第18話 覚

 

「涙さん駄目です本当に駄目ですッ」


「止まって止まってお願い止まって!!」


「今日も元気です」


 伊吹と挨拶を交わした後、合流したのは猫先生が所属する「抑制部署」の人達と柊だった。猫先生は全身黒い服を着て少数の同僚達に指示を出し、柊に私は背負われる。彼の本日の年齢は三十九歳。体躯のいい男におぶられた血だらけの女子高生は、傍から見れば一体どんな様子だったのか。


 ――お前はぜッッたい近々死ぬ


 ――耳だこですね


 運ばれている間は懇々とお説教された。隠れて震えていたヤマイ四人は猫先生達と伊吹が面倒を見てくれるそうなので丸投げした感じだ。


 私は柊のスーツを血だらけにしながらパナケイアの第四十四支部に運び込まれ、応急手当をされて現在に至る。


 右肩は上がらないがウォー・ハンマーを持つことが出来たし、服を着替えることも出来た。本日は桜が道具室にいなかった為、戦闘服の上着は無言で取りに行った。制服が血だらけだったので今日の道具室担当の人達は顔面蒼白だったが、止められなかったので良しとする。


 ――あ、あの……?


 ――はじめまして、空穂涙と申します。アテナに行ってきます


 ――い、いってらっしゃいませ……


 彼らは理解できないような顔をしていたが、止められることも無かったので甘えておく。はじめまして。こんな奴なので今後も放置して頂けたら助かります。


 残念なのは、転移室に入る途中で朝凪と竜胆に会った事だ。


 正しく言えば待ち構えられていた。


 制服姿で転移室前を陣取る二人は、アルアミラと帽子を手に持つ私を何とも言えない顔で見つめている。鞄も足元に置いてるし。荷物くらいロッカーに置いてくればいいものを。


 そして冒頭に至ったわけだ。


 私はアルアミラと帽子を竜胆に奪われ、ペストマスクを朝凪に取り上げられた。どうして二人とも邪魔するかな。


「とても元気なので問題ないのですけれども」


「涙さん、今日はアテナから来た戦闘員を相手しましたよね? 怪我しましたよね? すっごく怪我をしましたよね!?」


「かすり傷ですね」


「空穂さん本当に待ってダメダメダメ今日は安静!!」


「えぇ……と言うか、情報回るの早くないですか?」


「私達だって実働部隊ワイルドハントの一員なんです!!」


「イヤホンで一部始終聞いてたんだから! こっちの心労も考えてくれる!?」


 顔を真っ赤にして叫ぶ二人を見つめる。それもそうか。実働部隊ワイルドハントなんだからワイヤレスイヤホンは常備しているよな。ちょうど何処の学校も終わるような時間帯だったし。


 私は首を傾けながら窓の外を見る。日が沈むのも早くなり、空は濃いオレンジ色から紫を混ぜて、深い青へと変わり始めていた。


 今日も材料を三種類集めてプラセボを作ってもらおう。そうすればメディシンが出来上がって、一部を流海に回せるよ。そこそこ数も集められ始めたから、大丈夫。


 柘榴先生から一つのプラセボからは十個のメディシンが出来ると教えてもらえた。その内いくつを譲ってもらえるかは柘榴先生も教えてもらってないと憤慨していたが、私が沢山の材料を集めれば、それだけ多くのメディシンを流海にあげられる。


