第5話 唖


 相手がペストマスクを付けているのは私達にとっては好都合だった。なにせ表情が見えないのだから。表情がうかがえなければ私達もヤマイを発症しない。そこだけは好印象だな、全てが変だけど。


 ビルの壁にもたれかかるように「ペストマスクさん」を座らせて数分。


 私と流海は都市伝説に応急手当を施していた。


 黒い上着を脱がそうとしたら拒否されて苛立ったが無理強いはしていない。服の上からの触診の結果、一番の怪我は脇腹だと突き止めたし。破れた服と抉れたような傷を掌で確認すれば、流石に眉間に皺が寄ったものだ。


 流海は「ペストマスクさん」の服の裾を持ち上げて、私はガーゼを押し付ける。見えたのは肌色だった。


 なんだ、体つきは人間と一緒かよ。都市伝説だと言うから緑色の肌や黒い体を想像してたのに。


「ぉ……ぃ……ぉまえ、ら……いてぇ……」


「うるせぇんで黙ってくださいねー」


「喋らない方がいいと思いますよ」


 うめきではない声に反発しておく。敬語が崩れかけたな、しっかりしろ私。


 反射的に黙るように言ってしまったが本心なので大目に見ろ。優しさや気の長さは全て流海が持っているのでね。


 微かにあった「言葉が通じないのかもしれない」と言う疑念は杞憂だった。この鳥頭が喋ったのは私達と同じ言語だ。


 理解したと同時に落ち着きかけていた苛立ちが再度煮えてくる。こっちの言葉を理解してんなら最初から話せよふざけんな。時間の無駄だわ。


 赤黒い血を流す傷にガーゼを何枚も重ねる。包帯を胴に巻き付けてきつく縛り上げてみたが、これで何か変わるだろうか。怒りを込めて巻いたので鳥頭から呻き声が漏れたが気にしない。嫌に人間らしい反応をするなよ都市伝説。


 徐々に目の前の存在がコスプレイヤーか何かではないかと思い始めたが、それだと救急車を知らない説明ができない。救急車って大概の奴は知ってると思ったのだが、それは私の思い過ごしなのか。


 転がしたままのナイフを確認する。


 ナイフを持った都市伝説。腹を抉られる程の怪我をして、ビルから落ちてきた生きたがり。


「……おかしなことに足を突っ込んだ気がする」


 呟いてしまう。そうすれば流海が頭を柔く撫でてくれた。


「仕方ないんじゃない? 死にたがりではなかった訳だし」


「確認したのは間違いだったかなぁ」


「涙の行動を間違いだなんて思ったことないなぁ、僕」


「可愛いかよ」


 真顔の流海に笑顔を向け、包帯を力いっぱい締めた。鳥頭の呻き声なんて聞こえてない。


 私が持ち歩く応急手当セットは計七つ。包帯、テープ、鋏、ガーゼ、絆創膏、消毒液、刺抜き。基本的にこれらがあれば大抵の応急手当は出来る。あとウェットティッシュもあれば処置後に手を拭けるので尚良し。


 今回はその中の包帯とガーゼを大量消費するケースだったな。ムカついてるから鳥頭に消耗品代を請求しても許されるだろうか。と言うか許せ。タダほど怖いことはねぇぞ。


 請求方法を考えながら包帯をテープで固定する。手荒だとは自覚しているが苛立っているので仕方がない。そして私を苛立たせたのは鳥頭本人だ。なので私は悪くない。


「いってぇ……」


 また文句が聞こえるが無視だ無視。


 私は赤く汚れた手袋と膝を確認した。目の前の存在がどんどん自分と近い何かに見えてきて嫌になる。吐きそうになったため息は、つば広帽を「ペストマスクさん」に被せることで飲み込んだ。


