第44話 談

 

 これは涙に声が届かなくなる一日前のこと。パナケイアの道具室に集まったのは、実働部隊ワイルドハントのメンバー及び涙と面識のある補助員達だった。


 長机に並んだ椅子に腰かけている者や壁際に立っている者と集まり方は様々。流海は椅子の一つに腰かけ、自分以外の者が全員ペストマスクをつけている現状に目を細めた。メンバーは全員が会話できるようにイヤホンを繋ぎ、流海も耳にイヤホンをつけている。学校の制服姿にペストマスクをつけた集団は異様であり、流海は口に弧を描いて見せた。


「よっしゃー、集まった所で始めるか」


 深く椅子に座っている金髪のペストマスク――男の皇樒は軽く机をノックする。部屋からはそれぞれの返事が上がり、流海は微笑み続けた。少年はちょうど樒と対極の位置に座っている。流海の微笑みを見た背の高いペストマスク――竜胆永愛は反射的に手を挙げた。


「始める前に、一回自己紹介しておきませんか? 流海君はまだ会ったこと無い人もいるでしょうし」


「自己紹介とかむず痒くなるな」


「良いと思う! とっても良いと思うから一番手は私がいきまーす!」


「マイクで大声出すなー雲雀」


「はいごめんなさい!」


 面倒くさそうに息を吐いた樒に対し、元気よく挙手したのは青みがかった黒髪のペストマスク――棗雲雀だ。笑顔の流海は全体を見渡してから少女で視線を止めておく。


 雲雀は楽し気に両手を挙げたまま、踊るように部屋の中を歩き回った。そうしなければ彼女は呼吸が出来なくなるから。


「私はなつめ雲雀ひばりって言います! 武器は双節棍ぬんちゃくです! 関節を繋げると棍棒みたいにも出来るんだ! あ、あと靴の踵にも隠し刃入れてまーす! どっちも小梅ちゃんが改良してくれたんだよありがとう! よろしくねっ」


「大変楽しかったですわ」


 雲雀は小梅の前を通る時にハイタッチをし、歩きながら踵も打ち合わせる。そこからは小さな刃が飛び出し、もう一度打ち合わせれば収納された。片手に持っていた長棒は一度振られると関節が分かれ、銀色に輝く鎖で繋がっている。それを喜々とした様子で回した少女は武器の関節を再度繋げ直し、机に伏せていたペストマスクの背後に立った。


「次は鶯にバトンターッチ!」


「ん、」


 頭の先から足首まで覆う上着を羽織ったペストマスク――椿鶯。そのフードの端から緑の毛先が見え、雲雀はスキップをしながら部屋を回った。緩慢な動作で上体を起こした鶯は流海に軽く会釈し、少年も微笑んで頭を下げる。


椿つばきうぐいす……です。武器はテレク……晴れの日は基本、使い物に、ならないから……よろしく」


 両手に両刃のナイフを持った鶯。持ち手が十字になっているナイフを器用に回した少年は、頭を重たそうに揺らしていた。その姿に樒はため息を隠さない。


「おい鶯、一番日陰の席にしてやってんだからやる気出せ」


「……寝すぎて、眠いっす」


「ひゃー私の鶯ちゃんは今日も可愛いねぇぇヨシヨシ!」


「雲雀のがかぁいい……」


「誰かそこのバカップル処せ」


「処せないんで俺がバトンを貰いますね」


 鶯に後ろから抱き着いた雲雀。そんな二人を見て樒は貧乏ゆすりを始め、仲裁に入ったのは朔夜であった。流海は口角を上げたまま彼らのやり取りを凝視し、灰色髪のペストマスクは双子の片割れへ視線を向ける。


伊吹いぶき朔夜さくや、武器はトンファー使ってる。よろしく。次は永愛にバトンやるよ」


「はい、ありがと」


 朔夜は永愛と軽くハイタッチをする。流海の視線は微かに細められ、永愛は肩を竦めていた。


竜胆りんどう永愛とあです。武器はサーベル、改めてよろしくね。次はいばらちゃん、どうぞ」


「ありがとう。朝凪あさなぎいばらです。武器はロング・ボウ。補助や支援が得意です。次は、小梅さんどうぞ」


 永愛は制服のベルトにさしたサーベルを軽く叩き、いばらは片足を下げて膝を曲げる。少女の礼は制服上の癖のようなもので、肩にかけていたロング・ボウも軽く見せていた。彼女に呼ばれた桜髪のペストマスクは、制服のスカートを上品につまんでいる。


