓を軋ませた。


「やれ、葉介」


「はい」


 赤い双眼が雲雀の背後を見る。


 構えられた銃口を視認する。


 廊下からライフルを構えた葉介は、よろけた雲雀の右脹脛を撃ち抜いた。


「――ッ」


 雲雀の体勢が崩れる。双節根ぬんちゃくが手から離れる。


 それでも少女は、止まれば死ぬ。


 だから走り出そうとして、風のように駆け抜けたくて、鳥のように飛びたくて。


 濁った両目からは、泪が零れ落ちた。


「ワたシの、コキュうの!!」


 葉介は、雲雀の左脹脛も迷わず撃ち抜く。


 しかし少女は奥歯を噛み締めて走り出そうとするから。


 皇は目を伏せて、泣きながら叫ぶ化け物マッキを見つめていた。


「ジャマ、するナッ!!」


 走れない足で雲雀は走ろうとする。


 動けない体で駆け出そうとする。


 壊れそうな体で生きようとする。


 青みがかった黒髪を広げて、血で染まった白い上着をはためかせて。


 皇は後ろへ距離を取り、自分と少女の間に入った緑色を確認した。


「棗ッ」


 プラセボをつけたテレクを握って、鶯は雲雀を抱き締める。


 少女は目を見開いて唇を噛み、腹部には少年の刃が突き刺さった。


 濃度の高い薬が染み込んでいく。少女の傷から浸透する。


 吐血した雲雀は浅い呼吸を繰り返し、鶯は彼女を抱き上げた。


「……眠っていいよ、休んでいい。棗が眠ってる間、俺が動き続けるから」


 あやすように少女を撫でる手は大きかった。まともに彼の言葉が届いていない雲雀は、しかし鶯の体温に安堵する。


 ゆっくりと目を閉じて、全体重を鶯に預けて。


「棗、たくさん話をしよう。棗の事、もっと教えて欲しい。俺の事も、聞いて欲しい」


 鶯は雲雀を抱き締めて、血だらけの少女に願ってしまった。いつも酸欠だった少女を想ってしまった。


「だから、頼むから……一人で、飛んでいこうとしないでくれよ」


 ――鶯は雲雀の為に歩き続けた。熱に魘される彼女を抱いて、幻覚に苛まれる少女を時には押さえつけて。遮光性の高い上着を羽織り、雲雀が目覚めてくれるのを待ち続けた。


 いつもとは逆の立場。いつ目覚めるのか、いつ声を聞かせてくれるのか。


 鶯は、雲雀の青みがかった瞳を見られる日を待ち望んだ。


「椿」


「葉介……どうした?」


 少年は葉介から、雲雀がマッキになった原因は自分にあったと教えられる。メディシンを譲られていたのだと今になって知る。


 鶯は考えた。眠るばかりしていた頭を働かせて、詰まったような胸を握り締めて。


 雲雀はどうして自分を気にかけてくれたのか。それは自分と、同じ感情からだったのか。


 分からない鶯は問いかけたいと同時に、伝えたいと思った。


 手遅れになってしまう前に、伝えられる時に伝えたい。


 棗雲雀に、自分だけの青空であってほしいと想ってしまったから。


「……ぁ、れ……」


 鶯は知る。ずっと待ち望んでいた相手が目覚める感動を。自分が目覚めた時、雲雀が嬉しそうに笑ってくれた感情を。


 少年は、寝ぼけ眼の少女に笑いかけた。


「おはよう……雲雀」


 鶯の声は、雲雀に優しく溶け込んだ。


 握った手は、確かに彼女に安らぎを与えた。


 少年が伝えた感情は、少女に泪を流させた。


 雲雀がその後、アテナへ行くことはなくなった。


 いつも鶯の隣を歩き、眠った少年に伝えられる事柄を雲雀は探している。生きる為に歩き、伝える為に走った。


 雨の日になれば、二人は一つの傘をさして街を歩く。嬉しそうに、楽しそうに、ただ自分と相手の事だけを見つめて。


「……バカップル爆誕かよ」


『嫉妬? 嫉妬? 羨ましいね~、彼女欲しいね~』


「るせぇぞ相方」


 曇りの日、雲雀ははしゃいで鶯の腕を引く。鶯も穏やかに少女に着いて歩き、皇は呆れたように二人を見ていた。


 空が晴れれば鶯は眠る。その周りを、雛鳥のように歩く雲雀の姿を小梅は見ていた。葉介は思わず小梅の後ろで呟いてしまう。


「縛られてますね、互いが、互いに」


「……それを貴方が言いますか?」


「はい?」


 嘆息する小梅の意図を葉介は汲み取れない。少女は弱く頭を振り、遮光性の高い上着と安眠できるマットレスの改良に勤しんだ。


「葉介君さぁ、鶯に余計なこと言ったでしょ」


「別に、事実を伝えただけだが」


「時には黙っておくべき事実もあると思います!」


 雲雀は実働部隊ワイルドハントの前でよく笑うようになった。肩から力を抜いて、取っていた距離を詰めて。自分と緑の少年を守れる場所だと信じていたから。


 棗雲雀は、自分と大切な彼を守っていたかった。


 * * *


「……鶯」


「なに? 雲雀」


 伊吹兄妹の部屋で雲雀は瞼を上げる。鶯は穏やかに少女の声に耳を傾け、足を止めることはしなかった。


「私と一緒に、飛んでくれる?」


「勿論。雲雀が飛びたい場所なら、何処へでも」


 悩む間もなく鶯は肯定する。雲雀は仕方なさそうに笑ってしまい、少年の腕から下りたのだ。


「小梅ちゃん、知識を貸して」


「私の知識でしたら、いくらでも。何を知りたいですか?」


 顔を上げた小梅は、射抜くような青鈍あおにび色の目を見る。雲雀は口を結んだあと、鶯の手を握り締めた。


「パナケイアに頼らず生きていく方法。私達が私達らしく生きる為に、するべきこと。それが知りたい」


 小梅は微かに目を丸くする。


 ヤマイは、パナケイアと必然的に癒着している。メディシンや定期健診、ヤマイに関する事柄を担っているのはパナケイアだから。


 そこから離れたいのだと雲雀は願っている。その為の知識が欲しいと言う。


 小梅は自分の顎を一度撫で、立ち上がった。


「私の家に招待致します。両親の部屋に行けば何かしらの手掛かりがあるかもしれません」


「ありがとう」


 桜色の瞳は頷き、背後に立っている葉介を確認する。少年は何も言わずに顎を引き、胸に手を当てていた。


「俺は、お嬢が望むことをします」


 銀髪の少年は揺るがない。それが彼の正義だから。


「……私は、家に謀反を起こすかもしれませんのに?」


「お嬢が望む、正しき目を養う為でしょう」


 桜髪の少女は儚く笑ってしまう。それが彼女の正義だから。


「行きますわよ」


「はい、お嬢」


 歩き出した二人に、緑髪の少年と青鈍髪の少女は続く。


 少年は、自分だけの青空が曇ってしまわないように。


 少女は、自分の呼吸と彼の安全を守る為に。


 それが二人の正義だから。


「……いばらちゃんは、どうする?」


 雲雀は一度振り返る。


 声を掛けられた少女、朝凪いばらは顔を上げ、紫がかった瞳を向けた。


「――私は、」


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