第15話 重

 

「では、行ってきます」


「こらこらこら待ちなさい!!」


 次の日。私が転移室に入る所で柘榴先生と猫先生に掴まった。それはそれは物凄い勢いで掴まった。駆けてきた来た二人には昨晩、アテナに行かねばならぬ理由を説明し続けたんだがな。


 私は修繕された白い上着とアルアミラを被り、ペストマスクも帽子も既に装着済みである。左手にウォー・ハンマーを持ち、腰の後ろには白いナイフを。なんと、後は砂時計を逆さにすればアテナに行くことが出来るんですよ。素敵ですね。


「涙、誰がアテナに行って良いだなんて言った?」


「誰も良いとは言われていませんが、パナケイアの職員で止めているのは柘榴先生と猫先生だけですし。止める票二つだけに対して残り無関心ならば行って良いになるのではと」


「どうして関心を持った止める票に従わないかな、君って子はッ」


 柘榴先生に帽子やマスク、アルアミラを剥ぎ取られる。追い剥ぎにあった気分だ。それが無いとアテナに行って呼吸も出来ず毛根が死ぬらしいのですが。


 猫先生は盛大なため息を吐いて転移室の扉を閉めやがった。なんてことだ。


 私はそのまま〈道具室〉と掲げられた扉の前まで戻され、柘榴先生はインターホンを押さずに入室した。


「桜と柊はいるかい? 急用なんだが」


「はい、こちらに!」


「いますよ」


 バインダーを持って仕事をしていた柊と、作業台の前で勢いよく挙手をした桜。二人はこれで通算三日連続出勤をしている訳だが、休憩は取れているのだろうかと少し思う。その言葉は全く持って私にブーメランとして戻って来るので聞けはしないのだが。


 私の容態を桜も柊から聞いていたのだろう。道具を取りに来た時は戸惑う様子を見せたが、決めていた通りお茶菓子を差し出して頭を下げれば渋々渡してくれた。


 一日で直してくれるだなんて道具室担当の方々は優秀だ。助かる。皆さんでお食べ下さい。今後もきっとお世話になるかと思いますので前金です。


 眼鏡のブリッジを上げた柊の空気が「だから言っただろ」と訴えている気がする。気がするだけなので気の所為だろうけど。こいつは先程もいたし、道具を受け取った時は頭がおかしい奴を見る目をされたな。ちなみに今日は十五歳らしい。


 ――お前は自殺願望でもあるのか?


 ――流海が死ぬまでは生きる予定なんですけど


 私は柘榴先生と猫先生に取り押さえられたまま椅子に座らされる。後ろから猫先生に肩を押されていると動けないんだよな。この人は体躯がとてもいいので。


 右肩にはまだ引き攣るような違和感があるが、それは口が裂けても伝えられない。絶対にアテナに行かせてもらえなくなる。左肩は可動しているのだから問題ないと思うんだよ。


「桜、柊、この子を今日はまだアテナに行かせたくないんだ。拘束具はないかい?」


「いやいや待ってください柘榴先生」


 桜と柊に詰め寄る柘榴先生。白衣を揺らす彼女の声には凄みがあり、壁際に追い詰められたバイト二人は冷や汗をかいていた。なんて可哀想なんだ。


 振り向いた柘榴先生の眉間には皺が刻まれている。私は静かに足をバタつかせた。


「私はもう行けます。行けるんです。行かせてください」


「許可できないね」


「柘榴先生お願いします」


「駄目だ」


「……猫先生」


「霧崎に同意だな、俺は」


「へぇ……」


 満足したように頷く柘榴先生と、息を吐く猫先生。二人的には全治三週間の怪我をした私がアテナへ行くことは怖いのだろう。しかし三週間の怪我なんて結構な頻度でする。それでも私は学校に行くし可能になれば直ぐに体育に参加するのだ。それと一緒だ。アテナに行くのは少し運動量と危険度が増えるだけである。


 私に休む気は毛頭ない。今日こそは材料をきちんと揃えてこようと心に決めている。だから邪魔されるのは苛立ってしまうのだが。


 もちろん猫先生や柘榴先生の気持ちは分かる。怪我をしている保護対象の子どもが危険な場所へ行こうとしていたら止めたくなるだろう。大人として。


 しかし私はメディシンを諦めない。流海の為になることならば何でもする。だから二人が私の行動を邪魔するならば、こちらにも考えがあると言うものだ。


 つまりは拘束される前にこの場を抜け出し、ペストマスク等を奪還してから転移すればいいのだろう。


 そうと決まれば話は早い。


 私は腰の位置を前にずらし、猫先生が押さえる肩の位置も下へずらす。そうすれば彼の体重が少し不安定になるから、私は勢いよく椅子から下りた。一瞬だけ転びそうになったが、膝を曲げて体重を前にかければ尻もちをつかずに済む。良い事だね。