「私は補助員のさくら小梅こうめと申します。ボーラを少々たしなんでいますわ」


 スカートを離した手から紐に繋がった鉄球が落ちる。彼女の両中指に繋がる武器は静かに揺れ、図鑑で見たものよりも小さな武器に流海は微かな疑問を抱いた。


「こちらは改良を重ねた私自作のボーラでして、こだわりの点は主に――!」


「お嬢、説明はまた後日にしてください。次は俺がバトンを貰っても?」


「あ、そうですわね。申し訳ございません」


 銀髪のペストマスク――柊葉介がため息をつく。小梅は武器を慣れた動作で制服の袖に隠して葉介に繋げた。葉介は今日も正しい姿勢を崩さない。


ひいらぎ葉介ようすけ、基本的に使ってるのは銃です。遠距離射撃でも近距離射撃でもいけます」


「葉介さん、今日の年齢はおいくつですかぁ?」


「二十八歳だよ。次は小夜ちゃんどうぞ」


「はぁい、ありがとうごうざいます。私は伊吹いぶき小夜さよです。武器はお兄ちゃんに危ないって言われてるから持ってないです。荷物の運搬とかは任せてくださいねぇ」


 両手を挙げて朗らかに名乗った小夜。灰色のおさげを揺らす少女は兄に頭を向け、朔夜は手袋をつけた掌で撫でてやった。


 空気を弾ませる小夜は流海に手を振って見せる。微笑む流海は手を振り返し、のんびりとした少女の声を聞いていた。


「最後、樒さんにバトンターッチ、です」


「可愛いバトンをありがとうな。俺はすめらぎしきみ、武器は狼牙棒。実働部隊ワイルドハントのメンバーが勢ぞろいするなんて正直驚いてまーす。おら最後、新人名乗れー。あと他の奴らも座れよ、話にくいだろ」


 椅子の背もたれに体重をかけた樒。顎を上げた彼はペストマスクのくちばしで流海を指し、いばら達も席に着いた。雲雀だけは部屋の中を歩き続け、動きを止めることはない。


 流海は部屋全体の様子を観察し、顔には人懐っこい笑みを浮かべた。


「自己紹介ありがとう。僕は空穂うつほ流海るか。クロスボウを使ってる。今日の本題は涙のことで合ってるよね」


 流海は直ぐに目を開き、正面に座る樒を見つめる。椅子に立てかけた狼牙棒を持った樒は、重たい先端を勢いよく流海に向けた。それに片割れは臆さない。


「あぁそうだよ。お前の片割れ、今日ないし明日にはマッキになるだろうって研究員達が騒いでんだ。だから俺達は集まった」


「パナケイアの第四十四支部、実働部隊ワイルドハント全員集合って凄いよねー! てか、パナケイア直々に招集命令かけるって前代未聞? 取り敢えず私は初めてかな!」


 踊るように歩き続ける雲雀。流海は彼女の足取りを観察し、樒が向け続ける狼牙棒に視線を戻した。顔から笑みは落とさないまま。


「涙のヤマイのせいだろうね。パナケイアは涙がマッキになることで、ヘルスが巻き込まれることを恐れてるんだよ。あと皇さん、そろそろ武器を下ろしてくれない?」


「姉ちゃんみたいに敬語を使えよ新人少年。俺はてっきりお前にも殴りかかられると思って武器を構えたが……杞憂だったか?」


「別に。今の僕は貴方より弱いから手は出さないだけだ、その時でもないし。それに僕が敬語を使わないのは経験上だよ。敬語を使う相手と使わない相手への笑顔なら後者の方がみんな楽そうだから、僕は敬語を使わない」


「へぇ、ヤマイからの学びか。ならお前の姉が敬語を使うのは笑顔を向けにくくする為ってか? 疲れるな」


「それだけってわけでもないけど、貴方には語る気にもならないから止めとくね」


「はっはぁ~、駄目だな、俺はやっぱり空穂双子とは意見が合わねぇ!! 姉は無表情の戦闘部族で弟は笑顔の毒吐きマンじゃねぇか!」


「売り言葉に買い言葉の押収だからですよ」


 脱力した朔夜は樒の狼牙棒に触れる。金髪のペストマスクは武器を戻し、小夜は兄の隣で「仲悪いねぇ」と笑っていた。朔夜は妹の頭を黙って撫でるしか出来ない。


「それで、パナケイアが言いたいのは空穂がマッキになったら全員で対処するようにってことっすよね?」


「正確には、全員で対処しないと止められないぞってことだ」


 立ち上がった葉介が部屋の隅にあるホワイトボードを回転させる。背面になっていた側には涙のヤマイの変化が書かれており、鶯はのんびりとした動作で顔を上げた。葉介は口を開きかけたが、それより早く説明を始めたのは流海だ。


