第73話 脆

 

 殴って倒す。


 殴って退かす。


 殴って砕く。


 殴って負かす。


 私は単純作業を体に命令し、ウォー・ハンマーで殲滅団ニケ達と対峙していた。


 鈍器を勢いよく回して刀を叩き折る。飛んだ剣先が視界から外れ、それでも目の前の戦闘員は怯まなかった。


 折れた刀も使えない訳ではない。殲滅団ニケは持ち手側に残った刃で私を斬りつけようとし、反対の手は棚にある短刀を掴んでいた。


 本部エリュシオンの入り口にいた奴らやアクロポリスに居た奴らとは動きが違う。


 確実に殺すと伝えてくる。植え付けられた殺意が私だけに向けられている。


 私は短刀を躱して距離を取り、背後から迫る影に気が付いた。


 薙刀のような形をした刀剣。その刃は薙刀よりも長く大きく、私は知識の中から武器の名前を引きずり出した。


 アレは確か、ロンパイア。大物の切断や串刺しが得意な武器。


 寸での所で体勢を低くし、武器の棚の陰に転がり込む。ロンパイアが叩き潰した棚からは破片と共に様々なナイフが飛び散り、私は三本の武器を手に取った。


 斜め後方から銃声が響く。それが聞こえた時点で弾丸は私の上着を貫通し、肌が微かに引き攣った。


 体型を隠す衣装のお陰で直撃はしていない。太腿付近の肌が震えはしたが、怪我はない。


 無理やり体を回して銃声がした方向へナイフを投げつける。銃を構えていた少女は床を転がり、射殺すような視線で私を見つめていた。


 殲滅団ニケの総人数を嘉音に聞いておけばよかったと少しだけ後悔する。アレスに行っている奴もいるだろうし、アテナでαの果樹園などを守っている奴もいるだろう。今の本部エリュシオンに居る人数だけでも予想できれば、もう少し余裕が持てたかもしれないのに。


