第42話 静

 

 ヤマイは勝手だ。勝手に棲みついて、勝手に暴れて、勝手に進んで。


 私の意志なんて無視して動く。私の願いなど聞いてくれない。


 だからこうして、想像の自由さえ奪ってくるのだ。


「流海」


「……分かってる」


 流海が私から離れて竜胆達の肩を掴む。きっと今は奥歯でも噛み締めているのだろう。


 乳白色の岩山から音がする。不吉な音が。私が想像してしまったから。朝凪の微笑みを、竜胆の苦笑を、脳裏に思い描いてしまったから。


「涙さん?」


「流海く、ぇ、ちょ、」


 朝凪達を無理やり遠ざける片割れの背中を見て、私も後ろへ下がる。


 流海は私に背を向けたまま朝凪と竜胆の肩を押さえつけ、動きかけた伊吹のズボンの裾をクロスボウで撃ち抜いた。


「空穂!」


「知っているでしょう――ヤマイは止められない」


 自分の足元に大きな影が出来る。顔を上げれば崩れた岩が勢いよく転がってきていた。ハンマーを振りたくなったが、それは我慢して地面を蹴る。


 発症したならば止められない。ヤマイは私が事故に遭う事を望んでる。だから出来うる限り、怪我は最小限に留めよう。


 岩の種類を見極めて、一番小さなものに当たることを選ぶ。当たるならば左肩が一番影響が少ないな。


 緩く答えを弾き出して、自分から崩れた岩山の欠片に当たりに行く。発症したならば、事故に治まらない。


 事故は受けねばならない。事故を避けてはいけない。だってそうだ。私のヤマイは「笑顔を向けられると事故に遭うヤマイ」


 発症したからには、事故に遭うまでヤマイは止まらない。


 砕けた照明の欠片を避ける事なんて反射で出来る。倒れる点滴スタンドを黙って受ける理由なんて無い。倒木なんて避ければ良いし、突っ込んでくる自家用車に掠る度胸試しなんてしなくていい。


 それをヤマイは許さない。欠片を避ければいつまでも照明器具は割れ続ける。点滴スタンドや巨木以外も倒れ続ける。自家用車だけでなくバスやトラックまで私目掛けて来てしまう。


