第79話 敵
「柘榴先生! 柘榴先生ッ!! 見たんだろ、先生の指が動いたんだッ、治療してよ! 治せよ、救えよッ! 貴方達にとって大切なヘルスだろ!!」
雨を飲みながら叫びを上げる。
「猫先生ッ、猫先生に何するの!! 先生は、先生はまだ生きてるんだッ! 酷いことしないでッ、化け物なんかじゃないッ!! 先生は、害じゃない!!」
流海の悲鳴が暗い空に木霊する。
雨の中、抑制部署の奴らに押さえつけられた路地裏で。
先生達を運ぼうとする奴らに私と流海は吠え続け、しかしその声に反応を貰える事などなかった。
奴らは
猫先生はもう後が無い人だ。知ってる、教えてもらった、三回マッキになってしまったんだって。だから
――どうしてパナケイアに……?
――涙と流海が定期健診を受けたりする時、出来る限り近くにいたかったんだよ
思い出すな、思い出すな、頼むから今だけは思い出すな。
先生が決めてくれた優しさが歪んでしまうだろ。今ある目の前の光景は、私達がいたせいだって自分を嫌いになる材料にしてしまうだろ。
先生の決断は自分のせいだなんて、身勝手に背負うな愚弄だろッ
担架から柘榴先生の腕が落ちる。
猫先生の肌が鋭利な刃で埋まっていく。
私は両目から大粒の泪が零れていると理解しながら、事務的に動くばかりする抑制部署の奴らに叫んでいた。
唯一の片割れと共に、喉が潰れそうになりながら。
「お願いだからッ」
「先生達を!」
「「――殺さないでッ!!」」
流海と訴えた懇願は届いた気がしない。
喉が痛くて額が熱い。目の縁も焼けるような雫を零すばかりで、指先は冷え切っていった。
お願いだから聞いてくれよ。
今まで言うこと聞いてきただろ。ヘルスを守ってきただろ。ヘルスを巻き込まないようにアテナの戦闘員を相手にしてきただろ。プラセボの材料を捧げてきただろ。私達はその報酬だけで我慢してきただろ。
お前達の声ばかり聞いているのに、どうして私達の声は聞いてくれないんだよ。
これは私の選択に対する天罰なのか。疑って調べたことが駄目だったのか。言われるがままの戦士であればよかったのか。
違う、違う違う違うそれは違うッ
こんな世界に神などいない。神様なんて存在しない!
私は私の心で動いてきた。私の道は私で選んできた。その道が私の正しいであると、揺れながらも信じてきた。踏み締めて歩いて来たッ
なのに、なのに、あぁなのに、どうしてだッ!!
その時、低く地面を砕く音が響いた。水飛沫と瓦礫が飛んで、私の唇が自然と震える。
「おい、あんたら何だよ急に。実験室じゃなくて治療室に連れてけよ。少なくとも……霧崎さんはまだ間に合うだろ」
「皇樒。貴方の仕事はここまでで十分です。ご苦労様でした。パナケイアにて報酬受け取りをお願いします」
「いやいや聞けやクソが」
道に叩きつけた狼牙棒を皇は担ぐ。彼の行動にも抑制部署の奴らは反応を示さず、皇の眉が痙攣した。
あぁ、そうだ、桜の家で確信しただろ。パナケイアはヤマイの味方ではない。アイツらはヘルスの平和しか願わない。
ならばその中で、ヤマイを想ってくれた柘榴先生の立ち位置はどうだったのだろうか。
私は口に入った雨を噛み締めて、隣で押さえつけられた流海が噎せた音を聞いた。
見れば、重たい赤を流海が吐いていたから。
流海は深い咳を繰り返して、雨と血液が混ざり合った。
体の芯から凍り付く。
息がしづらくて、仕方がない。
泪が止まらない。嗚咽が漏れて、眩暈がして、全部ぜんぶ、悲しくて堪らない。
なんで世界は、私達に優しくないの。どうして流海はいつも苦しいの。私達は、いつまで奪われ続けなければいけないの。
私が流海を呼ぼうとすれば、それより早く抑制部署の奴らが口を開いた。
「空穂流海の状態悪化確認。あと数日で実験段階に入るかと思われます」
「隔離室へ搬送。再経過観察段階に移行します。順次薬液投与の準備」
「なに、はな、ッ、はなしてッ!!」
「るか、流海ッ!!」
「涙ッ!!」
三人がかりで押さえつけられ、流海が私から離された。
暴れる流海を抑制部署の連中が連れて行こうとする。
猫先生が運ばれる。
柘榴先生が大型の黒い車に入れられる。
壊れる、壊れていく。私の日常が壊れていく。私の大事なものが砕けていく。
手を伸ばしたくても動かせない。傷が開いて雨が染みる。髪も服も重たくなって、暴れれば暴れるだけ雨雫が弾け飛んだ。
「空穂涙のヤマイを考慮しろ。視覚を遮断した後に隔離室へ入れる」
「ッ、く、そが!!」
目を黒い布で覆われそうになる。私は運ばれる流海の足を見て、視界は滲むばかりなのに。
