Ⅳ 謀略の会談(3)
「フフ……フハハハ……ハーハハハハハハっ…!」
だが、なぜかファムール・キーン・カトンは、この絶望的状況下でおかしそうに高笑いをあげる。
「残念だと? 残念なのはむしろ貴様達の方だ。我らはただ、最もスマートな方法で仕留めるのを失敗しただけのこと。ここまで招き入れた時点で、我らの成功はすでに確定したも同然なのだ!」
続けてルシュリーにそう反論したファムールは、突然、着ていた平服の胸元を勢いよくビリビリと破ってみせる……すると、その下から現れた筋骨たくましい胸板には、丸や三角に線刻と文字を組み合わせた複雑な円形の印章が焼き印で押されている。
「それは悪魔の
権謀術数に長けた高位聖職者として、それをよく知るルシュリーが即座に理解して声をあげる。
「そのとおり。こいつは魔導書『ゲーティア』にあるソロモン王の72柱の悪魔序列序列63番、不和の侯爵アンドラスの
スシロウデスの言葉に頷き、赤く焼きただれたその烙印についてファムールが説明をすると、他の偽聖職者四人も平服の胸元を割いて同じ焼き印を披露する。
「なるほど。その狼の悪魔の力で自らを
「バカな! 魔術の素人め! そのようなことをすれば魂を奪われるどころか、精神も支配されて奴隷と化すだけだぞ!」
ハーソンも彼らのなさんとすることに思い至る一方、その魔術の常識を逸脱した危険行為にスシロウデスは声を荒げる。
「無論、そのようなことは百も承知。魔導書の魔術がレジティマムだけのものと思うなよ? 今や閉鎖した修道院より接収した大量の魔導書により、ビーブリストにおいても魔術研究は大いに進んでいる。だから、魂を対価にする禁じ手を使えば、その効果は通常の何倍にもなるということもよーく知っているのさ……貴様らレジティマムを倒し、プロフェシア教を正しい教えに立ち返らせるためならば、我らの身を悪魔に捧げるくらいどうということはない」
だが、憎しみに囚われ、復讐心に燃える彼らにはそんな常識も通用しないらしい。
「正しき信仰のために悪魔に魂を売るとは、最早、本末転倒だな……だが、いくら
それでも戦力的な優位性を確信しているハーソンは、魔法剣の切先を突きつけつつ、なおも降伏するよう説得を試みる。
「フン…ハーソン卿といったな? むしろ魔術の素人は貴様らの方だ。不和の侯爵アンドラスにはその名の通り〝不和の種をまき散らす〟力があってな。人々の間に争いを引き起こさせる……兵力差などもとより関係ない。なにせ、貴様らはここで、お互いに殺し合ってくれるのだからな」
だが、なぜかファムールは鼻で笑うと、いかにもおかしそうにそう反論をしてみせる。
「なに? ……まさか!? やめろ…」
「霊よ、現れよ! 偉大なる神の名によって我は汝に命ずる! 不和の侯爵アンドラス! 契約通り我らの身も心もくれてやる! さあ、思う存分、世界に争いをまき散らし、大いに殺し合わせるがいい!」
彼の言葉の意味を理解し、止めようとするハーソンだったが時すでに遅し。一瞬早くファムールは呪文を唱えると、かねてより契約していたその悪魔を即座に召喚した。
「ガハハハハ…! 待チカネタゾ。ソノ願イ、悦ンデ叶エテシンゼヨウ……」
瞬間、不気味なしわがれ声が響いたかと思うと、彼の背後には黒く逞しい狼に跨る、梟の頭をした天使が燃え盛るサーベルを手に半透明の姿を現す……体は天使のようでもあるが、それが悪魔であることは明らかだ。
「あ、悪魔だ!」
「なんと不気味な……」
突如として甲板上に姿を現した不和の侯爵アンドラスに、近衛兵や銃士隊の間からはどよめきが沸き起こる。
「ほおう…儀式もせずにこのような場所で呼び出すのは初めて見たぞ!」
「まさか、魔法円も魔術武器もなしに悪魔を……」
また、その稀有な光景にカルロマグノは暢気にも瞳を輝かせ、やはり魔術の常識を覆すその行いにスシロウデスは驚きを顕わにする。
「ワオオオオオオーン…!」
そうして皆が呆然と見守る中、悪魔はファムールの体の中へ吸い込まれるようにして姿を消し、獣のような形相で白眼を剥いた彼は、空を見上げて狼の遠吠えのような雄叫びをあげる。
「ワオォォォォーン…!」
「ワォ…ワァオォォォーン…!」
と、それに呼応し、他の偽聖職者達も夜の野犬のように次々と遠吠えをあげはじめる。
「ファムール、受け取れっ!」
さらにそれを合図とする取り決めだったらしく、預言皇庁の水夫になりすました大男が橋板を渡ってキャラベル船より突進してくると、腕いっぱいに抱えていたサーベルの類をファムール達の足下へ放り投げる。
「しまった!
一瞬の隙を突き、武器まで得る賊達にハーソンは苦々しげに奥歯を嚙みしめる。そんな戦の常套手段も命を捨てた…否。魂すら捨て去った者達にはやはり通用しないようだ。
「ワオォォォォーン…!」
その間にも髪の毛を逆立て、全身の筋肉も肥大したファムール達は、剣を手にして完全なる
「狼狩りか……ずいぶんとおもしれえことになってくれたじゃねえか。うれしい限りだぜ……」
今にも襲いくる様相の賊達を眺め、フランクル船側を固める騎士団員達の中でパウロスは、短槍を肩に担ぎながら愉悦の笑みをその凶悪な顔に浮かべる。
「ええい、なんだろうとかまわん! 早々に討ち取れい!」
「陛下をお護りしろ! 御座船の上で賊の好き勝手になどさせるな!」
また、ルシュリーとスシロウデスも護衛の兵達に檄を飛ばし、速やかなる賊の討伐を命じる。
こうして、
ところが、少なくとも今は味方であるはずの両国陣営の様子がどうにもおかしい……。
「おのれ、謀ったなエルドラニアの者ども! すべてはわしをなきものとするためのやつらの差し金ぞ! こうなれば、賊ともどもエルドラニア王とスシロウデスの首も刎ねるのじゃ!」
「フランクルめ! 会談などと偽って、やはり最初から陛下の命が目的であったか! 最早、フランクルと戦になることもやむなし! 賊達を操るルシュリーとその一党を全員始末せよ!」
ルシュリーもスシロウデスもお互いにお互いを今回の騒動の首謀者と決めつけ、相手方を攻撃するよう自分達の兵に指示を出している。
「そうか! 全部、あのフランクルーゼが仕組んだことだったんだな! そっちがその気ならこちらも受けて立つまでだ。皆の者! 賊を一人残らず討ち滅ぼせ! ルシュリー枢軸卿の首を以て宿敵フランクルへの宣戦布告となさん!」
また、二人の熱に浮かされるようにして、激昂したカルロマグノまでがそんな危険なことを口走っている。
「宿敵エルドラニアの者どもに我ら銃士隊の力を思い知らせてやれ!」
「憎っくきフランクルめ! 積年の恨み思い知れ!」
そして、各々の主に命じられるまでもなく、銃士隊と近衛兵達との間では激しく怒号が飛び交い、最早、一触即発の事態である。
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