第72話 樹
嘉音達に桜と伊吹の情報を渡した。そういう取引だから。
しかし内容には嘘を孕ませた。私がアイツらに誠実である理由がないって今更気づいたから。本当に今更。
取引を持ち掛けてきた時、嘉音は私に最低なヤマイになることを望み、私は流海の為になる情報を望んだ。そこに「嘘をついてはいけない」なんて縛りはなかったではないか。それなのに私は正直に情報を渡し続けて、馬鹿かよ。
嘘をついた方が嘉音は私を恨むだろ。私はアイツの思い通り、最低になれるだろ。
それで私は取引を果たしている。嘉音が望む最低に成り下がってやったのだから。
「頭が固いのは私も同じか……伊吹のこと言えねぇな」
腹立たしさで口調が崩れる。思考も崩れるし無駄な力も抜けていく。
熱さに耐えて煮込んでた鍋は冷やした方が美味しく出来上がりそうでした、みたいな勘違いに砂吐きそう。変わりに嘘吐いたな。
私、何に悩んでたんだっけ。
伊吹達からヤマイを聞いて、嘉音に虚偽を混ぜた情報を渡して、一人でアテナの本部に向かって。
伏せた瞼の裏には、赤黒いものを吐いた流海が浮かんだ。
「……ふざけんな、迷うな自分」
私は、流海の為にアテナへ来てるんだろ。
お前は結局誰の味方なんだと言われたら、私は片割れの味方だ。
パナケイアでもなく、アレスでもないし、
私は流海の味方だ。それ以上でもそれ以下でもない。
分かっているのにゴチャゴチャ考えて、揺れ動いて、勝手に歯痒くなって。
自分のクズ加減に笑える。膝叩いて笑おうかな。頭おかしいな、やめよ。
「あー……邪魔」
ウォー・ハンマーを真横に振り抜く。
目の前に立っていた人間の側頭部を砕く為に。
一撃で昏倒した相手は、まるで手ごたえの無い体をしていた。
私は今、アテナの本部――エリュシオンの前にいる。
そこを例えるならば、白銀のポプラの木。ただし私が知るサイズでは決してない。何せ嘉音達は、この中に
木の中に住むって何だと思ったが、実際の
私はウォー・ハンマーを回し、背後から振り被られた斧を叩き飛ばす。黒い髪を揺らしたアテナの戦闘員は感情の見えない顔でこちらを凝視していた。
体に振りを付けてハンマーの威力を増加させ、戦闘員の顎を殴る。男とも女とも取れる相手は目を回し、膝からその場に崩れ落ちた。
私はハンマーを肩に担ぎ、視線を移動させる。見たのは
傍から見れば丘に出来た白銀の密林にも見えるが、近づけばそうではないと分かる。丘に並ぶ木々一本一本もマンションと同等のサイズ感で、そこにも住む者はいるそうだ。嘉音曰く、
嘉音からの情報を思い出す私は、腕を掠めた棍棒の持ち主を見る。先程殴った奴と同じ髪型、同じ服装の相手から覇気は感じられなかった。
私は回したウォー・ハンマーを相手の鳩尾に叩き込む。血と唾を吐き出した相手は冷や汗を噴き出し、その場に倒れ伏した。
ハンマーについた血を確認する。自分と同じ色をしていると認識しながら、私は血痕を振り払った。
しかし何だろうな。殴ったら清々しいほど意識を飛ばしてくれたけど、意欲が無さ過ぎて違和感がある。やる気出せよ。
私は息を吐き、
嘉音の話が本当ならば、エリュシオンの造りは根、幹、枝、葉の四層に分かれている。
第一層は木の根。太く大地に沈んだ根の中には
第二層は幹。
第三層は枝。薬や生活に必要な物を各枝で製造・やり取りしているとのこと。私が目指すのも枝である。
第四層は葉。
――木の中って、妖精でも目指してるんですか?
――不揃いな形の箱に住む君達こそ何目指してるんだよって感じなんだけど
馬鹿な会話を思い出す。これだけの情報を得る為に渡した、パナケイアやヤマイの情報についても思い出す。
……そう言えば、皇に関しては馬鹿正直に教えたんだよな。まぁ良いか。アイツ強いし。
――あっそ。俺は殺したよ。今日も一人
本人には言わないが、
――私が最初に学習したのは暴力よ
容赦のない奴は自分が負ける想定をしていない。だからある種、私はアイツらを信頼した。
桜は正直、差し出すヤマイ筆頭だった。彼女は一番
――俺はお嬢だけの味方だ
そう
柊とも迷ったが、アイツは多分私と同じタイプだ。自分の心に決めた人ではなく、自分自身が狙われたら結構適当になる。そういう人種だ。だから桜を選んだ。桜を選ぶことで初めて柊が本気出すんだろうなって、期待したのが本心だ。
伊吹も皇ほどではないが強い奴だから売った。アイツの場合は目標が見つかり始めたのだからどうにかするだろ。小夜の為に、死んでも死にきれないだろうし。アイツなら血みどろになっても這いつくばって戻ってきそう。
――俺が浮かべた目標を……お前は、肯定するのかよ
違うよ伊吹、目標を決めるのはお前だ。そしてお前の中ではもう答えが出てるだろ。だから負けないって、信用してる。
朝凪は……駄目だった。本当に、完全な私情で駄目だった。以上。
猫先生も完全な私情。あの人は後がない。三回もマッキになってたなんて最悪すぎる。
流海は伝えない。流海の為にこんな取引してんのに教えるとか馬鹿だろ。だから口を裂かれたって教えない。
竜胆のヤマイは恐らく爆弾だ。アイツは印数三だったけど、それに見合ってない地雷の上に立ってる気がするんだよな。勘だけど。一番
私は自分を落ち着ける為に考えを反芻する。
そこで自然と、嫌な言葉を吐いてしまった。
「……なんだよ私、もしかして……
だって、そうだろ。
教える相手の選定基準が「教えても傷つかない確率が高い相手」である時点で、明白ではないか?