 だから最小の範囲で、最小の怪我にして、事故に遭わなければいけない。


 私も流海も、無傷で事故を避けることなど許されない。


 私は左肩に衝撃を受けて奥歯を噛む。それから素早く他の瓦礫をハンマーで砕き、太陽光を反射させるつぶてに苛立った。


 砕いて生まれる礫の雨。


 その中に流海が飛び込み、私を真白の上着で覆ってくれる。勢いよく抱き寄せて、落石に背を向ける。


「流海ッ」


「涙はもう事故に遭ったから」


 流海の体が揺れる感覚を味わう。私は片割れの体を引き寄せて地面に転がり、落石の範囲を抜けた。二人揃って地面に膝を着く。宝石のような砂塵が舞った。


 そこで目を見張る。岩山の影に見えたシルエットに。


 薙刀を持っている男――嘉音は、無表情でこちらを観察していた。


 礫の雨が降る向こう、砂塵の幕の奥。落石が落ち着き始めたその中で、嘉音は握った片手を顔の横に上げた。


 その手がパッと効果音がつきそうな開き方をする。広げた手を軽く揺らした男は、礫が全て地面に落ちる頃にはきびすを返していた。


「……なんだ、アイツ」


 私は思わずペストマスクの中で呟き、左肩に響く重たい痛みを我慢する。生暖かい感覚も腕を伝った。流海は帽子にかかった砂埃を払ってくれる。


「怪我は左肩だけ?」


「あ……あぁ、うん、そうなるようにした」


「そっか」


 ペストマスクをすり寄せて確認する流海。マスクが無ければ頬やこめかみを舐められるのではないかと思い、猫耳と尻尾が生えた流海を想像した。


 いや可愛いな、私は尊さで溶けるかもしれない。そうなった場合は全て舐めとられて消滅するかな。


 馬鹿な妄想を繰り広げながら片割れにすり寄り返す。そうしていれば流海を飛び越えて右腕を掴んでくる奴らがいるから、私は現実に意識を戻すのだ。


「涙さ、な、なんで今! なんで!!」


「肩、肩やってる! 帰ろう、今日はもう帰るよ!!」


 詰め寄ってくる朝凪と竜胆に思わず息を吐いてしまう。ぎゃんぎゃんと騒ぐ二人の向こうでは相反するように静かな伊吹がいるから、私は軽く左手を上げてやった。肩は痛いが軽度だ、問題ない。


「見た目に反して軽傷ですよ」


「それでも!! そうであってもだよッ」


「さっきは怪我した私を心配してくれたじゃないですか!!」


「言ったでしょう。朝凪は朝凪、私は私だと」


「「涙さん!!」」


 頭を揺らして会話をはぐらかそうと試みる。久しぶりに私だけがマイクを使って会話する現象が起こっており、二人の腹式呼吸が鍛えられている気がしてならなかった。


「涙、今日は帰ろう。僕も心配してる。収穫はこの瓦礫にしようよ」


 後ろから回り込んだ流海に諭される。目の前には乳白色の瓦礫が出されるから、私は振り返った。決して朝凪達から視線を逸らした訳ではない。


「ね、お願い」


「……仕方ないなぁ」


「ありがとう」


 流海だけを見て嘴を撫でてやる。背後で朝凪と竜胆が諸手を挙げて喜んでいる気がしたが無視しよう。


 伊吹は肩を脱力させて近づいて来ると、流海が撫で潰していた帽子を整えられた。その手は頭の怪我を気遣うようで嫌になるぞ。


「空穂は本当に流海に弱いな」


「だって流海ですよ? 流海の言葉イコール絶対です」


「涙だーいすき」


「ほら可愛い、世界一」


「……おう」


 何やら言葉を飲み込んだ雰囲気を出す伊吹。私は彼を無視して、砂時計を出した流海を見た。だから私も砂時計を出して逆さにする。そうすれば流海や朝凪達も一緒に砂になり、視界は暗転した。


 アテナの双子がどう動くか、どう思うか。アテナではアレスの空気を吸っても緩和できる薬があると知った。ならばその薬についてもっと情報が欲しい。それはきっと流海の為になるから。


 次に朧と出会えるのはいつか。あの涼し気な目を歪ませられるのはいつか。そう遠い先のことにはしたくない。きっと殺す。絶対殺す。アイツに毒を吸わせる為には、朧がアレスに来た時が狙い目か。ペストマスクを付けているから判断は難しいだろうか。


 収穫が多かった数十分を思い出す。その中で唯一気がかりだったのは、私達に武器を向けなかった嘉音の姿だ。


 瞼を透かす明かりが変わる。目を開けて体がきちんと構成されるのを確認すれば、目の前から伸びた手にペストマスクを剥がされた。一緒にアルアミラも取られてしまうから、私は顔に笑みを浮かべる。


