第43話 変
――流海の笑顔はどんな風だったっけ。
そう想像するだけで外れた扉が倒れてきた。
――駅のホームで談笑している女子高生を見た。
その笑顔は私に向いていないのに、体は勝手にホームに落ちた。
――テレビから流れる笑い声を聞いた。
耳にした音だけで、ポットの熱湯が私を襲った。
傷が日に日に増していく。今までに無いほど怪我が増える。体の節々が悲鳴を上げて、肌が引きつり視界が滲む。常に頭は痛みで侵食され、人を想像することも見ることも、聞く事すらも危うくなった。
登校時に事故に遭ってはパナケイアへ運ばれる。手当てをされて酷い時にはメディシンを打たれ、アテナに行くことすら出来なくなった。
体中に包帯を巻かれ、落ちてきた鉄鋼に潰された左足はギプスを嵌めた。流海が折角退院したのに、今度は私が家に帰る頻度が減った。今日だって、朝から倒れた看板の下敷きになって右手にヒビを入れたところだ。
学校を休んでメディシンを打たれる。点滴スタンドにかかったメディシンはパナケイアが無償提供してくれたものでは無い。それくらい分かる、分かってしまう。
これは――流海が私に提供してくれたものだ。
あの子はアテナに行き続けているから。材料を集められるようになったと教えてくれたから。あの子がメディシンの点滴頻度を落としていると、気づかない訳が無いだろ。
苛々して、イライラして、いらいらした。
ひとり病室のベッドに腰かけて、重たいギプスを嵌めた左足と右腕を見つめてしまう。視界が歪んで、せばまって、不安定になってしまう。
流海のために私はアテナへ行っているのに、流海は私のためにメディシンを提供するだなんて、ちぐはぐもいいところだ。
メディシンの投与時間はやく二時間。それがおわったら検査をされて、ヤマイの進行度を確認されて、その結果また入院するのだろうか。最低な循環だな、きえたくなる。
なんでこんなことになってしまったのか、どうして私のヤマイは進行したのか。
考えてもこたえは出ないから、私は意味なく右手のギプスで左足を殴ってみた。
骨に響いた痛みは、私の感情をかきムシる。
「涙」
「……柘榴先生、猫先生」
そこで病室に先生達がやってくる。天気のわるい日だ。窓のそとには黒く厚い雲が広がり、空を隠している。
柘榴先生は白衣をはおり、猫先生は全身黒ずくめ。対極のような二人の顔には心配と緊張のイロが浮かんでいた。
「どうだい、体調の方は」
「……いつも通りですよ。大丈夫、大丈夫です」
柘榴先生は丸椅子に腰かけて左手をにぎってくれる。猫先生はベッドの右脇に腰をすえて私の額を撫でてくれた。私は目を閉じて息をはく。
「流海は……今、授業の時間でしたっけ」
「そうだね。パナケイアの談話室にパソコンを持ってきてるよ。終わったら直ぐ涙に会いに来るそうだ」
「そうですか……流海は怪我、してませんか」
「……してないと言えば嘘になるね。涙と同じように、毎日アテナに行ってるから」
柘榴先生が眉間にしわを寄せて私の手を叩く。私は軽くわらってしまい、彼女の手を握り返すことはしなかった。
猫先生は黙って私の額をなでつづける。そうすれば病室の扉がノックされたから、私は視線をしたにむけた。かわりに答えてくれたのハ先生達だ。
「どうぞ」
「失礼します」
足音をひろう。……フタリか。
静かにひびく扉の開閉おんとアシ音が、私の内情をささくれ立たせた。
「朝凪と竜胆じゃないか。学校はどうしたんだい」
「んー……実は涙さんが心配で」
「サボっちゃいました」
「君達なぁ……」
仕方なさそうに柘榴先生が私かラハなれる。ヤマイである朝凪と竜胆が学校からきえても、マワりは干渉しないのだろう。すくなくとも私がサボっても学校は干渉しない。「ヤマイです」の定型文をクチにすれば全てミなかったことにされるのだから。
「勉強より、涙さんが大切だと思ったので」
朝凪のコトバに頬がけいれんしてしまう。マイにち流海や先生達が私のもとを訪れるのと同様に、朝凪や竜胆もやってくる。なんならふたりだけでなく、柊や桜、伊吹兄妹だってかおを見せに来るのだ。
がっこうのクラスメイトは来たことがない。教師も顔を見せないし、パナケイアの職員だってけんさの時しか相手にしない。周りにはわたしのことをどうでもいいと思う奴らのほうが圧倒的に多いのに、そのなかで優しい人達をみつけると苦しくなるではないか。
嫌になって、いやになって、イヤになる。
クルしくなるから、窒息しそうになるから、やめてくれよ。
私はギプスをツけた左足を大きめにゆらして、猫先生はシズかに肩を押さえてきた。
視界のはしには朝凪と竜胆の足がウツる。どんなカオをしているのかと想像し、うかんできたのは無ひょう情だった。
そうだ、それがこのバではただしい表情。私がずっとミてきたかお。
