聞き手―当時高校生の私―書いていて、思い出す。

「ばあちゃんはね、満州まんしゅうで育ったんだよ」

「それいつも聞いてるよ」


 今日も始まるばあちゃん話。

 私は毎回聞いている話ながらも今日も聞き耳を立てつつ、宿題を消化していく。


「最近あんたハンカチをアイロンかけてんのかい?」

 確かにそうだ。だって気持ちが良いもんだからその当時はまっていたのだ。

「そうだよ。だって」

「洗濯はね、お手伝いさんがやってくれてたんだよ」

 今日も聞いてねぇな。

 絶好調だなばあちゃんと感心しつつ、英単語を書き出していく。

「シャツなんかどんなに泥で真っ黒くてもまっっ白に洗うんだよ。本当に凄いんだよ。シャツの色でお手伝いさんがいるかどうかがわかるくらい。手先が器用なんだね、朝鮮人ちょうせんじんは」

「朝鮮人?」

 中国人ではなく?とばあちゃんに聞く。

 どうやら当時満州にいたばあちゃん達は現地の人達をそう呼んでいたらしい。他の人はさだかではないが。

 だってその答えをもらう前に次の話に移っていたから。

「ばあちゃん達はね、日本人街みたいな所で暮らしてたんだよ。でもね、時々スパイが紛れ込んで来ることがあってね、近所のおじさんがそうだったんだよ」


 一般人に紛れ込んで何か得なことあるのだろうかと、ふと考えた。

 そう言えばひい祖父さんは軍医だったんだ、忘れてた。ならば他にも軍関係の人がいて、その人達の情報でも欲しかったのかと、当時は考えていた気がする。ばあちゃんに聞いても「知らんよ」で終わるから、真実はわからない。


 顔を洗うときあんたはどうやる?といきなり聞かれて私は両手で顔をこする仕草をする。それを見たばあちゃんはうなずいて話を続ける。

「日本人はそうするんだよね。でも朝鮮人は違うんだよ。他の仕草は完璧日本人の仕草を真似してたけど、その仕草でばれちゃってね、どこかにつれてかれてそのまま帰って来なかったなぁ」

 そうしてばあちゃんは両手で顔をおおい、顔の方を動かしていた。

「たったこれだけの事だったのになぁ」


 民族によって風習や仕草が違うのは当たり前。でも、こういう命取りに繋がるなんて、普通の生活では思いもよらない事だった。

 そうしてばあちゃんは遠い目をして当時を思い返していた。


「そうそう、うちのお手伝いさんはね、お風呂に入ってくれなくてねぇ。どうしても入ってほしかったから家のを使ってって言ったらね、湯船の上を板でビッシリと隙間無く囲ってその中に入っていたんだよ。今はどうかわからんが、当時の女の人は絶対に他人に肌を見せてはいけないらしくてね、何度も見ないでくださいって念をおしてたんだよ」


 入った後の湯船は悲惨な状態だったらしい。

 だが、ばあちゃんの話を聞いていると、現地の人はとても『綺麗にすること』が得意だったようだ。その湯船もお手伝いさんの手にかかれば、ものの数分で綺麗になったらしい。

 掃除も洗濯も、ばあちゃん的にはすばらしい仕上がりだと言っていた気がする。


 ばあちゃんの話だけを聞いてみると、満州にいても現地の人達とは持ちつ持たれつな関係だったような雰囲気がある。

 無理やり働かせていたのではなく、ちゃんとお給料も出ていたし、食料のおすそわけなどもあった。料理を教わったりと友好的な面もあり、家庭内暴力みたいなものもばあちゃんのまわりでは聞いたことがなかったそうだ。



 ここまでが、今回書くにあたって思い出した話。

   【戦争=悲惨ひさんな闘い】

 というような新聞記事は沢山見る。

 そして以外にもその当時の暮らしの様子がわかるものが少ないな、とも思った。


 たとえ戦時下の、偽りの平和の中でもばあちゃん達のように助け合って生活していた人々がいたことを知って欲しくて書いてみた。



 コロナで今は会いに行けないが、また施設でピンピンしているばあちゃんに話を聞きに行けたらいいな。








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祖母の記憶 織香 @oruka-yuno

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