「流海、無事だよこの程度」


「医務室行こうよ」


「一人で行けるさ。流海はもう休みな」


「えぇ……」


 ペストマスクとアルアミラを取った流海。その顔には不満の色が浮かぶから、私は笑い続けていられた。時間的には柘榴先生と猫先生も退勤済みだろう。


「先生達に戻った報告しといてよ」


「……一緒に行けば良いと思う」


 口を尖らせた流海の頬を押してやる。可愛い片割れは私の左肩に手を置いて、首を縦に振るのを拒んでいた。


「お願い」


 流海と同じように願ってみる。そうすれば片割れは難しい顔をしながら私の頬を撫でて、頭と肩の傷を労わってくれた。


「……仕方ないなぁ」


「ありがと」


 笑って流海の腕を撫で、ペストマスクを付けたままだった竜胆達の横を通り過ぎる。


 その時目に入った朝凪の左腕。私は破いた上着の裾を確認してから、湧きそうだった言葉を沈めておいた。並べるのは別の言葉が良いと思って。


「朝凪、援護ありがとうございました。竜胆と伊吹も、まさか抱えて運ばれる日が来るとは思いもせず」


「ぇ、あ、いえ、こちらこそです」


「鍛冶場の馬鹿力ってやつかな」


「……おう」


 三人三様の返事を受け止めて転移室を出る。左肩を押さえれば鈍痛が広がったが、そんなことはどうでもよかった。


 * * *


 医務室に行けば夜勤の職員が無表情で手当てをしてくれた。なぜ怪我をしたのか等は聞かれず、事務的な対応はものの数分で終えられる。考えを読み取らせないその態度は、まるで人形を相手にしている気分になった。


「ありがとうございます」


「いいえ」


 最低限のお礼を伝えて医務室を後にする。扉を開けると、薄暗い廊下は月明かりのみに照らされていた。


「……え、」


「よぉ」


 まさか扉のすぐ横に、戦闘服姿の伊吹がいるとは思わなかったが。


 私達の後ろで扉が自動的に閉まる。暫しの沈黙が広がったと感じれば、伊吹は手袋の端を所在なさげに引っ張っていた。


「……怪我はどうだった」


「あぁ、問題ありませんよ」


「そうか」


 そのやりとりだけで会話が終わる。伊吹は何か言いたそうな雰囲気だが、空気だけでは汲み取れない。私は流海ほど相手の機敏に聡くはないのだ。


 私にとっては流海の方が圧倒的に優先度が高く、言葉を選びあぐねる伊吹の相手をする気はない。コイツの言葉はいつも大きな染みを作らせるから苦手なのだ。


 私は会釈して片割れの病室へ向かおうとする。そうすれば右手首を掴まれて、揺れた勢いでウォー・ハンマーの頭が床に当たってしまった。低い音が廊下に木霊する。


 なんだコイツは本当に。


「なんですか」


「……流海にも謝ったんだ。だから空穂にも、もう一回謝りたかった」


「何を」


「アテナでのこと……悪かった、勝手に先走って、疑って」


 掴まれた腕に力が入る。私は思わず顔を上げて、揺れた灰色の目を見てしまった。


 あぁ、嫌になる。コイツといると本当に調子が狂う。どうしてこうも私のことを掻き乱すんだ。掻き乱す達人か。


 私は浮かぶ嫌味を飲み込んで、腕を振ることで伊吹の手を払おうとした。しかし相手の手が剥がれることは無く、次は強めに腕を振ってみる。


 それでもやはり伊吹の手は剥がれないから、私は左手で相手の指を剥がそうと試みた。そうすれば左手首も押さえられるから流石に息を吐いてしまう。


「別にアテナでのことは怒ってませんよ。怪しい者を疑うのは正しいことです。だからあまり気にしないでください。そして腕を離してください」


「……実はもう一つ言いたいことがある」


「手身近にお願いします」


「マッキになったら止めてやる」


 背筋が凍る。伊吹の指を剥がそうとしていた手を止める。


 目を見開いていると自覚して、私は伊吹の顔を食い入るように見つめてしまった。心臓が少しだけ、痛くなる。


「……なんですか、急に」


「空穂はマッキになったら、俺達からもっと離れていくと思ったんだ。だから言いたかった」


 伊吹が私の目を見つめてくる。それは私の感情を読み取ろうとするようで、一種の恐怖を覚えてしまった。


実働部隊ワイルドハントは仲間じゃない。それでも、仲間になっちゃいけないってルールも無い」


 反射的に後退してしまう。そうすれば伊吹は、私が下がった分だけ距離を詰めた。月明かりに照らされる男の灰色は、嫌に目立って胃が痛くなる。コイツの優しさを体の節々が拒絶する。


