第39話 知
人は無い物ねだりをする生き物だ。
自分にあるものには目を向けず、無いものばかりを求めて他者を羨んでいる。
私だってそうだ。今だって求めてしまっている。
私を求めて、求めれば応えてくれる片割れがいるのに。姿形さえも同じになれそうな目の前の双子を羨んでいるのだ。
ウォー・ハンマーを振り回して「夕陽」のクレセントアックスを砕こうと試みる。真横からの殴打を刃で受け止めた「夕陽」は私に睨みをきかせており、空気は肌を震わせた。
刃に弾かれたハンマーの頭を視線で追う。そう簡単に思惑が通る筈もないか。黒髪の戦闘員は真上から斧を叩き落とし、私は地面を転がりながら躱した。
背後から影が伸びる。斧を振り上げたシルエットは「夕陽」と瓜二つだから、私は底冷えするような感覚に息をついてしまった。
「朝陽!!」
一瞬だけ背後の影が怯む。片割れから叫ばれた名前に驚いたのか、気づいたのか。
私は腰の後ろからナイフを抜き、地面を後ろへ蹴った。低い姿勢で、「朝陽」に背を向けたまま。
クレセントアックスは中距離武器。懐に入ればナイフが有利。
体を後ろへ回して「朝陽」と向かい合う。回転の勢いを殺さないままナイフを振れば、少年にギリギリの所で腕を掴まれ防がれた。
片手持ちになったクレセントアックスが地面を割る。
私は「朝陽」に抵抗しない。
戦闘員の向こう側。美しい木々の中に、愛すべき片割れがいると知っているから。
クロスボウを構えている流海は、躊躇なく引き金を引いた。
私と向かい合っていた「朝陽」が引き金の音に気づく。桜に頼んだら発射音を小さくする対策とかしてくれるだろうか。
私は「朝陽」の足を踏んで逃がさない。背中を撃たれれば少しくらい動きが変わるだろ。
そう思ったのに、流海の矢はもう一本のクレセントアックスに叩き折られてしまった。
少しだけ予想外。動けると思っていなかったこちらの落ち度か。
浅い息をした「夕陽」は「朝陽」と背中合わせにクレセントアックスを構える。その足は今しがた切り捨てた矢を踏みにじっており、私を掴む「朝陽」は息を吐いていた。
「ありがとう、夕陽」
「当たり前だよ、朝陽」
その声は瓜二つの高さをして、背だって全く同じに見える。
私は「朝陽」の足を踏むのを即座に止め、掴まれた腕を自分側に勢いよく引いた。
そうすれば「朝陽」の上体が微かに傾いて、私は膝を叩き込む。鳩尾に、容赦など捨てて。
戦闘員の焦点が揺れたと同時に手が緩む。その隙に後退すれば、流海も同時に林に身を潜めた。クロスボウを上着に隠し、美しい世界の白に溶け落ちて。
私はナイフを鞘に戻してウォー・ハンマーを回した。右手がマイクを起動させる。
「流海」
「はぁい、涙」
「緊張してるか?」
「まさか」
林から足音や気配が消えていく。流海はそうだ。私より隠れることが得意で、人目を避けるレベルは完ストしていると言っても
私はウォー・ハンマーを構えて、無表情の双子と向き合った。
「殴打のペストマスクを先に潰せたら良かったね」
「だね。あのクロスボウを持った奴も予想以上に厄介そう」
「林に紛れてるよ」
「どっちが先かな」
「強い方が先だと思う」
「ならやっぱり、殴打の方か」
戦闘員の双子は背中合わせをやめて私に向かう。どうやら流海の方が私より弱いと判断されたらしい。なんともまぁ、苛つくこと。
私は林に紛れた片割れを想いながら、双子から目を逸らすことはしなかった。
耳は流海の声を拾う。凪いだ水面のように落ち着いた、愛しい声だ。
「涙――やろうか」
あぁ、そうだな。
流海の大切な晴れの日だから。
背を向けて逃げるよりも、倒して進む方が清々しい。
私は首を縦に振り、地面を蹴った。
クレセントアックスを持った双子も私に向かって飛び込んでくる。私は双子それぞれの武器の握り方を確認する。
見て判断しろ。形で予測しろ。どうすれば怪我を減らせると思う。どうすればこの後の動きに支障が出ないと思う。どうすれば流海を心配させずに終われると思う。
私は眼球を素早く動かしてクレセントアックスの動きを予想する。「朝陽」は横から薙ぐように、「夕陽」は上から潰すように。あの持ち方ならばきっとそう。
「朝陽」は向かって左側、「夕陽」は向かって右側。避けるならばどこがいい。避けるだけで終わらない為にはどうすればいい。
私は下半身に力を入れて進行方向を変える。少し地面を滑った靴裏で左側に軌道を変えれば、クレセントアックスを振ろうとしていた「朝陽」のタイミングと噛み合わなくなった。
「朝陽」の腕が一瞬だけ躊躇を挟んで刃を振る。そんなものが当たるのかと内心小馬鹿にしたのは黙っておこう。恐らくこの子達は私よりも年下だ。
