第10話 男子寮は今日も平和です

 ゴングと共に始まった、殴り合い。口汚く罵りはしたが、最初はまぁ軽く揉んでやるか……位の感覚だったのは間違いない。


 なんせ相手は魔族とのハーフとは言え、飽くまで学生だ。


 幾ら素手のみとは言え、騎士として様々な訓練や実戦を積んできた俺に勝てるわけない……そう思ってた時期もありました。


「ハァッ、ハァッ……ベッ」


 口の中を切ったのだろう、奴が血を吐き出すと再度構えなおす。


 顔面の各所は既に真っ赤に腫れており、右瞼は大きく膨れて正面をまともに見ることさえ出来ないだろう。


 制服についても至る所がヨレヨレのボロボロだ……一方俺は?


「おえっ……」


 的確に急所や同じ箇所ばかり打ち抜かれるせいで、先ほどから足元が覚束ない。肋骨に関しては何度もボディを打たれたせいで、間違いなくヒビが入ってるだろう。


「さっさと、負けを、認めたら、どうだ?」


 息も途切れ途切れになりながら、奴に問いかけると睨み返される。……正直、立ってるのもしんどい。


「ハッ、ダレがっ」


 言葉と共に奴の右腕が持ち上がり、それに合わせて俺も打ち下ろす。


 完璧なカウンターのタイミングで振り降ろされた右腕は、奴の血に滑って躱され、同時に俺の顎を拳が掠めた。


 カクッと言う嫌な力の抜け方をすると共に、意識が飛びそうになるのを必死で堪え、がら空きとなった奴の右脇腹に渾身の左ボディを炸裂させる。


 確かな手ごたえと共に奴の体が浮き上がり、体が前のめりになる。


――ここしかねぇっ


 ボディを放った腕を引き戻すと共に、右足を軸に体を回転させる。


「いい加減沈めっ」


「テメェがなっ」


 軸足を基準に一回転して、奴の顎先目掛けて後ろ回し蹴りを放った時、眼前に拳が迫っているのが見えた。


 足から伝わる鈍い感触と共に、地面が傾く感覚が有り……そこで俺の意識は途絶えた。





 シャリシャリと、何かを削る音が聞こえてきて瞼を開けると、見慣れない天井が目に入った。


 音がした方に目を向けてみれば、ミヨコ姉が椅子に座ってリンゴの皮を剥いている所だった。


「俺、どの位寝てた?」


 そう尋ねると共に身を起こしてみれば、外はもう夕暮れ時だった。腹が減ったな……そう思うと同時、腹の虫が鳴いた。


「4時間位かな?弟君は何でこんなことをしたの?」

 

 一旦ナイフとリンゴを皿の上に置くと、ミヨコ姉が真剣な表情で問いかけて来る。


「何で……か、俺も元々は軽く小突く程度のつもりだったんだ。それなんだけど……」


「だけど?」


 理由を、改めて考えてみると言葉にするのは難しい。


 挨拶を無視されることも、ムカつく言い回しをされる事も当然奴が初めてでは無かったし、その都度喧嘩したわけでも無かった。ただ、そう。


「アイツのあの目が気に入らなかったから、やったんだと思う」


 全てを諦めてるような、それでいて他人を見下している様な目を見て、それで思わず突っかかってしまった。


「それだけ?それだけで失神する程喧嘩したの?」


「そうだなぁ……後は、なんかやってて楽しくなったのかな?」


 殴り合いとは本来、話し合いで解決できない事態が発生した時にする、最終手段だと思う。


 だけれどあの殴り合いは、そんな意見のすれ違いだとか、相手が嫌いだとかそう言う話よりもまず――コイツには負けたくない、そういう思いが強かった。


 そして何より、死んだ様な目をしていたアイツが、殴り合いをしている間は、こちらを睨みながらも生き生きしていた様に見えたのは、俺の思い込みだろうか?


「楽しかったって、お姉ちゃんたちは凄―く心配したんだよ?」


 ミヨコ姉の眼の端に涙が溜まっているのが見えて、胸が締め付けられる様に苦しくなる。


「ゴメン、ミヨコ姉。ちょっと頭冷やしてくるわ」


 そう言ってベッドから這い出すと、制止の声を無視して廊下へと出た。


 脇腹はズキズキと痛むし、殴っていた拳は未だ腫れて、口の中は呼吸するだけで傷が染みる。


 ……だけれど、妙な満足感の様な物を抱きながら、窓の外に有る夕日を眺めていると、隣の病室の扉が開き――紫髪が出て来た。


「チッ」


 俺を見つけた紫髪が舌打ちすると、そっぽを向いて去って行こうとする。


「待てよ」


 そう声をかけると、紫髪は足を止めてこっちを見た。


「……その、悪かったな」


 頬をかきながら軽く頭を下げると、奴が近寄ってきて、俺の肩を殴った。


「ってぇな」


「謝んなら、最初からすんなバカが」


 苦々し気に悪態を吐く紫髪に、俺は思わず渋い顔をする。やっぱりコイツとは相入れないかも知れない。そう思った所で、紫髪が口を開いた。


「テメェは……」


「あん?」


「テメェは、俺が怖くねぇのかよ?」


 そんな事を恐る恐ると言った調子で、尋ねてくる。それに対して俺は、思わず首を傾げる。


 怖い?こいつが?