 猫先生は前傾に椅子ごと倒れ込み、道具室には慌ただしい音が響いた。


「涙!」


 柘榴先生の声を聞きながら猫先生の手をかわす。このまま転移室へ走ろうかと考えたが、ふと朝凪の台詞を思い出した。


 ――辿り着くのは前回帰還した地点からです


 そして次に思い出したのは、初めて出会った双子の少年達。三日月斧を使う彼らだ。


 ――おぼろさんの予想、どんぴしゃだったね


 ――だね、頑張って駆除しよう


 朝凪達が現れる地点に、たまたま双子が居合わせたとは考えにくい。それはどんな確率だという話になる。考えられるのは、私達が現れる地点が概ね予想されていたことだ。


 それは大変よろしくない。向こうは私達の狙いを知り、果樹園などを守り、しかも到着地点で待ち伏せまでされ始めたら本当に疲れる。私が前回帰還した場所にまたあの双子みたいなのがいると困るし、それ以上に銃を持ったあの男がいると頭の血管が切れる自信がある。


 だから私は進行方向を変え、武器が収納されている扉を開けた。


 素早く目を通して一つの盾を掴む。全体的に白塗りで、一部分に向こう側が見える工夫がされた上半身程の大きさの防具――ライオットシールド。たしかそんな名前だと柊が言っていた筈だ。


 私はそれを右手に持ち、腕を伸ばしてきた柘榴先生を躱した。


 道具室は広い為、人を躱すことには事欠かない。ここで掴まってしまえば「やはり行くな」と止められそうな予感もする。


 私のペストマスクや帽子を持っている柘榴先生は、頬を痙攣させてため息を零した。


「どうしても行く気なんだね」


「行きますよ。それが私がここにいる意味なので。だからペストマスク等を返して頂けると嬉しいです」


 ライオットシールドを揺らして柘榴先生に返却を求める。彼女は前髪を乱雑に掻き、立ち上がった猫先生の肩を殴っていた。柘榴先生の肩を持って落ち着かせる猫先生の目には諦めが浮かんでいる。嬉しい事だ。


「涙、前にも言ったが、俺達にとっては流海も大切であると同時に、涙のことも大切なんだ」


「ありがとうございます。それでも、私の最優先は流海なんです。だから何を言われても行きますよ」


 猫先生が手を揺らして何か訴えようとしたが、内容が私には受け取れない。彼はヘアバンドを握って首を横に振り、「霧崎」と柘榴先生を呼んだ。その声にはやはり諦めが込められており、柘榴先生は頭を抱えていた。


「……涙の意志は固すぎる」


「崩れることは無いですよ。賭けてもいい」


「賭けなくたって伝わるさ……桜、柊、その捕縛用ネットは仕舞ってくれて構わないよ」


 柘榴先生の目が私の背後に向かう。振り返れば大きなクラッカーのような道具を持った桜と柊が立っており、私は危うくハンマーで二人を殴りそうになった。反射というやつだ。きちんと思い留まったので許せよ。


「本当に本日、アテナへ行かれるのですか?」


「行きますよ。行かない選択肢は準備していません」


「死に急ぐなよ」


「生き急いでますね」


 道具を下ろした二人に会釈だけしておく。柘榴先生は苦い顔で道具を返してくれた。酷い顔だな。本当は渡したくないと体中から溢れる空気が言っているが、気づかないふりをした。


