第13話 採

 

 私は閉じられている果樹園の扉を朝凪と一緒に確認する。柵の高さは三m程に見えるが、これを上るよりは扉を壊した方が早そうだ。


 門の前に立って鍵穴を探すが無かった。あるのは手のひらサイズのパネルだけの為、指紋認証だか何だかでしか扉は開かないのかと推測する。


 こういう場合は壊していいのだろうか。大体壊せばなんとか片付きそうな気がするんだけど。壊したいな。壊そう。


「壊しますね」


「え、こ、壊すんですか?」


「その方法しか思いつかなかったので……あ、すみません。何か塀を上る手段とか、別の方法がありましたか?」


「ぇっと、あるにはあるんですけど……多分、今は壊した方が早いと言うか、良いと思います……」


「かしこまりました」


 両手でマスクを覆った朝凪。言葉尻が萎んだ彼女を横目に、私はハンマーを振りかぶった。


 パネルに向かって戦槌せんついを叩きつける。


 何度も穿うがって、何度も砕いて、何度も殴りつけて。


 両肩から水滴が散った。鉄の匂いがするから凄く嫌いだ。朝凪に飛び散ってないといいのだが。


 左足に体重をかけると膝が震えた。元気出せよ根性なし。


 パネルがガラクタになるまで殴りつけた時、扉の各所から閃光が走った。


 小さな爆発音が数度続き、止んだ頃合いを見計らって扉をハンマーで押す。無事に開いたので良いと思います。


「涙さん……」


「開いたので行きましょうか」


 手を空中でさ迷わせた朝凪に伝える。彼女は私の体を心配しているようだが、アテナにいられる残り時間は二十五分も無いのだ。耐えられる。帰ったら泥のように眠りたいな。流海の隣で眠りたい。


 比較的汚れていない左手で朝凪と手を繋いだ。彼女は柔く手を握り返してくれたので問題ない。


 果樹園に入ると、そこは独特な静寂に包まれていた。


 果樹園の地面は七割近くが湖で、その中に小島がいくつも浮かんでいる。一つの小島には一本の木が植えられており、木々は宝石で出来ているようだった。島同士は小橋で繋がれ、湖の水には砂金でも混ざっているみたいだ。


 これがβベータか。


 三つの材料の比率はβが八割で残りはαアルファγガンマが一割ずつである。


 私は袋を取り出して口の部分を握り、βに浸ける。これを満杯にすれば一人分に必要なβが回収されるらしい。


 一袋で一人分のプラセボ。それを薄めたのがメディシン、か。


 考えながら木を見上げる。


 水晶のように透明な幹や枝葉が太陽光を屈折させて私を照らす。あの空にあるものを太陽と言っていいかは知らないが、名前なんて知らないし、命名するならば「太陽」で良いだろう。


 袋が満杯になりそうだと気づいて持ち上げる。隣では朝凪もβを回収し終わっていた。


 これであとはαを一つとγを五枚回収したら、流海の明日分のメディシンは出来上がる。


 私が回収して帰れば流海の明日が安定したものになる。例えその命が蝕まれていたとしても、浸透するように削られていても。その勢いを殺すことは出来る。


 今の直近の目標は一人で材料回収を出来るようになる事と、出来るだけ多くの別サンプルを持ち帰る事。α、β、γを出来るだけ多く回収することは勿論であり、研究が進んでいない材料を持ち帰ることは柘榴先生の研究に貢献できる。


 柘榴先生達の研究が進めば、流海はきっと救われる。救ってもらえる。救う為の薬がきっと出来る。


 ――もしも間に合わなかったら?


 不意に響いた自問に対して鳥肌が立った。


 目の前から流海が消えて、大嫌いな葬式に参列する映像が目の前を流れる。


 私は二の腕を摩って、βを入れた革袋を腰のベルトに固定した。


「……大丈夫、出来る、絶対できる。先生達を信じろ」


 マスクの中で呟いて、私は帽子のつばを下げる。


 おかしな話だ、敬語を取らない癖に、こういう時だけ縋りつくのだから。


 ごめんね柘榴先生、猫先生。私も別に、二人の事を信頼していない訳ではないんだよ。


 ただ仲良くなりたくないだけ。深く信頼したくないだけ。


 だってさ――


「涙さん」


 思考を朝凪の声によって遮断される。私は反射的に振り返り、不安そうな姿勢の朝凪を見下ろした。


「……すみません、聞いてませんでした」


「あ、いや、違うんですよ。αは私が射るので、少しでも休憩されたらどうかなぁって……」


 朝凪の語尾が消えていく。私は「大丈夫です」と言いかけた口を結び、少しだけ間を置いた。


 先程から自分の我儘を通している訳だが、それだと朝凪や竜胆の気持ちをないがしろにし過ぎている。二人だって目的があるから実働部隊ワイルドハントに所属していると想像できると言うのに。