「誰が、お前なんか怖いかよ」


 そう答えると奴は、眼を大きく見開いた後……いつもの人を見下した様な目に戻る。


「心底バカだな……テメェ、名前は?」


「馬鹿は余計だ、セン・アステリオスだ。お前は?」


「オレは、ジーク。ジーク・シュナイザーだ」


 それだけ言うとジークは踵を返し、男子寮に向かって歩いて行った。


 ……アイツ今後ろむいた時、笑ってなかったか?


「お・と・う・と君?何でまた言い合いしてたのかな?」


 先ほどまで居た病室の扉が開き、ミヨコ姉がジト目でこっちを見ていた。どうやら俺達のやり取りを聞いていたらしい。


「あー……ごめんなさい」


 いろいろ言いたいことは有ったが、取り敢えず俺は頭を下げることにした。





 その後ミヨコ姉さんにがっつり絞られた。そして皆が待っていると言う食堂へ2人で移動すると、夕飯を食っている間中ずっとユフィとナナから追い打ちの様に絞られた。


 なお、リーフィアはずっと爆笑してた。……クソッ。


「何で俺だけこんな怒られてんだろ……」


 そう思いながら廊下を歩いていると、昼前に上空から降って来たマッチョ先輩が、2つの袋を持って俺達の部屋の前に立って居た。


「おー、やっと見つけたぞアステリオス君」


 バシバシと背中を叩いてくるマッチョ先輩……なんでこの人はこんな腕太いんだよ。


「なんか用ですか先輩?お説教ならもう腹いっぱいなんですが」


「お説教何てとんでもない、いやぁ君のお陰で盛大に食券を稼が……げふん、皆に楽しんでもらえたからね、君にもおすそ分けをしようとね」


 そう言ってマッチョ先輩が袋の一つを渡してくる……中には、大量の食券が入っていた。


「賭けの結果はどうなったんすか?」


「君の裏回し蹴りがヒットしてシュナイザー君がダウンするのと、シュナイザー君のフックが決まって君がダウンするのは同じタイミングだったからね、ドロー扱いになったよ。お陰で胴元である僕はウハウハさ。この先1年は食券が要らないね!」


 はっはっは、と豪快な笑いをする先輩に俺は思わずため息を吐く。


「あーそうそう、僕の名前はレイズ・マッソーだ。気軽にレイズ先輩と呼んでくれ。君たちは今やこの寮の時の人だからね、学校の事から人生相談まで何でも悩みに乗るよ」


 そう言ってポージングを始めるレイズ先輩……汗臭くなるんで、俺達の部屋の前でやるのは辞めてください。


「分かりました、もう片方の袋はジークの奴に渡せばいいですかね?」


「おー、ありがとう。さっきからノックしているんだが、中々出て来てくれなくてね。頼んだよ」


 キラン、と無駄に白い歯を輝かせながらレイズ先輩は去って行った。なんでマッチョな人は、あんな無駄に歯が白いんだ?そんな事を考えながら、自室の扉を開ける。


「入るぞー」


 声をかけるが、当然返事はない。


 その事を気にせず中に入れば、ジークが1段目のベッドにひっくり返りながら、カバー付きの本を読んでいた。……眼鏡をかけて。


 色々突っ込みたいことは有ったが、取り敢えず聞いてみる。


「お前、実は目が悪いのか?」


「……」


 まるで返事をする素振りさえ見せない。


「……その本、実はエロ本だろ?」


「……」


 一瞬奴の表情が引きつった様に見えたが、やはり返答は帰ってこない。


 なるほど?徹底して無視すると?なら……。


「いやぁ、まさか同室の奴の趣味が熟女ものだったなんてな……安心しろ、明日お前の自己紹介の時には、皆にちゃんと伝えてやるから」


「……ぶっ潰す」


 手に持って居た本をベッド脇に置いたジークが、のそりと起き上がって俺の前に立つ。


「上等だ、さっきはドローだったが、今度はギッタンギッタンにしてやるよ」


 そう言うと即座に窓を開けて俺達が飛び降りると、すぐに何処からかゴングが鳴り響いた。


――なおその後、たまたま近くを通りかかった教師に取っ組み合ってる所を見つかり、延々と説教されながら、夜通し正座させられる事となった。

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