なのにどうして、今ではこんなに胸をかき毟リたクなるのか。
「涙さん、今日はどうですか?」
「……変わり、ないですよ」
「それなら、良かったです」
すこしだけ朝凪の声があかるくなった気がする。そこからワタシは彼女の笑顔をそうぞうしてしまい、からの花瓶が側頭部にトんできた。
あたまに衝撃がハシって周りの空気がいっきに慌テる。
「る、涙さッ」
「大丈夫、私の落ち度です。失敗しました」
ベッドにおちた花瓶を竜胆がモちあげる。そのこえから心配が滲みでるから、私はノドが締められた。
感情からあふれる言葉は、やさしい人達をとおザけてくれないだろうか。
「疲れるでしょう、私を気遣うのは。嫌になるでしょう、辟易するでしょう……だから放っておいて良いですよ」
いつもは口にしないことをいってしまう。そんな自分の弱さにイラダって頭をオさえれバ、柘榴先生はわタしの傷といっしョに手をにぎってくれタ。左のこめかみでいたミと温かサがまザりあう。
あぁ、やめテくれよ、よケイに苛だってくるではないか。
わたしは言葉にできないイラだチを、体ヲぜんごに揺らすことでヒョウゲンする。顔をうつかせタまマ体を揺らシつづければ、左足のギプスがベッドのわくにあタる音がした。
がんっ、ガンッ、ガんッ、と。
「涙、るい、私たちの声が聞こえるかい」
「きずに響く、落ちつけ、大丈夫だから」
ざくろ先生と猫せんせいに肩ヲもたれる。それスらイラだって左足をベッドのわくにたタきつケ、点滴スタンドがおおキくゆレた。金ぞくオんが耳ざわりだ。
「るいさん点滴がッ、あぶないですよ」
「あしもそんな、悪化しちゃうから!」
しんぱいすルな、優しくスルな、そんな、そンな、そんなッ
「そんなやさしい声を、ッかけるなよ!」
せんセい達をおしのけてたちあガル。てンてきスタンドが倒レてひだリウでに痛みガはしる。それを無しシてよにんからきョりヲとれば、きん属が床ニスれる音がいやにひビいたのだ。
バランスのわるイひだりあしと、感じょうにフルエる右足でじりつする。
「涙!」
「いやだ、いやだ、嫌になるッ! あなた達はどうしてそンなに優しいんだ! いつかきっとなくすのに、このままいけば居なくなるのに!!」
「ッ、おちつきなさい涙、へいきだ、平気だから」
「いいやもうだめダ! ひにひに駄目になっていく! 私はヤマイに侵食サれてる!! そんな私のそばに居つづけたいのなんて流海だけだ! あの子以外を信じることが怖いんだから、やさしくしてくれるなよ! だって心までは嘘つけないッ、いつかきっと嫌になる! 今もすでに嫌かもしれない!! 今まで私達をみすてなかった方がおかしいんだからッ!」
からだのおくからいキドおりが湧いてくる。ねっとうのヨうにフき出しそうになるかんジょうは私のしシヲを震えさせ、しかいを狭めてこきゅうをあらくする。
やさしい声をきくだけでそうぞうしてしまう。ざクろ先生のほほえみを、ねこ先せいガめもとをやわらげる顔を。あさなぎが肩をすクめて笑うすがたを、りんどうがこまったように眉を下げたヒょうじょうを。
そうすればビョうしつすべての照めいき具がはれつした。窓がらすもはじケとび、そなえ付けのテレビはおやくソクのように爆はつした。
わたしの肌をがらすへんがキズツける。
しかしソンなにちじょうサハんじはどうでもよくて、それいじょうに血のけをひかせたのはメのまえの光けいだ。
ねこせんせイとざくろセンせいがう上ぎをひるがエしてあさなぎとりんどうをかばウ。せんせいたちのての甲やほほには傷ガでき、血がマッた。
びょうシツノ白いゆかやベッドに赤がとぶ。
それハだれのせいだ。
わたしのせいだ。
どうしてメノまえの人たちがけがをした。
わたしのせいダ。
なぜやさしいひと達がけがヲシた――私のせいだ。
シんぞうがいたいほどにハクどうしてこきゅうが荒くなる。しかいがはっこうシテめまいが起こり、たいかんが揺さぶられるかんカクニ陥った。
わたしノせいだ、わたしのヤマイのせイダ、わたしのヤマイはやサシい人を傷つける。私のソバニいてくれないやつらをキズつけずに、わたシの傍にいてくレタひとたちをまき込んだ。
だかラやさしい人もイツかはなれていく。やさしいひとのみもココろも傷つけられる。それでもやさしいからムリヲするし我慢をするシ、ひどくなレば嘘だってつかせてしマう。けがをサせてきずあとをノコさせて、いしきを眩ませて被がいシャにさせて――殺してしまう。
いやだ、イヤだイヤだそんなのイヤダ。もうにどとコロしたくない、にどとまきコミたくない、やさしいひとがドウしてきずつく。やさしいひトはすきなのに、大切ニシたいのにだいジにしたいのに、まもリたいのにイツくしみたいのに、仲良クしたイのにッ!