 私は朝凪を見下ろして、首を縦に振った。


「分かりました」


「ッ、ありがとうございます」


「いえ、こちらこそお気遣いありがとうございます」


 どうして朝凪がお礼を言うのか。疑問を持ちながら木の根元に腰を下ろす。休憩すると気が緩んで痛いを感じやすくなるんだけどな。私が気を引き締めていれば良いだけの話か。そうだな。


 朝凪が弓を構える。呼吸を整えた彼女の姿勢はとても綺麗だ。


 私は木を見上げて、りんごのような黄金色の果実を視界に入れた。


 αって、普通に皮を剥いたらりんごの味がするのかな。


 的外れな私の思考とは裏腹に、的確にαのへたを射抜いた矢に感嘆してしまう。


 落下したαは地面に転がり、立て続けに落ちてきた二つも重たい音を響かせる。朝凪はそれらを拾い、私はもたれている幹を見た。


 果実に水に、葉。それらが材料になるならば、木の幹や芝だって可能性はあるのではなかろうか。


「朝凪、αの木の幹も研究を発展させる材料に成り得ますかね?」


「え、ど、どうでしょう。今まで幹を回収したとは聞いたことないので、可能性的には……?」


「ありがとうございます」


 私はナイフを抜いて木の幹を削ろうとしてみる。しかし思った以上に相手は硬かった為、ウォー・ハンマーを握り直した。


 平らな面ではなく爪状に尖った方で幹を叩く。そうすれば刃こぼれするように幹は砕けて回収できた。あとは小島の芝を少し刈り取って、ついでに土も少量持って帰るか。


 幹と芝を同じ袋に入れ、土だけ別の袋にする。作業を終えた所で朝凪が私を凝視していると気が付いた。


「どうかしましたか?」


「……涙さんは凄いなぁって思ったんです」


「凄い?」


「はい」


 朝凪は肩を落として元気がない。私は幹に凭れながら立ち上がり、少しだけ立ち眩みを覚えていた。血が出すぎてるな。堪えろよ。


「……凄いですよ、涙さんは」


 αの木を見上げた朝凪は深めに息を吐いている。私は自然と右耳付近を強めに押さえ、自分が汚した芝を見下ろした。


「向き不向きですよ、こんなもの」


 私が順応しているように見えるのは、ただただ恐れているからだ。流海がいなくなることを。


 早く順応していきたい。


 早く全てをこなせるようになりたい。


 早く流海に元気になって欲しい。


 ただ、それだけだから。


「竜胆の所へ行きましょうか」


「……帰りましょうかとは言わないんですね、アレスへ」


「それだと私がここへ来た意味がないので」


「流海さんの為、ですもんね」


 朝凪が苦笑した気がする。マスクで判断できないのでヤマイは発症しなかったが、どうにも居心地は悪いものだ。


 私達は残り時間を確認し、可能であれば竜胆と合流すると決める。足早に果樹園を後にすれば、倒れている「嘉音」達の呻き声が聞こえた。


 ヤマイを殺す奴ら。その実感は酷く薄い。私はまだアテナでもアレスでも殺されたヤマイを知らないからだ。まだ噂話の範疇はんちゅうを出ていないと言っても良い。


 そこでふと疑問が浮かんだ。


 どうして「嘉音」達は、私達がヤマイだと分かったのか。


 印数は見せていないし、誰もヤマイなんて発症していない。それでも相手は私達をヤマイだと決めつけて殺しにかかって来た。防衛よりも攻撃の道をとったのだ。


 未だにアテナの思惑とか内情が何も理解できないが、やっぱりどうして気持ちが悪い。繋ぎ合わせたい点が欠けている感覚、嫌だな。


「朝凪、どうしてアテナの彼らには私達がヤマイだと気づかれていたのでしょうか」


 道中の話題探しと言うか、間を繋ぐ意味で質問する。そうすれば前を走っていた朝凪はきょとんと言う効果音が見えそうな声で教えてくれた。


「気づかれたと言うか……実働部隊ワイルドハントには、ヤマイしか所属できないと彼らも察しているからだと思います」


