第17話 交

 

 どうやらペストマスク達は、アテナとアレスで武器を変えているらしい。


 いや、もしくはアレスに来る奴とアテナで守る奴はまた別部隊なのだろうか。


 考えても答えは出ないか。疲れるからやめよう。


 私は路地裏で、鉄パイプを振り回しながら黒いペストマスク達を相手にしていた。


 相手は三人。同じような背丈の奴が二人と、一人抜きんでて背が高い奴が一人。顔は見えないし喋りもしないから性別判断は出来ないが、全員武器は小さなものだった。


 背丈の似た二人が持っているのは変わった短刀に見える。刃が長い四角垂的な代物。なんだったっけな。似た武器を柊が言っていたが名前を忘れた。ペーパーナイフに似たやつだ。もういいや。


 高身長の奴が持っているのは柄にリングの部分が付いた短剣。あれは知ってる。リングダガーだ。


 私は三人を観察する。路地裏のゴミ箱を倒して道を悪くし、適当なゴミ袋を蹴り上げて壁にしながら。


 後ろの路地には四人のヤマイがいる。だからこれ以上後ろに行く気はないし相手を来させる気もない。


 壁を蹴ったペーパーナイフの二人がこちらに向かってくる。その間に背が高い奴が真っすぐ突撃してきた為、私は近くのゴミ袋を掴み上げた。


 よく見ろ。よく理解しろ。よく観察しろ。


 相手はそれぞれ何処に向かう。それは後ろのヤマイ達の元だと決まっているし、なんなら私だって殺されるかもしれない。


 いや、殺す気で来ているんだろうな。殺気は何となく分かる。


 分かるけど――思っていたよりはと言う感じだ。


 ゴミ袋を投げることで、壁を蹴った二人の進行を邪魔する。その間にリングダガーを持った奴の頭に鉄パイプを叩き落とせば、お返しと言わんばかりに右腕が切り裂かれた。


 赤が飛ぶ。鉄の匂いがする。


 制服が破れたではないか。弁償しろよ。


 散らばったゴミに足を取られた二人を横目に、もう一歩を踏み込む。長身の男は息を詰めながらもリングダガーを叩き落としてくるから、私は鉄パイプとを捨てた。


 右肩を抉る刃に顔をしかめる。痛みは頭を突き抜けて気分が悪くなり、肩から足先にかけて鋭い感覚が駆け抜けた。


 それでも考えろよ。この痛みよりも、学校の窓から落下して骨を砕いた時の方が痛かった。


 流海がいなくなった時の方が痛かった。


 だからこれは痛くない。


 私は左手でペストマスクの首を掴む。アルアミラのような物をしていても首を掴めた感触はあり、黒いくちばしが確かに揺れた。


 リングダガーをより右肩に押し込まれる。やめろよ鬱陶しい。


 苛立った私はペストマスクに膝蹴りを入れる。それは綺麗に相手の鳩尾みぞおちに入り込み、深くせる声がした。


 揺れたペストマスクの足を払う。膝をついた相手の首に手を這わせて後ろに回り込めば、簡単にマスクの縁に指をかけることが出来た。


 私達と同じようにマスクをしていると言う事は、お前達にとってアレスの空気は毒なのだろ。


 指をかけてペストマスクを剥がそうとしてみる。そうすれば相手は抵抗したから、私は黒い足首を踏みにじった。


「動かないでください。マスク剥がれたいんですか?」


 私はペストマスクの顎部分に指をかけている。それだけで残り二人も動くことを躊躇ためらい、目の前の戦闘員は私の手首を掴んできた。


「触らないでくれるかな。ヤマイに触られるだなんて、最悪の気分だ」


 喋った相手の声を聞き、自分が今マスクを剥ごうとしている相手を知る。


 私は首を静かに傾けて、ペストマスクにかけた指先に力を入れた。


「ヤマイは病原菌とでも言いたげですね――「嘉音」さん」


 目の前に跪く男――「嘉音」の肩が揺れる。手首を掴む力は強まり、私の右肩と二の腕からは血が流れ続けた。


 今リングダガーを抜いたら出血が酷くなるだろうな。制服が赤黒くなって最低だ。明日から体操服の上着でも羽織って登校するか。と言うか高二の秋に制服を買い直す行為が凄く面倒だ。


「ヤマイは害悪だよ。世界を汚し、腐らせ、駄目にする元凶。君もその一人なら自覚したらどうだい――涙さん」


 今度は私の名前が呼ばれる。それには少し驚いたが、アテナで朝凪や竜胆が散々名前を叫んでいたと思い出した。そりゃバレるか。いや、でもあのハンマーを持った奴が私だと判断する基準がどこにあるんだ? 


