祖母の記憶

織香

語り手―祖母97才―

「ばあちゃんはね、満州まんしゅうで育ったんだよ」


 まだ私が高校生のとき、実家で同居する祖母は週一でその話をしてきた。部活で忙しく、ごはんのときにしかゆっくり話が出来なかったから、いつも私はごはんを食べながら、ばあちゃんの話を聞いていた。


「ばあちゃんのお父さんが軍医をやっていてね、それで皆でくっついて行ったんだ。まあ、ばあちゃんの実のお母さんは、ばあちゃん生んですぐに死んじゃってねえ、後妻さんと腹違いの妹が行くっていうもんだから、皆で行く事にしたんだよ」

 そう言いながら、ばあちゃんは昔を思い出していたようだ。

 私はごはんを食べながらもあいづちをうつ。

「へぇ、ひい祖父さんは医者だったの。知らなかった」

 そう言うが、ばあちゃんは人の話を聞かないで先に進む。


「あの頃満州にいた日本人は皆裕福でねぇ。皆現地のお手伝いさんを雇ってたんだよ。ばあちゃんちもそうだったよ。

 そのお手伝いさんは子供がいたらしくて、よく味噌やお米をわけてあげたよ。そうしないと少しずつなくなっていくからね。取られるよりは、あげた方が気持ちがいいだろう?

 それだけ現地の人は貧しかったんだよ。戦争だったからねぇ。

 現地の人はさ、ごはんを食べれるよって意味で、ちゃぶ台を出して玄関の前で食べるんだ。それが普通だったんだ。ごはんさえ食べられない家庭が多かったんだ。今はさすがにやってないだろうけどねえ」

 ごはんを食べ終わっても、ばあちゃんの話は終わらない。私は食器を片付けながらまた、テーブルの前に戻る。そこで宿題をするのだ。なんだかんだで話の続きが気になるのだ。いつも聞いてる話なんだけれども。

「それで?」

 話をうながして先を聞く。

 ばあちゃんはどこからか持ってきた針金ハンガーを手にしていた。

「それにね、こんな細い針金でね、少し開いた玄関の扉からくつを片っ方ひょいっと引っ張り出して闇市で売るんだよ。頭がいいのは、片っ方って所だよ。持ち主が両方揃えるために自分の片っ方を闇市で買うんだからね」

 なるほど、そっちの方がもうかるな。

 そんなことを考えながら、ノートを開いて宿題を消化していく。うなずいていると同意を得たと、ばあちゃんも鼻息荒く話を続ける。

「まぁ、盗人も闇市の商人もグルだった話なんだがね。こういう話はよく聞いたよ。それにね、犯人が捕まっても、なんの謝罪もない。あいつらは殴られたら「アイヤー」って気絶するんだ。うちにそういった患者が運び込まれるけど、治療して患者が気がついたらフッと金も置かずに消えちまう。そしてまた盗むんだよ。本当、戦争って嫌だね。

 だからあんたも玄関の鍵は必ず閉めるんだよ!いいね!」

 ホントにアイヤー何ていうのかな?これ話盛ってるんじゃないかな?と思いつつも、ばあちゃんの話は止まらない。

 私も宿題の手を止めずに耳だけはばあちゃんの話を聞いている。お母さんはパートに出ているから、実質あまり人とは話す時間がない。だから私には沢山の昔話をしてくれるのだ。

「盗まれるのはそれだけじゃないんだよ。

 うちの庭に鶏小屋があったんだよ。卵をとるためのね。妹と一緒に沢山増やしたんだよ。楽しかったなぁ。

 それが夜中突然、急に鳴くもんだからお父さんは慌てて庭に面した雨戸を外そうとするんだけど、何故か外せない。それもそうだね。外から押さえてるんだもの。勿論玄関もね。

 やっとこさ出れたとしても、もう鶏は全部盗まれたあとさ。酷いもんだろ?十数匹いたのが抜けた羽しかいない。妹と泣いたよ。一生懸命育てたんだから。もちろん犯人は捕まらないさ。警察もお手上げだったよ。でも軍医ということで、ずいぶん親身になってくれたんだけどねぇ」

「へぇ。それって自分達で食べる為に盗んだって事?そんなに食糧難しょくりょうなんだったの?」

 思わず口を挟んでしまう。だって生きてる鶏を盗むってことは、それらの命を奪うって訳で。生きるためか、お金のためか。それが少し気になったのだ。

 まあ、ばあちゃんは私の意見など聞いてないけど。

「でも、悪い人だけじゃないよ。日本人だってそうだろう?

