過去

「一〇三二番、前へ!」


 名前を呼ばれて、前に一歩出る。


「通れ。ゆっくりだ」


 女性刑務官の声。

 私は、コの字型のアーチに足を踏み入れる。

 なにかの宗教施設のように、遠くまで連結したアーチの柱に走る黒い筋の内側で、音もなく、各種センサが稼働する。


 明滅し、移動し、可視光レベルで・赤外線レベルで・X線レベルで、私の体をスキャンする。裸にされた、起伏の少ない私の体を。

 眼球だけを動かしてアーチの合間から刑務官を見ると、サングラスの無感動な目が見える。私はモノクロームの世界を見ている。もしサングラスを掛けたなら、なにも見えなくなるだろう。


「なにを見ている」


 刑務官が言った。


「なにも」

「なら問題ないな。今から質問を行う。一つ一つ、歩きながら、答えなさい。わかったなら、返事をしろ」

「……はい」

「おまえは今から嘘をつかない。嘘をついた場合、偽証罪としてさらに罪が重ねられることになる。理解したな」

「はい」

「進め」


 私は歩き始める。

 これが夢だと理解しながら。ここがどこか理解しながら。


「おまえは交通事故にあった。一ヶ月の入院後、退院してまもなく、事故の加害者を探し出して殺害した。間違いないか」

「はい」

「おまえが殺したものは、田嶋ショウだな」

「はい」

「おまえは田嶋ショウを見つけ出し、出会い頭にハンマーで頭部を殴った。その後、田嶋が住むアパートの中で、田嶋の体を、そのハンマーでミンチにしていった。……間違いないか」

「違います。ハンマーだけではありません。骨を砕くのに手間取ったから、アパートの裏地にあった大きな石も用いました」

「……失礼した。おまえは動機を、母と妹の時間を止めたから、同じ目に合わせたと述べた。間違いないか」

「はい」

「これで最後だ。おまえは、自らの犯行を悔いて、二度と同じことを繰り返さない決意をしているか」

「はい。二度と……あんなことはしません」


 そうしてアーチを全て通り抜ける。

 スカイブルーの囚人服が投げつけられた。

 裾や袖に白いラインがはいっていて、ちょっとだけおしゃれだ。


「精神、異常なし。身体、健康……ようこそ、訓練センターへ。おまえみたいなイカれ野郎ははじめてだ」


 ――場面が替わる――


 ――靄の中に私は包まれる──


 ――気づくと、量産されたロボットみたいに、倉庫みたいな打ちっぱなしのコンクリートに並べられている――


「あなた方は罪を犯しました。それも、未成年でありながら。それも、幼年期の終わりを迎えようとしているのに」


 前方には名前も知らないおじさんがいる。私たちとは違う服装をした、えらそうな男だ。


「この国の刑法は変わりました。かつては、あなた方のようなものも大人の刑務者と似た待遇をしていました。ですが、私たちは違います――前科を持ってしまったあなたがたを教育し、訓練し、仕事を、斡旋してさしあげます」


 建前はきれいな強制労働。

 太平洋の向こうから輸入された奴隷労働の代替品を使うクセして、偉そうな口をきいている。いかにも、私たちを救おうとかいう口調――


「ここを出る頃には名前を、そして人生を、取り戻しているでしょう。みなさん、刑期のあいだ、しっかりと励むようにしてください」


 ……ばあか。知らないよ、そんなの。くたばれ。


 そんな声が、隣から聞こえた。

 視線を向けると、そこに、茜色の少女がいた。

 聞かれていたことを恥じらうようにはにかむと、彼女は私に手を差し出した。


「わたし、ユア。付き合ってた女に浮気されたから、喉を刺しちゃった。ここの訓練センターで勉強して宇宙に行こうと思ってるの。……あなたは?」


 答えた瞬間、風景が変わる。


「マイ」


 私たちはロケットの中にいる。


「行こう」


 月へ。

 点火――

 地球の重力を脱出しようとする加速を感じながら、上へ、上へと、登っていく。


 二人で。

 ――気づけば、私たちは宇宙にいる。

 二人きりで。

 満天の星々のなか、地球と月との間に。ぷかぷかと、浮いている。


 あのとき。


 ガラス越しにはじめて宇宙を、地球と月を捉えたとき、そう錯覚したと、思い出す。

 二度と、こんな経験、訪れない。


「マイ」


 隣を見ると、ヘルメット越しの微笑み。

 あのとき、窓から射し込んだ太陽のおかげで、あなたの赤い髪の毛が、燃えるように色づいた。


「これから、二人だよ。楽園だ」


 その色が私を目覚めさせた。

 私のはじまり。それがユアだったんだ。

 そのことに、このときは、気づいていなくて――

 知ったのは、あのときだった。

 もう戻らない、失われた過去。


 手遅れだと思い出した瞬間、夢が、終わった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る