第11話 清
――
そんな言葉が一番に浮かんだ。
水晶のような木々に白銀の芝生。葉や根さえも乳白色の宝石のようで、空気には金色の輝きが混ざっているような世界。空は柔らかな白と黄色が混ざったような優しい色をしており、見上げていれば自然と鼻の奥が痛くなった。
鼻を啜って足元を見下ろす。白銀の芝を踏んでいることに言い知れない罪悪感すら抱き、私が歩くだけでこの世界を汚す気がした。
目の前に広がる世界――アテナ。
黄色がかった空からは陽光が梯子のように降り注ぐ。何処を見ても完成された絵画のようで、あまりの美しさに鳥肌がたった。
理解をする前に美しいと思わされ。
理解をした後は感嘆するしか出来なくて。
そんな世界を、私の目は映している。
――天国だ
毒の世界などではなく、ここは天国なのだ。
白と透明が統べる世界。所々にある水色や金色は清い世界の調和を取る。
そこで理解できたのは自分達の服の色だった。
白いペストマスクに白い帽子、白い上着、白い手袋。
これだけ全てを白で統一していれば、私達はこの世界に紛れ込むことが出来る。
私は砂になっていた自分の体が再構築される感覚を味わい終わり、清らかすぎる世界に奇しくも見惚れていた。
――懐かしい
ふと、自分が浮かべた言葉に頭を散らかされながら。
「涙さん」
朝凪に手を握られて意識を戻す。私は彼女が見えるように顔を動かし、右耳の傍を押さえた。柔らかい声が鼓膜を揺らす。
「もしかして、懐かしいって思いました?」
「はい。よく分かりましたね」
「みんな思うんです。初めてアテナに来た時は」
朝凪が周囲を見渡す素振りを見せる。周囲は木々に覆われており、水晶のような木々の幹は光を屈折させながら芝を煌めかせた。
「不思議だよね。ここは危ない世界なのにさ……綺麗だって思って、懐かしくなって、泣きたくなるんだ」
「竜胆や朝凪も感じたんですね」
木の幹を撫でる竜胆を視界に入れる。彼は頷いて、朝凪は腕時計を見る素振りをした。私も腕時計を確認し、タイマーが起動していると気づく。
「タイマーも無事に起動してる。永愛、ここからなら
「そうだね。行こうか」
朝凪と竜胆が頷き合う。私はウォー・ハンマーを回し、深呼吸を一度した。
時間は限られている。一時間で目的の物を集めて、流海の元に帰るんだ
流海、大丈夫だよ。お前がいつでも目覚めて良いように、私がするから。
柘榴先生の研究の為に材料を多く採取するのは慣れてからだ。最優先はメディシンを作ってもらえる材料を集めること。
私はハンマーの石突を芝に突き立て――背後からした足音に反応した。
「涙さん!!」
朝凪の声を聞きながら振り返る。
見えたのは人影が二つ。振り上げられた巨大な斧と逆光で見えない相手の顔。
私は腰を落としてウォー・ハンマーを勢いよく横から振り抜き、自分に向かっていた二つの刃を横へ凪いだ。
左側の地面に叩き落とされる斧。
白銀の芝が切れて舞い上がり、すかさず腰から刀を抜いた竜胆が相手に斬りかかった。
素早く斧を担いで後退した相手二人。黒い短髪を揺らす彼らを見つめていれば朝凪に腕を引かれ、私は後ろに下がった。竜胆は両手に長刀を持って構えを取る。
「
「だね、頑張って駆除しよう」
斧で斬りかかって来たのは、軍服に見える服を着た二人の少年。ボタンが左に四つ、右に四つで計八つになる感じの、たしかダブルブレストって言われる上着を着てる。白を基調とした服は各所に入った金の装飾によって
二人の顔は全く同じと言っても過言ではない作りをしていた。黒い双眼に中性的な顔立ち。違いと言えば黒い短髪が跳ねているか否かと言う所だろう。
一卵性の双子だ。
私は唇を結び、彼らが持ち上げた揃いの武器に意識を向けた。
長い柄の先についてる、太めの三日月みたいな刃。なんだっけ、昨日柊が武器について教えてくれたんだよな。あんな感じの斧を、そう――クレセントアックスだ。別名は三日月斧。
