Ⅱ 争乱の予兆(1)
「――どうだ、ティヴィアス。船の調子は?」
吹きつける潮風に明るい金色の髪を撫で上げながら、ハーソンは舵を取るティヴィアスにそう尋ねる。
「絶好調でさあ! 足も速いし舵も軽い。まあ、船の性能を見るんなら、もっと波の荒い外海の方がいいんすけどね」
意気揚々と操舵輪を握り、前方に広がるミッディラ海特有の穏やかな海を見渡しながら、それでも少々物足りないような様子で筋金入りの船乗りであるティヴィアスは答える。
頭上を見上げればよく晴れた青空が広がり、足元を覗けば波も穏やかで、真っ白な帆を膨らます温かな潮風も眠気を誘うほどになんとも心地良い……まさに蒼天航路。これが任務であるということを忘れてしまうかのような、絶好のクルージング日和である。
現在、ハーソン達はバルカーノの港を出てから北上し、周囲の海を監視しながらフランクル王国領海との境界線へ向かっている……そこで、ルシュリー枢軸卿の乗った船を出迎える手はずだ。
その
そして、ハーソン達羊角騎士団のアルゴナウタイ号はといえば、遊軍として航路のパトロールをしたり、周囲の警戒にあたることとなっている。今、彼らが行っているのもその航路監視の一環である。
「しっかし、ほんと穏やかな天気ですねえ……重武装ガレオンの艦隊がついてるんだし、さすがに襲って来るようなバカはいないでしょう。どうです? 暇潰しに一曲弾きますか?」
右舷の船縁に腰掛け、一応は周囲を見張っていたもと
彼もまた純白の
「おおーい! おやつにハーブ入りのパンケーキ焼いてみたぞ~! みんな、一休みしてはどうじゃ~?」
続いて、顎に白髭を蓄え、長い白髪頭に白いベレ(※ベレー帽)をかぶった一人の老人が、そんな暢気なことを大声で叫びながら、手にパンケーキの載るお盆を持って船尾楼から出てくる。
やはり羊角騎士団の白装束に携帯用救急鞄を腰に着けているこちらの老人は、もとはウィトルスリア地方アッティリアの古都アテーノスで名を馳せた医者で、軍医兼料理人として雇われたアスキュール・ド・ペレスだ。
「こらこら、皆、たるみすぎだぞ! いくらのんびりした雰囲気だからって、これは皇帝陛下より与えられた我ら羊角騎士団の正式な任務なのだからな!」
そんなたるみきった団員達の様子を見て、眉間に皺を寄せた副団長のアウグストが、上甲板を見回しながら彼らのその態度をたしなめる。
「つったって、こんな警備厳しきゃあ、なんも起こりゃしねえだろ……なあ、いっそのこと、俺達でルシュリー枢軸卿を殺るってのはどうだ? 聞けばけっこう才のある宰相だって話じゃねえか? ここで仕留めればフランクルにとってはかなりの痛手になる。後々やつらとドンパチするにはいい一手だと思うぜ?」
だが、今度は左舷で見張りに当たっていた黒髪オールバックを一つに束ねた眼つきの悪いラテン系の男が、退屈そうに短槍を肩に担ぎながら、たるむどころかなんとも物騒なことを口走ってくれる。
彼はパウロス・デ・エヘーニャ。戦場でもその名を知られた槍の名手であるが、乱暴なその性格ゆえに若い頃、殺人事件を犯し、しばらく逃亡生活を送っていたという羊角騎士団一の危険人物だ。
「な、なんということを言うのだ!? 仮にも我らが護衛すべき相手だぞ? 冗談にしても言ってよいことと悪いことがある!」
「ヘン! どっちが冗談だか。あんただって乗り気じゃねえだろ? そもそもフランクルの野郎なんかと手を結ぼうってのが間違いなんだよ。〝ヴァラッテミーナ〟戦じゃ、ビーブリストを支持したやつらだぜ? いつ約定を違えて寝返るかもわかったもんじゃねえ……所詮はどこまでいってもエルドラニアの敵。やつらの宰相ぶっ殺す方がよっぽど国益に繋がると思うけどな」