 ……へぇ。


 ***


「あ、いばらちゃん、空穂さーん!」


「永愛、無事ね」


「良かったです、竜胆」


 小走りにγがある方へ向かっていると、林を駆け抜ける竜胆とすれ違いかけた。三人揃って急ブレーキをかけてお互いの無事を確認する。


 私の服の血は渇き気味であるが、朝凪も竜胆も食い気味に「帰ろう!」と連呼してきた。


「帰ろう空穂さん! ほら! 大丈夫! γちゃんと採れたから!」


「帰って早く治療しましょう! 服の色がもう、大変だから!!」


「はい。ありがとうございます」


 竜胆は袋を広げてγを見せてくれる。それは薄い黄緑色の四つ葉だった。木の葉って聞いていたが四つ葉が木になるのか。面白いな。長く持ちすぎると蝋のように溶け始めるのだとか。不思議だ。


「これで空穂さんの弟君にも十分あげられる量になるし、αとβもあるし、大丈夫だよ」


 穏やかな声で竜胆が私を安心させようとしてくれる。朝凪も背中を摩ってくれるから、私は息を深く吸った。ライオスの効力も切れ始めたか。少し空気を吸いにくい感覚がある。気にしないけどな。


 流海、なんとか一日目は無事に終わりそうだよ。


 協力してもらってだけど、また明日も頑張るから。


 だから早く起きようよ。


 ――涙は怖がりだよねぇ


 ――怖がりじゃないね


 ――怖がりだよ。怖がりで、臆病で、可愛いんだ


 そんな話を流海としたのは中学生の頃だった気がする。月も隠れた夜だった。枕を強く抱いていた事を覚えている。私に気づいた片割れは笑うのを堪えていたな。


 枕に顔を埋めていた私は、暗闇で想像したことを怖がった。怖がって、怖がって、怖がって。泣いている姿だけは流海にだって見られたくなかった。


 流海は私を抱き締めて、背中を撫でてくれたっけ。


 ――独りになった時を、想像しただけだ


 ――不毛な想像だね。涙は独りになんてならないのに


 ――分からないだろ……何が起こるかなんて


 頭を撫でて一緒に布団に入ってくれた流海。そんなに幼くはなかったし体躯の差も大きくなっていたが、相手が私の片割れであると言う事実だけは変わらなかった。流海との違いが大きくなっていくのは大変嫌だったが、抱き締めてもらえる事は良かったのかもしれない。


 一人用のベッドで身を寄せ合って、流海はわざとらしく私の髪を撫で崩した。だから私は泣いたのだ。流海の体温がそこにあると知りながら、縋るように抱き締めて。どこにも行ってしまわないように足を絡めて、動きを封じて。


 光なんて無くていいから、明日が真っ暗でもいいから、闇の中に片割れがいる事に安心していたかった。


 ――流海が私より先に死んだら、どうすっかな……


 ――簡単だよ、涙


 あの時、流海は多分笑っていた。私の頭を胸に埋めさせて、背中をあやすように叩きながら。


 あの子は澄んだ目をしていたに決まってる。


 伏せていた瞼を上げて、砂時計を持っている朝凪と竜胆を見る。私も砂時計を持てば銀の砂は一定方向に流れ続けていた。


 帰ったら肩、縫われたりするのかなぁ。


 呑気にアレスに帰った時のことを想像する。


 ――瞬間。


 自分の腰に括っていたβの袋が――破裂した。


 発砲音がどこかで木霊こだまする。


「涙さん!」


 砂時計を逆さにした朝凪の悲鳴を聞く。


 竜胆が足元からアレスへ帰っていく。


 林の中へ素早く視線を走らせれば、二、三十m先に黒い髪の男を見た。


 酷く静かな目をして黒い拳銃を構えている男。白い衣装は「嘉音」達と同じもので、耳にはヘッドホンに見える物をしている。


 両手で拳銃を構えている彼は鳥肌が立つほど綺麗な顔をしていた。


 心臓が痛いほど脈打つ。観察を終えた頭は「狙われている」と弾き出す。


 駄目だ、避け、無理、見ろ、見ろ、見ろッ!