自分の染まり具合に正面から向き合い、後頭部を抱えて唸ってしまう。
流海がいれば良かった私は、いつの間にか優しいを受け入れ始めてしまったと?
マッキになっても、巻き込んでも、誰も離れて行かなかったから?
……クソが。
「ゴチャゴチャ言い訳や考えを並べても、私がヤマイ三人を犠牲にしたことは変わりねぇよ」
ペストマスクの中でため息を吐く。ほんと、私はどこまでも優柔不断な馬鹿だと思って。
私は朝凪達の友達にはなれないよ。こうしてアテナの戦闘員と繋がったのだから。
言い訳はしない。私は自分が正しいと思った道を進んで、それは彼女達に背を向ける行為だったのだから。
嘘の情報を流したって罪滅ぼしにもならない。これもただ、私の苛立ちが起こさせた選択なのだから。三人を差し出したことに変わりない。
それでも弱く染まった私は、朝凪と仲良くしていたいって思う。竜胆には朝凪を掴むか何かしろって背中叩きたくなるし、伊吹は軽口叩ける関係くらいが良いなぁって思うんだ。
「……友達、なりたかったなぁ」
呟いたってもう遅い。
私は私の正義の為に、彼女達の友達になる道を捨ててきた。
伝えなかったから許されるなんてことはない。嘉音と取引し始めた時点で、私はもう戻れない。
恋に気づいたら視界が変わるとか言われるが、それとどこか似通ってる気がした。恋はしたことねぇけど。
流海への感情は恋とは違うと思う。片割れに向けているのは庇護欲や家族愛、嫉妬心や不安等を混ぜて煮詰めて出来上がった愛情だ。理解されなくていい。流海に伝わってたら十分である。
「私の一番は流海のままだけど、お前を不安にさせてるよな」
なんて問いかけても隣に流海はいない。片割れは肯定も否定もせず、眉間に皺を寄せて私の首を噛むんだろうな。好きなだけ噛ませてあげるし私も噛むんだけどさ。
「これって浮気になると思います?」
倒した三人を見下ろして、軽く蹴ってみる。返事は無かったので私は肩を回し、柔らかな陽光に向かって枝葉を伸ばす
――そういえば、アテナの夜ってどんなのなんですか? 日が沈む時を見たことないんですが
――日が沈むってアレスならではの現象でしょ? アテナの空はずっと変わらない。朝昼夜は砂の色で区別されるんだよ。今は昼だ
――砂?
――
私は今が昼なのか夜なのかも分かっていないが、駆け抜けてきたアクロポリスには歩いている住人もいた。だから昼かな。私の常識は通用しないだろうけど。
アクロポリスに住むのは
腕時計で確認すれば、残り滞在可能時間は三十七分。嘉音と喋りすぎたのと、心情整理に時間取ったな。反省。思いのほかアクロポリスの面積が広いことも時間を浪費する結果に繋がってる。
アクロポリスに住む奴らは私が道を一直線に駆け抜けても無視してくれた。その様子は興味が無いと言うよりは、感情をどこかに忘れたような感じだった。
倒した三人もそうだったが、アクロポリスに住む奴らの黒髪は肩口で切り揃えられ、服は修道服みたいなもの。もれなく白色。何をしているかは知らないが、それなりの人数が私を見て無視を決め込んでくれた。ありがたい。
深呼吸をした私は、大きな両開きの扉に手をついた。
さぁ、感傷に浸るのは終わりだ。
道は一つ。
正面突破しか道が無いのならば突撃してやろう。
これは全て、流海の為になる。
私は何も間違ってない。
自分が思う正しい道を歩んでる。
意を決した私は、
まず目に飛び込んで来たのは――武器、武器、武器である。
――
巨大な幹の内部をくり抜いて出来た空間。壁際には重火器が下げられ、通路には低い陳列棚に短い系統の刃物や鉤爪などの武器が並べられている。天井から吊り下げられているのはモーニングスターや投擲系の武器類だ。
部屋の中央には床と天井を縦断する螺旋階段がある。私が行きたい第三層・枝へ入る場所は上階の筈なので、あれを駆け上がる必要があるんだよな。
「地図、
武器の森とも表現できる空間を見渡した私は、そこに立つ白い戦闘員達も確認した。
「そりゃいるよな……お前らの本部な訳だし」
武器の森に住む奴ら――
私はウォー・ハンマーを回し、武器を構えた戦闘員達を見つめた。
「そこ、通してくださいね」
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