第12話 打
「涙さん……アテナに来たのは初めて、ですよね?」
「初めてですよ」
「……うっそだぁ」
「嘘ついてどうするんですか」
先を歩く朝凪と竜胆からお言葉を貰う。私はウォー・ハンマーをなじませる為に片手で回し続けていた。
先程アテナの少年のあばらを折った私は、特に何も思わないまま林を進む。
目指すは
ウォー・ハンマーを握る手を見下ろして、人を殴った感触を思い出す。
痛かったかな。意識は朦朧としたかな。吐き気もしたかな。武器の修復と傷の完治には何日かかるでしょうね。
それでも命はあるのだ。有難く思えよ。
――貴方達ヤマイですよね。ヤマイは殺さないといけないんです。だから大人しく死んでください
お前は私達を殺そうとしたんだから正当防衛さ。いや、過剰防衛になって私が負けるかな。アテナでアレスの考えが通じるだなんて思ってないけどな。
額が熱くなるような感覚がある。どうやら私の中の熱はまだ冷めていないらしい。
ハンマーの打撃を与える平面を地面につける。少しだけ引きずって歩けば白銀の芝を倒していった。
邪魔する奴は全員殴り倒す。私の道を塞ぐだなんて許さない。
ナイフに触れれば黒いペストマスクが浮かぶから、その仮面を砕きたくて堪らなくなった。
殴って倒す。砕いて酸欠。血が飛び散っても許せないだろうな。
「いや、ちょっとどうしよう。さっきの動きを見てたら私達の方が足手まといになる気がして……」
「同感……俺、初めてアテナに来た時はビビりすぎて何も収穫できずに帰ったもん」
朝凪が頭を抱え、彼女の肩を竜胆が叩く。スピーカーを通すので二人の会話は私にも聞こえるのだが。
卑屈になりそうな朝凪と竜胆の背中を見つめる。αの果樹園はもう直ぐの筈だ。その前に猫背気味の二人をどうにかした方がいいのだろうか。
躊躇なく長刀を抜いた竜胆を思い出す。少年の足を射抜いてくれた朝凪の姿も思い出す。
私には、二人が背中を曲げる意味が理解できなかった。
「始まりがどうであろうと、二人には私に無いアテナでの経験があるんでしょう? その経験に私が勝てる筈ないでしょうに。お陰で竜胆は相手を引き付けてくださったし、朝凪も援護してくれたわけですし」
若干呆れながら伝えておく。経験に勝る何かがあるならば教えて欲しいものだ。
前を歩く二人は立ち止まり、同時に振り返った。
ペストマスクに凝視されると路地裏を思い出すから嫌なんだよな。今は私も同じものを付けてるわけだけどさ。あ、駄目だイライラしそう。
私は深呼吸を心掛けて、苛立ちが伝わらないように首を傾けておいた。
「行きましょうよ。時間が惜しいので」
「ぁ、は、はい」
「きっともう直ぐだよ」
ちょっとだけ背筋が伸びた二人の後に続く。足取りも少し軽くなった様子なので良いだろう。
小走りに林を進むと地図の赤い印が間近に迫った。
前を向けば、林を抜けた先に柵を見る。柔らかな乳白色の柵で囲まれた場所。中には林とは違う木々と、隣接した貯水タンクのような設備が見えた。
柵を取り囲むように立っている人影を見る。先程の少年達と同じ服装の奴らだ。目視で数えることが出来たのは四人。少女が一人と少年三人。全員私達とそう年齢が違わないように見える。手にはそれぞれ武器を持って柵の周りを歩いていた。
アテナの奴らの姿は私達となんら変わらない。目は二つあるし鼻は一つ。口も一つで耳は二つ。先程あばらを折った子が吐いた血だって赤かった。違うと言えば患っているか否かだろ。相手はこちらで言う所のヘルスだ。
それでもあいつらは、変わらない癖にアレスにいる私達を殺すのだ。ヤマイを毛嫌いするのだ。流海を毒の海に突き落としたのだ。
そこで生まれたのは違和感。
アテナの奴らは私達が来る目的を分かり始めていると朝凪は言った。ならばもっと人数を多く揃えたりするのではないか。しかも年齢は私達と違いないって、アテナには学校教育とか言う概念はないのだろうか。歴史とか政治とか興味がないし知る方法は無いんだけどさ。
この疑問は
――涙