「よく分かりましたね。どこでバレたのでしょう」


「殴り方や動きがそのままだったよ。だからマスクをしていようがいまいが分かるね」


「へぇ」


 癖と言うものか。成程な。自分の殴り癖など知らないが、傍から見たら分かりやすいと知った。


「「嘉音さんを離して」」


 背丈が同じ奴らがナイフを構える。その声にも私は聞き覚えがあり、ゆっくりと瞬きをした。


 私が初めてアテナに行った日。クレセントアックスを持っていた一卵性の双子だ。


 ペストマスクと黒い衣装でどちらが骨を折った方かは判断できないが、どちらでも構わないか。


「貴方達もお会いしたことがありますね。どちらが髪の跳ねていない方かは分かりませんが、回復されたようでなにより。あばらは何本折れていましたか?」


 若干煽りを入れておく。そうすれば向かって右側の奴の肩が震え、怒鳴り声が返された。


「お前ッ!」


「いいよ朝陽あさひ、僕は平気」


「でも!」


 怒鳴った方が竜胆に足止めされていた方か。「朝陽」、「朝陽」ね。名前らしきものを覚えたよ。


 静かだった方が骨を折った方だとも理解。双子だから何て名前だろう。「朝陽」ならば「夕陽ゆうひ」かな。なんでもいいけど。自己紹介されてないし、される予定は無いし。確かなフルネームを知る機会もないだろうから「嘉音」や「朝陽」で十分だ。


「皆さんの声は良く聞こえますね。私達のペストマスクとは作りが違うんでしょうか。是非教えて欲しいところです」


「教える訳ないじゃん」


「貴方は僕達が殺すから」


「「知った所で無意味でしょ」」


「殺す殺すと軽いですね。ならばさっさと殺せばいいのに」


 業とらしくため息を吐いておく。見る限り双子は私より年下だろうな。言動的にもこの三人の指示役は「嘉音」だ。


 だから私は「嘉音」のマスクを少し外そうと指に力を込め、そうするだけで二人は動けなくなった。


 お優しいね。お優しい。とても甘くて幼くて、お優しい。


「朝陽、夕陽ゆうひ、俺はいいから向こうの四人を殺そう。少しずつでも世界を浄化していくべきだ」


 私の手首を「嘉音」が握り締める。そのおかげで私が骨を折った方の名前は「夕陽」だと判明した。予想が当たるとは面白い。双子につける名前なんて対にしたり似たものにしたり、アテナだろうとアレスだろうと変わらないな。


 予想が的中した感覚とは裏腹に、少しだけ額が熱くなる気がする。「嘉音」の台詞は聞き捨てならず、私の胃の中に気持ち悪さが蔓延し始めた。


「私達は病原体ではないんです。世界を汚染している訳でも、好きでヤマイになった訳でもありません」


「自分が望んだか否かなんて関係ない。。それだけで君達は死ぬ対象だ」


「差別ですね」


「線引きだよ」


 右手の甲を血液が伝う。指先を辿って地面に滴るそれは、私が気にするよりも量が多そうだ。


 しかしまだ出血多量には程遠い。だから耐えることが出来る。痛さなんて忘れてしまった。


 私は額の熱さに目を細めて、ヤマイを害悪だと称した「嘉音」の仮面を剥ぎ取りたい衝動に駆られた。


 剥いでも良いかな、剥いでも良いよな、だってコイツはヤマイを殺そうとしているんだ。私達の敵だ。私の敵だ。流海の敵だ。


 だから殺す、殺そう、苦しみ悶えて死ねばいい。


 だから、だから、だから、私はこの指に力を込めれば事足りるから。


 ――涙はどんな人になりたい?


