Ⅲ 疑惑の使節(2)
「――今のところ、特に何事もありませんな……」
アウグストが言うように、それからバルカーノ近郊までの道中はいたって平和なものだった。
ミッディラ海特有の気候ではあるが、空は相変わらずどこまでも晴れ渡り、海風も温かくなんとも爽やかだ。プロスペロモの悪夢とはあまりにも対照的なその光景に、思わず危機感を忘れてしまいそうにもなる……。
「左舷よりキャラベル船が一艘接近ぃーん! 紋章からして預言皇庁の使者かと思われまーす!」
襲撃や暗殺などとはまるで関係のない穏やかな大海原に、団員達の気もそろそろ緩みはじめようとしていたその時、不意にマスト上のイーデスが大声を張り上げる。
その声にそちらへ皆が目を向けると、確かに一艘の横帆とラテンセイルを持つ三本マストの小型船が、こちらへ向けて真っすぐに近づいて来ていた。
潮風に膨らんだフォアマストの横帆には、〝三重の王冠をかぶる神の眼差し〟という預言皇の宝冠を図像化した紋章が描かれている……まぎれもなく預言皇庁の船だ。
「預言皇バンザーイ! 皇帝陛下バンザーイ!」
「我らエルドラニアに神の祝福あれーっ!」
それを知った騎士団員達からは、プロフェシア教最高権威からの使者到着に歓声が沸き起こる。
また、他の護衛艦の者達も気づいているらしく、やはり賛美や祈りの声が方々から聞こえてきている。
「しかし、一艘だけとはまた不用心な……こんな穏やかなミッディラ海にも〝ガリガリー〟と呼ばれるアスラーマ人の海賊が出るというし、ルシュリー枢軸卿同様、ビーブリストに見つかれば襲われる可能性だってあるだろうに……しかも、重武装のガレオンではなく武装もほとんどできない小型のキャラベルとは……」
そんな中、額に手をかざしてその小型船を眺めながら、思わずアウグストが素直な感想を呟いた。
預言皇庁の置かれる古都イスカンドリーアはミッディラ海に突き出したウィトルスリア半島の海岸部にあり、波風の穏やかなこの海路を来ることは比較的容易ではあるのだが、それでもバルカーノまではけっこうな距離がある。アウグストの心配することももっともだ。
「急に使節送ることが決まったからじゃねえですかい? それか、たいそう優秀な〝魔法修士〟が乗ってるかだ。天下の預言皇庁ともなれば、賊の目を眩ますことなんか朝飯前の魔法修士もごろごろいることでしょうや」
すると、背後で操舵輪を握るティビアスが、舵を取りながらも思ったところを素直にそう答えた。
魔法修士――それは〝
〝魔導書〟とは、この世の神羅万象に宿る悪魔や天使、精霊を召喚してその力を自らの思い通りに操るための方法が記された高等魔術の書……その有効性ゆえに今の世では産業から軍事、海運、商売に至るまであらゆる方面で必要とされているものであるが、プロフェシア教会とその影響下にあるエウロパ諸国はこれを禁書とし、無許可での所持・使用を厳しく規制していた。
表向きは「悪魔崇拝に繋がる邪悪で危険な書物だから」などともっともらしいことを謳っているが、実際のところはその強大な力を独占し、自分達の権勢を盤石なものとするためである。
その証拠に、こうした〝魔法修士〟などという輩が存在しているし、聖職者や正規の航海士などの教会や国から許可を得た者は禁書であるにも関わらず魔導書を自由に使うことができている。
メデイアがアルゴナウタイ号に施した悪魔の力もまさにこの魔導書の召喚魔術によるものであり、彼女も羊角騎士団の魔術担当官として、その許可を帝国と教会よりもらっている(ただし彼女の場合、魔女としてまた別系統の、教会も認めていない異教の魔術を使っていたりもするが……)。
ともかくも、この禁書政策――〝魔導書の所持・使用の許可制〟こそが、現在、エウロパ世界を統べる権力構造と秩序の根幹をなしているといっても過言ではないのである。
もっとも法律や規則の世の常として、そうした禁書政策を屁とも思わず、密かに無許可で使用している不届きな輩がいたり、裏のマーケットでは海賊版が公然と流通していたりもするのではあるが……。
「確かに預言皇庁図書館には滅多に表に出てこないような希少な魔導書も収蔵されていますし……しかし、武装のない小型船単独でイスカンドリーアからここまで来るとは、さぞかし自らの魔術に自信があるお方なのでしょうね。高名な魔法修士でも乗っているのかしら?」
ティヴィアスの意見に、魔術には造詣の深いメデイアもやはり賛同すると、職業柄、その術者の力量に興味を示している。
「……なんだか妙じゃな。今の預言皇レオポルドゥス10世は派手好きなお方。いくら急に決まったことだといって、この記念すべきレジティマム最大の支持国同士の会談に、わずか一艘の船だけで使節などよこさんと思うんじゃが……」
しかし、それまで黙ってその小型船を凝視していたプロスペロモが、いたく訝しげに首を傾げた。
「それに、たとえ船一艘だったとしても、もっと大きくて威厳を感じさせるガレオンか、さもなくば旧型だがキャラックのような大型船にするはずだろう……操帆性と速度に優れているとはいえ、すべてのプロフェシア教会を統べる預言皇庁の使節が、あのように小さなキャラベル船一艘というのは……」
また、その疑問にはイシドローモも大きく頷き、やはり不審感を顕わにしている。
もともと二人は宣教師であったこともあり、よく知る預言皇庁の慣習との差に違和感を覚えたのだ。
「そう言われてみれば、確かに預言皇庁の使節としては似合わん数と大きさではあるな……」
彼らの言葉を聞くと、その霊的最高権威の使節にしてはずいぶんと小さな船に、ハーソンもそこはかとなく違和感を覚えはじめる。
「まさか、あの使節が偽物だとでもいうのか!? だが、あのような武装もほとんどできない小船一艘ではそれこそ襲撃など不可能だぞ? 船首楼・船尾楼のないキャラベルは接近して飛び移ることも不向きであるし……」
一方、アウグストもその疑惑には驚く反面、半信半疑に船の規模と構造から現実的な問題点を指摘する。
「いや、まだ疑わしい点があるというだけなんだが……二人とも、宣教師として何か察するところもあるだろう。どうにかして彼らが本物かどうかを確かめる術はないものだろうか?」
「……わかりました。拙僧に考えがあります。船を近づけて、団長には挨拶をするふりをしていただけますかな? その間に探りを入れてみましょう」
「近づけば細かいところも観察できますからな。わしもやはり気になりますわい」
アウグスト同様、半信半疑な様子ではあるが、そんな尋ね方をするハーソンに、イシドローモとプロスペロモはいたく深刻な表情を浮かべて頷く。
「了解した。むしろそれが礼儀というものだろうからな……ティヴィアス! あのキャラベルに横付けしてくれ!」
「アイアイサー!」
二人の返事を確認するとハーソンはティヴィアスに命じ、アルゴナウタイ号をキャラベルの方へとすぐさま向かわせた――。
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