私は膝を抱えるように跳躍してクレセントアックスの刃を飛び越える。左前方に跳ぶように避けた為、その勢いのままウォー・ハンマーで「朝陽」の額を殴打した。
いや、正しくはしようとしたのだ。防がれたが。
鈍器と「朝陽」の間に入ったもう一振りのクレセントアックス。斧はハンマーを受ける盾の役割を果たし、私は素早くハンマーを引いた。宙にある体をハンマーの重さで横回転させ、百八十度後ろへ向く。体の前面は双子に向き続けた。
後ろ向きに着地を決めてウォー・ハンマーを回す。ハンマーを防いだ斧は「夕陽」のものだ。突くように出てきた辺り、重たそうな斧の軌道を変えるのも無理ではないと。
考える私に向かって細い武器が
それは双子がアレスに来た時に持つ武器だ。細みの刃で、ペーパーナイフのようだと初見で思った。後で柊に聞いたら「恐らく、スティレットだと思うぞ」と図鑑が開かれたな。
スティレットは刺突専用のナイフだ。携帯できる小ささであるが、突くことに特化した武器は
私は地面に伏せてスティレットを躱し、その間に体勢を整えた双子を確認する。
彼らの向こうではクロスボウを構えた片割れがいたから、私は体勢を低くしたまま「朝陽」と「夕陽」に殴りかかった。
ウォー・ハンマーは勢いよく風を切る音を出し、クレセントアックスとぶつかれば火花が飛ぶような錯覚が生まれた。
前から横から刃を向けてくる双子。
斧を弾いて叩いて音を立てる。
地面を滑って蹴って音を立てる。
双子が私から視線を逸らす隙が無いように努力する。
そうすれば、お前達が私に劣ると判断した片割れが――狙いすましてくれるだろうから。
クロスボウの発射音は聞こえない。私達が暴れる音に掻き消されて。
しかし「夕陽」の背には確かに矢が突き刺さるから、私はほくそ笑んでしまうのだ。
「ゆう、ッ」
視線が逸れた「朝陽」のこめかみを矢が掠る。その勢いで跳ねた黒髪は浮き上がり、少年のこめかみから血が舞った。
「ッ、朝陽」
背中を庇う素振りを見せた「夕陽」。彼はすぐさま射られた方向を確認するが、流海は既にそこにいない。
私は林を駆ける片割れに気づき、上がり続ける口角を止められなかった。
流海が得意とするのは――
外に出れば路地裏を渡り歩き、笑顔以外の表情を見ないように努めてきた片割れ。贔屓目なしでもあの子は隠れて動くことが得意で、事故を受けやすいぶん判断力もある。どうすれば怪我を少なく出来るか、あの子だって学んできたのだ。
私にあるのは怪我を減らす為の判断と観察だけ。
でも、流海は判断と観察だけでは生きにくい。だから隠れることも身に着けて、相手の感情にも過敏になった。
私が囲まれてきたのは苛立ちや恐怖、憐れみを浮かべた顔や無表情。
対して流海は常に笑顔に囲まれてきた。笑いたくない者でもあの子と接する際には笑わなければいけないから。そうしなければ事故が来る。ヤマイが発症する。
流海の周りにあるのは笑顔、笑顔、また笑顔。
――怖いんだ
暗い部屋で落とされた流海の声を思い出す。
――周りが何を考えてるのか分からない
震える手で私に縋った片割れを思い出す。
――笑顔ばっかりなんて、吐きそうだ
そう言った流海は、笑顔の奥にある感情を探り始めた。人と接することを最小限にして、接する時には浮かぶ表情を信じない。
だから流海は今も上手く動いて、「朝陽」と「夕陽」の感情に過敏になった。感じ取るからこそ相手が嫌がることを選び取った。
流海を見つけられない「夕陽」は背中を追加で二度射られる。こめかみからの出血が止まらない「朝陽」は肩も射られて顔を
二人は歯を食いしばり、苛立っていることが微かに感じられた。
――第二条、耐え忍ぶ精神を持たねばならない
私はふと嘉音の声を浮かべて、ペストマスクの下で笑い続ける。耳元では落ち着いた流海の声が呼びかけてきた。
「涙、髪が跳ねてる方の子、その子の方が苛立ってる。こめかみからの血で少し焦ってもいるのかな。もう一人の子より息が上がってるね。跳ねてない方の子はそこまでダメージは少なそうだよ。あの服のせいで矢が深くは刺さってないのかも。でも驚いてはいるっぽい」
双子と向き合っている私でも分からない違い。それを片割れは的確に言葉にし、私は「朝陽」のクレセントアックスと勢いよく殴り合った。再び鉄がぶつかり合う甲高い音が響き、「朝陽」の太腿から血が舞っていく。
「うん、掠める方が傷つけられるね」
「さすが流海、顔は見るなよ」
「もちろん、涙に迷惑はかけないよ」
顔が隠れていない相手ならば、流海は基本的に首から上を見ない。今もきっと双子の背中や体ばかり見て、横顔を観察してはそれが自分に向けられた表情ではないと判断しているのだろう。
体勢を崩した「朝陽」を見て、私は「夕陽」に向かってウォー・ハンマーを振る。ギリギリの所で躱された鈍器は相手の肩を掠めただけで、勢いよく地面を砕いてしまった。