 剥ぎかけた腕を止める思い出がある。


 私の中にこびりついて、剥がれなくて、色褪せない思い出がある。


 脳裏に浮かんだ人の笑顔は、私のせいで赤く弾け飛んだ。


 それは私のせいだ。私のヤマイのせいだ。私の存在のせいだ。


 ――おかあさんみたいな、やさしい人になりたい


 無邪気だった。無垢だった。夢に憧れた。


 温かい手を握れば、握り返してもらえるのが嬉しくて。尊い日々が愛しくて。笑ってもらえることが私と流海にとっては当たり前で。


 そんな日々は、私のせいで無くなった。


「ならば、私を最初に殺してくださいよ。私の体全部を斬りつけて、血だらけにして、目を見つめて「死ね」と言ってください。「お前は生きるに値しない」とののしってください。「生まれて来なければよかった」となじってください。体を殺すなら、心も一緒に殺してください」


 伝えれば「嘉音」からの返事は無い。「朝陽」と「夕陽」も構えを取ったまま口を開かず、私は首を反対側に傾げてみた。


 こうして無駄話をするのは好きではない。それでも今は喋っていた方が良さそうだ。中身のない会話でもいい。何の実りもなくていい。


 先程からぼんやりと聞こえているイヤホン越しの会話がある以上、私はコイツらを足止めするべきだろうから。


「お嬢さーん、どうした死んだ?」


しきみさんそれ言っちゃ駄目! きっと今頑張ってるの! だから応援! 頑張れ涙ちゃん!」


 どうやら私が何も応答しないから死んだものだと思ってやがるな、皇の奴。声だけで私を苛立たせるだなんてやるではないか。あの額をもう一回殴りたくなってきた。


 そしてなつめよ、「ちゃん」付けで呼ばれる耐性が私にはないので止めてくれ。自分に似合わなさ過ぎて鳥肌が立つ。皇の「お嬢さん」もそうだけど。


 自分の頭に上っている血は、ゆっくりと右肩から溢れ出ている気がする。上って、下りて、垂れ流されて、私から離れていく。


 そうしていれば、私のぼんやりとした耳は一人の男の声を聞いた。


「――着いた」


 ヤマイの四人が隠れている路地から飛び出し、「朝陽」の側頭部に蹴りを入れる男。


 灰色の柔らかい髪と、同じ灰色の瞳。制服は北区の男子校のものを着ており、私は動きかけた「嘉音」の足首に体重をかけた。


 蹴られた「朝陽」は直ぐに体勢を立て直し、「夕陽」と共に距離を取る。息を整えている灰色の男は、皇の言葉によって特定された。


「お、朔夜さくやもしかして間に合った感じ?」


「間に合ってますよ。なんか、新人が足止めしてくれてたみたいなんで」


「良かった良かった! 涙ちゃん無事で何よりだよ! ごめんね任せちゃって!」


 棗に褒められるがどうにも返事に困る。と言うか、左手は「嘉音」のマスクを掴み、右肩は刺されているので返事が出来ない。スルーでいいか。いいな。スルーしよう。


 肩で深く息をした灰色――伊吹いぶき朔夜さくやは私に視線を向けて、代わりに応えてくれた。


「あんまり無事でもないみたいだぞ」


「うっそ! 涙ちゃん! 涙ちゃん!?」


 悪いが棗、私は応える気力がない。


 右手は重たくなる一方だし、日は沈んで来たし。今日もアテナに行きたいんだけど。


 さっさと「嘉音」達がいなくならないと、こちらもどうしようもない。


 帰ってくれるかな。殺さないといけないかな。殺すとはどんな気分だろう。


 いや、どんな気分かは知ってる。


 最低で、最悪で、呼吸が震えて、指がかじかんで、これは夢だと頭の中で叫び散らして。


 目の前に、二度と動かない「人」がいるのだ。


 それはただの肉塊ではない。それは血と肉の塊ではない。


 数分前まで息をして、意思があり、表情があり、生きていた人なのだ。


 だから、殺すなんて言葉を多用してはいけない。簡単に殺せてなるものか。


 殺して付き纏うのは後悔しかない。絶望しかない。夢も希望も打ち砕かれる。


 だから私は「嘉音」のペストマスクから指を離し、自分の右肩からリングダガーを抜いた。


 血が溢れ出る。生暖かくて気持ち悪い。空気に触れる傷が引きつり、指先が痙攣した。


「お前なに、ッ」


 伊吹が何か言いかける。


