第14話 鈍

 

「全治三週間です」


「明日もアテナに行きたいんですけど」


 パナケイアの職員である医師に対し、間髪入れずに言葉を返す。私はメディシンを投与されながら首を傾け、医師は私の目を見つめてきた。


「その体で何か出来るとでも?」


「歩くことと掴むことが出来れば材料の採取は可能でしょう」


「そうですか。実働部隊ワイルドハントの活動をこちらで止める権利は元々ありません。材料の採取と侵略者達の討伐をしてくださるのであれば、あとはご自由になさってください」


 医師は真顔のまま返答する。機械的なやりとりを終えた私は会釈をして丸椅子から立ち上がった。背中は断続的に痛みを訴えたが、それが普通となりかけているので気にしない。


 歩けば左足が痛いと訴えた気がした。しかし元々歩くと言う行為は痛いものだった気がする。そうだよな、歩くって痛いんだ。進むって痛いんだ。だから大丈夫。


 点滴スタンドを握りながら流海がいる病室に向かう。


 私はふと廊下の壁にもたれかかり、両目から零れ始めたなみだに苛立った。


 私は結局、何も成し得ることができなかった。


 αアルファの確保もγガンマの採取も、βベータの死守も出来ずに帰って来てしまった。


 それでは流海の命を守っていけない。私は弱すぎて、このままでは流海の為にならない。


 もっと強くなれ。もっと速く動け。もっと無駄を省け。早く慣れろ。怪我をしても走ることは出来るだろ。材料がいるんだ。メディシンが、メディシンが、メディシンがッ


 足から力が抜けてうずくまる。


 顔を覆えば頭が痛んだが、それ以上に胸が痛かった。


 流海に目覚めて欲しい自分と、まだ準備が出来ていないから待って欲しい自分がいる。


 流海には安心して過ごして欲しいのに。恐れず生きて欲しいのに。嘆かず前を向いて欲しいのに。


 このまま私がメディシンの材料を集められなければ、流海の命が削られる。


 削られて、削られて、削られて。


 ――涙


 駄目だ、立て。


 流海の命が守られるならば、私の心が削られようとも問題ない。流海が戻ればこの穴は埋まるから。治せるから。


 私は泪を拭い捨てた。


 * * *


「涙、明日もアテナに行くなんて許可できないよ」


「行きます」


「駄目だ」


 流海の病室で、私のこめかみを押さえているのは柘榴先生。迫力満点の無表情から視線を逸らしている私は、眠る流海の左脇に腰かけていた。猫先生はヘアバンドを握りながら深いため息を吐いている。


 病室に急ぎ足で来た二人に椅子を出したら「仕事を抜けてきたから」と同時に言われた。顔色からして私が帰るのを待ちに待っていたらしい。残念ながら無傷でとはいかなかった訳だが、それは二人も承知の上だろう。目元は赤くなっていないと鏡で確認済みである。


 柘榴先生は恨みがましい低い声を出した。


「全治三週間の怪我してる子を行かせられる訳がないだろ」


「診てくださった先生にも言いましたが、歩くことと掴むことが出来れば材料の採取は可能だと思うんです」


「戦うことが抜けてると思うが?」


「……殴れます」


 こめかみを柘榴先生が強く押さえつけてくる。私は両手を開閉させて動くことを示すが、猫先生には痛い追加質問をされてしまった。


「両肩を真上に上げられるか?」


「……猫先生」


「涙、今日行って分かったと思うが、アテナは危険だ。毎日無理して行こうとする場所ではない」


「でも無理をしないと、流海が安心して起きられる場所を作れません」


 猫先生の言葉が止まり、こめかみにある柘榴先生の手が震える。私は先生の手首を掴み、話題を変えようと試みた。


「柘榴先生、αがなる木の幹と芝、あと土も、届きました?」


「……届いたよ。既に研究材料として使い始めている」


「そうですか」


 最初から良い結果が出るとは思っていない。それでも、今いる地点から動くきっかけになれば良いと願っている。傲慢な考えだが願うことは止められない。


 柘榴先生のハイライトのない黒目を見つめ返せば、彼女と猫先生の腕時計が同時に鳴った。


 二人は腕時計を確認して息をつく。どうやら仕事を抜ける時間は終わりのようだ。


「仕事に戻るよ……涙はどうする?」


「流海の傍に居ます」


「なら、帰りにまた寄るよ」


「はい」


 柘榴先生と猫先生に頭を撫でられる。


 私は二人に手を振り、先生達と病室を入れ替わりでやって来たのは朝凪と竜胆だった。


「涙さん」


「空穂さん」


「朝凪、竜胆、お疲れ様です」


 朝凪の目の周りは赤く擦れている。そう言えばアレスに帰って来た時に泣いていたな。朝凪レベルの美人になると泣き跡があっても美しい。なぜ泣いたのかは知らないが。


 眉を八の字に下げている竜胆は気弱さが倍増している見目をしており、やはり甘い顔をしているなと呑気に考えた。恐らく格好いいよりは可愛い寄りの顔なのだろうが、身長がある為その要素も薄い。


