Ⅳ 謀略の会談(2)

「うぐっ…!」


 だが、一瞬の後、痛みに顔を歪め、短い悲鳴をあげているのはヴェントレスカの方だった。


 見れば、彼の握っていたナイフは何かに勢いよく弾かれ、くるくると回りながら宙を舞っている。


「何が……?」


 そのままカラン…と、甲板に落ちるナイフの音に、驚くヴェントレスカは衝撃を受けた右手を抑えなら、ナイフを弾いたものの方へ思わず視線を向ける……それは、わずかに離れた位置の床板に突き刺さる、一本の古風な剣だった。


 金色の十字型ヒルトや柄には渦巻き模様があしらわれる、古代異教風のなんとも美しい剣である。


「バカな……ありえん……」


 続けて周囲を見回しながら、ヴェントレスカはなおも驚きを隠しきれない様子である。


 護衛の従士隊もエルドラニアの近衛兵達も、自分達のいる場所からは距離をとっているし、ルシュリーの背後に控える隠修士も武器を帯びていない上に身動き一つしていない……。


 それに、仮に彼らの誰かがこの剣を投げたのだとしても、角度的にこうもうまくナイフを弾くことなど不可能だ。むしろ下手をすれば、逆にその剣でルシュリーを自ら殺めかねないような位置関係である。


 だが、暗殺に失敗したショックよりも、釈然としない感情の方が大きいヴェントレスカの目の前で、さらに驚くべき現象が起こる。


「来い! フラガラッハ!」


 そんなかけ声とともに、甲板に突き刺さった剣がひとりでに抜け、そのまま宙を飛んで隠修士の手の中へ納まったのだ。


「近衛兵と銃士隊! 早く皇帝陛下と両枢軸卿をお守りしろ!」


 その剣の柄を握りしめた隠修士は、突然のことで動けずにいる護衛達に檄を飛ばし、自身もルシュリーの前へ出て彼の盾となる。


 一瞬遅れて、隠修士の声に銃士隊と近衛兵も慌てて駆け寄り、それぞれの主人を囲んで防壁を作る。


「クソっ! 仕損じたか……」


 対してヴェントレスカの背後に控えていた他の偽聖職者達も、それを見て俄かに動揺し始める。


「フフフ…噂に聞くイスカンドリアの聖騎士パラディンの魔法剣……このような形でお目にかかれるとはな。どうじゃ、そなたも驚いたであろう?」


 不可思議な剣の動きにますます唖然とするヴェントレスカに対し、今しがた殺されかけたというのに愉快そうな笑い声をあげながら、銃士隊の背後でルシュリー枢軸卿は彼に問いかける。


 そう……ナイフを弾き飛ばしたのは、ハーソンが古代異教の民の遺跡で発見した、今の魔術でも造り出せない魔法剣――ひとりでに鞘走り、ひとりでに宙を舞って敵を斬り裂く〝フラガラッハ〟だったのだ。


「魔法剣? ……チッ…まさかそんなものがこの場にあろうとはな……」


「やはり預言皇庁の者ではないと見えるな。聖騎士パラディンハーソンの魔法剣の話は預言皇庁でも有名だからの。じつは彼にそなたらが偽者の使節だと聞かされてな。まさかとは思ったが用心をしておったのだ。命を狙われるのはもう馴れっこだからのう」


 暗殺を邪魔したものの正体を知り、苦虫を潰したような顔で睨みつけているヴェントレスカに、リシュルーは怒るでも怖がるでもなく、むしろどこか愉しげな様子で種明かしをする。


「すでにはかりごとは露見した! おとなしく縛につけ!」


 それに続き、魔法剣を構える隠修士はそうヴェントレスカに勧告した後、着ていたフード付きの黒いローブを一瞬にして脱ぎ捨てる……すると、その下からは純白の陣羽織サーコートを身に纏う、見慣れた装いのハーソンが姿を現した。


「団長、これをお返しするっす!」


 また、銃士の内の一人もいつの間にやら青い陣羽織サーコートとつば広帽を脱ぎ捨て、中から出てきたアイタ・イーデスがハーソンに〝フラガラッハ〟の鞘を手渡す。


「すまん、イーデス。助かった」


 先刻、ナイフを叩き落した魔法剣は、銃士に扮したイーデスに鞘ごと預けておいたそれが、密かに発したハーソンの合図で飛び出したものだったのだ。


「なんとか凶行を防げたようですな!」


 また、騒ぎを見てフランクルのガレオンからも、アウグストを先頭にパウロス、プロスペロモ、イシドローモら羊角騎士団の団員が8名、橋板を駆けて素早く御座船に乗り込んで来る。


 ルシュリーに事情を伝えに行った際、彼らもこちらの船に移動して待機していたのである。


「おまえ達は! ……そうか。気づかれたのはあの時だな? うまくやったつもりだったが、何かヘマをしていたか……やはり、金が足りずにガレオンを用意できなんだのが敗因か……」


