第10話 準
放課後、駅を出ていつもは通らない道を歩く。嫌に凪いだ心持ちで。
これから知らない世界に行くのに。毒の空気に飛び込むのに。ヤマイを殺そうとしている奴らがいる場所に行くのに。
どうしてアテナにいる奴らはヤマイを殺そうとするのか。なんて、考えても答えが出ないならば考えても無駄だ。殺したいからそうする。成したいから成す。私がアテナに行くのも流海を助けたいと思うから成すだけだ。それと何も変わらない。
パナケイアの第四十四支部に辿り着く。
私は昨日発行された
道具室に着けば既に桜がおり、彼女はペストマスクを付けて私を迎え入れてくれた。
「いらっしゃいませですわ! 出来上がってますのよ、是非合わせてみてくださいませ!」
「ありがとうございます」
桜に必要な道具が入った箱を渡されて、隣接する更衣室に向かう。道具室の右側が男子更衣室兼シャワー室で、左側が女子更衣室兼シャワー室だ。
私は誰もいない更衣室に入り、〈空穂〉のプレートがかかったロッカーに荷物を入れた。
――衣装は全て白で統一されていた。
持参した長ズボンとシャツを着て、その上から真っ白の上着を羽織る。手袋は手首のスナップを留めて、靴の紐を括り直して。上着は本当に自分の為に作られたのだと分かるほど苦しさがなく、オーダーメイドの凄さを目の当たりにした。アルアミラと帽子は後で良いだろう。
道具室に戻れば「お似合いですわ! ピッタリですわ!」と桜が飛び跳ねながら喜び出した。マスクを付け続けている彼女に感謝する。恐らくマスクが無ければ、私は今頃白い服を赤く染めていた筈だ。
「本当に凄いですね。驚きました。ありがとうございます」
「いいえ、それが私の仕事ですので。あぁ、それにしても本当にお似合いですわ!」
桜が私の両手を取って大きく上下に振る。素直な嬉しさをぶつけられる私は、道具室に入って来た少女に視線を向けた。
「こんにちは、朝凪」
「あ、こ、こんにちは涙さん。今日から参加でしたね」
「はい。よろしくお願いします、で良いんですかね」
「大丈夫です、よろしくお願いします」
朝凪は目を何度も瞬かせながら頷いてくれる。私は昨日、流海の病室に来た猫先生との会話を思い出していた。
――最初はペアを組んだ方が良いと思う。初回から一人だと右も左も分からないだろうからな
――……そうですね
――誰か希望はあるか? なければこちらが勝手に決めてしまうんだが
業務的に、感情を押し殺したような喋りをした猫先生。彼は私の頭を始終撫でてくれたから、私も肩の力を抜き続けた。
――可能ならば朝凪いばらさんが良いです。もちろん彼女の意思を最優先で
――朝凪だな、確認しておく
無表情の猫先生は頷いた後、どうしようもないと言う顔で私を抱き締めてくれた。微かに肩を揺らしていた彼は、一体どんな言葉を飲み込んだのか。
ごめんよ、猫先生、柘榴先生。私は二人の気持ちより、流海を優先したんだ。
意識を戻して朝凪を確認する。私と同じ時間に朝凪がここに来たと言うことは、了承してくれたと言うことで良いのだろうか。
「小梅さん、私の上着ってこちらに来てる?」
「はい! 完璧に直しておりますわ!」
スキップでもしそうな足取りで桜は一つの棚を開け、朝凪に上着を渡す。朝凪は微笑みながら受け取り、桜がつけているペストマスクについては質問していなかった。
朝凪はそのまま更衣室に向かい、私はライオスを自分のペストマスクに入れていく。
数分でやって来た朝凪は私と同じく全身白色で、それによって感じる神々しさに感嘆の息をついてしまった。
「涙さん、ライオスとかの説明はされたって柊君から聞いたんだけど……」
「はい、一通りは聞きました」
「そっか」
安心したように肩から力を抜いた朝凪。彼女はライオスをペストマスクに入れると、アルアミラを被ってマスクと帽子も身に着けた。私も