 引き金に添えられた男の指に、力が込められた。


 砂時計を逆さにする。


 体が砂に変わっていく。


 ほどけるように私を崩し、見せかけの天国から消していく。


 怒りに揺れた体で一か八かとしゃがめば、右の二の腕を熱さが掠めた。


 発砲音が私の鼓膜を激しく揺らす。背筋に緊張が走って鳥肌が立つ。


 同時に、受けた熱さは怒りに昇華された。


「その顔――覚えましたよ」


 男は消えていく私を凝視して、構えていた拳銃を下ろす。


 私の意識は分解され、アレスで再構築された。


「涙さん! 永愛早く連絡!」


「うん!」


 朝凪と竜胆の声や足音が遠くで木霊している感覚になる。それは私の鼓膜が麻痺しているからだと思いつつ、滴る液体に体温を奪われた。


 それは弾丸が掠めた右の二の腕ではない。


 腰の撃ち抜かれた袋から伝うβだ。


 私はβを零してしまった。これではプラセボは出来ないし、プラセボが出来なければメディシンも出来ない。


 ごめん流海、役立たずでごめん。


 朝凪と竜胆の声を冷静に聞くことが出来ない。材料が足りないのに、冷静でなんていられない。


 これは流海の為の物なのに。あの子の為の、物なのにッ


 二人に我儘を言ったのに、私のせいでβを駄目にするなんて最悪だ、最低だ。


 砂金が混ざった水に上着を濡らされる。それは私の靴を濡らして、傷を冷やして、頭は沸騰した。


「なんで……」


 水滴が落ちる。水滴が落ちる。水滴が落ちる。


「流海の為の物なのに」


 ハンマーを握り締める。


 沸々と、沸々と。


 冷たい水滴は私の感情を熱していく。


「流海……」


 朝凪と竜胆が帽子と仮面を剥ぎ取り、アルアミラを投げ捨てる。私のペストマスクも急いで外され、アルアミラも落とされた。


 朝凪の瞳には今にも零れ落ちそうななみだが溜まっており、初めて見た竜胆の顔は甘い顔立ちだと感じる。


 黒い短髪に蜂蜜色の瞳。垂れた目尻には朝凪と同じように泪が溜まっており、二人の白い手袋は赤黒く汚れていった。


「涙さん、涙さん、聞こえますか!?」


「……聞こえますよ、朝凪」


「よかったッ、今、治療班を呼びましたから! 呼んでますから、し、止血を!」


 今にも発狂しそうな朝凪の目を覗き込む。彼女の紫の瞳は飛び出しそうなほど見開かれ、とうとう目の縁からは大きな雫が溢れ出た。


 血らだけの手袋で頬を掻きむしる朝凪。彼女の美しい顔につく赤は扇情的で、私は自分の姿を見下ろした。


 そうだ。朝凪の顔を汚す赤は、私のだ。


 だってそうだ。彼女は怪我をしていない。竜胆だって少し服などが切れてはいるが、ほぼ無傷だ。


「止血は自分でします。これは私の弱さが招いた傷なので」


「涙さん、違う、違います、違うからッ」


 朝凪が泣きながら私の胸に額を押し付けてくる。〈転移室〉に響く彼女の泣き声は私の肌を震わせ、どこにもぶつけられない苛立ちだけが蓄積された。


「朝凪、綺麗な貴方の顔が汚れます。今の私にそう触らない方がいいかと」


「ッ涙さん!」


 目を充血させた朝凪を見下ろす。彼女の頬には赤が付き、それが渇かないうちに洗い流して欲しかった。


 血が付いた人を見るのは嫌いだから。怪我をしていなくても、誰かに血が付く姿は見たくないから。


 耳の奥で響いた子どもの悲鳴に辟易する。脱力気味に息を吐けば体全体に倦怠感が広がった。


 右肩が上がらない。左腕も酷く重たい。左足は血とβが混ざった液体で濡れそぼり、私は首を傾げた。傾げた方が朝凪に対する圧が減ると思ったのだ。


 頭を動かしたことで眩暈がする。朝凪が背伸びをして私の後頭部を押さえてくれるから、私はされるがままに瞼を下ろした。


「涙さん、ごめんなさい、ごめんなさい……!」


「どうして朝凪が謝るんですか。貴方も竜胆も、何も悪くないのに」


 朝凪と竜胆が息を呑んだ音と同時に扉が開く。


 そこには白衣を羽織った研究員が数人と柊が立っていて、私は〈治療室〉に運ばれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る