「お前らと友達になりたいと思ってるのが、朝凪と永愛だけだと思うなよ」


 そこで初めて視線を俯かせた伊吹。返事の仕方が分からない私は、彼の指に爪を立てた。


「いッ」


「私のヤマイに巻き込まれれば、きっと貴方もいなくなる。笑えないことが嫌になって、怪我することを恐れるに決まってます」


 一瞬緩んだ伊吹の手を離させて、私は大きく相手から距離を取る。


 コイツはいつもそうだ。こちらが予想できない速度で距離を詰めて、私が望む流海との二人ぼっちを邪魔してくる。


 震えた二の腕を摩ってしまう。それはきっと、寒かったから震えたのだと思いながら。


 伊吹は私を見つめて、それ以上距離を詰めてくることはしなかった。


「決めつけるなって前にも言った筈だが?」


「夢や希望ならば、人はいくらだって語れます」


 きびすを返して伊吹から逃げる。流海の元に戻りたいと願う私がいる。


「叶わない夢を願えるほど、私は強くないんです……二度と、優しい人を殺したくないんです」


 伝えれば、伊吹が追ってくることは無くて安堵した。


 息苦しい私は足早に流海の病室へ行き、廊下にいた猫先生と柘榴先生に戻った姿を見せておく。


「また、怪我したんだろ」


 猫先生は苦そうな顔をした。


「……心臓に悪いよ、涙」


 柘榴先生は私の頬を何度も撫でる。


「平気ですよ」


 ヤマイが進行しているとは言わなかった。想像の笑顔で怪我をしたと流海は伝えてないと察したから。


 進行していることなんて知られたくない。知らなくていい。これ以上、心配かけて何になる。


 私は静かに目を伏せて、先生達に「おやすみ」を伝えた。


 病室にいた流海は戦闘服姿のままで、私は片割れにしなだれかかる。微笑む私を受け止めてくれた流海は、優しく背中を撫でてくれた。


 私は流海の膝に座り、思い切り抱き着いてやる。額を片割れの首元に押し付けて。


「おかえり、涙」


「ただいま、流海」


 こうして流海の元に戻れば息が出来る。私は流海がいないと駄目になるのだと自覚する。


「流海、私がマッキになったら止めてくれ、お願いだから」


「勿論だよ」


「私のヤマイに、殺されないで」


「任せて」


「……私が化け物になっても、流海だけは……傍に居て」


「当たり前だね」


 流海の服を固く握り締める。そうすれば片割れは顔を動かして、私のこめかみや耳元に口づけをくれた。


 甘い温かさに溺れて目を閉じる。片割れ以外に視線を向けそうになった自分を叱責して、失うならば手を出すなと注意を払って。


 朝凪や竜胆を巻き込めば、きっと離れて行ってしまうよ。伊吹だって考えが変わるに決まってる。柘榴先生や猫先生だって嫌気がさすかもしれないね。


 想像すれば胸が痛んだ。それだけ自分が流海以外にも目を向けていたのだと理解した。


「……友達なんて、欲しくないんだ」


 それは流海への宣言か、自分への確認か。


 分からない私は片割れに縋り続けて――緩やかに崩れる日常に打ちのめされた。


 笑った顔を想像すれば窓硝子が割れた。


 他人が他人へ向けた笑顔を見れば無人の車が突っ込んで来た。


 笑い声を聞くだけで事故が降った。


 流海の退院の日にも事故を起こした。折角片割れが帰って来た喜ばしい日だったのに。


 私の日常が崩れていく。ヤマイが大きく牙をむき続ける。


 あぁ、どうして、どうして、どうしてだ。


 私が一体何をした。私はこれ以上何を償えばいい。こんな仕打ちがいつまで続く?


 くすぶった感情に焼かれる日々を過ごす中で。


 ――その日はとうとう、訪れた。

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