肆話

 結論が出たとき恵理先輩は泣かなかった。


おれたちは彼女の悲しみも戦争も知らない。


探偵なら全てがわかる。そう思っていた。


ホームズに憧れた現実は小説のようにはいかない。


かえっておれたちの中途半端な好奇心が先輩を苦しめてしまったのではないか。


「ありがとう二人とも。今日はもう遅いからね気をつけて帰ってくれ。」


詠葉先輩に言われるがまま、おれたちは生徒会室を出た。


おれたちが部屋を出ると恵理先輩は詠葉先輩に抱き付き泣き出してしまった。


おれと伊月は恵理先輩の涙を振り返って見ることはできなかった。



外は薄暗く雀色に染まっていた。


おれはいつものように無駄話をして帰る気にはなれなかった。


もう探偵ごっこは辞めよう。


そう言うと伊月は考えすぎだと笑ってくれるだろうか。


口に出そうと息を吸ったとき


伊月は上を見上げ口を開いた。


「恵理先輩のおじいさんがおばあさんに告白したのってこの桜の下だよな。


 おれも愛の樹の下で告白されてみたいよ。」


「そういえばそんなことも言ってたな。


 なんで愛の樹て言われてるんだ?」


「ああ、それはね、」


そう言うと伊月は桜の樹の裏に廻った。


「あれが見えるかい?」


伊月は桜の樹の上の方を指差した。


薄暗い中すぐにそれを文字だとわかるまで時間がかかった。


ふと胸の中のもやもやした何かに引っかかった。


「なあ、伊月。あの文字はいつからあるんだ?」


「さあ?随分と昔からあるみたいだよ。


 にしてもどうやってあんな高さに文字を書いたんだろうね。」


おれは走り出していた。


「ちょっと亜乱!どこに行くのさ!」


「お前も来い!おれたちは間違ってた!


 あの手紙は遺書じゃないかもしれない!」


おれたちは先ほどまでいた彼女たちが待つあの部屋に急いだ。


 おれが生徒会室に着いた時、先輩たちは帰宅しようと部屋に鍵をかけていた。


「亜乱、君そんな足速かったけ?」


遅れた伊月も追いついた。


「もう帰るところだったんだけど、亜乱くんどうかしたの?」


恵理先輩の目は赤く少し腫れていた。


「もう下校時間だ。帰りながら聞かせてもらえるかな?君の推理を。」


詠葉先輩は夕陽に照らされ笑った。待っていたと言わんばかりに。


それからおれたちは鍵を職員室に返却し、校門へ向かった。


桜の樹の下に着いた時、おれは足を止め、深呼吸を二回した。


 桜が舞っている。満開を待たず散っていく。


「おれたちはあの文の内容から戦争によって


 おじいさんが心を病んでしまい、自ら命を絶ったと思った。」


「亜乱も同期の桜の文字を見てそう思ったんじゃないの?」


「ああ、でも最後の行をよく見ていなかったんだ。


 恵理先輩、もう一度あの紙を見せてくれませんか?」


恵理先輩は伊月に例の紙を渡した。


「伊月、もう一度読み上げてくれ」


伊月は折りたたまれた紙を広げ、読み上げた。


「慟哭ガ聞コエル、 蠢ク屍人ガ脚ヲ掴ミテ、

 季節外レノ花ヲ残シ、 野桜ノ樹ノ下ニ」


「野桜ノ樹ノ下ニ。確かに言われてみるとこの文だけ異端な気がするわ。」


「この文だけ戦争による恐怖や後悔が書かれていないんだ。


 この野桜っていうのは、この樹のことなんだ」


「この樹って、愛の樹のこと?桜の樹なんてどこにでもあるだろう?」


「ああ。ここで頭文字だね。」


勘のいい詠葉先輩はもうわかったようだ


同期の桜は歌じゃない。二人が出会い愛を交わした同期の桜のことなのだ。


「でもそれでも遺書ってことは変わらないんじゃないの?」


「野桜ノ下ニ、この文は終わってないんだ。」


おれは桜の樹の裏に廻ってそれを指差す。


「上?下にあるんじゃないの?」


「ああ。樹が成長したんだよ。


 おじいさんはあの文字を書いた時この樹はまだ若かったんだよ。」


桜の樹の手の届かないところにその文字はあった。


ナイフででも書いたのか古い切り傷で『愛』とそれだけ書かれていた。


「慟哭ガ聞コエル、 蠢ク屍人ガ脚ヲ掴ミテ、

 季節外レノ花ヲ残シ、 野桜ノ樹ノ下ニ『愛』」


「愛の樹の由来はわかりましたけど


 これがどう関係あるんですか?」


「頭文字を取って同期の桜と読めたように


 今度は後ろの文字を下から読むんだ。」


「慟哭ガ聞コエル、 

 蠢ク屍人ガ脚ヲ掴ミテ、

 季節外レノ花ヲ残シ、

 野桜ノ樹ノ下ニ『愛』」


「これって、」


「ああ。これは遺書なんかじゃない。


 これは手紙、それも二人にしか解けない恋文だよ。」





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