あぁ、いや……どうでもいいか。
流海の顔を思い出して、混ざりそうだった思考を止める。
私はまず、αとβを採取する。五人を掻い潜るなり倒すなり何なりして、果樹園に入り込んで目的の物を採ればいい。
単純に言えば不法侵入と窃盗して帰れば良いんだろ。理解。
それだけでいい。物事の成り立ちとか裏側とかを詮索しても無駄だ。
竜胆がしゃがむように手で合図したので腰を落とす。こういう時、全身白の衣装は役に立つもんだ。
肩幅に足を開いた朝凪が弓を構える。彼女は凛とした姿勢で矢を引き絞り、竜胆は私に朝凪の右側で構えるように指示を出した。
「空穂さん、いばらちゃんがこれから四射連続で矢を射るから、それと同時に駆け出して。まずはあの門番っぽい人達を戦意喪失させたい」
「かしこまりました」
右耳を押さえて返事をする動作に慣れつつある。
竜胆は林の中に身をかがめて刀を抜いている為、私もハンマーを握った。
確か、朝凪が持つ長弓の特徴は連続で矢を射れること。連射の習得に何年かかるかなんて私は知らないが、朝凪の研ぎ澄まされた空気が一朝一夕で成されるものでは無いことだけは分かった。
私は彼女の右手を見つめる。
矢を引き絞る指先は少しだけ震えている。
けれども、それが止まった瞬間があるから。
私は朝凪が矢を離した瞬間――駆け出した。
林を飛び出して地面を蹴り進む。
最初に目が合ったのは黒髪の少年。灰色の瞳と口と耳を繋ぐピアスチェーンが印象的な男。
灰色の双眼は私と竜胆を見て細められ、四人全員が武器を構えた。飛び道具を持った奴はいない。
ピアスの男が持つのは薙刀のような武器。見開かれた目は私の動きを凝視し、勢いよく刃が突き出された。
しかし、その白い袖を矢が射抜くから。
男の攻撃がズレる。
私は一瞬でハンマーを握り直し、男は瞬時に後ろへ地面を蹴った。
不法侵入に窃盗、傷害罪も追加しような。
私は足を踏み込み、ウォー・ハンマーを一瞬だけ離した。
持つ位置をズラす。より石突に近い部分を持てば攻撃範囲が広がるから。
重たいハンマーの頭に遠心力を効かせて振り上げる。そうすれば男の顎をハンマーが掠めた。
直撃ではないのだから許せよ。加減はまだ出来ないんだ。
顎を狙えば人の脳は揺れる。脳みそシェイクは気持ちが悪い。とても気持ちが悪い。私の体験談だが。
「ッ、」
男の目が回って膝から崩れ落ちた瞬間、私は相手の顎に爪先を叩き込んだ。
ピアスチェーンが揺れる。蹴り上げた男の顔から歯ぎしりする音が聞こえたが、気にしない。別の少年の甲高い声は耳障りだった。
「
そうか、お前の名前は「嘉音」って言うのか。
歯を食いしばった「嘉音」が薙刀を横に振り向く。かなり厳しい体勢だったにも関わらずそれは私の足を狙うから、後退せざるを得ないのだ。
一瞬だけ左足に痛みが走る。
見下ろせば上着に赤いシミが広がり、左
どうでもいいけど。
「嘉音さんからッ」
「離れて!!」
背後から跳躍して来た影に気づくが無視をする。少年と少女の声が聞こえたがどうでもいい。
私は足を踏み出し、矢が放たれる音を微かに拾った。
自分の上着の裾が切り裂かれた感覚がある。
それに臆せず振り返れば、少年と少女が肩を射抜かれている姿が見えた。顔を歪めた二人はそれでも呻きを漏らさない。お強いね。
黒髪を結った可愛らしい少女はすぐさま両手の剣を構えた。少し特徴のある刃だな。
黒髪でつり目の少年は拳を握り直した。両手には棘のついたメリケンサックに見える物が付けられている。
私は右耳の傍を押さえた。四人目の少年と斬り合う竜胆と、援護する朝凪に声を送る為に。
「こちら三人は相手します。朝凪か竜胆か、空きましたら果樹園へどうぞ」
竜胆も朝凪も返事をしない。いや、出来ないがきっと正しい。自分達を殺すつもりでいる相手と対峙しているのだから。
私の前で立ち上がった少年と少女。背後では「嘉音」も立ち上がったようだ。回復が早いな。
左足から血が流れ続ける。それは白銀の芝に落ちてアテナを汚す。
もっと汚れれば良いのに。