その暴言に唖然とした顔でアウグストはたしなめるが、対してパウロスは鼻で笑うと、いたく真面目な顔でそう反論する。
「ぶ、ぶっ殺すなどと、さらにまた、物騒なことを……」
だが、本心では少なからず彼に同調するところもあるアウグストは、言葉とは裏腹に一気にトーンダウンしてしまう。
「確かに。パウロスのいうような考えのエルドラニア人も中にはいるだろう。だが、ここでルシュリー枢軸卿を殺せば、我が国とフランクルが全面戦争になることは必須。それこそビーブリストの思う壺だ。その隙にガルマーナを中心に勢力を広げ、フランクル国内でも勢いを持ち返すかもしれない。そうなれば、帝国から北部のガルマーナ諸国が独立するなんてことにもなりかねん。あるいは、レジティマム支持の陛下を認めず、ビーブリストの新たな皇帝を擁立するなんてこともな」
すると、言い淀むアウグストに代わり、ハーソンが理路整然と、その早まった行動の招く未来について落ち着いた声でパウロスに説明した。
「これはレジティマム教会だけの問題じゃない。フランクルとの共闘はイスカンドリア帝国の…ひいてはエルドラニアの勢力圏や陛下の帝位にも関わってくる戦略上の一大事なのだ。だから、退屈なのはわかるが今回はおとなしく護衛任務だけにしといてくれ。なあに、今少し辛抱すれば新天地で海賊相手に好きなだけ暴れられる」
「……ま、クソみてえな俺を拾ってくれた団長に迷惑かけるわけにもいかねえしな。仕方ねえ。今日のところはお行儀よくしといてやるぜ……チッ…こんなことなら街の警備の方行って、チンピラどもに因縁つけてた方がましだったな……」
なんだかもっともらしいことを言いながらも、結局はただ単に暴れたいという彼の本心を見透かしたハーソンの言葉に、パウロスも渋々引き下がるとブツクサ不平を漏らしながら再び海の方へ体を向ける。
彼が言っていたのは、会談の舞台となるバルカーノ市中の警備のことである。じつは羊角騎士団も隊を二つに分け、今この船に乗っている者以外はバルカーノの衛兵とともにそちらの任に当たっているのだ。
「うぬ…………」
海の方を向くと、暇潰しにブン! ブン! と短槍の素振りを始めるパウロスの後姿を眺め、アウグストは「やっばりこいつ、市中警備の方に行かせないでよかった……」と密かに心の内で思っていた。そうしたらそうしたで、何か必ず騒動を起こしていたに違いない。
「ってことで、皆さん退屈そうだし、ここはやっぱり僕が一曲唄わせてもらいましょう。何がいいですか? なんでもリクエストにお応えしますよ? 羊角騎士団だけに〝メリーさんの羊〟とか?」
一方、そんな問題児パウロスに代わって、再びオルペが口を開くと、またもやポロン…ポロン…
「音楽を聴きながらのクルーズとは最高だな! 景気づけにいっちょノリのいいやつを頼むぜ!」
「よし! ならばハーブティーも用意しよう! 仕事の効率を上げるには休むことも大事じゃからな。手の空いてる者は休憩じゃ!」
その提案にはティヴィアスとアスキュールも大いに賛同し、甲板上は再び緊張感のない、長閑で弛緩した空気に包まれる。
「コラ! だから任務だということを忘れるなと言っておろうが! アスキュール殿も団長命令なしにお茶にしないでくだされ! ほら、他の者も勝手に休むな!」
「……ん? どうした? なんだか浮かぬ顔だな」
そんな団員達に再び渋い顔で苦言を呈する真面目な副団長アウグストであるが、他方、意外と寛容で放任主義の団長ハーソンは、それよりも何か心配事でもあるかのような様子で、先刻来、ずっと押し黙っているメデイアに気づき声をかけた。
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