 ハーソンや騎士団員達の白い装束を目にすると、襲撃がばれたその原因をヴェントレスカはおおよそのところ理解する。


「ドン・ハーソン! なんだ、そなただったのか!」


「なんじゃ、沈黙の誓いを立てた隠修士殿ではなかったのか!?」


 だが、思わぬハーソンの登場には、はかられたヴェントレスカ以上にカルロマグノとスシロウデスの方が驚いている。加えてスシロウデスはなんだかがっかりしたような様子だ。


「騙してしまい申し訳ありません、陛下。それにスシロウデス猊下げいかも。如何せん、ルシュリー枢軸卿の近くにいないと、さすがに賊の動きに対応できなかったもので」


 そんな主君とその側近に、たとえルシュリーを護るためであったとはいえ、変装して嘘偽りを述べていたことをハーソンは謝罪する。


「まあ、すべては賊のたくらみを打ち砕くための仕掛け。ここはわしに免じ、任務に実直な忠臣を許してやってくだされ……さて、それでそなたは何者だ? やはりビーブリストか? それともフランクルーゼ王の母后の手のものか? すまぬが敵が多すぎて見当がつかん」


 謝るハーソンを見てルシュリーも彼を擁護すると、ようやく放ったらかしになっていたヴェントレスカの方に注意を向けて、その素性を問い質した。


「敵が多すぎてわからんだと? ……フン。どこまでもふざけた野郎だな……ならば教えてやる! ヴェントレスカというのは、最近、預言皇の侍従になった若造の名だ。まだ顔見知りは少ないと思い、会ったこともないが勝手に使わせてもらった。俺の本当の名はファムール・キーン・カトン……ルシュリー、この名には聞き覚えがあるだろう? そうさ。ラ・リッテルのもと市長ジュアン・キーン・カトンの息子だ!」


「ジュアン市長の? そうか。そなたらは〝ラ・リッテル〟の残党か……」


 呆れたように鼻で笑い、最早、隠す気もなく正直に答えるヴェントレスカ…否、ファムール・キーン・カトンに、確かにその名には憶えがあったらしく、ルシュリーはその正体を即座に理解した。


 ジュアン・キーン・カトン……それは、ルシュリーが陣頭指揮をとり、大軍勢による包囲戦で陥落させたフランクルにおけるビーブリスト〝エジュノー〟の拠点ラ・リッテル市の市長を務めていた反乱軍の中心人物だ。


「降伏後、辞任して間もなくジュリアン市長は病死したと聞いたが……」


「ああ。親父は死んだよ。あの戦いの心労で体を壊し、最期まで殺された者達の無念を抱きながらな。だから、今度は俺がその無念を受け継ぎ、ビーブリスト発祥の地であるザックシェン公国へ渡って、指導者マルティアン・ルザールのもとで修業をした……貴様達、レジティマム教会を葬り去るためにな」


 記憶をたどりながら呟くルシュリーに、ご丁寧にもファムールはここへ至る経緯を語って聞かせる。


「そして、その機会を待っている内に、貴様にも復讐できる一石二鳥の好機が巡ってきたというわけだ。貴様を殺し、エルドラニアの犯行だと吹聴するだけで、レジティマム最大の支持国同士大戦おおいくさとなる。お互いつぶし合ってくれている内に、我らビーブリストはイスカンドリア帝国領内を手始めに、エウロパ全土で改革運動を推し進めるという寸法だ。ついでにここでレジティマムの皇帝とエルドラニアの枢軸卿も始末できればなおのことよしだ」


「まさか。そのような大それた企てが裏で進んでいたとは……間一髪助かったぞ、ハーソン。礼を言う」


「じつは私は聞いておったのですが、預言皇庁の使節が偽者などということはありえんと一笑に付しました。すべては我が不徳の致すところだ。疑ってすまなかった、ドン・ハーソン」


 正直にすべてを白状したファムールの壮大な計画を聞くと、何も知らなかったカルロマグノは大いに驚き、その注進を自分のところで止めていたスシロウデスはハーソンに謝罪する。


「いえ。証拠がなかったのでそれも致し方のないこと。お気になさらず。そして、エルドラニアの騎士として当然のことをしたまでです、陛下」


 そんな雲の上の存在である二人に対し、内心、その通りだと思いつつも、宮仕えの身としてそうも言えないので、ハーソンは慇懃にお辞儀をしてそう答えておいた。


「じゃが、その計画もこれで水泡に消えた。あと一歩だったのに残念だったのう」


 一方、敵国の騎士であるにも関わらず、その懐疑的な性格から彼の忠告を受け入れ、指示通りに協力して事無きを得たルシュリー枢軸卿は、最後の最後でしくじったファムールに対して同情するかの如くそんな言葉を投げかける。


 この船上は自身の護衛を務める銃士隊とエルドラニアの近衛兵、さらには羊角騎士団によって固められており、乗って来たキャラベル船同様、武器を帯びない無防備な聖職者姿のファムール達では、どう抗おうとも勝ち目はない。


 おまけに、ハーソンのあの魔法剣まであるのだから絶望的だ。


 最大の好機にして唯一の機会であった一撃を外したことで、最早、彼らの計画失敗は確定したのである。





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