汚れて、汚れて、朽ちればいい。
「一対三だろうと、殺すぞ」
矢を肩から抜いたつり目の少年。彼の目は鋭く細められるから、私は首から力を抜いた。
脱力気味に頭が下がる。息を肺いっぱいに吸い込んで吐き出してみる。
殺す、殺すと耳障りだ。そんなに軽く吐き続ければ安く聞こえて無様だな。
「死にませんよ、弟を救うまでは」
つり目の少年は拳を握り直し、少女の肩が少しだけ揺れた。見れば彼女は震えた唇を結んでいるから、私はハンマーを回したのだ。
「毒を生むヤマイは死なないといけないんだよ」
背後から風が切れる音がする。自分の背後に薙刀が振りかぶられた影を見て、私はハンマーを振り抜いた。
薙刀の刃を横から殴る。「嘉音」は薙刀を回すと足を踏み込み、石突部分で突きを入れてきた。
私は相手の動きを見つめて、見つめて、見つめて、息を止めた。
腰を落として足を踏み込む。顔目掛けて突きこまれた石突を
腕立て伏せをするような体勢で地面に平伏す。私の顔が合った場所を少女は真一文字に剣で斬り裂いており、つり目の少年は平伏す私に向かって拳を叩き落としてきた。
腕力で体を横に転がしてハンマーを握る。
悪いな、無駄に事故を受けてない。
事故を防げないと分かった時、どうすれば最小の怪我になるかを考えた。それはどう言った事故が来るかどこまでも観察すること。
見つめて、見つめて、観察して、理解して、覚悟を決める。
それがこの十年間で身に着けてきた事だ。
突発的な事故よりも、来ると分かっている痛みを見定めることがどれだけ容易いか。
跳ねるように起き上がった時にハンマーを持ち上げると、殴打面の重さに舌打ちが零れた。
ウォー・ハンマー、威力は出るけど咄嗟の動きには頭の重さが邪魔してくるな。
抉れるほど地面を殴っていたつり目の少年。彼を超えて私に向かって薙刀を振るったのは「嘉音」だ。
後ろに下がっていた重心を無理やり前に戻す。下がって躱すものだと思われていたのか、「嘉音」は私の動作に目を見開いた。
逃げねぇよ。お前達を超えないと流海の為にならないんだから。
腰を捻ることでウォー・ハンマーに勢いを乗せる。「嘉音」は勢いよく私の右肩を斬りつけてきたがどうでもいい。
血飛沫が帽子やペストマスクを汚した気がする。けれどもそれがなんだ。血は洗えば落ちる。傷は治る。
だから何も恐れない。
私はハンマーで「嘉音」の
弾き飛ばした薙刀が宙を舞う。「嘉音」の手首は折れるべきでは無い方向へ曲がり、破れた皮膚から血が舞った。
右肩が焼けるように熱い。それでも、熱湯を被った時よりはマシな感覚。右肩から服の中を液体が垂れていく感触があった。気持ち悪いな。
「あ、ッあぁぁ!!」
玉の汗が噴き出した「嘉音」は膝から崩れ落ちる。喉が鳴る呼吸を繰り返しながら歪んだ両手を見下ろす彼は、今にも胃の中の物を吐き出しそうな雰囲気だ。
「嘉音さッ」
髪を結った少女の顔から血の気が失せる。つり目の少年は勢いよくこちらに向かって駆け出すから、私は左手だけでウォー・ハンマーを握った。
歯を食いしばっている少年の顎をウォー・ハンマーで殴る。本当ならば砕くつもりでハンマーを振ったが、少年は寸での所で足を踏み込まなかった。
遠近感の計算が狂う。それによってハンマーは少年の顎を掠るだけとなったが問題ない。
つり目の少年が目を回した表情をするから、私は追い打ちをかける為にハンマーを叩き落とした。
少年の側頭部に平たい面を叩き込む。そうすれば少年の体が痙攣し、地面に倒れ込んだ。
「
悲鳴のような少女の声がする。
つり目の君は「空牙」と言う名前か。
武器を持てない「嘉音」と、意識を飛ばしている「空牙」を見下ろす。
あ、駄目だ。立ち止まる時間は惜しい。
私は顔を前に向け、剣を持っている少女を見る。彼女は唇を結んで私に向かってきたが、如何せん女の子を痛めつける趣味はないんだよな。
いや、それはもしかして男女差別だろうか。ふわふわで可愛い女の子は守らなくてはいけない? 剣を持って私を殺そうとしているのに?