 うちに来てたお手伝いさんがそうだね。

 ばあちゃんがよく作る餃子あるだろう?あれはそのお手伝いさんに教わったんだよ。ばあちゃんも当時はまだ小学生だったからよく手伝って作ったもんだよ。優しかったなぁ。義理の母は何にもやらない人だったから、お手伝いさんがお母さんみたいに何でも教えてくれたよ。

 だからばあちゃんはだらしなくて何にもしない義理の母が大嫌いだったなぁ。お前はそんな風にならないようにばあちゃんが口をすっぱくしてるから大丈夫だろうねえ」

 私は正座をして宿題をしていた。それを見てばあちゃんはこの台詞セリフを吐いたのだ。もちろん、立て膝しようものなら竹物差しがバチーンと飛んでくる。

 「後で聞いた話だけど、家族が引き上げたときに、そのお手伝いさんがさ、仲間を使って家族を安全に日本に返してくれたんだと。もう感謝しかないね。いい感情は必ず帰って来るもんだね。あんたも人には優しくするんだよ。あんたの為になるんだから」

 いつもこの話になるとしみじみとした表情で語りかけてくる。

 私もこの話は賛成。

 この話のお陰でこの後の人生も助けられたのだから。

「5つ離れた妹はそれなりに好きだったよ。小学校の運動会はね、裁縫さいほうの早さをきそう種目があったんだよ。妹はね、両利きだからそりゃもう早かった。だーっと右手でぬって、だーっと左手でぬうんだもの。半分しか血が繋がってはいないけど自慢の妹だったさ。だから戦争に負けてロシア兵がうちに来たときもばあちゃんかばったよ」

 この話をするときのばあちゃんは本当に楽しそうだった。今はもう会ってもいない、音信不通らしいから、生きてるかもわからないらしい。

 それは少し悲しいかもしれない。

「戦争に負けても、お父さんが軍医だったからしばらくは帰れなかったんだ。

 ある時、ロシア兵がうちに押し掛けて来てね、ワァワァ叫んでる。お父さんが対応したんだけど、薬を渡したら帰ったんだと。

 あとで聞いたらさ、

「腹が痛かったらしいが、元気に見えたから栄養剤を渡した。元気な奴に薬は勿体無い!」だと。

 ばれたらどうすんだって当時は思ったけど、それからは来なかったから腹痛に栄養剤がきいたんだろうねえ。

 でもその時ばあちゃん達の姿が見られてたんだねえ。

 両親がいないときに来たんだよ。

 慌てて妹と一緒に天井裏に隠れたよ。息を殺してじっとしてたんだ。近所で連れていかれた女の人が裸で捨てられてたのを知ってたからね。ああ、年齢なんて関係ないよ。戦争はそんなこと構っちゃくれないからね。

 でもね、そこで妹が「プ」っておならしたんだよ。そのとたん。


 ダダダダダ!!!!


 目の前の板に穴が開いたんだよ。

 必死で妹の口を塞いださ。だって穴から顔まで5センチもなかったからね。

 怖かったさぁ。

 でも、連れていかれたら二度と戻っては来れないから、そっちの方が嫌だったなぁ」

 この話を聞くときはいつも動悸が止まらなくなる。

 だって、あと数センチずれていれば私は生まれていないのだから。

「そのあとね、ばあちゃんは満州で結婚して妊娠したんだよ。あんたのおばちゃんだね。

 そしたら、夫と共に船に乗れる事になって、先に帰って来たんだよ。つわりで船旅が苦しかったけど、やっとあの恐怖から逃れることができるって、嬉しかったなぁ。

 まぁ、帰ってからギャンブル狂いの糞夫くそおっとだってわかって、5年たってから家追い出したけど。満州から連れ帰ってくれた事には感謝かなぁ」

 そのじいさんは、私が生まれる七年前に亡くなっています。離婚して追い出したけど、末期の病気になって女に捨てられて戻って来たそうです。写真すらないので解りませんが。

 まああまりにクソクソ言うもんだから、私もあんまりいい感情はもってない。

 くそ連発して少し興奮したばあちゃんは落ち着くように言葉を続けた。

「だからね、戦争は本当にくそだよ。

 ばあちゃんが今また満州に行けっていわれたら一人でもいいから日本で生きるね。満州もいいこと沢山あったけどさ、もうあの銃で撃たれた時の恐怖ったらないよ。

 あんたは長女だからさ、ばあちゃんが満州で体験したこと知っててほしかったんだよ」

 そう言って、いつもの話は終わりを迎える。

 毎回聞いても、内容はほとんど変わらない。だからおそらくばあちゃんのなかでは真実だし、現実に起きた事も含まれているのかと思う。


 今書いている内容より、もっと悲惨な話も聞いた。よく高校生にこんな話を聞かせるなと、何度も思った。


 でも“戦争だから”とは切り捨てたくはない。少しでも、知らない世代に知ってほしくて、今回祖母に聞いた話をまとめて見たのだ。


 平和とは、本当にありがたいと祖母は言っていた。こういう経験をした祖母が言う言葉だからこそ重みがあると思ったからだ。



 ちなみに祖母は、施設にいるがめちゃくちゃ元気だ。



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