「――マッキ誘発実験の大事なサンプルだ。あまり傷つけ過ぎるなよ」
そんな……言葉を聞いた。
そんな、台詞を聞いた。
私の内面にヒビが入る。私の頭に血が上る。
お前らは何を企んで、私達を何だと思って、あぁ、あぁ、この、このッ
「害悪共がッ!!」
叫んだって届かないんだろ。泣いたって響かないんだろ。
お前達にとって私達は、化け物なんだから。
「同感だぜ――包帯乱用機」
泪が止まらない私の上から重さが消える。抑制部署の奴らは呻きながら地面に転がり、狼牙棒が空気と雨を裂いていた。
私の体は自由になり、隣に立った皇を見上げてしまう。
男はこちらを見下ろしたかと思うと、私を予告なく担ぎ上げた。
「ッ、なに!」
「今は逃げるぞ。形成不利すぎる。立て直しだ」
叫ぶ前に、皇は流海がいる方向とは真逆に走り始めた。一瞬ふらつく様子を見せながら、それでも直ぐに前を向いて。
私は土砂降りの雨を受けながら顔を上げる。前髪から雨雫が飛んだ向こうに、暴れる片割れがいた。黒い目と視線が合うと判断して、私の口角は勝手に上がる。
笑わなければいけないから。笑わないと、いけないからッ
悔し気な顔をした流海と目が合う。
私は震える指で、悔しさを噛み締めて、勢いよく流海を指さした。
――絶対、助けに行くから
伝わっただろ、片割れ君。
流海も私に指を向けてくれた。血のついた口を結んで、感情に燃えた瞳で訴える。
あぁ、伝わったよ、流海。
――大人しくなんて、してないから
頷いた時、皇が角を曲がって流海の姿が消える。男は私を安定させるように抱え直し、より駆ける速度を上げた。
皇の腕や腹部には血が滲んでいる。いつもより顔色が悪く見えるのは、雨が降っているとか夜だからという理由だけではないのだろう。
それでも皇は私を抱えたまま逃走するから、私は拳を握り締めてしまうのだ。
「お前らの家は駄目だろ。俺の家も多分駄目だし……っし、アイツの家な」
一人喋る男は時折苦しそうに咳き込んでいる。見た目以上に猫先生から受けた傷は深いようだ。私のような荷物を抱えて、その傷は悪化の一途だろ、馬鹿。
「皇、走ります、下ろしてください。私は平気です、から」
「無茶すんなよぉ、空穂姉。俺はお前に、ちっぽけな希望を伝えねぇといけねぇんだ。それ聞いたお前は、きっと走れねぇぜ」
皇が深く息を吐く。私は希望という単語に反応してしまい、泪は細く流れ続けた。
「……なんですか」
雨音に負けないように問いかける。腹に力を入れて、必死に自分を落ち着かせようとしながら。
路地裏を滑るように走る皇は、今まで聞いたことも無いほど静かな声で告げてきた。
「猫柳さんのマッキ状態――不完全だったぞ」
私の周囲から音が消える。雨が地面を叩く音も、皇が駆ける音も、自分の息遣いさえも。
冷たさも、痛さも、息苦しさも、私は一瞬忘れた。
雨は激しくなるばかりなのに。今の状況は何も変わっていなかったのに。
「……それ、どう、して」
なんて問いかけた声は、さぞや情けなかったことだろう。
それを皇は
「さぁな。ただ俺の声は届いてたし、霧崎さんのことも分かってた。分かってたのに体だけ無理やり暴れてるみてぇな、変な感じだったんだよ。ま、それで助かるのかって言われたらマジで知らねぇけどな」
柘榴先生を抱き締めていた猫先生を思い出す。
守るように腕を回しているのに、その内側についた棘で傷つけていた矛盾の人。
私の耳の奥には、柘榴先生の言葉が蘇った。
――私も、猫柳もね。本当に……心の底から、本当に――大好きだよ、涙、流海
あの時、柘榴先生は自分のことだけではなく猫先生のことも伝えてくれた。一緒になって、教えてくれた。
先生、先生、柘榴先生、猫先生……ッ
私は今、貴方達と話がしたくて堪らない。沢山たくさん、声が聞きたくて仕方がない。
私の両目から雨ではない水滴が零れていく。止まり始めていた筈なのに、再び涙腺が決壊する。
泪が止まらなくて呼吸が落ち着かない。体から力が抜けるのに手だけは強く皇に縋ってる。嗚咽しか出せなくて情けない。
「……ほらな、言わんこっちゃない」
「ッ……」
「前にも言ったろ。俺は泣く女を慰める趣味はねぇって。だから泣き止ませようとなんかしねぇよ。せいぜいお前は、勝手に止まるまで泣き腐ってな」
あぁ……嫌になるな、皇。
お前は私の事を何も知らないだろ。私がお前をどうしたかなんて分かってないだろ。
私もお前の事は知らないよ。欠片ほどの事しか知らなくて、それを勝手に売ったんだ。
だから思うよ。どうしていつも、後から後から気づくのかと。人の汚さや、身勝手さや、思い違いや……優しさに。