 そして私は流海の方が可愛いと思うんだよな。すまない竜胆。


 私欲まみれの感想を頭の中に並べながら、私は流海の手を握っていた。


「ぁ、ぁの、涙さん、今お時間いいですか……?」


「はい、大丈夫ですよ」


 声が震え気味の朝凪に答えておく。彼女は口をもごつかせ、眉を下げ続ける竜胆の目は流海に向かった。


「彼が流海君?」


「はい」


「起きたら是非、挨拶したいな」


「笑顔でしてあげてください」


「うん」


 竜胆が口角を上げて私の方を見る。流海に対して笑っていた顔のままこちらを向いた感じだ。


 朝凪の顔からは血の気が失せ、私は置いていた花瓶が飛んでくる様を視界に入れた。額に直撃したがなんてことは無い。


 無言で花瓶を受け止めた私とは違い、金切り声を上げたのは朝凪だった。


「永愛!!」


「ご、ごめんなさい!!」


「構いませんよ。平気ですので」


 花瓶を棚に戻して無事を伝える。備え付けの鏡を見ると額が少しだけ赤くなっていた。数時間後には青くなるやつかな。前髪で隠せば問題ないだろ。


 先生達用に準備していた椅子を朝凪と竜胆に勧める。二人は何度も頭を下げながら腰を下ろしてくれた。お茶を準備しようかとも考えたが、それはやんわりと断られた。だから私も椅子に座り直して流海の手を握る。心電図も安定しているし呼吸も問題ない。


 朝凪には沈痛な表情で声を掛けられた。


「涙さん、怪我の具合は……」


「問題ありません。かすり傷ですので」


 両手を振って朝凪の心配を払拭したいと考える。彼女は何やら思い詰めている気がするのだ。今ですら眼球が潤んでいると見て取れる。


「ぁの、私、あ、の……」


「朝凪」


 彼女の詰まる声を遮る。一度くらい深呼吸をした方が良さそうな顔をしていたからだ。


 しかし私の考えとは裏腹に、肩を揺らした朝凪の目からは大粒の泪が零れ始める。遮るのはそこまで駄目なことだっただろうか。


「すみません、言葉を遮って。どこか痛いですか? もしくは苦しいのでしょうか。ナースコールしますか?」


「ちが、ちがうんです、ごめんなさい、ごめんなさぃ……」


 朝凪が顔を覆って泪する理由が分からない。私の内心は色々な言葉を探しているが、恐らく顔は無表情のままだろう。そういう表情筋をしている。


 竜胆は隣に座る朝凪の背中を摩っていた。


「空穂さん、今日はごめんね。俺達の方がアテナのことに知ってる癖に、大変な場面を君にばかり任せて……怪我させて、本当にごめん」


 竜胆と朝凪が揃って頭を下げる。


 私の頭の上には――疑問符が飛んだ。


 盛大に飛んだ。


 ポップコーンが弾けるように疑問符が弾け飛んだ。


 私は天井を見て、眠る流海の顔を見て、頭を上げた二人を見て、再び疑問符を溢れさせた。


「いや、二人は何も悪くないでしょ」


「え、」


「え?」


「いや、こっちがえ? ですよ」


 頭痛を覚えながら生真面目な二人に言葉を悩ませる。


 こう言う、良い子で、真面目で、責任感が強くて、心底優しい子って本当に困る。傍若無人な礼儀知らずは嫌悪対象にぶち込めば終わるのだが、好感が持ててしまう相手との距離感は慎重に慎重を重ねたいのだ。


