第16話 経

 

 二回目にアテナへと足を踏み入れた日、私はαアルファβベータを手に帰還した。γガンマは辿り着いた時点で残り三分を切っており、ほぼ呼吸が出来なかった為に諦めざるを得ないと言う。正しく言えば「三分あるから」と動こうとすれば朝凪と竜胆に取り押さえられて強制送還されたのだ。不覚。


 三日目は三種の材料を何とか手に出来るようになった。γは幹も枝も薄い黄緑色をした木の葉であり、四つ葉が密集している姿は圧巻だ。飴細工のように固いのに、触れた所から柔らかく溶けていく繊細な葉。はかないそれらを袋に詰めれば、四つ葉のクローバーを集めきったような達成感があった。


 四日目からは朝凪と竜胆を置いていくことにした。二人の顔に疲労が浮かんでいるのが見て取れるようになり、一人で動き回ってもいいだろうと思ったからだ。結果的に何とか材料を集めきることは出来たが怪我も多かった。メディシンのお陰で次の日にはマシになったが。


 ちなみに、無断で朝凪と竜胆より先にアテナへ行けば例の如く叫ばれた。「なんで!!」の悲鳴に鼓膜を突き破られることは日常になりつつある。


「なんで一人で行っちゃったんですかッ」


「そろそろ良いかなぁと思って」


「る、い、さ、ん!」


 朝凪は結構大きい声が出る子だった。私の後ろを着いて歩いては子犬のように吠えている。綺麗な顔を真っ赤にしながら怒る彼女を目の保養にしているのは内緒にしておこうか。流海の次には癒しになる。


「空穂さんは強すぎると思うよぉ」


「過大評価ありがとうございます」


 竜胆は落ち着かない動作で周囲を動き回る感じが大型犬を彷彿とさせた。蜂蜜色の垂れ目に「心配」の二文字を浮かべ、言葉を選びながら近くにいる奴。朝凪が美人な顔立ちなので、甘い顔の竜胆が隣に並んでいると目の保養力が上がりますね。


 二人が私を心配して声を掛けてくるとは知っていた。しかし私は二人と共にアテナへ行くことは無く、学校が終われば速攻でパナケイアに向かい、休憩を挟まず飛び続けた。


 体を砂にして、毒の海で再構築されて。


 五日目以降も強行的な日々を続けた。


 アテナでは「嘉音かのん」をよく見かけた。いつも薙刀のような武器を持ち、私が転移する先々で殺意を向けてくる。


 対話の時間は無かった。ただ何度も刃を交え、弾き、私は姿を眩ませた。学んだことはアテナの奴らに時間を割きすぎないことだ。


 アイツらは私達を殺したいのだろうが、こちらも律儀に相手をする必要はない。殺されそうならば逃げればいい。追いかけてきた場合にのみ足を砕けば事足りる。


 だから砕いた。追って来た少年の足を砕いた。追いついて来た少女の足を砕いた。


 ウォー・ハンマーを振り回して、振り回して、振り回して。


 追いかける君達が悪いのだと言い聞かせた。


「貴方達、最初の果樹園にもいましたね」


 足を折った少女と少年を見下ろしたのは八日目だった。


 確か少年は「空牙くうが」と呼ばれていた気がする。「嘉音」の次にはよく顔を見るのだが、使っている武器の相性が私と悪い。棘のついたメリケンのような武器。柊に聞くと「鉄拳ではないだろうか」と教えられたな。