 もしもを一瞬だけ考えるが、反省会は後で開く事にする。今は目の前の事柄について考えるべきだ。


 私はペストマスクをつけた顔で部屋の隅々まで見渡し、殲滅団ニケの位置を確認した。


 部屋にいる殲滅団ニケの人数は全部で六人。


 近距離、多節棍や剣の系統が三人。男一人に女二人。

 中距離、ロンパイアの奴が一人。男。

 遠距離、銃火器系が二人。男女。 


 その内、近距離の女二人と遠距離の男一人は既に足と腕を折った。流石に砕けた足では戦えないだろうし、片腕が潰れれば銃の照準だって合わせられないだろ。


 残りは私の上着に穴を開けた遠距離の女と、ロンパイアの男、刀を折った男の三人。


 私は、足を引きずりながら立ち上がろうとする女を見る。多節棍を持った彼女の顔には冷や汗が浮かんでおり、前髪が額に張り付いていた。


 その痛みは快感にならねぇよな。お前達に魔法使いはいないんだから。


 脳裏に桜色が浮かぶ。人の名前を呼びたいけれど、呼べば害となるから堪え続ける少女を想う。


 自分は彼女を売ったのだと、事実も蘇る。


 奥歯を噛み締めた私はウォー・ハンマーに勢いをつけて、柔らかな春色を振り払った。


 多節棍の女が立ち上がる。


 私は容赦なく、彼女の残った片足に鈍器を叩き込んだ。


 骨が砕ける感触がする。


 彼女の顔からは一気に血の気が引き、低い悲鳴が反響した。


「あ゛ッ、~~~~ッ!!」


「このッ」


 殲滅団ニケ達の焦りを含んだ声がする。 


 耳障りだな、痛めつけられる覚悟はしてたんだろ。


 我武者羅に振られた多節棍を躱す。そうすれば銃弾が帽子を掠めて、銃声が部屋に響いた。


 目の前で崩れる女に感謝する。お前が武器を振り回さなければ、私はこめかみに穴を開けられていたかもしれないのだから。


 ロンパイアと刀を躱し、連続で鼓膜を刺激する銃声に嫌気を覚える。私に向かって撃てば二人の殲滅団ニケも巻き込みかねないのに。


 私はロンパイアを持つ男の顎を殴り上げ、目を回した相手の襟を即座に掴んだ。


 ――嘉音さんを


 ――離せッ


 路地裏での声を思い起こす。他者を心配した双子を思い出す。


 私は銃声が聞こえる方向に、掴んだ男を引き倒した。同時に男の肩から血飛沫が飛び、私のペストマスクや上着に赤いまだら模様が作られる。


 引き金を引いた女の顔には強張りが見えた。


 倒れた男は呻き声を漏らしながら肩を押さえている。


 私は男の腕を掴んで強制的に立ち上がらせ、真横から迫っていた刀の男の盾にした。


「ッ、!!」


 息を呑んだ音と一緒に刀が止まる。


 へぇ……。


 私は盾にした男を捨てて、躊躇した刀の殲滅団ニケの腕にウォー・ハンマーを叩き込んだ。


 前腕の骨を折った感触がする。男の顔からは血の気が引き、彼が倒れる間に私は螺旋階段へと走り出した。


 騒がしい銃声に比例して照準は定まらない。私の足元や上着の裾を掠めるだけで、肝心の体は外してばかりだなんて。


 銃を構えた女の顔なんて見ない。見たところで無意味だ。お前は仲間の肩を撃って、動揺して、狙いが定められなくなったんだろ。


 私は相手の揺れた心情を利用して、上の階を通過する。


 薬があるのは中層階、第三層の枝。部屋番号〈七十二〉と〈七十五〉


 上の部屋にはまだ枝へと繋がる通路が無く、私は階段を駆け上がった。


 銃声が増える。矢が私の靴や裾を掠めていく。追いかけてくる足音が増加して、上の階に辿り着いた瞬間二つの影が差し迫った。


 床を転がって影を躱す。


 部屋を見渡せば本棚の森と例えて遜色ない光景が広がり、私が居た床には大きな亀裂が入っていた。崩れないか?


 視線を上げて亀裂を入れた二人の当事者を見る。


 黒い髪に瓜二つの顔つき。


 久しく見ていなかった双子の殲滅団ニケ――朝陽あさひ夕陽ゆうひが私を睨んでいた。


 朝陽は今日も毛先が跳ねてるな。それは癖毛かな、夕陽と見分けがつくので助かるよ。


 夕陽は今日も髪の毛が落ち着いてる。またアバラを折れば、君の心も折れるかな。


 ウォー・ハンマーを回して部屋を確認する。ここには今までの階とは違い、壁に幾つもの扉がついていた。


 幹らしく円形の巨大な室内。そこに繋がる扉。やっと枝に行ける階に来たのか。


 と言っても、まだまだ上に幹は繋がっている。つまり、ここから上の階は全て枝に繋がる扉があって、その先にも枝の中に作られた部屋が沢山あって、その多くから私は部屋番号〈七十二〉と〈七十五〉を探して……。


 ざっと枝に繋がる扉を見るが表記は特にない。住んでいる殲滅団ニケの奴らは表記が無くても自然と場所を覚えるよな。お客様には不親切だぞコノ野郎。


「……嘉音の奴、肝心な所は話さねぇ主義かよ」


 脳裏に舌を出した嘉音の顔が浮かぶ。アイツ、次会ったら絶対殴ろ。


 深くため息を吐けば、私にクレセントアックスが迫る。右側頭部と左太腿を狙われる最悪の経路。両側から迫る刃と、私を凝視する双子を頭は理解した。


 反射的に足が前に動く。私は刃の射程距離より内側に迫り、朝陽と夕陽からは舌打ちする音が聞こえた。


 体に回転を付けてウォー・ハンマーを振り抜く。夕陽の鳩尾を殴り飛ばせば、少年の踏ん張る足が床を滑った。


 朝陽は素早くスティレットを出して私の二の腕に叩き込む。


 皮膚が裂けるのも、血管が破けるのも、筋肉が緊張するのも、私は慣れてるよ。


 そう、慣れてる、慣れてるんだ。


 慣れてる、のに。


 私は刺された瞬間――痛いと思った。


 うわ、うわ、痛、痛い、イッタィ。


 は? 