――他の人はきっといつか僕らを置いていく。僕らのことが嫌になる
そうだ流海、るか、流海るかルカ流海だいじなイとしい片われよ。
あのコノそばにいたい。あの子ダけはわたしの痛みをシって、おなじときをすごしてオなじ苦じゅうを舐めておなじだけ寄りそってきた。ふたごのゆいいツのかた割れだけはわたしのソバをはなれないっていう、時かんと血と痛みと愛じょうのからまりあったキずながあるから。
そんナあの子もまきこんだらどうスる気だ。
わたしタちの生きるじカンも死ぬじかんもおなじデある約そくはぜっ対であるノに、けれどモどうじに死ぬことはできナい。どちらかがどちラかの死たいをミてから死ぬのだ。それがイやだからいきていたくてあしたをノゾんで、あしたがくるナらば幸せになりたいのに、わたしにはそのカチがないッ
だってわたしは傷つけるだけのイキものだ。こわスだけのにんげンだ。うばうだけの、バケモノだ。
ワたしのめの前にルカの死たいがあったらそっこうでしたをかみキッテ死んでやる。けれドも化けものになってもわたしはそうハンだんできるのか。はんだんデキないばけものになったわタしは、かたわれをコロしてしまってもきづけないのではなイか。
あの子がとめてくれるとシんじていルのに、こわクテこわくてふアんでいたくてフあんていでたマらなくてッ!
じぶんのナかでハグルまがはずれていくかんかクがする。ガタガタと、ガたガタと。
しカイからいろがなくナっていクきがするのに、モのクロになってイクのに、だいきらいな赤だけはせんメいにまぶたにヤきついた。
「るいッ!」
かケダしたねこせんせイのかおをみる。アせをうかべたカオガわたしのふあんをじょちょウして、ぜんしんをメぐる血えきにしんぞうをつぶさレルきがした。
ちかづかないで、ちかづかないで、やさしいあなたはちかづかないでッ!
「くるな、くルな、ちかヅクなッ!!」
はいもノドもしんぞうもイタクてしかいがにじむ。これいジョうやさしいあなたタちの声でえがおをそうゾウしてしまったらドうしてくれる。メニやきつけられないイッシュんのぐうぞうをミツづけては、わたしのこころはせつぼうをトメられないッ
みぎうでをふりあげてねこせんせいのカタをおうダする。ギプスをしているかラいりょくがあがるトオもったのに、ねこセンせいはすばヤくうでをうけとめタ。だからフあンといきどオりがからだをかけめぐってしマう。
へやにながレコむかんぷうは、からダノまんなかをふき抜けた。
しかいがクラクなるきがしテ、アタマがまワりのおとをひろえなくなっテいく。ネコせんせイはなにか言ってるはずなノニ、わたシノみみは聞きとれナい。
「きけるい! ヤマ―――は――のかん―を――させてる! ――ほうにわる――にかん――、―まえのり―をこわして―――! ―――のま―るなッ、おまえは――わる―――、おれたち――まえをいやだ―――おも――こと――! ――ろ、――!!」
「はナシて、いやダ、そばによるな、くルな、くるな、くるなよ!」
「――! たの――きい―く―! わたしたちの――、ッ、るい、――!!」
ざくろせンセいがなにカいう。そレハなんできキとれない。それはどウシて私にとどカナい。
「――――!! ――、―――、――、――ッ」
「ッ、―――、―――――!」
あさナぎとリんどうのくちガうごイたのはわかる。ワカルのにコトばがリかイできない。げンゴりかいがコワれてる。
そレは音だ、オとだ、おとだからだメなんだ。
わタシはナにがしたかっタ。私はなにヲのぞンデた。
あタまをかかエテこうたいスる。どうシてこうたいしタかは分からない。
あしガいたイ気がスル、うでもいたいきがする。いたい、いタい、イタくて、いたクて……いたく、テ?
いたいっテ、なンだっけ。
ワたし、わたしは、わたシハ――
かガみがわれタ。
トびらがたオれた。
つヨイかぜがふきアレた。
しろイふくをきたやつラがとビコんでくる。
はイイろのかミ。きんいろノカみ。クろいかミ。みドりノかみ。
わたしをミるおマエらは、いっタイ、だレ……?
「――!」
もうヒトり、クロいかみノこ。やづつ、うでニつケた、ぶき、カオ、そのかオ、そのかおしってる、しってる、しっテる……シって、る、ル?
――アノコはイったい……だレだっ、け?
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