 それより先に振り返った「嘉音」を見た。


 立ち上がって、後退して。


 素早い「嘉音」の動きについていけた私の体は、深く一歩を踏み出した。


「きっと痛いですよ」


 リングダガーを振り抜き、「嘉音」の鎖骨下を真一文字に斬り裂く。そうすれば血飛沫が飛び散った。


 瞬間、私は背後から「朝陽」と「夕陽」に刺されていた。


 肩甲骨の下側に鋭い痛みが走り、これがもう少しズレていたら致命傷だったと悟る。


 凄いな、人間は細いナイフ一つに突かれるだけでも致命傷だ。


 なんて脆い、なんて儚い、なんてか弱い。それが人か。


 私は膝を地面に着く前にもう一歩を踏み出し、「嘉音」の胸の中で言葉を吐いた。


「帰ってください。そうしないと貴方は死ぬし、後ろの二人の心にも傷が残る」


 リングダガーを回して「嘉音」の腹部に当てる。そうすれば背中から「朝陽」と「夕陽」のナイフが抜かれ、私は眩暈を覚えたのだ。


「嘉音さんからッ」


「離れろッ!!」


「いいや、離れるのはお前らだ」


 灰色の髪が視界を過ぎて、後ろからを感じる。


 私はそれでも振り返らず、「嘉音」は私の右肩に爪を立てた。


「待ってなよ――君は俺が殺すから」


 そう言って後退した「嘉音」は、私の左手からリングダガーをむしり取った。


「朝陽! 夕陽! 今日は戻るよ!」


「でも任務が!」


「今は嘉音さんが優先!」


 どうやら三人の意見は直ぐに揃ったらしい。「嘉音」は上着から砂時計を取り出して逆さにする。白い縁に金の砂が流れるそれを見て、私は再び苛立ちを覚えていた。


 砂のように消える「嘉音」を見つめる。


 私の頬を冷や汗が流れたが、言われっぱなしも癪だから。


 私は右肩を押さえて――笑ってやった。


「他の人に目移りしちゃ、嫌ですよ」


 私の元に来ればいい。私を殺しにくればいい。


 私は殺意を恐れない。私は殺意を感じられない。


 きっとどこかが壊れているから。私はきっと「変な」人だ。


 だからいつでも殺しにおいで。そうすれば、他のヤマイを追ってるお前を探さなくて済む。


 四人のように怖い思いをするヤマイが減るだろう。私はわざわざお前を追わなくていいだろう。他にも戦闘員は山ほどいるのだろうが、その一人でも自分に引き付けて「ヤマイもヘルスも巻き込まなかった」と言う功績が出来ればいい。


 そうすれば私は、流海にメディシンをプレゼント出来るから。


 撒き餌にでも囮にでも喜んでなってやろう。


 消える「嘉音」を見届けて、目の前が真っ白になる。


 軽い貧血だと思いながら壁にもたれかかれば、耳元とすぐ隣で伊吹の声が重なった。


「戦闘員三人、アテナに帰りました。俺はこのままパナケイアに行きます」


「おー、お疲れ。追われてたヤマイは無事かー?」


「全員無傷ですよ。命知らずな新人のお陰で」


「涙ちゃん頑張ったね! とっても頑張ったんだね! 花丸百点あげたいね!!」


「止めとけ棗。これは褒めちゃいけない勝ちだ」


 目の前に立つ伊吹を見上げる。灰色の猫目に見下ろされ、同色の髪は彼の顔を隠し気味に揺れていた。


 どこか気だるげで、濃いめの隈が印象的な男。見れば両手に手袋を付けており、制服の下にはタートルネックを着てやがる。まだ今の時期は早い気もするし、見える肌面積が圧倒的に少ない奴だと思った。


「はじめまして、空穂涙です」


「あぁ、はじめまして、伊吹朔夜です」


 繰り返すような挨拶を貰って首が傾く。伊吹は私を見下ろして、両手につけていた手袋を外した。


 左手の甲にある印数は――六。


 流海と一緒だ。


 思う私は、伊吹の言葉を何となく聞いていた。


「俺は「肌が触れ合った部分を凍らせる」ヤマイなんだが、どうする、その肩と背中を応急処置で凍らせるか? 多分そこら辺の細胞は死ぬだろうけど」


 そういって両手の平を擦り合わせた伊吹。手の間からは氷の粒がかき氷でも作るように零れ落ちていった。それを綺麗だと思っている私は、深く肺から息を吐く。ゆっくりと、ゆっくりと。


「お心遣いだけで結構です」

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