 私のことなんて気にしなくていいのに。怪我をしている私が当たり前なのだ。この体に包帯や絆創膏が貼られていない日があるだろうか。無いだろ。


「心配しないでください柘榴先生、猫先生」


 口を曲げている先生達を見つめてみる。今日も仕事を抜けて私の所まで来たのかは知らないが、私は必ず帰ってくるのだから全て杞憂だ。


「流海の為に帰ってきます。だから死にません」


 伝えれば柘榴先生の肩が震えた。猫先生が拳を握った姿を見る。


 二人がどうして私と流海を引き取ったのかは知らない。どうして保護者をし続けてくれるのかも知らない。何も知らないし、知ろうとだってしていない。


 近づきすぎれば傷つくだけだ。だから距離を取っていたい。


 二人から目を逸らしてアルアミラとペストマスクを付ける。帽子を被れば柊と桜に背中を叩かれたので、私はハンマーを軽く振った。


「お二人の仕事が増えないよう努めてきますよ」


「空穂、お前――」


 柊が何か言いかける。


 しかしその声を遮って道具室のインターホンが鳴り、扉が開いた。


 そこには制服姿の朝凪と竜胆が立っており、二人は道具室内を見て動きを止めた。


 竜胆の肩からリュックサックの肩ひもがズレる。なで肩なのだろうか。


 朝凪の顔から血の気が失せていく。貧血ですか、気を付けて。


 私は軽く会釈だけして道具室を後にしようとしたが、両腕を朝凪と竜胆に掴まれてしまった。デジャヴを感じる。嫌だなぁ。


「る、い、さんッ!!」


「俺達のメディシン投与券あげたよね!? え、それでも行くの!?」


「譲っていただき心の底から感謝しています。今日は自分で集められるよう頑張って、新しい材料も探しに行きます」


 朝凪と竜胆の悲鳴が響く。


 私は少しだけ気分が傾き、流石に肩を落としてしまった。


 * * *


「涙さんはなんで、そう、無茶しちゃうんですか!」


「無茶も無理もアテナに行くならば承知の上ですよ」


「肝が据わりすぎてない!? しかも今日一人で行くつもりだったの!? なんで!」


「昨日はお二人のお時間を頂きましたので、今日から一人で頑張ってみようかなぁと。荒治療と言うやつです」


「涙さん!」


「空穂さん!!」


 昨日から朝凪と竜胆の大きい声をよく聞くが、それも慣れたものだ。三人全員がペストマスクを付けているのに、マイクを通さなくても二人の声は聞こえてくる。私だけマイクを使って話すって滑稽だな。大きい声を出すのは苦手なんだ。


 二人が譲ってくれたメディシンの投与券は有難くパナケイアに提出した。私に投与されていたメディシン分は「応急手当用」で報酬では無いとのことだ。メディシンを打たれた方が傷の回復も早くなるので嬉しいけどな。感謝はしない。


 朝凪と竜胆は驚くほど早く身支度を整えて私と共に転移室に入った。今日の二人は道具の手入れ予定で、アテナに行く予定は無いと昨日聞いていたんだがな。無理に付き合う方が危ないのではないか。


「無理に合わせてくださらなくても大丈夫ですよ」


「どこをどう大丈夫で受け取ればいいか分かりません、ほんとに、本当に!!」


「速攻で材料集めて、速攻で帰るよ!」


「それは賛成です」


 若干怒っているような二人を見ながら腕時計を付ける。砂時計を逆さにすれば足先から砂粒へと変化していき、私の体は消え失せた。


 騒がしかったが、私の傍にいる彼ら六人はとても優しい。優しいからとても困る。今まではその優しい人が柘榴先生と猫先生だけだったのに、これからは四人も増えるだなんて億劫だ。


 私は静かにため息を吐き、アテナの美しき白銀の芝を踏んだ。


 前を見る。


 視線を素早く移動させて周囲を確認する。


 ――あぁ、やっぱり居た。


 私は朝凪と竜胆の前に飛び出し、ライオットシールドを地面に叩きつけた。


 二人が反射的にしゃがんだ空気が伝わる。


 同時に握り締めた盾に衝撃が走り、発砲音が私の鼓膜を揺さぶった。


 ライオットシールドにある覗き窓のような部分から正面を見る。


 そこには昨日、βベータの袋を撃ち抜きやがった奴とはが立っていた。


 私の気分が急転直下する。沈んで、沈んで、海底まで潜り込んだ感覚だ。


 ヘッドホンのような道具で鼓膜を守り、拳銃を私達に向けている見知らぬ男。その細められた瞳は――鏡に映った自分を見ているようだった。


 あるのは苛立った目。そこに輝きは無く、険しい感情が浮かび、憎らしいと伝える嫌な目力。私は、苛立った私自身の目と拳銃を構える男の目を重ねていた。


 弾丸が再度ライオットシールドに撃ち込まれる。重い衝撃に奥歯を噛んで盾を支え続ければ、竜胆と朝凪が武器を構える空気が伝わった。


 見る限り相手は一人。しかし迂闊には飛び込めない。向こうの方が身軽で地形だって理解しているのだ。林の中でどう躱していくのが得策かなんて私はまだ未学習である。


 それに拳銃だと思っている道具は本当は拳銃ではなく、何か別の機能も付いているかもしれない。ここはアレスではないのだから。もしも本当に拳銃だとしても、何発撃てる銃なのかと言う性能までやっぱり私は知らない。


 駄目だな。知らないと言うのは邪魔になる。


 逡巡しながら男を見つめる。少しでもこちらが動けば男は弾丸を撃ち込んでくる為、私の頭には血が上った


「このまま後ろに下がりましょうか。取り敢えず銃の射程から外れたいので」


「そうですね」


「空穂さん、腕は大丈夫?」


「平気ですよ」


 朝凪と竜胆と少しずつ後ろに下がる。


 アテナの男は容赦なく乱射してくるのでライオットシールドを地面から浮かせないように心掛けた。白銀の綺麗な芝を倒していく行為だな。許される気もないのでどうでもいいが。


 そこで、不意に盾にかかっていた衝撃が止まる。


 私達はその瞬間を見逃すことなく後ろへ一気に距離を取り、朝凪が弓を引いた。私はウォー・ハンマーを固く握り締める。


 邪魔をするなら容赦はしない。


 私は欲しい物を手に入れる。


 その為ならば慈悲も情けも砕き捨てる。


 そう、心に決めて駆け出した。


 どうか片割れよ、目覚めてくれと願って、願って、願い続けて。


 あれから――十日が過ぎた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る