私は唇を噛み締めて、滲んだ皇の血が服に着くのも厭わなかった。
皇は路地裏から飛び出し、狼牙棒の持ち手を軽く捻る。すると先端の棘が引っ込み、持ち手も一気に短くなった。棍棒のような見目になった武器を持った男は傘をさしたヘルス達の間を駆け抜ける。かと思えば、何かに気づいて突然車道に飛び出した。
「なッ」
「ナーイスタイミングッ!」
私と皇の前に若干スリップしながら急停止したのは、二台のオフロードバイク。周りのヘルスや自動車は驚いているようだが、それ以上は構わないのが社会だ。
車はウィンカーを出して二台のバイクを避けていき、立ち止まる歩行者もごく一部。
二台のバイクの運転手はそれぞれフルフェイスのヘルメットを被っているが、私は声を聞いて直ぐにそれが誰か分かってしまった。
「皇さん! 空穂!」
「やっほー涙ちゃん! 樒さん! 何々なぁに? やっばい感じかな!!」
一人の声は柊葉介。
もう一人は棗雲雀。
いや、お前らバイク……って。
唖然とする私は棗の後ろに乗せられ、皇は柊の後ろに座った。金髪の男は空元気のように聞こえる声を上げる。
「説明は道中するから取り敢えず走れ! 黒いバンが来たら撒け!! 事故はすんなよ!」
「ほんっとに、説明してくださいよ!!」
「ボロボロで痛そうだけど、掴まっててよ涙ちゃん!!」
乱雑に頭にヘルメットを被せられ、私は棗の腰に腕を回す。彼女は勢いよくエンジンを吹かせ、柊と共に雨降る道路を走行し始めた。
棗はこちらが振り落とされそうな勢いで鉄の馬を走らせ、柊もそれに追随する。
「葉介、雲雀! 朔夜だ、朔夜の家に行け!!」
「え、桜ちゃんの家じゃないんですか!? 私そのつもりで走ってたのに!!」
「いいから!! そこに
雨に負けないよう皇はがなり声を上げる。男の腹部からは出血が続いており、柊のバイクや服に赤黒い染みが出来ていた。
「い、いけど、なんで!?」
棗はバイクの速度を上げ、法定速度は既に超えてしまっている。雨の中でこれほどスピードを出していればいつスリップしてもおかしくないだろうが、今はそんなことを言う暇もなかった。
棗は甲高く抗議する。
「説明して貰わないと割に合わないと思います! 夜にバイクかっ飛ばして来いなんて葉介君から連絡あって! 来てみたら樒さんも涙ちゃんも怪我してるし!!」
「うるっせぇぞ雲雀! 今は運転集中しとけ!」
「集中する為に教えてくださいよ!! 今の私の行動が鶯に悪いように働くなら、私は協力できないんですから!」
雲雀の言葉に、私は腕に力を入れてしまった。
彼女は皇に向けていた意識を私に向ける。棗と柊は赤信号でギリギリ停止し、皇は完全に柊へ凭れかかった。金髪の肩から力を抜いていく。
「俺はもう喋り疲れた。包帯乱用機ぃ! 説明しろ! 簡潔に! 的確に!!」
浮き沈みしまくっているテンションで皇は私を呼ぶ。圧倒的に不名誉な呼び名ではあるが、ぐしゃぐしゃに濡れた包帯を巻いている私では否定のしようがなかった。
「教えて、涙ちゃん」
棗が私の手を包むように握ってくれる。
私は彼女の服を力いっぱい握り返し、背中に額を預けてしまった。
簡潔に、的確に。私は何を伝えるべきなのか。
棗は最愛である
柊は桜の味方だ。
皇の頭にはきっと、柘榴先生が浮かんでる。
私の瞼の裏には、流海と先生達が映ってる。
だから、だから……だから。
「棗、柊」
喉が痛くとも声を張れ。ヤマイだからと傷つき続けるのはやめにしよう。
アテナの連中は私達を殺したがった。でも、アイツらにも心があるのだと今日知った。奴らはどれだけ無慈悲なことをしようとも、葛藤して、葛藤して、葛藤する面を持っている。
嘉音の正義も朧の正義も私の害になる。だから倒さなければいけないとしても、アイツらが私にとっての仇だとしても。結局は私達と変わらない子どもだった。
対するアレスの連中はどうだと言うんだ。この社会のヘルスはどうだ。この世界を動かす大勢の大人はどうだ。
誰も私達の味方ではないだろ。誰も私達を人だと思わないんだろ。私達は化け物で、道具なんだろ。
だったら、だったら、だったらッ
私の敵は、私が倒さなければならない障害は――
「パナケイアは、
桜邸でパナケイアの情報を見た。
アテナで
柘榴先生と猫先生が不穏な何かに巻き込まれた。
そんな煮詰まるような一日は終わらない。きっと今日の私は眠らないから。
雨は強まり、反射するヘッドライトに体を照らされる。
信号が、青に変わった。
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