それは違うだろ。
私はウォー・ハンマーの柄で横から振られた少女の剣を受け止める。彼女はすぐさまもう片方の剣でマスクを貫こうとしてきたから、それより早く
帽子のつば部分を剣で貫かれる。へぇ、不思議な剣だな。先端だけが両刃だ。持ち手から半分近くは片刃なんだ。
武器の観察をしながら少女の結った髪を掴む。そのまま自分から引き剥がせば
ハンマーの石突部分で彼女の鳩尾を再度殴る。そうすれば彼女は目を回して意識を飛ばし、地面に崩れ落ちた。
悪いけど、慈悲はない。
息を着いた時、死角から勢いよく体当たりされて痛みを覚える。見れば脂汗を浮かべた「嘉音」が間近にいて、その口にはナイフが咥えられていた。
私の左肩に刺さっているナイフを見る。
渾身の力なんて出すなよな、こっちはαとβが欲しいだけなんだから。
「そんなに私達を殺したいんですね」
口をついて言葉が漏れる。「嘉音」はナイフを力いっぱい噛み締めて体重をかけてくる。
背は「嘉音」の方が高い。それでも私のマスクや首をナイフで狙えなかったと言うことは、足に力が入ってない証拠だろう。
私は右手で腰後ろにあるナイフを握り、勢いよく振り上げた。
青い刃を見た「嘉音」の目が見開かれる。私は首を傾けて、ナイフから口を離した彼を凝視した。
「その、ナイフッ」
顔色を変えて
ナイフを知っているかい。そりゃ良かった。お前の声は路地裏の鳥頭とは違うから、今は殺さないでいるよ。
だから伝えな、お前のナイフを持ったヤマイがいたってな。
「ヤマイも、生きるのに必死なんですよ」
勢いよくナイフの
「……お前じゃない」
倒れ込んだ「嘉音」の横に、左肩から抜いたナイフを捨てる。白いナイフを軽く振って腰後ろの鞘に戻せば、体の各所が叫び出した。
左
右肩が痛いって言う。
左肩が痛いって言う。
「うるせぇ黙っとけ」
危険を知らせる信号達に黙することを願う。頭は生きる上で必要な信号を遮断し始め、傷になった部分が濡れていると言う感覚に切り替わった。
痛みを感じることは疲れることだ。
痛みを感じていると思うとしんどさが増すのだ。
痛みを許容した瞬間、私は自分のヤマイに耐えられなくなるのだ。
だから痛みを受け入れない。
痛みなんて理解しない。
胸が張り裂けるような痛みに比べたら、体の痛みなんて無いのと一緒。
流海がいなくなる。
それ以外の痛みには耐えられる。
あの子が死ぬ以外の痛みなんて、感じても無意味だから。
私は何も、痛くない。
「涙さん!」
「空穂さん!」
鼓膜が突き破られそうな声に意識を戻される。こちらに突撃しそうな勢いで駆け寄って来たのは朝凪と竜胆で、二人とも怪我はなさそうだ。良きかな。
「どうも。時間を食ってしまいました。すみません」
「ちが、帰ろう! 今日はもう帰ろう!」
「そうよ涙さん! 貴女の怪我、直ぐに手当てをしなきゃ!!」
「まだ材料を取っていません」
「涙さん!」
「朝凪、竜胆」
腕時計を確認する。時間はだいぶ消費されており、残り時間は三十分を切っていた。一時間は予想以上に短いらしい。
「私は平気です、行きましょう」
「どこが平気なんですか!」
「ほんとに平気なんです。痛くないですし、怪我は日常茶飯ですし。あ、この言い方だと自分を悲劇の何者かとでも言うように聞こえますね。すみません」
「る、い、さん!!」
「お願いします。材料を取って帰らない方が、私はツラい」
帽子を拾って刺さっていた剣を抜く。穴が開いたそれを被り直した時、朝凪と竜胆が同時に頭を抱える素振りを見せた。
「……俺、先に
「そうして……涙さん、一緒にαとβを採りましょう。そして直ぐに帰ります」
「ありがとうございます」
嫌々な二人に私の我儘を貫き通した。ごめんよ。二人が私の傷を心配して帰りたいと思ってくれたことは理解できるし受け止めている。
それでも譲れないんだ、これだけは。
竜胆は地図を見てγがある方向へと駆け出し、私は朝凪と共に果樹園の柵に近づいた。
倒れたアテナの奴らを踏み越えて、赤で世界を汚しながら。
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