武器の棚を開けた朝凪は左手首で固定するタイプの小さな盾をつけ、彼女の身の丈くらいはありそうな弓を握る。上着の上から斜めがけした矢筒も見て、彼女が弓矢の使いなのだと頭の中に刻んだ。
私は上着の上からベルトをつける。ベルトの腰後ろに当たる部分には鞘がついており、そこに白いナイフを入れた。桜が「作らせて下さいませ!」と詰め寄って来たのでお言葉に甘えた鞘だ。彼女がきちんと寝たのか気になる所なので、明日お礼のお茶菓子でも持ってこようと思う。
ウォー・ハンマーを手に取れば朝凪に凝視されている気がして、私は右耳部分を触った。
「朝凪、私は何か間違えてますか?」
「あ、い、いいえ。その、涙さん、行きましょうか」
「はい」
驚いたらしい朝凪はマイク越しに答えてくれる。私は頷き、綺麗な姿勢でこちらを見ていた桜に視線を向けた。
「桜、急なお願いだったのに一式を準備して下さったこと……感謝します」
「いいえ、お気になさらないでください! 私は皆様のサポートが出来ることが生きがいですの! いってらっしゃいませ!」
「はい、いってきます」
「いってきます、小梅さん」
花でも飛びそうな空気で桜が手を振ってくれる。私も手を振り返して部屋を出ると、扉が閉まる瞬間に小さな声を聞いた。
「どうか――ご無事で」
閉まった扉を背に足が止まる。
空耳だと思わなかった私はウォー・ハンマーを握り直し、弓を握る朝凪の背中に続いた。
「今日はすみません。急に頼んでしまって」
「いえ、大丈夫なので気にしないでください。元々私は今日シフトが入ってましたし、涙さんのことは気になってたので」
マイクを通して会話をしてくれる朝凪。私は彼女の隣に並び、足は〈転移室〉と書かれた扉の前で止まった。
そこは壁につけられた棚と長椅子があるだけの簡素な部屋。
ネームプレートが付けられた棚の上には砂時計と袋が数枚、電子の腕時計が並べられていた。私は〈空穂涙〉のプレートの位置に置かれた砂時計を手に取る。
朝凪も自分の砂時計を手に取り、袋と腕時計について説明をくれた。
「この袋は材料を入れる為の物なのでベルトに吊るしておけば大丈夫です。腕時計はアテナにいられる残り時間を正確に表示してくれる、云わばタイマーですね。あと、表示を切り替えると地図が見えるようになってますので」
「地図、あるんですね」
「はい。
RPGのマップ作りかよ。
喉まで出かけた言葉を飲み込んで「軌跡ですね」と返事をしておく。地図表示はアテナに入ってから使えるようになるらしいので楽しみにしておこう。
メディシンを作る為の材料、正しくはプラセボを作る材料は三つ。
一つ目はリンゴの形をした木の実――
二つ目は砂金が混ざったような水――
三つ目は体温で溶ける木の葉――
こんな数学みたいな呼称の材料で薬が出来るのかと
私が袋を腰に吊るした時、朝凪が壁掛けの時計を確認する素振りを見せる。彼女は右耳の部分を押さえると恐縮そうな雰囲気で声を掛けてきた。
「ぁの……涙さん、ごめんなさい。実は私、ペアを組んでる子がいるんですが……その子を待ってもいいでしょうか?」
あぁ、なんだ、そんなことか。
言葉尻が小さくなっていく朝凪を見つめてみる。ペストマスクをつけているので表情は分からないが、恐らく眉を下げた表情でもしているのだろう。
私は頷きながら右耳を押さえた。
「構いませんよ。元々急なことを言ったのは私ですし、気になさらないでください」
「あ、ありがとう」
安心した息と一緒に朝凪の声を聞く。私は砂時計を見下ろして銀色の砂を軽く揺らした。
「砂時計を逆さにした場合、どのような感じで、アテナのどういった場所に下ろされるんですか?」