 は?


 は?


「ぃッ!」


 今、驚いた声を出したのは誰だ。


 私か? 私が呻いたのか? この程度で?


 自分自身の反応に驚いて、急いで双子から距離を取る。


 私は二の腕に刺さったままのスティレットを握り、目を見開いている朝陽を視認した。


 その顔を見ていられなくて夕陽を確認する。咳き込む少年は腹部を摩っているが、殴った感覚からして骨まで折れてない。多分、何か防具つけてやがるな。


 口を結んで息を止める。邪魔なスティレットを引き抜く為に。


 この刃に理性決壊薬は塗られていただろうか。アテナにいるから塗られていないと思いたいんだけど。マッキになりたくないし。また周りに怪我させたり、夢を見るのは嫌だから。


 違う、考えるべきはそこではない。


 私、今、この針みたいな武器の攻撃を「痛い」って思ったんだ。


 たかが一撃。たった数mm、あっても数cmの傷如きで。


 今まで重傷だって沢山負ってきたのに。


 駅のホームに落ちて九死に一生を得たことも、トラックに轢かれたことも、崖から落ちたことも、川に沈んだことだってあるのに。


 人より沢山の痛いを経験してきたと思う。悲劇自慢とかではなく、事実として。体に残った傷が過去を示しているのに。


 今までの私だったら、こんな痛いにいちいち反応しなかった。煩わしいだけだから。


 実働部隊ワイルドハントに入った頃の私であれば、歯牙にもかけない傷だったではないか。


 なのに、今の私はどうだ。染まった私はどうだ。実働部隊ワイルドハントを好きだって思った私は……どうだ。


 奥歯が微かに震える。


 痛いと感じた現実が、私に事実を叩きつけた。


 私は――弱くなってる。


 身体的にも、精神的にも、弱くなってやがる。


 突撃して来た双子のクレセントアックスを躱す。そのまま本棚の影を駆け抜けて、私は上の階を目指そうとした。朝陽と夕陽が相手だと時間を取られる。あの双子に対して一人だと流石に分が悪い。


 考えて、考えて、中央の螺旋階段に戻ろうと試みる。


 本棚の間からは応援に来た殲滅団ニケにも遭遇したが相手をする時間はない。駆け抜けるしかないんだ。だから走れ、進め。


 息が切れた。


 ウォー・ハンマーを握る手に力が籠もった。


 スティレットを持った手が、震えた。


 じくじくと痛む二の腕に焦りを覚える。今までだったら気にしなかったこの程度の怪我に、意識の一欠けらを持っていかれるなんて何だよ。


 螺旋階段が見えて一気に速度を上げる。早鐘を打つ心臓を無視して、腕時計を一瞬だけ確認して。


 今日を頑張れば流海の為になるから。


 流海が治れば私の不安は消える。あの子が死ぬかもしれないって怖がらなくていいし、あの子が苦しまなくてよくなるし、流海と安心して手を繋いでいられるし。


 嘉音とのやり取りは墓まで持っていけばいい。実働部隊ワイルドハントは暫く続けてもいいけど、朧を毒漬けにして、嘉音を黙らせたら辞めてやる。メディシンがあればより安心できるし、皇や、桜や、伊吹を放って去るなん、て、ッ