「涙は笑顔を向けられると事故に遭うヤマイ。通常は笑ってる相手と目を合わせるか、自分に笑いかけられてるって認識したらヤマイが起こってた。でも今は笑顔を想像する、他人に向いた笑顔を見る、笑い声を聞くことでもヤマイを発症してる」


「完全に個の中で発症するヤマイであると同時に、周囲への影響力が大きい。事故の規模も大きくなってるで間違いはないか?」


「うん。この間はすれ違った人の笑い声を聞いただけで鉄骨が降ってきたって」


 流海の脳裏にギプスをつけた涙の姿が浮かぶ。彼の片割れは日々傷が増え、それは体にも、精神的にも影響を与えていた。


「……涙ちゃんの最近の様子は? 流海君だけじゃなくて、いばらちゃんとか永愛君も会ってるよね」


 雲雀の声が先程までとは打って変わって真剣みを帯びる。流海は一瞬だけ眉根を痙攣させてから笑みを深め、鶯はそれに気づいていた。


 いばらは永愛と顔を見合わせ、少年の方から答えていく。


「単語での受け答えが増えてる気がするかな。見るからに避けられてるし、最近は目どころか顔も合わせてくれない状況だよ」


「私の方もです。名前を呼んだ時にも事故が起こってるようですし……涙さんは、絶対に距離を詰めようとしてくれません」


「それは君達が優しいからだよ」


 腕を摩ったいばらを見ずに流海は笑う。少女はペストマスクを流海に向け、双子の片割れはホワイトボードを見つめていた。


「前にも言ったでしょ、優しいから巻き込みたくないんだって。僕達のことをどうでもいいと思う奴は巻き込んでいいと思うのに、どうでもいいと思ってるからこそ近くにいないから巻き込まれない。でも優しい人は違う。優しいから傍で寄り添おうとしてくれるでしょ。だから僕達の事故に巻き込むんだ。それを涙は怖がってる」


「なんだ、思ったよりもお優しい心があるんだな。口も態度も強烈な短気ちゃんだと思ってたが」


「優しいから苛々するんだよ。だって嫌いな奴らは幸せそうで、優しい人ばかりが自分の傍では傷つくんだから」


 流海の目が静かに細められる。それは笑顔である筈なのに怒気を孕んでいるからこそ、鶯は穏やかな口調で話しかけた。


「名前を呼ばれた……それだけで、どうしてヤマイが……起こるんだろうなぁ」


「笑った顔を想像しちゃうんだよ、優しい声で名前を呼ばれたら」


 流海は自分の口角を人差し指で上げる仕草をする。鶯はペストマスクの下でゆっくりと瞬きし、いばらと永愛は指先を震わせてしまった。


 双子の片割れは、暗に涙の事故をいばら達の呼びかけのせいだと伝えたのだから。


 樒はいばらと永愛の反応を確認したからこそ、流海に対する態度を崩さなかった。


「そうかいそうかい。で、他になにか物申したいか毒吐き少年。この勢いで発言を許すぜー」


「なら質問させて。マッキになる引き金は何? それによって涙がマッキになるタイミングが分かるんだけど」


「マッキになるのは不満が最高潮に達した時だよ。日頃から我慢して我慢して我慢してる欲求、それが我慢できるレベルに収まりきらなくなった時、ドカーンとくるんだ」


「マッキになっちゃうとねぇ、周りの声は聞こえなくなっちゃうんだぁ。訳が分からなくなって、誰のことも理解できなくなって、ただただ苦しくなっちゃうの」


 流海の問いに答えたのは雲雀と小夜。


 雲雀は鶯に後ろから抱き着き、少年は彼女の腕を慈しみを持って撫でた。


 小夜は朔夜の手を握って楽しそうに揺らしている。兄は黙って妹の手を握り返し、微笑む流海はそれだけで理解した。理解したからこそ、追質問をすることはなかった。


「ありがとう。なら涙がマッキになるタイミングはある程度調整できるよ。今日は誰も涙に近づかず、明日になって猫先生と柘榴先生に会ってもらえばいい。そこに……朝凪さんと竜胆君あたりが行けば爆発するだろうね」


