Ⅶ 和解の悪魔 (1)

 さて、その頃、ところ変わってフランクルのガレオン船にいるメデイアはといえば……。


「――霊よ! 現れよ! 月と魔術と冥府を司りし偉大なるヘカテー女神の名によって我は汝に命ずる! ソロモン王が72柱の悪魔序列59番・星幽公オリアックス!」


 船尾楼に設けられた魔術儀式用の一室で、彼女は魔導書『ゲーティア』を用いた悪魔召喚の魔術を執り行っていた。


 航海には波や風を司る悪魔の力を必要とするため、軍船や公の商船などの大型船には大概設置されている部屋だが、今回の暗殺計画を防ぐため、ルシュリーに頼んでハーソン達が貸してもらったものである。


 彼女の足下には、とぐろを巻く蛇の同心円と五芒星ペンタグラム六芒星ヘキサグラムを組み合わせた複雑な図形が赤や黄、青、緑といったカラフルな色使いで描かれ、さらにその前方には深緑の円を内包する三角形が記された布が敷かれている……いわゆる〝ソロモン王の魔法円〟と呼ばれるものを、どこでも迅速に使えるようにした携行型魔法円である。


「――霊よ! 現れよ! 我は再度、汝に命じる! 星幽公オリアックスよ!」


ハーフアーマーの左胸に金の五芒星ペンタグラム、黒い修道女服の右裾に仔牛革製の六芒星ヘキサグラム円盤を着けたメデイアは、弓型の魔法杖ワンドを天に掲げながら、悪魔召喚の呪文を繰り返し唱える……。


 ……ヒィィィーン……ガァアオォォーン……。


 わずかの後、馬の嘶きと腹に響く咆哮が聞こえてきたかと思うと、前方に描かれた三角形の上には、右手に二匹の蛇を持ち、蛇の尾をした獅子ライオン姿の悪魔が、巨大な馬に乗ってどこからともなく姿を現した。


「……ん? ああ、これはメデイア、お久しぶり。今日はなんの御用かな?」


 だが、その恐ろしげな姿や吼え方とは裏腹に、やけに気さくな調子で悪魔はメデイアに挨拶をする。


「ごきげんよう、オリアックス。あなたと顔馴染みでよかったわ。お願い! 至急なんとかしてもらいたい頼みがあるの!」


 一方のメデイアの方も、明らかに初対面ではない様子で、通常の召喚魔術とは思えない慣れ慣れしさでその悪魔――星幽公オリアックスに話しかける。


 オリアックスは惑星の在り処や星々の持つ効能についてよく知る、占星術の知識に長けた悪魔なのであるが、メデイアも占星術を行うため、以前から呼び出しては何かと教えてもらっている間柄なのだ。


 その上、オリアックスは悪魔に珍しく、その見返りを求めないというなんとも欲の無い性格で、初心者でも使役するのが容易な、召喚魔術には非常に適した安全な悪魔でもある。


 それもそのはず……このオリアックスは占星術の他、他人から愛されたり、和解したりする力を司る存在なのである。


「今、外ではアンドラスが不和を撒き散らし、みんな怒りに捉われて争ってるの! このままじゃ大戦争になるわ! 早くみんなを和解させて! アンドラスは対価に魂を得て強い力を発しているけど、術者に取り憑いて戦ってる最中だから、空間に与える影響には集中できてないはずよ! お願い! 今しか対抗する好機はないの!」


 メデイアは弓型の魔法杖ワンドも、悪魔に言うことを聞かせるための印章シジルも突きつけることなく、馴染みの悪魔にそう懇願する。


「わかりました。他ならぬ我が教え子、メデイアの頼み……それにアンドラスが不和を撒き散らす存在であるのなら、私は人々を和解させることを本分とする存在。それは私自身の望みでもありますからね。では、一応、作法に則って私に命じてください」


 すると、心優しき無欲なその悪魔は、メデイアの頼みを一も二もなくすんなりと聞き入れてくれる。


「ありがとう、オリアックス! じゃあ、急ぐからさっそくいくわよ……霊よ! 偉大なるヘカテー女神の名において我は汝に命じる! 星幽公オリアックス! 不和の公爵アンドラスが撒いた争いの芽を刈り取り、汝の力によりて人々に和解をもたらせ!」


「委細承知……ガオォォォォーン…!」


 心よりの礼を言い、そして、威儀を正すと使役する呪文を唱えるメデイアに、オリアックスは再び大きな咆哮をあげると、煙のようにその場から姿を消した――。

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