「そうですね、感覚的には……んー……自分の体が砂になる、みたいな感じですかね」
「砂」
正直な感想は、良く分からない、だ。申し訳ないけど。想像力が乏しいので。
だからそのままの単語を疑問の意味を込めて繰り返せば、朝凪は真白の袖を振りながら続けていた。
「言葉では上手く言えないんですけど、ほんと、サッと砂になって、アテナに着いて固められる、みたいな!」
「へぇ」
自分でも気のない返事をしてしまったと思う。肩を揺らした朝凪が困っているのは容易に想像できたし、彼女なりに誠意ある返答をしてくれたのに私ときたら、と言う感じだ。反省。
だから私は言葉を考えて、話題を先に進めた。
「ありがとうございます。砂になって固められる感覚、楽しみにしてます。どういった場所に辿り着くのかも教えて頂けますか?」
少しだけ首を傾けてみる。基本的に無表情の私に対して、同じく無表情族の猫先生が教えてくれた動作だ。
――少しだけでも首を傾げると、雰囲気が柔らかくなるらしい
幼少期にした猫先生とのやり取りを思い出す。二人して首をどのくらい傾げれば怖くないか真剣に考えた時期があり、柘榴先生と流海から「笑いを堪えるのに必死だった」と後から言われた。柘榴先生は準無表情族なので猫先生よりは笑う人らしい。私の前では笑わないから知らないけど。目のハイライトは入らないし。
私が首を傾げると、見るからに朝凪の肩から力が抜けたのが分かった。彼女は砂時計を握り締める。
「辿り着くのは前回帰還した地点からです。涙さんは初めてアテナに行くから、私と同じ場所に辿り着くかと」
「分かりました」
頷いて、もう一度お礼を言うか少し考えた。桜の時もそうだったが、今日の私はお礼を口にし過ぎている気がする。それだと酷く軽い感謝に聞こえると思うのだ。だから桜に三回目のお礼を伝えた時は「感謝します」に言葉を変えたわけだが、あまり納得はしていない。
しかし、ならば今はどう言えば良いのだろうか。やはり感謝しますか。助かりました。よろしくお願いします。どうも。お礼申し上げます。
感謝の度合いが曖昧になっていくな。自分の語彙力のなさに辟易してくる。
「る、涙さん?」
右耳を押さえたまま固まった私は、どうやら朝凪を不安にさせたらしい。
私は反対側に首を傾けて正直に伝えた。
「教えてくださってありがとうございます、と言いたかったんです。でもそれだと「ありがとう」を言いすぎて軽く聞こえる気もしたので、別の言葉を考えていました。結局いい言葉は浮かびませんでしたが」
朝凪から「え……」と間の抜けた声がする。彼女は顔を右へ向けたり左へ向けたり、両手を振ったりと忙しいご様子だ。動作がとても可愛らしい。
彼女が何かしら言うのかと思って待っていたら、不意に扉が開いて背の高いペストマスクが入って来た。
全身白い衣装で、小走りで来たのか勢いが良い。腰には長い刀を二振り帯刀していた。
「ごめん! 遅くなって……あ、もしかして貴方が今日から加入するって言う方ですか?」
背が高いわりに低い物腰で話しかけてきたペストマスク。私は頷き、相手を声の高さから男だと判断した。
「はじめまして。空穂涙と言います。よろしくお願いします」
「はじめまして、俺は
同い年か。
勝手に頭の中で判断して「私も高二です」と握手をしておく。竜胆は何度も頷いて、自分の砂時計を取っていた。
「ぁ、ぇっと、タメ口でも大丈夫かな?」
「はい、ご自由に」
竜胆にやんわり聞かれたので了承しておく。挨拶の時に敬語だったから良いよ。同い年だと分かった以上、彼は敬語だと話しづらいのだと見えた。私は敬語でいくけどな。
「えっと、それじゃあ行く? アテナ」
「そうね、行きましょうか」
竜胆が朝凪に確認する。右往左往していた朝凪は居住まいを正して頷き、二人のマスクは私の方に向いた。