 明確な量が分からないならば、出来うる限り多くの材料を集めればいい。単純だ。


 だから私はアテナに行き続けたいし、アレスに来る戦闘員に対応した功績も狙っている。邪魔はしないでほしいものだ。


「……なにやってんだ? 永愛も朝凪も」


「朔夜君! 止めて! 空穂さん止めてッ」


「怪我してるのにアテナに行く気なの! ほんと、なんで、もう!!」


「あ、伊吹。ヤマイ四人の対応ありがとうございました」


 道具室の方からやって来たのは白い衣装に身を包んだ伊吹。彼は眉間に若干の皺を寄せながら声をかけてきたので、私は任せた対応についてお礼を述べておいた。


「あぁ、別に。基本的に動いてくれたのは抑制部署の人達だしな」


「そうでしたか」


 猫先生にも帰ったらお礼を伝えておこう。そうしよう。


 ぼんやりと考える私と同様に、伊吹は気のない返事をして見下ろしてくる。私の両腕はそれぞれ朝凪と竜胆にホールドされており、そろそろ振りほどこうかと思い始めていた。


「朔夜君も何か言ってよぉ~……」


「あー……今日は止めた方がいいんじゃねぇの」


「嫌です」


「嫌だってよ」


「朔夜君ッ」


 伊吹はどうやら話が分かる奴らしい。私は頷きながら朝凪と竜胆の腕を外そうとしたが、二人の力は思った以上に強かった。


 流石にため息が出てくる。隠しもせずに息を吐けば「ため息を吐きたいのはこっちです」と朝凪に怒られた。申し訳ないね。


「涙!!」


「柘榴先生……」


 伊吹の次は血相を変えた柘榴先生が走ってくる。今日もこめかみを押し潰されるのだろうかと予想した。あれは地味に頭に響くのだが。


 しかし。


 息を切らした柘榴先生の目にはなみだの膜が張り、予想していなかった言葉が飛び込んで来た。


ッ――!!」


 ――雷で撃たれた。


 そんな比喩が正しい衝撃を私は受ける。


 竜胆と朝凪の腕を振りほどき、柘榴先生の横を通り過ぎ、全速力で階段を駆け下りた。


 廊下を走って、走って、これでもかと走り切って。


 心臓が震えた。


 喉が締め付けられた。


 視界が狭まる感覚もして、奥歯を食いしばると顎が震えた。


 廊下の角を転びそうになる勢いで曲がり、流海の病室の前に着く。


 閉め切られた扉。


 窓越しに見える室内。


 そこには白衣を着た医者や研究者達が集まっていた。


 彼らが見る場所。


 彼らが囲むベッドの上。


 そこでは流海が――起き上がっていた。


 笑顔の奴らに囲まれた片割れ。


 眉を下げて微笑んでいる弟。


 流海、流海、るか……。


 マジックミラーの窓だから、きっと私には気づいていない。それもそうだ。外からの視線が沢山あれば安静だなんて程遠い。


 私は流海を見つめた。


 採血されて、何かを話し、どこか疲れたように微笑む流海を。


 見つめて、見つめて、見つめて。


 真っ白い病室の中で目覚めている流海を――見つめ続けた。


「涙さん!」


「流海君が起きた、って……」


 朝凪と竜胆が駆け寄ってくる。それでも私は流海から目を逸らさない。


「お前ら、流石に荷物置きっぱなしは不用心だと思うぞ」


 律儀に朝凪と竜胆の学生鞄を伊吹は持ってきたのだろう。視界の端になんとなく映った光景は、私の意識を奪えないが。


「……涙」


 柘榴先生が柔く背中を撫でてくれる。


 私は流海を見ていた。


 笑っている片割れを凝視し続けた。


 それなのに、何故だろう。


 見ていたい姿が滲んで、ぼやけて、時々鮮明に戻るけど、やっぱりぼやけて、滲みを繰り返す。


「涙さん……」


「……良かったね」


 朝凪の声がする。竜胆の声もする。


 私はそれに反応せず、ただ黙って片割れの姿を見つめた。


 ウォー・ハンマーを握り締めて、研究員に囲まれる流海を見つめて。


「……邪魔だ」


 研究員が流海の腕に注射針を打つ。これで一体何回目か。


「退けよ」


 流海の眉間に皺が寄る。


 周りを笑顔で固められて、囲まれて、観察されて。


「退け」


 私は奥歯を噛み締めて、流海を立たせようとした笑顔の研究員達に――堪忍袋の緒が切れた。


「触るな」


 朝凪からペストマスクをむしり取る。


 彼女や柘榴先生の声が聞こえたが関係ない。


 ペストマスクをつけた私は勢いよく病室の扉を開け放ち、私に向いた研究員達の笑顔を見つめた。


「巻き込み事故には――ご注意ください」


 部屋にあった照明器具が全て飛散する。研究員達が持っていた機材もショートし、軽い爆発を起こす。


 私は硝子を被り、爆発を受けながらもベッドに近づいた。慌てて避難する研究員達には見向きもせずに。


 肩に照明器具本体の破片が当たった。関係ない。


 注射が飛んでくるだなんておかしな事故だな。関係ない。