――だいたい一二〇から一五〇cmの柄に大きな三日月型の刃をつけた武器だな。熟練者に叩き下ろされたら頭蓋が砕ける。当たりが良いと上半身位まで裂かれるかもな
――それ、当たりが悪いって言いませんか
意外と役立つもんだな、武器の知識って。帰ったら流海の横で勉強した方がいいかもしれない。
武器を知るのは対処を知ること。武器の性能が分かれば弱点も分かると柊は言っていたな。
私は少年二人が顔を寄せ合い、私達を観察していると判断した。
「長刀使いを確認」
「ペアの弓矢使いもいる」
「あのハンマー持ってる奴は?」
「知らないな。リストにも載ってない気がする」
「新参かな」
「新参だろうね」
「若い芽は早めに摘まなきゃ」
「育つ前に摘まなきゃ」
「「ヤマイは全部、残さず、根まで摘み取らなきゃ」」
少年二人は声を揃えて、鏡写しのように動きも揃う。
私は感情が揺れる心地を味わいながらハンマーを握り締めた。
「いばらちゃん、空穂さん、ここは俺が時間を稼ぐから、まずはαを」
マイクから静かな竜胆の声がする。朝凪を確認すれば、彼女は首を縦に振った。
「永愛なら大丈夫」
朝凪に腕を引かれて、同時に少年達に向かった竜胆を置いていく。背後からは金属がぶつかり合う音が響くが振り返ることはしなかった。私よりも竜胆と付き合いの長い朝凪が言うのだから大丈夫なのだろう。
私は走り出した朝凪と並走し、水晶の林の中を縫うように駆け抜ける。
腕時計に地図を表示すると自分達が赤い点のついた場所に近づいていると気が付き、右耳側を押さえた。
「朝凪、このまま行けば何処に辿り着くんですか?」
「αの果樹園です! αはβを栄養に育つ果実なので、このまま行けばαとβ、どちらも収穫が出来ます!」
「かしこまりました」
朝凪の大きめの声に鼓膜を揺らされる。早口だったことも考えて今はあまり余裕がない状況なのだろう。
木の影を利用しながら駆ける彼女を見逃さないように心掛け、私は腰につけている袋に触った。
αはリンゴの形をした木の実。βは砂金が混ざったような水。これだけ聞けば何かの料理でもするのかって感じだな。薬草とかそういうので作ると思っていたのに。取って来た材料がミキサーに入れられたらどうしよう。そんな訳ないか。
こんな冗談を言えば、流海は笑ってくれただろうか。背中合わせに座って、体温を預け合って、お互いに表情を見せないまま。相手の表情は自分に向けていないと言い聞かせて。
あぁ、流海の声が聞きたいな。
「いばらちゃん一人行った!」
マイクから響いた竜胆の声。
一瞬だけ雑音が入ったようなそれを聞き取った瞬間、朝凪が急停止する姿を見た。
彼女は地面に片膝を着き、元来た方向へ弓を引き絞る。その凛とした構えにつられて足を止めた私は、迫っていた少年の一人を確認した。
黒髪が跳ねてない方の子。彼は勢いよく森の中を駆け、私達に迫った。
朝凪は静かな動作で矢を離す。
それは空気を裂いて少年の顔に向かうが、狭い林の中でも少年は三日月斧を振り抜いた。
近くの水晶の木が斬り倒れる。その風によって矢の方向が逸れるのを見た時、私は地面を蹴っていた。
私達がこちらに居られる時間は一時間しかない。それなのに少年達に追われて材料の捜索が出来ないだなんて――イラつく以外の何ものでもないから。
私はウォー・ハンマーを渾身の力で叩きつけ、少年が三日月斧を盾にした姿を見つめた。
黒く見開かれた瞳と目が合う。
その黒目に流海がぶれて見えて、私の中には熱さが蔓延した。
あの子はまだ目を覚まさない。
目を覚ませばメディシンの投与が終わる。
ヤマイに優しくない世界が嫌いだ。
流海に優しくない世界が嫌いだ。
ヘルスが嫌いだ。
アレスが嫌いだ。
アテナも嫌いだ。
私の腕に溜まった熱は素早くウォー・ハンマーを引く力に昇華され、足も踏み込ませた。
ハンマーで勢いよく三日月斧を上に弾き飛ばす。少年は驚いた顔をしたまま歯を食いしばり、私は素早くハンマーを持ち直した。
息を止めて真一文字にハンマーを振る。渾身の殴打は口を結んだ少年に