 私は流海の指に自分の指を絡めて、散らかった頭の言葉を整理したかった。


「何を悪いと思っているのか微塵も分からないので、二人が心配していることを取り敢えず教えてもらえますか」


「あ、は、はい」


「すみません……」


「謝罪は無しでいきましょう」


 泪を止めた朝凪が反射的に返事をしたのが分かる。竜胆も口を押さえる仕草をし、朝凪は目元を押さえながら顎を引いた。


「まず最初は、大きな斧で襲ってきた男の子の件なんですけど……私は援護にしか回れなくて、涙さんが正面から向かってくれて、そんな勇気は私になかったから……だから、涙さんに申し訳なくて」


「俺もあの場を自分で任せてもらおうとしたのに一人取り逃がしちゃうし……役立たずを痛感してます」


「朝凪の援護は始終的確で、貴方が援護してくれると知っているからこそ私も正面から殴りかかることが出来ました。元々私の選んだ武器は接近戦用ですし。援護してもらえるともらえないとでは雲泥の差です。ありがとうございます。そして竜胆は一人の相手をきちんとしてくれたではないですか。一対二の場面を背負ってくれた時点で凄いと思いますし有難かったです。一人逃がした事を嘆くのではなく、一人の相手は確実にできた事を認めても良いと思います」


「で、でもその次だって。αの果樹園で俺は一人しか相手しなかったけど、空穂さんは三人も相手してくれて!」


「それは私に向かって相手が三人来たから受けようと思っただけです。私達の目的はアテナの奴らを根絶やしにすることではなく材料の採取ですし。私に三人も引っかかってくれたのならば相手をしますよ。その間に竜胆と朝凪で果樹園に入れたら良いなぁ位にしか考えてません」


「け、けど、その相手を任せてしまったせいで涙さんは怪我をされたんですよ!?」


「いや、私も最強ではないので怪我をするのは勿論の事だと思うんですけど」


「それが! 私は! つらいんです!」


 声を荒げる朝凪の額が赤みを帯びる。胸の前で歯痒そうに手を握り締める彼女は再び泣き始め、竜胆も頭を抱えていた。


 なんだろうな。二人の考えと私の考えがずれている気がする。


 私が怪我をするのがつらい? なんで。


「朝凪は、私が怪我をしたことが嫌なんですか」


「嫌です、凄く嫌です。涙さんだけそんなに怪我させて、自分が情けなくてッ! 帰る時だって、涙さんが砂時計を逆さにしたのを確認してから私達は帰るべきだったのに! 気持ちだけが先走って、ほんと、なんで、もう、もう!!」


 泣いていたと思った朝凪が今度は怒り始める。目の周りを赤くして、眉間に皺を寄せて。竜胆は彼女の肩を押さえているが余り止める気はなさそうだ。


 ――あ、駄目だ、この子達とこれ以上近づきたくない


 私の中で不安が生まれる。煙が巻くような感情は私の肺に溜まり、流海の手を握り締めている自分がいた。


 朝凪いばらと言う少女と、竜胆永愛と言う少年。二人は一緒だった。


 猫柳蓮先生と、霧崎柘榴先生と一緒なのだ。


 仲良くなりたくない、近づきたくない、これ以上良い人だと知りたくない。


 だから嫌なんだ、人と関わるのは。もしも相手が良い人だった場合、私は怖くて堪らなくなるから。


 それでも先生達は私と流海の保護者であるし、朝凪と竜胆は実働部隊ワイルドハントのメンバーだから。


 壁を築いていたい。入り込ませたくない。入り込みたくない。


 ――涙、手つなごうね


 ――明日は何をしようか、涙


 脳裏に浮かんだ笑顔がある。温かくて、大切で、大好きで、安心できる笑みがある。


 それが果実を潰すように赤く弾け飛ぶから。


 嫌いな鉄の匂いのする赤が、私の頬に飛び散ったから。


 私は無表情に徹して、敬語で喋り続けるのだ。


「朝凪、私を心配してくれてありがとうございます。大丈夫なんです、本当に。と言っても朝凪が心を痛めてくれるのを止めることはできないのでどうしようもないのですが……落ち着くまで泣いてくださって構いませんし、怒ってくださって構いません。聞きますから、全部。今日朝凪が嫌だったこと、不安だったこと。竜胆の分も。私は全部に「大丈夫」「問題ない」と言える自信があるので」