「運ぶか」


「だね」


 私は鳥頭の左腕を持ち、流海は右腕を持つ。掛け声は特にないまま二人で「ペストマスクさん」の腕を肩に担ぎ、黒い腰を支えながら歩き出した。


 そうすれば鳥頭もゆっくりだが歩き始める。なんだ、歩く気力はあったか。意地かな。鳥頭は無駄に背が高いので助かる。


 鳥頭のペースに合わせながら家に辿り着く。玄関に入った所で全員立ち止まりかけたが、動けなくなりそうなので気合でリビングまで引きずり歩いた。


 ソファに向かって鳥頭を寝かせる。深く呼吸している「ペストマスクさん」は肩から力が抜けたようで、私は深く息を吐いてしまった。


「おつかれ涙」


「おつかれ流海。ペストマスクは外してやったら良いんだろうか?」


「外したら呪われそうな気がするから反対かなぁ」


「縁起でもないなぁ」


 ソファ前のフローリングに座り、ペストマスクの額を突いてみる。「ペストマスクさん」はわずらわしそうに顔を揺らし、ビルから落ちた当初よりも元気そうに見えた。気のせいかもしれないけどな。アドレナリンが無駄に出てるとか。


 流海はナイフを机に置く。「ペストマスクさん」から離して置くのは私達なりの自衛だ。急に暴れ始めたりしたら困るしムカつく。とてもムカつく。その場合は刺し違えたりしても正当防衛になるだろうか。嫌だな面倒くさい。


 血だらけの手を見て嫌になる。


 耳の奥でブレーキの金切り音がした。


 うるさい失せろ。


 ソファに頬を寄せて息を吐く。ペストマスクのくちばしが頭に当たったがどうでもよかった。こんな大きな鳥を飼う予定はない。


「涙、手とか洗ってきたら?」


「そうするー……あー、印刷はもう明日でいいよって言ってくれー」


「いいよー」


「やったぜ流海のお許しが出た」


「明日提出ではないんでしょ?」


「明後日」


「大丈夫大丈夫」


 ソファに突っ伏している私の背中に流海が凭れてくる。背中合わせだと理解し、お互い疲れているとも感じられた。


「流海、動けない」


「んー、あと三分だけ」


「手を洗いに行けばいいって言ったのに。矛盾」


 ペストマスクの嘴を撫でる。鉄分を取れるものを食べさせた方がいいのだろうか。まず私達と同じものが食べられるのか。相手は都市伝説だぞ。


 重たく感じる手袋を外して膝に置く。手の甲に示されている印数にまでは血が付いておらず、サイコロの目は余り見たくないものだ。


「……お前ら、ヤマイ、か」


 小さな声に確認される。


 見ればペストマスクがこちらを向いており、その奥にある目と視線が合った気がした。


 左手の甲を振って見せる。流海も背後で手を振る感覚があり、私は口を開いたのだ。


「その通りですね。私には笑いかけないでくれると助かります」


「僕には笑ってくれると嬉しいですね」


 自分の声も流海の声も気だるげだった気がする。


 目の前の「ペストマスクさん」は息を呑んだような態度を取り、私は都市伝説の黒い髪を叩くように撫でた。


「身構えないでくださいよ、心外です」


「ヤマイが……なん、で……」


 都市伝説さんの声が消えていく。なんでってなんだよ。謎すぎる。


「ヤマイが怪我人に手を貸してはいけませんか? 差別ですね」


 ペストマスクの額を突いて眉間に皺を寄せる。引いていた苛立ちが再熱していく気がして、指には力が入っていた。


「別に貴方が飛び降り自殺志願者だったならば止めなかったですし、助けませんでしたよ。死ぬのはとても勇気がいるでしょうし。だけどビルの上にいた貴方の態度からはそれが判断できなかった」


「だから僕達は落ちても大丈夫かもしれない状態を作ったし、その後の貴方に聞いたんです」


「生きたいのか死にたいのか」


「そこで貴方は傷を教えてくれて、死にたいとは言わなかった。だから手を出しただけですよ」


 流海が私の後頭部に頭を押し付けてくる。ソファに顔を突っ伏した私は息を吐き、最後と言わんばかりにペストマスクの嘴を弾いておいた。


「生きたいと言う奴を見過ごす程、人間捨ててないんですよ」


 ビルから落ちても壊れていないペストマスクを確認する。こちらも「ペストマスクさん」に対する質問は山程あるのだが、それは相手が元気になってからでも良いだろう。あ、猫先生と柘榴先生になんて言おう。