彼の汗が流れ落ちる様子を見る。白い軍服の裾をハンマーが掠めていく。
後退した彼は三日月斧を握り直し、私はハンマーを回した。
「邪魔、しないでくれます? こっちは材料が欲しいだけなんで」
「貴方達ヤマイですよね。ヤマイは殺さないといけないんです。だから大人しく死んでください」
頭の奥で火が灯る感覚がある。
心臓は強く脈打ち続けて、鼓膜の奥で血液が流れる音が聞こえた気がした。
軽々しく――死を口にするなよ。
死は取り返しがつかないんだ。殺すだなんて簡単に言うな。
人の命を、お前らがどうこうする権利なんて無いんだよ。
――涙、流海
――ほら、おいで
瞼に焼き付いている光景がある。
大好きだった光景がある。
それを死が奪っていった。
奪って、奪って、残るのは体の中心を吹き抜ける冷たい風だけだから。
私から流海は奪わせない。あの子の命は、私が守る。
叩き下ろされた三日月斧を横殴りに弾く。大きな武器で破壊力はあるだろうが、当たらなければ何でもない。
黒髪の少年は顔を歪めながらも直ぐに体勢を立て直すから、再度刃を向けられる前に彼の手首を殴りつけようとする。
彼はその動きを予想したように腕を躱し、私は空気を裂いた矢の音を聞いた。
少年の足を射抜いた矢がある。それに彼は意識を持っていかれて、体勢が崩れたから。
私はハンマーを握り締める。
人を殴ることに抵抗があるか。
人を傷つけることに抵抗があるか。
人を痛めつけることに抵抗があるか。
答えは――否。
私は流海以外の奴なんて――どうでもいい。
空いている少年の脇腹めがけてハンマーを振り抜く。掌に感じたのは骨が折れるような感触と柔らかい筋肉を叩いた感じ。
ハンマーの動きに合わせて少年の体は斜めになり、地面に倒れ込んで少しだけ転がった。
へぇ、結構威力が出るもんだな。
私はウォー・ハンマーを回し、倒れて
浅い呼吸をする少年は、それでも三日月斧を持ち直そうと手を動かした。
だから斧を蹴り飛ばしておく。
少年の手の前にあった斧は地面を滑って木にぶつかり、私は倒れ込んでいる彼を見下ろした。
「貴方は弟でしょうか。それとも兄でしょうか」
「はッ……ッ」
目の縁から
天国のようだと感じる世界に染みが落ちる。この世界に住む奴が世界を汚す。
まぁ、その元凶は私だけどな。
私の問いに答えない少年を見つめてしまう。余計な時間を使ったな。何秒無駄にしたんだろう、最低だ。
右耳に触れてマイクを起動する。固まってこちらを見ている朝凪を無視して、竜胆に向かって会話する為に。
「竜胆、追って来た少年を一人動けなくしました。あばらを折ったので復帰には時間がかかるかと。そちらの少年が竜胆をまだ足止めしようとしているならば勝手ですが、早めに処置をすることをおススメしといてください」
「え!? は、はい!!」
「どうも」
「な……にを……」
咳き込む少年は背中を丸めて痛みに耐える。私は脱力気味に彼を見下ろし、ハンマーを握り直した。
「命があるだけマシですよね」
伝えて三日月斧の近くまで行き、ハンマーを叩きつける。そうすれば持ち手にひびが入ったから、私は数度に分けて三日月斧の持ち手を砕いた。
念には念を。もしかしたらどんな怪我も即座に治す妙薬とかがあるかもしれない。だって異世界だし。そんな妙薬があったら喉から手が出るほど欲しいけどな。
武器として成り立たなくなった三日月斧を確認した私は、放心している朝凪の腕を掴む。矢を放った姿勢のまま固まっていた彼女は何を考えていたのやら。
「ありがとうございました」
そう伝えれば、彼女は「ぁ、ぃえ」と生返事をして再び走り出してくれた。
振り返らないよ。そこに血を吐く少年がいようとも。呻く誰かがいようとも。
私は、流海の方が大切だから。
竜胆が合流したのは、それから数分後のことだった。
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