 ――友達に、なりたかったなぁ


 螺旋階段の前に朝陽と夕陽が滑り込み、私の足が動きを止める。足裏に力を込めて速度を落とせば、タイミングを外した斧が目の前の床に叩き込まれた。


 床のつぶてが体に当たる。


 止まった私は体温が一気に上がる感覚を受けて、自分自身に反吐が出た。


 握り締めたスティレットを振り上げる。


 朝陽と夕陽は私の動きに反応するが、それは無駄な防衛だ。


 これは、脆弱になった自分への戒めだから。


 私は鋭利なスティレットを、自分の太腿に叩き込んだ。


 痛みが背中を突き抜けて、足が怯んで視界が滲む。


 クソ、クソ、クソッ


 ――涙


 私の目標を、正しさを、気持ちを、見間違えてんじゃねぇぞッ


「しっかりしろ!! 雑魚ざこッ!!」


 がなり声が部屋に木霊する。


 私は鈍痛の原因であるスティレットを足から抜き、雑に投げ捨てた。


 朝陽と夕陽は、同じ顔を同じように歪めて、上擦る声で問うてくる。


「何を、ッ」


「してるんだよッ」


「……己を律しただけですよ。貴方達の言葉を借りるなら、夜に祈ったとでも言いましょうか」


 双子の顔が一気に険しさを滲ませる。私はそんな双子を無視し、背後から迫っていた殲滅団ニケの連中に鈍器を叩きつけた。


 殴って倒せ。


 殴って退かせ。


 殴って砕け。


 殴って負かせ。


 その過程で、殺したって構わない。


 悪いのは殲滅団ニケだろ。


 コイツらのせいで流海は血反吐を吐いてんだろ。


 ――涙さん、まだ怪我が治ってませんから! 安静です! 安静ッ


 ――無理しないで、って、え、涙さん無視!? 待って、ちょっと待って!!


 ――空穂、お前ほんと……あー、無茶ばっかすんなって言ってんのに


 呆れた顔がチラついた。袖を引く手を知っていた。


 ――お嬢、試作十二号も失敗です


 ――でしたら次の改良はこの部分を! ですわね!


 顔を隠してくれる人達が浮かんだ。それが自分の為ではなくて、私や流海の為だと知っていた。


 もしもこの関係を、同じ団体に所属するメンバーに留めずに――仲間だと銘打ったとしたら。


 彼らがいて、私は強くなったか?


 仲間がいれば強くなれるなんて、本当だったか?


 私は、掠り傷すら痛いと思うほど弱くなっているではないか。


 感傷に浸って流海以外を見るから、心の軸がブレたんだろうが。


 苛立って、腹立たしくて……虚しくて。


 振り上げたウォー・ハンマーを朝陽の側頭部に叩きつけようとする。しかし間には夕陽のクレセントアックスが割り込むから、私は胸糞悪さを禁じえなかった。


 朝陽と夕陽が私に迫り、クレセントアックスが宙を斬る。私は床を滑って二人を躱し、階段に足をかけた。


 その時、着いた瞬間の左足首が撃ち抜かれる。


 突然の熱さと緊張に、体からは冷や汗が噴き出した。


 銃声は聞こえた。聞こえた時には撃たれていた。


 角度的に、狙撃者は上にいる。


 私は痛みで左足を動かすことが遅れ、何とか上体だけは捻ってみせた。


 左の脇腹を銃弾が掠める。体を捻っていなければ腹部に穴が開いていただろう。


 今までの奴らより格段に狙撃レベルが高い。


 私は呻き声を飲み込んで、上の階に立つ殲滅団ニケに視線を向けた。


 背後から私を追いかけていた双子の声が、明るく重なる。


「「朧さん!」」


 あぁ、畜生。


 見上げた先にいる、黒髪の男。防音のヘッドホンを首に下ろした朧は、今日も憎たらしいほど整った顔立ちをしていた。そこから感情を読み取ることが出来ず、銃口は私に向いている。


「朝陽、夕陽、お前達は下の階の救護に迎え。殴打のペストマスクは俺が相手する」


 朧は私に照準を合わせたまま双子に指示をする。後ろの二人は直ぐに従ったのだろう。背後から気配が消え、私はウォー・ハンマーを朧に向けた。


「退きなさい、諸悪の根源。今日は貴方に激昂する時間が無い」


 朧は微かに口を開け、息を吐く。ペストマスクで私の表情など見えないだろうに、私を観察するように視線で射抜くばかりした。


「お前はいつも死に急ぐ」


「それは殲滅団ニケにとって好都合でしょ」


 右足に重心を預けて階段を駆け上がる。


 左足の痛みを意識的に無視して、血の滲む左脇腹に力を入れて。


 朧は銃を上着に仕舞うと、青刃のナイフをその手に取った。


 遠距離捨てて近距離かよ。何考えてやがる。


 私はウォー・ハンマーを握り締めて、朧に向かって叩きつけた。

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