 汚れた指先と印数に目を向ける。


 その手が取られたと思った時には既に、私の左手は「ペストマスクさん」に握られていた。


「五……の、ヤマイ……」


「そうですよ」


 深い呼吸が聞こえる。それでいて気道が締まっているような呼吸音だ。


 私は「ペストマスクさん」に視線を向けて、咳き込む都市伝説を確認した。ソファにつけていた顔を離してペストマスクを見下ろす。私の手を離した「ペストマスクさん」は自分の胸を掻き、再び酷く深い咳をした。


「涙、その人どうしたの?」


「さぁ」


 流海が背中を預けたまま聞いてくる。判断しかねる状況を見つめる私は首を傾け、「ペストマスクさん」に袖を引かれた。マスクがこちらを向く。表情なんて判断できない。


「発作か何か持ってるんですか?」


「すな……すなど、けい……」


 息も切れ切れと言った様子で所望される。質問に答えてねぇぞお前。会話をしろ会話を。


 眉間に皺を寄せたことを自覚する。「ペストマスクさん」は震えながら体を起こし、せながら立ち上がろうとしていた。


 それでもまだ体調が万全である筈もない。


 ソファの肘置きに顔から突っ伏した都市伝説はおかしかった。ものすごく苦し気な呼吸が聞こえるのは何故だよ。発作かどうか聞いたのに答えねぇし。


 すなどけい? 「砂時計」ってことか? 自動変換するぞおい。


「砂時計って言ったの? その人」


「私にはそう聞こえた」


 流海と一緒に疑問符を浮かべた自信がある。


 鳥頭はしきりに動こうとしているが、手は力なく落ちていった。体も脱力気味に倒れたままで酸欠でも起こしてるような態度だ。


 酸欠は苦しい。吸っても吸っても苦しいし、吐いても吐いても苦しいし。なんなら痛い。頭がおかしくなる気がして意識も朦朧とする。なみだも出るし、鼻水とか垂れると余計に息が出来なくなって最悪なんだ。