 流海の近くにあった機材が放電している。それは関係なくないから。


 私は上着を広げて流海に覆いかぶさり、爆発した機材の衝撃を一心に受け止めた。


 部屋の中の空気が煙たくなる。


 私はベッドに右膝を乗せて、座ったままの流海を見下ろした。


 無表情の片割れがそこにいる。


 眠っていない。瞼が閉じていない。私と同じ黒い目で、こちらを見つめてくれている。


 流海は白く細い腕で、ペストマスクのくちばしを撫でた。


「――涙」


 流海が呼んでくれる。


 流海が私を呼んでくれる。


 いつも通りの声で、いつも通りの口調で、私の名前を呼んでくれる。


 それがどうしようもない程に嬉しいから、私の視界は再び滲んで、ほどけるのだ。


「涙、おはよう」


「……おそようだよ、流海」


「そっか、ごめんね」


「こっちこそごめん。流海が目覚める時、傍に居なくて……本当にごめん」


「こうして割って入ってくれたから許すよ。ありがとう」


 流海の両手がマスク越しに私の頬を挟む。片割れの腕は優しく引き寄せる動きをするから、私は抵抗することなく膝から力を抜いた。


 流海にしなだれかかる。体重をかけて、背中に腕を回し、縋りついて息をする。


 背中に回された腕がある。それは私と同じように縋りついて固く抱き締めてくるから、私はこのまま窒息しても良いと本気で思った。


「よかった、こうしてまた涙とハグできた」


「あぁ、待ってたよ。待ってた。日がな一日流海のことばっかり考えて、待ってたんだ」


「待ってくれてる間に、ずいぶん変わっちゃったみたいだけど」


 流海がペストマスクに額を寄せる。マスク越しに見る片割れはどこか遠いと感じたから、私はマスクを外すのだ。


 口角を上げて流海を見る。ペストマスクは膝に下ろして、少しだけ鼻を啜って。


 無表情の流海は私の鼻先を指で軽く叩き、目を伏せながら額を合わせてくれた。


 だから私も目を閉じて、流海の頬に手を添える。そこにいると知っていて、目の前に片割れがいることに体を満たされながら。


 体の中心に開いていた穴が塞がっていく感覚。


 じわりじわりと流海の存在が戻って来て、私の穴を埋めてくれる。塞いでくれる。無かったことにしてくれる。


 暗闇に光が射したわけではない。暗闇の中に流海が飛び込んできてくれた。現れてくれた。それだけで私は安心して、流海と手を繋いで、寄り添って腰を下ろせるのだ。


 光なんて無くていい。お互いがあればそれでいい。


 流海は私の髪に指先を埋めて、少しだけ明るい声で言ってくれた。


「教えて、涙。僕が寝ていた時のこと全部。僕が眠り続けた原因は? 涙のその恰好はどうしたの? どうしてハンマーなんか持ってるのかも聞きたいし、廊下にいる人達のことも気がかりだ」


「話さなくていいことが結構混ざってると思うけど」


「いやだよ、全部教えて。僕がいない間に涙が経験した全部を、僕は知りたい」


 ねだるように「ね?」と念を押される。私は少し口を結んだが、口角は努めて上げ続けた。


 何も知らずにいればいいものを。それでも、私が流海の立場なら同じことを言う自信がある。


 だから私は流海の頬を遊ぶように挟み、笑い続けた。


 * * *


「解せないんですけど」


「……いや、お前おかしいだろ」


 流海が起きた今、私は流海に今までの状況を説明し、隣から決して離れず、何も心配はいらないと伝えている――筈だったのに。


 私は定期健診で着せられる拘束衣を身に纏い、訓練室の端っこに座らされていた。足を椅子に括りつけられ、袖は背中側で留められている。私を拘束したのはパナケイアの研究員共だ。


 ――離せ、おいッ!!


 ――これより彼は検査を行います。貴方はそれまで行動を制限させていただきます


 敬語が弾け飛んだ私は、多数の研究員に拘束されてこのザマである。


 私の真正面にはなぜか伊吹が座っており、彼は白い衣装のまま腕を組んでいた。


「私は何もおかしくないし、悪くないです」


「お前の弟は昏睡状態だったろ? 一週間以上。そりゃ起きたら検査もするし、研究員達に取り囲まれるのは普通だろ」


「昏睡から起きたにしても医者より研究員の方が多いってどういうことですか。採血を十本以上する意味が分かりませんし、起きて直ぐに立ち上がらせて連行するのも理解できない。本当に解せない。だからあの場に流海をいさせたくありませんでした」


 抗議の意を込めて椅子を揺らす。伊吹には「落ち着けよ」と肩を叩かれ、私は奥歯を噛み締めた。


「流海は物ではありません。実験動物でもありません」


 こめかみに青筋が浮かんだ気がする。私は出来る事ならば今すぐに立ち上がり、自分を取り押さえて拘束衣を着せた研究員達を殴り飛ばし、流海をどこかに隔離して検査している奴らを蹴り潰したかった。