 その折った骨と同じように、君達の信念も折れたらいいのに。


 両刃と片刃が混ぜられた剣を私に向けた少女の顔には脂汗が浮いていた。


「……どうしてヤマイを殺すんですか?」


 ハンマーで剣の刃を砕き折る。そうすれば彼女には折れた片足と、動けない「空牙」と、能力を失った鋼だけが残るから。


「私達は、ただ生きたいだけなんですけど」


 少女の目が見開かれる。私は彼女の返答を待たずしてその場を後にした。無駄話をしたものだ。ペストマスク越しなのでこちらは声を張らないといけないし。疲れる。


 林の中を駆け抜けて、矢で射られても足を止めず、斬りつけられれば殴り返した。


 そんな生活を当たり前にする中、私はアテナの奴らが漏らす殺意を本気だとは思っていなかった。


 殺意を向けられ続けると麻痺してくるのだろうか。確実に彼らは私達の息の根を止めようとしており、武器を向ける姿には微塵の躊躇もない。


 痛みを与えられるし傷つけられる場所が悪ければ死ぬだろう。理解は出来る。しかし共感が出来ない。


 朝凪や竜胆、先生達もアテナの奴らを「危険」だと称するが、私はそれを他人事のように聞くしか出来ていない。


 それは何故だろう。毎日怪我をして刃を向けられるのに、どうして私は殺意を客観視しているのか。


 私には分からない。体の中心に何かが足りていない気がする。感覚の受信部が欠落でもしたのだろうか。


 まぁ、それならそれで便利だけど。


「お前には恐怖と言うものがないのか?」


「……どういう意味でしょう」


 ハンマーの手入れの仕方を桜から教えてもらっている時。アテナに行き始めて九日目の事。ライオスの補充をしていた柊は作業の手を止めずに聞いて来た。


 彼の本日の年齢は二十九歳らしい。私が二日目にアテナへ行った日は十五歳だったし、次に会った時は五十一歳だった。


 彼がメディシンを投与しているか否かは分かりやすいものだ。実年齢との差が小さい日はメディシンを投与したのだろうし、そうでなければ投与していない。柊を判断する要素は銀髪と青い目だ。それが揃っていればどんな身体年齢でも柊葉介だと思うようにしている。


 スーツを着ている柊の声は感情が読めないものだった。


「これだけ毎日怪我をしながら材料を集めて、完治しないままアテナに行き続けて……どんな状況だろうと、お前はアテナに行かない選択をしないだろ」


「そうですね」


「それが弟の為にしても何にしても、異常だと思わないのか」


「自分を異常だと思う人なんているんでしょうか」


 ハンマーの頭にさびなどが出来ていないか確認し、緩みがないかも見る。この子とは長い付き合いになりそうだから、メンテナンスは細かく丁寧に。


 今日も無事に材料を集め終わり、いつもより怪我も少なく、手当てを受けてここにいる。朝凪と竜胆は何やら「訓練室」に籠っているとのことだ。努力できることは素敵だと思いますね。私も見習おうか。


「逆に聞きますが、私は異常に見えるのですか?」


「そうだな。普通には見えない」


「こら、失礼ですよ!」


「それは失礼しました」


 柊の返答を桜はたしなめる。柊は澄ました顔で会釈をし、私はこの二人の関係に対して質問をしなかった。


 普通に見えないと言われても苛立ちは生まれていない。まずヤマイを普通に見る奴なんているのかと言う話だ。これは一種の諦めかもしれない。


 それ以降の会話は桜との雑談になった。何が好きか、何が楽しいか、今日どんなことがあったか。


 彼女は花が咲くように言葉を並べ、笑みを浮かべないよう努力してくれた。


 優しいね。優しいから苦手だ。


 口角が緩みそうになれば桜はペストマスクで素早く顔を隠す。彼女の声は始終穏やかで、朝凪とはまた違う視点で癒しを覚えた。


「そうですわ、そろそろ備えておかなくてはいけませんね」


「ですね」


「……何にですか?」


 不意に手を止めた桜が腕を組む。顔に不安げな色を浮かべた彼女は他の道具の手入れもし始め、丁寧に答えてくれた。


「アテナから戦闘員の方が来ることにですわ。ここ最近は連日アレスからアテナへ行っていたので、向こうからの侵入はありませんでしたの。けれど、二週間以上アテナから戦闘員が送られてこないことは今までありませんでしたので……」


「へぇ」


「空穂はまだ見ていないから実感が湧かないかもしれないが、アテナの戦闘員がアレスにやって来ると言う事は、どこかのヤマイが狙われると言う事だ。だから各パナケイアの支部に在籍している実働部隊ワイルドハントは備えておかないといけない」