「涙さん、今回は初めてだから気負わずに行きましょう。アテナの存在に会ったら直ぐに砂時計を逆さにして戻ってくればいいと思いますし。ね、永愛」
「だね。分からないことも多いだろうから、無理しない方が良いと思うな」
「……」
二人の言葉に即答できない。
私にとっては、この一時間に流海の明日がかかっていると言っても良いのだ。
だから妥協したくない。最大限活用したいし、無茶も無理もする所存でいる。
それでも二人の言い分が分からないほど間抜けではない。朝凪は流海の容態を知っていながらの言葉であるし、竜胆だって初対面の私に対して気遣いをくれたのだから。
理性的な自分と願望的な自分が正反対の意見を持って対立する。
それでも、秒で勝つのは願望的な自分――流海を優先する自分だ。
「一人分のメディシンを作る材料は、私でも集められるものでしょうか」
二人の言葉に正しくない言葉を返す。いや、私の中での正しい基準は流海だから、私は自己中的に返答しただけか。
「えっと……」
「……集められるものではあります。でも、相手も私達が何を狙っているか分かり始めていると言うのも事実ではあります」
言い淀んだ竜胆に対し、朝凪は柔らかい口調で教えてくれる。
私はマスクの中で目を伏せて、腰の後ろにあるナイフの柄を握った。
怒りが湧く。愚かさが湧く。憎らしさが湧く。
ウォー・ハンマーを握る私の手には嫌に力が込められた。
「私は、弟の為にメディシンを作っていたいんです。弟の為になる薬を作って欲しいんです。その為に材料を取りに行くんです」
このナイフを持っていたペストマスクの頭を砕きたくなる。手にしたハンマーで、粉々に、ぐずぐずに。
ヤマイだから殺そうとしたのかと。ヤマイだったから流海を傷つけたのかと。
好きで私達がヤマイになったと思うな屑共が。
反吐が出そうな嫌悪を胸の中に
「だから二人はいつも通りの行動をとってください。私は勝手に着いていくので」
暗に伝える「気にしなくていい」
朝凪と竜胆は顔を見合わせる素振りをする。
私はナイフに当てていた手を下ろし、不意に両肩を叩かれる感覚に驚いた。
狭くなっている視界に対処が遅れるのは当たり前だが、ここまで反応できないとは思っていなかった。これは慣れるのに少し時間がかかりそう。
そんなことを考えたと同時に、自分の肩を叩いたのは誰でもない朝凪と竜胆だと理解する。二人は私を見つめており、言葉を決めあぐねているような雰囲気をしていた。
「無理、しないでね」
「一緒に集めて行きましょう」
……へぇ。
正直言って、ここまで優しくされる道理はないと思うのだが。
私はこれ以上余計なことを言うつもりはなかったので、黙って首を縦に振っておいた。
朝凪が私の右手を取り、竜胆は彼女の肩に手を置いている。それぞれ砂時計を持ち、アテナで離れてしまわないようにする為の繋がりだとなんとなく察した。
「行きましょうか」
「うん」
「はい」
朝凪が砂時計を逆さにし、竜胆も砂時計をひっくり返す。
私も二人とほぼ同時に砂時計を逆さにし、黒い装飾の中で銀の砂が流れ始める様を見ていた。
体の感覚が薄らぐような錯覚を得る。
同時に足先から本当に「砂」になるような違和感を覚えて、私は体の感覚が分からなくなった。目を閉じたのは反射的にだ。
ほろほろと崩れて、風に導かれるように舞い上がる。
足先から膝へ、膝から腰へ、腰から肩へ。
私が崩れて粒子になる。私の形が吹き飛んで、何処かに行くような曖昧さに包まれる。
しかしそれは一瞬の出来事だった。
ばらけた砂は集まり、固まり、形成され、私になる。
そんな理解をする間に目の前の景色は変わり――私は天国にいた。
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