参話
ダンボールの裏から出てきたもう一人の少女は
黒髪ストレートな会長とは正反対の茶色で少しパーマがかっていた。
しばらく沈黙が続いた後、伊月が口を開いた。
「じゃあ恵理先輩、もう一度あの話を聞かせてください。」
相変わらずこの男の顔の広さには驚かされる。
本当の依頼人というこの少女は恵理と呼ばれているようだ。
「亜乱くんと伊月くんに聞いて欲しい話があるんです!」
彼女はそそっかしく身を乗り出した。
「恵理?落ち着いてはじめから話してあげて?」
冷静な詠葉先輩が間に入る。
「ごめんなさい!詠葉ちゃんのクイズに正解してるの見て興奮しちゃって。
どうしても悩んでることがあるんだけど聞いてもらえませんか?」
おれと伊月は目を合わせ少女に頷いた。
「よかった、私の家族に関する話なんです。」
そういうと彼女は真剣な表情に変わり、語り出す。
「私の祖母は今年で95歳になります。
すごくしっかりしてて、礼儀に厳しく
何より家族を大事にすることを昔から教えてくれました。
私が小さい時、祖母はよく祖父とのお話をしてくれました。
二人はこの高校で出会ったこと、
校門にある桜の下で告白され口づけをしたこと、
祖母は祖父のことが大好きだったんだと思います。」
「校門の桜ってあの愛の桜?」
「なんだそれ?」
「亜乱知らないの?
この高校の校門にある桜の樹の下でキスすると
永遠に結ばれるって都市伝説があるのさ」
伊月はいったいどこでこんな情報を拾ってくるのだろうか。
「それじゃあおじいさんたちもそれで結ばれたんだろうな。」
「でも祖父の話をすると祖母は泣いてしまうんです。
祖母は祖父が戦争から帰ってきたことを機に結婚しました。
祖母は毎日が幸せで仕方なかったそうです。
でもある日突然祖父が崖から落ちて亡くなりました。
私は分からないんです。祖父はどうして祖母を置いていって死んだのか。
自殺だったのか、事故だったのか。
知りたいんです。祖父は幸せだったのか。
祖母は最近認知症を患い
いろんなことを思い出せなくなってきてるんです。
私は祖父との幸せな日々を忘れてほしくないんです。」
恵理先輩は目が潤んでしまった。
あまりに重い空気に押しつぶされそうになる。
恵理先輩はおばあさんのことが本当に好きなのだ。
できるなら手を貸したい。だが
何十年も前のことで家族ですら分からないことを
他人のおれたちが解けるのだろうか。
おれは軽い気持ちで付き合った探偵ごっこに恥ずかしさを覚えた。
この謎は遊びで解いちゃいけない。そう思った。
静寂を破ったのは又しても伊月だった。
「どうして自殺かもと思ったんですか?」
「それが、」
赤い目の恵理先輩が言葉に詰まる。
「遺書だよ。」
口ごもる彼女を会長が助けに入る。
「遺書?それなら自殺なんじゃ?」
「そうだね、見てもらったが早いかもしれない。恵理?見せてあげて?」
そう言われた恵理先輩はカバンからクリアファイルを取り出した。
「これはコピーなんだけどね、見てもらえるかな。」
そこに古い紙をコピーした荒いA4の紙があった。
詠葉先輩が読み上げた。
「慟哭ガ聞コエル、
蠢ク屍人ガ脚ヲ掴ミテ、
季節外レノ花ヲ残シ、
野桜ノ樹ノ下ニ」
「え?これが遺書?まるでポエムじゃないか。」
伊月が頭を抱えた。
「亜乱くんはこの詩をどう思う?」
おれは指先を顔の前で合わせ集中する。
恵理先輩のおじいさんはなぜ死ななければならなかったのか。
戦争から生き延び、好きな人と結婚したのにもかかわらず。
しばらく黙り込むおれを見た伊月が立ち上がり遺書に手を伸ばした。
「これって、もしかして」
伊月は遺書をもう一度読み上げた。
「慟哭ガ聞コエル、 蠢ク屍人ガ脚ヲ掴ミテ、
季節外レノ花ヲ残シ、 野桜ノ樹ノ下ニ」
「伊月、何かわかったのか?」
伊月は自分の推理を確かめるように頷いた。
恵理先輩は目を輝かせ伊月を見つめる。
「もし、これを遺書だとするなら、
おじいさんは多分、PTSDになったんだと思う。」
「PTSD、心的外傷後ストレス障害。
強い精神的ストレスや強烈なショック体験による不安障害のことだね。」
詠葉先輩が聞き合わせた。
「死んでしまった仲間たちの慟哭と脚をつかむような幻覚。
『花ヲ残シ』というのは残花、つまり戦争が終わって死ぬはずだったけど
取り残されてしまった命ってことだと思います。
それにこの文の頭文字、」
「頭文字?ど、う、き、の?これに意味があるの?」
「亜乱?もう君も分かっているんだろう?」
「ああ。」
おれはこの時もうこれが遺書だと分かっていた。
おれは伊月の言う頭文字の意味がわかっていた。
「慟哭、蠢く、季節、そして野桜。」
おれは皆に聞こえるように呟いた。
「ドウキ、ノサクラ?」
恵理先輩がそう呟く。
「太平洋戦争中、華々しく散る姿を桜花に喩えた日本の軍歌が同期の桜だ。」
恵理先輩はおそらくわかっていたのだと思う。
おじいさんは幸運にも戦争を生き延びた。
しかし、そのせいで苦しんだ。
不幸にも生き延びてしまった自分を呪い、
亡くなっていった同期たちを追いかけ、
自ら命を絶ってしまったことを。
「亜乱くんもこれが遺書だと思うかい?」
おれは何も言えなかった。
この部屋にいる全員が重く冷たい空気に呑み込まれていった。
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