「涙さんは何でそんなに業務的でいられるんですか! 自分が怪我をしてるのに!」


「怪我をしたのが自分だからです」


 首を傾けることはしない。空気を柔らかくしない方が良いと思うから。


 私は流海に視線を移動させ、片割れの手の甲を額に寄せた。


「流海が怪我をしてなかったら、それ以外は等しくどうでもいい。それが私です。業務的で不道徳。自己中心的で我儘で面倒で」


 流海の額を撫でる。左耳にあるホクロに触れれば、自分の同じ場所にも同じものがあるのだと安心した。


「だから心配しなくていいですよ、私に申し訳ないと思うだなんて朝凪と竜胆の心労にしかなりませんから」


 片割れの耳を引っ張っても起きる気配はない。だから私は肺一杯に息を吸って、吐き出した。


 こんな物言いしか出来ない私なんて呆れてくれないかな。捨ててくれないかな。どうでもいい奴だと思ってくれないかな。


 私は心配される価値なんて無いのだと知って欲しい。この線引きに気づいて立ち去って欲しい。


 願う私の腕が引かれ、目の前には一枚の紙が提示された。


 〈メディシン投与権利券〉


「……あ?」


「これは実働部隊ワイルドハントが任務を終えた後に貰える紙です。材料集めやアテナから来たペストマスク達からヤマイを守れた等、貢献したとパナケイアに判断されたメンバーが貰える投与券です。自分で貰ってもいいし家族に譲ってもいいし友達に譲ってもいい!」


「ちょ、あさな、」


「俺も今回γを余分に採って来たから貰えたし、いばらちゃんも三つの材料を全部揃えたから貰えました! 空穂さんも研究が進んでない材料を採って帰ったしその結果によっては貰えると思うんですけど! ていうか今日渡して欲しいって言ったのにパナケイアの人達くれなくて俺ちょっと怒ってるんですけど!!」


「りんどう、うるさ、」


「私は流海さんの名前を書きましたからね!!」


「俺も書いたから! 消さないから! 今報告したからいらないは無し!!」


 鼓膜が激しく揺さぶられて耳鳴りがする。断続的な高い音は周りの音を遠くし、思い出したのは柊が説明した内容だった。


 ――補助員は給料と一緒にメディシンを投与される権利を得られるらしいのだ。実働部隊ワイルドハントに参加すればその日にメディシンを投与してくれることもあるとかないとか。それは実働部隊ワイルドハントのメンバーも一緒だ。


「……あ、メディシンの投与権利」


「それです!」


「それだよ!」


 正直言えば喉から手が出るほど欲しいそれ。目の前にある紙には〈投与希望者〉の欄があり、書かれているのは私の片割れの名前であった。


 目を見開いた自覚がある。頭の中では願望と意味不明が雪崩を起こして混ざり合い、頬が痙攣した。


「……それは朝凪と竜胆の権利の筈では?」


「そうです。私と永愛に貰った、私達の自由な権利です!」


「だから俺達は自由に使うんだよ!」


「……へぇ」


 流海の手を握り締める。朝凪と竜胆は椅子に座り直すと、上がっていた息を整えた。朝凪は咳払いをして私の目を見つめてくる。


「私達は元々メディシンを目的に実働部隊ワイルドハントに所属していますが、別段急いでいると言う訳でもありません。切羽詰まってもいませんし。だから今回は涙さん、と言うよりは流海さんにメディシンの投与権を押し付けます」


「押し付けるんですね」


「押し付けないと涙さんは貰ってくれそうになかったので」


「最初は謝罪の気持ちを込めて渡す気だったんだよ? でも、空穂さんはそれだと受け取ってくれなさそうだから」


 朝凪は両手で投与権を握り締め、竜胆は恐縮そうにうなじを撫でる。


 二人が持っている権利は二人の自由だ。だって権利だから。それでも、当たり前のことしか出来ていない私が貰っても良いのかと少し悩んだ。


 しかし、握り締めている流海の手を見れば私の悩みなど消え失せる。


 流海の為になるならば、何だって良いんだ。


 貰える物は貰っておこう。くれると言うなら拒まずにいよう。これは優しい二人の奉仕だよ。罪悪感がさせる行為だよ。


 そう自分に言い聞かせた。


「ありがとうございます。貸し一つ、ですね」


「いや、アテナで私と永愛を助けてくださってるので、貸し借りは無しですよ」


「これで対等ってことで」


 朝凪が仕方がなさそうに笑ってくれる。


 竜胆も眉を八の字に下げたまま苦笑する。


 対等か。それは嫌だな。下手をしたら仲良くなってしまいそうだから。


 私は流海の明日を確保できたことに息を吐き、突如折れた点滴スタンドに頭を殴打された。


「涙さんッ!!」


「ご、ごめん!!」


「いいえ、お気になさらず」

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