その時、私の足に痛みが走る。
瞬時に後退すればスティレットが脹脛に刺さっており、浅い呼吸をする「朝陽」が目についた。
大丈夫、軽傷。
「――殺す」
私の意に反して耳に直接流れ込む流海の声。
地を這う低さを持った片割れの言葉に私は口を結び、クロスボウが矢を射る前にマイクを起動させた。
「流海ストップ」
マイク越しに流海が息を呑んだ音を聞く。私は力を抜きながら足からスティレットを抜くか思案し、出血が増えそうなため止めておいた。
「止めないでよ、相手はまだ僕に気づいてないのに」
「無駄な殺生に意味はないだろ」
「涙を怪我させたって言う大罪だよ」
「私は流海が相手を殺すより、私の手当てをしてくれることを所望したい」
望めば流海からの返事が止まる。分かりやすく息を吐いた片割れは渋々了承してくれたのだろう。聞き分けがよろしい。満点だ。
「朝陽」と「夕陽」が私から距離を取って周囲を警戒する。流海は未だに見つけられていないようで、私はウォー・ハンマーを肩に担いだ。
「耐え忍べていませんね。夜に祈って自分を改めますか?」
声を張って「朝陽」と「夕陽」を煽っておく。眉を動かした双子は流れるように言葉を吐いた。
「どうして、」
「そんなことを?」
「知ってるからですよ、七ヶ条を」
「「そんなの嘘だ」」
「嘘なもんですか」
両手を広げた私は、二人を嘲笑いそうになるのを堪えておく。
あぁ嘉音、お前がくれた情報は、この子達の情緒を乱すには持ってこいだ。
「第一条、自己を主張してはならない。第二条、耐え忍ぶ精神を持たねばならない。第三条、親切を忘れてはならない。第四条、学び続けなければならない。第五条、愛は平等でなくてはならない。第六条、慎み深くなければならない。第七条、清い身体を維持せねばならない……でしたね、確か。あぁ、やっぱり口にするだけでも笑えてくる」
「なんで、」
「それを……!」
「
「嘘だ、そんなの嘘に決まってる」
「そんなことする人、
「ならば教えましょうか? 誰が教えてくれたのか」
私は双子に持ちかける。こちらが欲しい答えを貰う良い機会だと思って。双子が抱いた疑念を解消したくなるように。
「朝陽」と「夕陽」は一瞬視線を合わせたが、直ぐに首を横に振る。簡単には飛びついてくれないか。
「何考えてるのかな、片割れちゃん」
「私達に良いことだよ、片割れ君」
流海の問いかけに小さく答える。「朝陽」と「夕陽」の様子を観察しながら、私と流海の為になることを考えて。
私は再び、腹から言葉を吐き出した。
「そう意固地にならなくても良いのに。誰がアテナの七ヶ条を教えてくれたと思いますか? 貴方達が所属する団体を
よく言葉が届くように喋り続ける。そうすれば流海が「涙は煽るのが上手いなぁ」と褒めてくれた。それが嬉しくてハンマーを軽く回してしまう。
微かに強張った顔をする「朝陽」と「夕陽」。やはり瓜二つの顔は疑問に溢れており、それが疑念に変われば良いと願っていた。
「貴方達の中には私達と会話してくれる奴がいる。それは貴方達から見れば、裏切り者に近いのでは?」
浮かんだのは螢と嘉音の姿。螢のことは正直よく分からないが、嘉音は私と流海を、裏切り者を探す為に使いやがった。私達が欲しい情報は与えないまま。
ならば私も使ってやろう。嘉音という存在を疑念の膜で覆って、チラつかせて。
「そんな、」
「ことは、」
「無いと言い切りますか?」
双子の顔が同じように困惑の色を浮かべる。私はハンマーの頭を地面に下ろし、自分が欲しいものを得る為に問いかけた。
「教えましょうか、誰が知識をくれたのか」
「……何が望み?」
「……何を狙ってる?」
「「貴方が求めるものは、何?」」
あぁ、その言葉が欲しかった。
その返しを待ってたよ。
「――薬です」
双子の目が見開かれる。
流海が息を詰めた音もする。
私は業とらしくならないように腕時計を確認し、アテナに居られる時間はまだ十分にあると判断した。
闇雲に材料を採取し続けても埒が明かない。
流海がパナケイアから見放されたのではないかと思ってしまう私は、情報が欲しい。知識が欲しい。
「貴方達が知るアテナの薬について、情報をください」
アレスの医者が信頼できないならば、アテナの敵を頼ってみよう。
流海を治す薬を作れる情報を。あの子を救う材料の知識を。
私のヤマイは後でいい。私の状態は後回しでいいから。
私にとっての一番は流海だから、自分の手に負えない情報なんて価値はない。
私は「朝陽」と「夕陽」の刃が揺れた様を視界に入れ、その奥でクロスボウを構える片割れに笑っていた。
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