「え、」


「俺達でいいの……?」


「いいんだよ、癪だけど。僕が行くと爆発させるまでには至らないだろうからね」


 思わず肩を揺らしてしまったいばらと永愛。先程の流海の言葉からして、自分達の名前が出るとは思っていなかったのだ。


 流海は笑顔で頷くと、優しさに包まれた棘を吐いた。


「いつも通りで良いんだよ。いつも通り優しく涙を心配してあげて。そうすればあの子の我慢は溢れ出る」


「……あまり喜べませんけど、頑張ります」


 微かに嘴を下げたいばら。永愛は黙って流海を見つめ、双子の片割れはそれ以上は何も言わなかった。


 息を吐く樒は怠慢な動作で頬杖をつく。


「それじゃあ教えてくれよシスコン。お前の姉はマッキになったらどう行動すると思う? 俺達はどうすれば生きてプラセボを空穂姉に撃ち込めると思う?」


 流海の視線が樒に向かう。双子の弟は姉を想い、彼女がどう動くかなど時間を置かずとも予想出来てしまった。


「絶対に逃げるね。僕達から距離を取って一人になりたいから」


「その根拠は?」


「言ったでしょ、誰も巻き込みたくないんだよ、涙は」


「では、パナケイアの施設から出てしまうのでしょうか」


「そうするね」


 小梅が長机に施設の見取り図を広げる。上から見た施設はカタカナのロのような形をしており、中央には広い庭が存在した。全員立ち上がって図を見下ろし、流海は中庭を指で叩く。


「涙にプラセボを入れるのは僕が行くよ。みんなは涙が中庭から出ないように動きを止めてくれたら十分かな」


「なんだ、シスコンは英雄へのランクアップをご所望か」


「怪我への耐久がこの中で一番あるのは僕だって思ってるだけ。涙とも約束してるしね、僕が涙を止めてあげるって」


 樒は長机に腰かけて嘲笑う。流海は平然と微笑み続け、葉介はいぶかしんだ声で確認した。


「……自分も大怪我を負う事を前提に話してないか?」


「前提だよ? 涙のヤマイは涙を傷つける。だったら涙に近づく奴も巻き込まれるだろうから、怪我慣れしてる方が良いってだけ」


「不幸自慢は自分を哀れに見せるだけだぜ」


「ただの事実だよ」


 樒の言葉に対し、流海は笑顔を崩さない。まるで張り付いてしまったとでも主張するように。


「足が折れても駆け寄るし、肩が外れても抱き締められる器量がないと――涙は守れない」


 流海の指は強く見取り図の中庭を叩く。


 少年は微笑んだまま視線を上げて、樒は降参とでも示すように両手を挙げた。


 葉介は流海の横顔を見つめ、話の整理を始める。


「では、明日は猫柳さんと霧崎さんにも協力をお願いし、朝凪と竜胆も空穂姉の元に行く。そこでマッキ症状を確認次第マッキを中庭へ誘導し、空穂弟が姉に近づけるように援護する。援護する部隊と中庭から出さないよう牽制する部隊を決めときますか?」