 ――それは何の検査ですか


 ――毒の進行度の検査です


 ――それは流海の為ですか


 ――今後の研究の為です


 あの時ハンマーを振り回せばよかったのか。ストッパーになったのは一重に実働部隊ワイルドハントに居られなくなるかもしれないと言う考えだけだ。


 朝凪や竜胆も強制的に退場させられたし、抗議した柘榴先生も黙らされたし。


 私は額が熱くなる感覚に余計苛立ち、揺れそうな膝を見下ろした。


「流海の為の検査ならば我慢します。それでも、あれは流海の為ではない。ヘルスの為の検査です。あの子は道具じゃない、消耗品でもない。あの子は――人間です」


 肩に置かれた伊吹の手が微かに震える。それから指で肩を軽く揺すられるから、私は顔を上げたのだ。


 灰色の双眼が私を見下ろしている。かと思えば彼はしゃがみ、私の顔を覗き込むような体勢になった。


 私もそれに合わせて首を動かす。伊吹は私の膝に手を移動させると、言い聞かせるように事実を並べた。


「パナケイアはヘルスの為の研究所だ。ヤマイを研究することでヘルスの安全を守ろうとしてる。だからお前の弟の体がどの程度アテナの毒を吸って、どのくらい症状が進行しているか確かめたかったんだろうよ」


「それが私は許せないんです」


 ヘルスの為。ヘルスの為。全ては何も患っていないヘルスの為。


 プラセボがあれば私達ヤマイが暴れ始めても鎮静させられる。


 メディシンがあれば私達ヤマイを緩和して抑え込むことができる。


 ヤマイについて研究すれば、いつか私達ヤマイを治すことができるかもしれない。


 それは全てヘルスの為。ヘルスが危なくないように、傷つかないように、怯えないように。元である私達ヤマイを落ち着かせていればその安全が保たれるからとッ


 ――北区四ブロック目にてアテナの戦闘員を確認。実働部隊ワイルドハントは至急行動を。相手戦闘員は三名、ヤマイは現在路地裏を逃走中。決して無いように


 今日の命令だってそうだった。優先されたのは追われていたヤマイの安全ではなく、何も知らないヘルスの安全だ。


 私達は、人ではない。


 私達は実験動物で、汚染物質で――化け物なんだ。


 だからこそ、私は流海以外なんてどうでもよくて仕方がない。


「流海は何も、悪い事なんてしてない」


 伊吹は私の膝を軽く叩く。隈のある目を見つめられない私は俯き、伊吹は私の前髪を上げてきた。灰色の髪と瞳がよく見えるようになる。


「アテナのペストマスクを助けたんだってな」


 前髪を掻き乱される。小さい子にするような動作に背中を震わせれば、今度は髪を整えるように撫でられた。


「……誰から聞いたんですか」


「皇さん。馬鹿なことした双子のヤマイがいたって愚痴られたよ」


 怒りが溢れそうになる。


 皇はどこまで私の神経を逆なですれば済むのかと思うが、伊吹に両膝を叩かれて落ち着かざるを得なかった。


「でも……そうだよな。お前らは悪い事、してねぇよな」


 立ち上がる伊吹が私の頭をまた撫でる。乱れた前髪の間から見上げた彼は、目を細めていた。何を考えているか分からない顔だ。


 私は夕暮れの路地裏を思い出す。


「あのペストマスクが死にたがっていたり、流海が助けたくないと言えば私は助けませんでした。生きたがっていて、流海も賛成したから手を出した。悪いことはしていませんが、私達は善人だったと言うこともしません」


「それでもお前達は悪い奴ではねぇだろうよ」


 伊吹が親指で私の額を撫でる。コイツの触り方は苦手だ。今日会ったばかりの相手だがやけに距離が近い。それでいて私の方が大分幼く見られている気がする。


 私は眉間に皺を寄せ、白い衣装を着ている伊吹に話題を振った。


「アテナに行かなくて良いんですか」


「連勤しすぎて葉介に止められた。本当は、ここでお前の面倒みるように言われてたのは葉介だったんだけどな。俺が監視すればアテナには行けねぇだろって押し付けられた」


「へぇ」


 流石はワーカーホリック。パナケイアに止められなくても柊が止めたのか。アイツは仕事が出来る分、気を配らないといけない範囲が広いものだ。


 私は息を吐き、伊吹は頭を撫で続ける。


 それからどれくらい頭を撫でられ続けたのか。不意に訓練室の扉が開き、入って来た朝凪と竜胆に抱き締められた。椅子が倒れなくて良かったよ。


「ごめんなさい涙さん、流海さんの検査ぜんぜん止められなくて……ッ」


「俺達力不足だったよぉ……!」


「あぁ……いや、はい……お心遣い痛み入ります」


 怒っているのか泣いているのか、感情が大変なことになっている朝凪と竜胆を見る。伊吹は息を吐いており、私が思い浮かべるのは流海の姿だけだった。

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