「材料の採取だけでなく、ヤマイを守ることも仕事でしたもんね」


 手入れ用品を机に並べてウォー・ハンマーを回す。ハンマーの重さにも慣れ、片手で回せる程度には馴染なじんできたものだ。


「いい機会だから言っておく。俺達の担当は北区、南区、西区、東区それぞれの五ブロックだ。それ以外は別のパナケイア支部の担当になる」


 頭の中に地図を思い浮かべる。我が県は東西南北それぞれ二十のブロックに分かれている筈だが、どこからどこまでの五ブロックずつなのか。謎だ。


「それって地図とか指示を貰えますか?」


「地図も指示もパナケイアに登録しているスマホの電話番号に制御室から飛ばされる。ワイヤレスのイヤホンは常備しとくと便利だぞ」


「突然の出費ですね」


「必要経費だと思っておけ」


 仕方がないので今日の帰りに買うとするか。ぼんやりと財布の中身を思い出し、家電量販店に寄ることを決める。


 ライオスの補充を終えた柊は私と桜にお茶を淹れてくれた。執事か。やめろよ気持ち悪い。礼は言うけど。


 私はお茶に口をつけ、柊は腰に手を当てて息を吐いた。


実働部隊ワイルドハントに所属している奴らでも、それぞれ目的が違う事は前話したな?」


「ですね」


「そのせいだろう。実働部隊ワイルドハントの中でも大きく二つの隊に分かれている。率先してアテナに行く者と、アレスに残ってヤマイを守る者だ」


「と、言うと?」


「朝凪と竜胆、それに空穂と、伊吹いぶき朔夜さくやと言う男が今では主にアテナに向かっている」


 伊吹。


 見たことも聞いたことも無い男の名前を頭に一応入れておく。確かに砂時計を置く棚には他の奴のもあったな、名前まで見てないし覚える気は余りないが。


 桜は両手でコップを持ち、どこか歯痒そうに口を結んでいた。彼女の手の甲では今日も印数四が目立っている。


 柊はホワイトボードを持ってくると、朝凪、伊吹、空穂、竜胆を一つの円に入れて書き記した。


「空穂達と対極に、ヤマイの保護やマッキの鎮静に率先して参加しているのがすめらぎしきみさんと椿つばきうぐいすと言う男、そしてなつめ雲雀ひばりと言う女だ」


「へぇ……皇」


「頼むからもう殴りかかってくれるなよ」


「喋らない近づかない関わらないが揃えば大丈夫かと」


「お前は……」


 呆れ顔の柊が皇、椿、棗の名前を書いて一つの円に入れる。嫌な名前を思い出したものだ。フルネームなんて知りたくもなかったよ。


 私は二つの大きな円を見比べて、思ったままに指摘した。


「どうしてアテナに行くことか、アレスにいて守ること、どちらかに分かれているんですか。どちらも実働部隊ワイルドハントの仕事では?」


「言っただろ。それぞれ所属している目的が違う。アテナに行こうがアレスで守ろうが成果を出せばメディシンの投与権利がもらえる以上、どちらに率先して参加するかは個人の自由だ。パナケイアも口を出さない」


「へぇ」


 なんとなく腑に落ちないが、そういう事になっているならば口出しはしない。どちらに参加してもメディシンの投与権利を貰えるならば、私はどちらにも参加して流海に権利を譲っていくだけだ。


 私がアテナに行く目的は、プラセボの材料を集める為。そうすれば、プラセボから出来たメディシンの一部を流海に回してもらえるから。タダ働きではなく、きちんと利を出せばパナケイアはそれに対する報酬をくれる。それにプラスして、流海の体を治す材料を探すのも大きな目的の一つである。


「アレスに来たアテナの戦闘員、私も率先して倒していいんですかね」


「構わないが、それでお前は平気なのか?」


「平気とは」


「アテナで戦うかアレスで戦うか、どちらかに注力するのは自身を守る為でもございますの」


 眉を下げた桜に視線を向ける。彼女の桜色の髪が柔らかく揺れた。その声はどこか不安げだ。


「もちろん、どちらも全力で成されることは立派な事でございます。それでも皆様どちらかに注力しているのは、どちらにも手を出し続けると体力的にも精神的にも耐えられないからですわ」


「耐えられない、ですか」


「はい。アテナに行くことは、猛毒の世界に身を投じて、目的の物を採取ないし奪取し、地の利がある相手から逃げ延びながら帰還するリスクが。アレスでヤマイを守ることは、襲われるヤマイの方を保護し、何も知らないヘルスの方にも気を配り、侵入して来られた戦闘員の方を排除するリスクが。この両方を日々こなそうとされているのは……」


 桜の視線がホワイトボードに向かう。私は彼女の視線を追い、柊が続けるようにホワイトボードを指さした。


「伊吹朔夜。立派なワーカーホリックだが、今の空穂を見ているとアイツと大差は無いだろう」


 柊の指が示した伊吹の文字。私は彼を想像することもせず、首を傾けるだけしておいた。


「私、会った事ないんですけど」


「伊吹はだいたい夜に一人でアテナへ行くからな。すれ違ってるよ」


「きっと近々お会い致しますわ! そんな気がしますもの!」


 いや、別に私は会いたくないんだけど。自分がワーカーホリックだとは思ってないし。


 気のない返事をした翌日、私がアテナへ行くようになって十日目の日。


 学校から出てパナケイアに向かおうとすると、ポケットに入れていたスマホが突如震えた。


 見れば地図が表示されていたので、鞄に入れていたワイヤレスイヤホンを耳に入れる。そうすれば勝手に電話が繋がり、事務的な声が流れ始めた。


「北区四ブロック目にてアテナの戦闘員を確認。実働部隊ワイルドハントは至急行動を。相手戦闘員は三名、ヤマイは現在路地裏を逃走中。ヘルスを巻き込むことは決して無いように」