「牽制ならお任せあれ! 私の得意分野だぜ! 鶯は援護よろしくだねー!」


「おー……」


「俺と朔夜もそっちに回るか、永愛も武器持ったら合流な」


「はい」


「分かりました」


「ならば俺とお嬢、朝凪は援護で行きましょうか」


「そうですわね」


「……ですね」


 葉介がホワイトボードに名前をメモし、流海はそれを見る。


 牽制部隊は雲雀、樒、永愛、朔夜の四人。


 援護部隊は葉介、小梅、いばら、鶯の四人。


 立ち上がった小夜は流海の袖を引き、少年は微笑みかけた。


「小夜ちゃんはプラセボ係でいいかな?」


「任せてくださぁーい。もしもの時は、ヤマイで援護もしますね~」


「小夜」


 朔夜は小夜を隣に呼び戻す。妹は兄の声にすぐ答え、流海の視線はいばらに向かった。ペストマスクをつけた彼女の表情は誰にも分からない。


 この場を切ったのは、常に本気と冗談の合間に立つような樒だ。


「大体決まったなら、これにて解散しようぜー。最後にシスコンの新人、言いたいことあったら発言を許してやろう」


 始終微笑み続けていた流海。樒は品定めするような視線をマスクの奥から向け、双子の弟は目を伏せた。


 彼が浮かべる言葉は一つだけ。


 その声はいつも一人だけを想って言葉を紡ぐ。


 目を開けた流海は、今までで一番儚く笑っていた。


「――誰も死なないで」


 ただ一言。


 それだけで、部屋に緊張を張り巡らせるには十分だった。


 笑顔で吐かれる言葉の重み。それを受け止めた小梅や鶯は背筋に力が入り、樒は頬杖をついて見せた。


「なんだ、俺達の心配か? そんなことする性格には見えなかったが」


「違うよ、これは涙の為だ。あの子は自分のヤマイに巻き込んで優しい人を怪我させることを嫌ってる。それ以上に、誰かを巻き込んで死なせることを一等恐れてる」


 小首を傾げて微笑み続ける流海。それはとても可愛らしい笑顔なのに、全員の背中には悪寒が走る矛盾が生じた。


 双子の片割れは常に姉のことを想っている。姉のことだけ考えている。彼にとっては涙だけが絶対で、唯一なのだ。


「知ってる誰かが事故に巻き込まれて死んだら、涙が苦しむ。だから死なないで」


 永愛といばらは知っていた。目の前で笑っている双子の少年こそ、片割れに依存していると。流海にとっては涙以外のことが本当に優先されないのだと。


 朔夜は小夜の頭に手を置く。彼の口は、いつも己の正しいと思う言葉を出していた。


「お前の優しさは歪んでるな、流海」


「それは伊吹君の基準だよね。僕は僕の優しさを正しいと思ってるよ」


 流海はそこできびすを返す。道具室の扉を開けた少年は、最後に少しだけ振り返っていた。


「僕が守りたいのは涙だけだ。それを共有しようだなんて思ってないよ。みんなそれぞれに守りたいものを守る為にこうして集まったんだろうし」


 廊下に足を踏み出した流海。微かに見えた横顔は、やはり笑っていた。


「明日、よろしくね」


 扉が閉まる。


 そこで全員ペストマスクを外し、脱力をしてしまった。


「あー、やーっぱいけ好かねぇ」


「……なら、樒さんはなんで招集に応えたんすか」


「そんなの決まってんだろ、俺の為だよ。俺の平和な日常を守るには、空穂姉のマッキは危険すぎるってだけだ。だから止めてやろーって話」


 立ち上がって狼牙棒を棚に戻した樒。彼は金髪を掻きながらペストマスクも片付け、質問した朔夜は息を吐いてしまう。


「……雲雀さんと椿さんはどうしてですか?」


 そう問いかけたのはいばら。雲雀は鶯と両手を繋ぎ、楽し気に回っていた。鶯は彼女の片手を上げさせて、雲雀は正に踊って見せる。


「簡単な話、沢山のお節介とちょっとの憐れみだよ。涙ちゃんは別に悪い子って訳でもなさそうだし、ほっとけないって言うか、懐かない猫に構いたくなる気分って言ったらいいのかなぁ?」


「俺は……雲雀が、手伝いって言ったから」


「やーん鶯大好き!」


「俺も―……」


 踊る雲雀を幸せそうに見下ろす鶯。眠たげな声はどこまでも穏やかで、雲雀は体全体で嬉しさを表現していた。


 いばらは二人の姿に微笑み、葉介と小梅を横目に見る。小梅は視線だけで葉介に問いかけ、青年の姿をした少年は答えていた。


「俺は周囲の為ですよ、お嬢。空穂姉のヤマイは余りにも強すぎる。それに巻き込まれる可能性のある者は誰であれ、何であれ守るのが俺達の仕事です」


「貴方らしいですわね」


「それが俺ですから」


 ホワイトボードのメモを消していく葉介。その背中を小梅は半ば呆れながら見つめ、いばらは視線を逸らしていた。


「小夜、危ないと思ったら逃げろよ」


「お兄ちゃんは過保護だぁ」


「兄ちゃんだからな」


 小夜と自分のペストマスクを片付ける朔夜。兄は妹の頬を心配そうに撫でて、小夜は包帯をした両目を押さえていた。


 永愛はいばらの肩に手を置いて目を合わせる。


 奥歯を噛み締めたいばらは、それでも確かに頷いた。


 この翌日、一人の少女が化け物となる瞬間を見るのだと――覚悟を決めて。

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