 瓦礫に押し潰された時を思い出す。


 自分の喉から零れる無様で浅い呼吸音が耳元で再生されて苛立った。


 まぁ、私が体験した酸欠と鳥頭が体験してる酸欠を同じだなんて思わないけどな。


 だってそうだろ。


 自分の体験を「私も同じこと経験した」とか「俺も同じ気持ちだよ」とか共感されても、虫唾が走るだけだ。


 勝手に共感すんな。どうせ全員他人だろうが。勝手にお前の話にすり替えんなよ、自分語りが。


 鳥頭を見下ろす。無力に伏している都市伝説からは喉が締め付けられるような呼吸音が続いていた。


 何が起こってるかは知らないが、問いを投げても返ってこないだろう。


 私は流海の頭に後頭部を押し付けた。


「なんか知らんが、砂時計を探してるみたいだよな」


「でも、この人そんなの持ってた?」


「さぁ。全身漁ったわけじゃないからな……漁る?」


「いや、するなら僕がやるから。涙は離れててよ」


「ち、がう……さっきの、ぉい、場所……おい、」


 流海と会話をしていたら「ペストマスクさん」に嘴で手を突かれた。どうやらまだ喋る元気はあるらしい。


 必死に動きたそうにする「ペストマスクさん」は「すなどけい」と言う単語を繰り返した。どうやら酷くお探しらしい。


「……さっきの場所に砂時計が落ちてなかったか見てくるわ」


「涙が行くの?」


「どっちかは鳥頭見てた方がいいだろ。流海は路地裏に戻るのと「ペストマスクさん」見てるのどっちがいい?」


「……涙がこの人と二人きりになるのを考えたら、僕が残ってる方が心穏やかな気がする」


「へぇ」


 背中合わせで結論を出して、私は手袋を付け直す。手を洗うのは全部落ち着いた時だな。どうせゴミの中を漁ってくることになるのだろうし。


 私は立ち上がり、流海の後頭部を撫でておく。それから「ペストマスクさん」の頭も撫でて鞄を掴んだ。


「砂時計、探してきますよ。貴方はここで大人しくしててください。あ、私の肩割れに何かしたらぶっ飛ばしますから」


「……ぉ、ぃ……」


「死にかけは黙って寝てなさい」


 念を押して家を出て行く。そのまま小走りに先程の路地へ戻れば、そこの惨状は私達が離れた時となんら変わっていなかった。


 ビルを見上げて息をつく。


 もしも鳥頭が呻かず動かず息をしていなかったら、私はその場を立ち去っていた。警察くらいは呼ぶかもしれないがそれだけだ。その後の事はどうでもいい。普通に家でご飯食べて寝るだろう。


 事故に遭うたび泣いていた自分を思い出す。


 痛いから泣く。苦しいから泣く。怖いから泣く。死にたくないから泣く。


 そういうのは疲れてしまった。


 泣いたところで痛いものは痛い。苦しいものは苦しい。怖さなんてなくならないし、死ぬかどうかは泣いたって解決しない。


 人は私を達観していると言うだろうか。冷めていると言うだろうか。


 どんな言葉もいらない。求めていない。


 私は諦めたのだ。


 事故は起こってしまえばかわせない。躱せないなら受け入れる。


 笑うことは罪ではないのだから。


「……あ?」


 ゴミを退けたりネットを片付けたりする中で、ふと目に入った物がある。


 それは白い装飾がされた砂時計。砂の色も金色で嫌に神秘的だ。


 とかいう感想の前に、横向きなのに砂が流れ続けてる現象の方に目を奪われるけどな。


 倒れている砂時計はそれでも砂を零し続ける。あと十分もしないうちに砂が完全に落ちそうな所だ。


 拾ってみるが砂が落ちるのは止まらない。逆さまにしても砂の流れが変わらない。重力どうなってるんだ。さすが都市伝説の持ち物ってか。驚く気も失せるわ。


 取り敢えず、目的の物を見つけたので家に駆ける。「ペストマスクさん」を心配したのではなく、得体のしれない奴と流海を二人きりにしておくことが心配だったのだ。


 四角い我が家が見えてくる。


 嫌に心臓が早鐘を刻み始める。


 あれ、なんで私はこんなに不安がっているのだろう。


 内臓が落ち着かないような不安感が付き纏い、速く速くと足が動く。


 頬を流れたのは冷や汗な気がして、私は砂時計を握り締めた。


 流海、流海、流海……。


「――流海?」


 玄関を開ける前に。


 ドアノブを引く前に。


 目に飛び込んで来たのは――リビングに繋がる窓が割れている光景。


 一瞬頭が真っ白になる。


 事故が起きた。事故が起きた。窓が飛散するほどの事故が起きた。酷い事故、酷い症状、流海、流海、流海ッ


「流海ッ!!」


 空回りしそうな勢いで足が動き、窓枠を踏み越えてリビングに飛び込む。


 そこに見えたのは三人の人影。


 一人は全身黒い「ペストマスクさん」だ。ソファから落ちてうずくまっている姿は、酸素を求めるように床を掻いている。


 一人は金髪の男だった。赤い瞳が印象的で、前髪はオールバックにされている。無表情の奴の頬には出来たばかりの傷があり、台所の電子レンジやテレビからは煙が上がっていた。


 一人は流海だ。「ペストマスクさん」と金髪の間で倒れてる。床を赤が流れて、腕は火傷して、何かの破片が刺さって、痛々、しく、て――


 は、


 気づいた私は砂時計を鳥頭に投げつけ、落ちていた窓硝子の欠片を握り締めた。

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