 噂をすればなんとやら。昨日話したことは現実となり、桜と柊の予想は的中した。


 そして幸か不幸か、私の学校があるのは北区だ。


「縁があるねぇ」


 これでまた、流海の明日が貰えるならば。


 私は柄にもなく肩掛け鞄を背負い、校門を飛び出した。


 耳につけたイヤホンは相手が切り替わったのか、一瞬のノイズの後に色々な奴の声がしてくる。


「いま俺西区だわー、雲雀と鶯はー?」


 まず聞こえたのは皇の声。それだけで苛立ちが若干湧いたが、どうにも出来ないので黙って聞いた。


「私まだ学校! これから補習! でも抜ける!! 鶯は爆睡だよん!」


 弾けるような声に鼓膜を痛めそうになる。朝凪の声ではないので、恐らく今の明るい声が棗雲雀のものだろう。椿鶯は爆睡ってどういうことだ。


「お前ら学校南区だったもんな。じゃ、俺行くわ」


 皇は喜々とした声で返事をするが、彼に答える少年の声も出てきた。


「俺も行けます」


「朔夜、お前何連勤だよ。そろそろ体ぶっ壊れるぞー」


「いや、大丈夫です。俺の学校北区ですし」


 静かな声が伊吹朔夜か。ワーカーホリック君。


 私は路地裏を駆け抜けながら地図を見る。数分ごとに地図は更新され、赤い点が三つ動いていた。


 その路地で、この向きならば。


 考えながら道を駆け抜ける。人目につかない路地裏は、私と流海の大事な抜け道だ。


 走るせいで心臓が早く脈打ち始める。それでも良いかと駆け抜ければ、路地の交差地点で必死の形相のヤマイ達を見つけた。四人も追われてたのか。


 二人は恐らく中学生男子、もう一人は高校生男子で、一人はスーツを着た女性だ。全員左手には印数がある。私を見た途端、路地には裏返った悲鳴が響いた。


「た、助け、たすけてください、助けて、お願いッ」


 泣きながら女性が縋りついてくる。私は首を傾けて、「早く!!」と叫ぶ中学生達にも視線を向けた。高校生はどうすれば良いか分からないと全身の空気が言っており、逃げ出したいと足踏みする姿が表現していた。


 人助けは趣味ではないが、流海の為だ。


 私は努めてゆっくりと言葉を吐いた。


「全員静かに。叫ばずゆっくり呼吸して下さい。そのまましゃがんで息を潜めて」


「あ、あんた、あんたはッ」


「私がどうにかしますから。追っている相手についても知っています。だからこれ以上逃げないで」


 私は縋る女性を路地の壁にもたれさせる。彼女はそのまま座り込み、中学生達も急いでしゃがんだ。高校生は何とか三人を隠す位置に膝をついたが、その顔からは血の気が失せていた。


 震える彼らを暫し見つめて鞄を下ろす。


 自分の手を見たが震えておらず、呼吸は落ち着き始めていた。


 さてどうするか。私に今武器はない。


 いや、武器はそこらへんから拾えばいいのか。幸いここは路地裏だ。


 少し歩いて見つけた鉄パイプを拾う。錆びてはいるが殴れるだろう。


 そこで足音を聞き、私は暗い路地を駆けてくる三人のペストマスクを凝視した。


 イヤホンの通話ボタンを押す。皇と伊吹が何か話していたようだが、聞いていなかったので無視をした。


「ヤマイ四人を保護しました。ペストマスク三人も見つけたので相手をします」


「……おっとぉ、もしかしてこの前のお嬢さんじゃないですかねぇ」


「おりょ、はじめましての女の子だ! 女の子の声だよ!」


「はじめまして、空穂涙と申します。頑張ります」


 低くなった皇の声を半ば無視し、陽気なままでいる棗の声に挨拶しておく。


 私の目の前で止まったペストマスク達は何も喋らない。だから私も黙って鉄パイプを振り、左の手袋を捨てた。


「ほらどうぞ。貴方達が殺したい――ヤマイのご登場ですよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る