Ⅰ 初陣の軍船(2)

「しかし、最初の任務が敵国要人の護衛というのは、少々不満ではありますな……」


 それまで暢気に歓喜の声をあげていたアウグストが、今回自分達の任された仕事の内容を思い出すと、不意にそのラテン系のダンディな顔を苦々しそうに曇らせる。


「まあ、これまでフランクルとはいろいろあったからな。だが、今回の一件はそんな国家間のいざこざを超えたところの話だ。今後、我らは共闘体制をとることとなるやもしれん。同盟ということだってありうるぞ」


 そんなアウグストに、いつもの感情の起伏の少ない仏頂面のまま、極めて理知的な答えをハーソンは返した。


 彼らに与えられた最初の任務……それは、長年敵対してきた隣国フランクル王国の宰相にして枢軸卿カルマン・プレジュー・ド・ルシュリーの乗る船の護衛である。


 枢軸卿とは、プロフェシア教会の総本山、古都イスカンドリーアに居を置く預言皇庁で、教会の最高権威・預言皇を補佐する最上級聖職者である。


 通常、各教区の司教の内より適任者が選ばれ、ルシュリー枢軸卿もフランクル王国領内におけるその一人というわけだが、プロフェシア教会の影響力の強いこのエウロパ世界において、彼のように枢軸卿がその国のまつりごとに深く関わることもままとしてあるのだ。


 では、敵国のその枢軸卿であるルシュリーが、なぜわざわざエルドラニアへ来ることになったかといえば、それは近年、プロフェシア教会内で…否、ひいてはこのエウロパ世界全体の大問題となっている〝ビーブリスト〟運動に対する協議のためである。

 

 預言皇を頂点としたプロフェシア教の主流派を〝レジティマム(正統派)〟という……。


 だが、長い歴史の中で腐敗を極め、金と権力の奴隷と化した〝レジティマム〟に対して異を唱えると、『聖典』に記された開祖〝はじまりの預言者〟たるイェホシア・ガリールの教えに立ち返ろうと運動を起こしたのが〝ビーブリスト(聖典派)〟である。


 もとよりレジティマム側に非があったためか、この運動は瞬く間にエウロパ世界全土へと広がりを見せ、各地でレジティマムとビーブリスト間における争いが勃発すると、今や宗教戦争の様相を見せ始めている。


 件のルシュリー枢軸卿とて、フランクル国内におけるビーブリスト〝エジュノー〟の本拠地であった〝ラ・リッテル〟という港湾都市を、自らが軍を率いた包囲戦で陥落させていたりもする。


 それでも、そんな激しい弾圧とは裏腹にその拡大はなお収まらず、エルドラニアやフランクルは今もってレジティマム支持国であるが、神聖イスカンドリア帝国を構成する領邦国家内でも、運動を始めたマルティアン・ルザールの故郷、北のガルマーナ地方の国々などはビーブリスト支持に傾いているものも多いくらいだ。


 そこで、手を焼いたルシュリーの考え出したのが、宿敵ではあれど同じレジティマム国であるエルドラニアとの間に、対ビーブリストのための共闘体制を構築することであった。


 一方、エルドラニア側においても、国王カルロマグノ一世は広がる両者間の争いを抑えるべく、預言皇庁に働きかけてレジティマム教会を改革するためのプロフェシア教〝総会議〟を計画している。


 ここに両者の利害は一致し、長年の禍根も水に流してともに手を取り合おうと、ルシュリーはカルロマグノ一世及び、エルドラニアの枢軸卿シメハス・デ・スシロウテスと会いに来訪する運びとなったのである。


 ちなみに、このスシロウテス枢軸卿はエルドラニア一の霊的権威を持つドレッド大司教でもあり、清貧で禁欲的な生活を送る尊敬すべき人格者ではあるが、その一方で異端審判士長も兼ねる、ビーブリストには特に厳しいガチガチの極右的なレジティマム派だったりする。


「共闘ですか……ほんとにそううまくいくものですかな? 相手はあのフランクルですぞ? 長年の宿敵というばかりでなく、〝ヴァラッテミーナ〟を巡ってもいろいろあったというのに……」


「ああ。俺も参陣したからよく知っている。だが、レジティマム教会としては、そんなことも言っていられない状況ということだろう。ビーブリストの勢いはとどまる様子を見せんからな。今後に支障がないよう、今回の会談ではそうした両国間の問題もある程度片付けておくつもりなのだろうな」


 なおも納得のいかない様子のアウグストに、ハーソンは重ねて宗教界の切迫した内情をそう言って説明する。


 ヴァラッテミーナ――それは標高4000m級の山々が連なるアルムス山脈にパックリと空いた渓谷の都市で、帝国の南に広がるウェストリア地方と北のガルマーナ地方を結ぶアルムス越えの交通の要衝となっている。


 そんな地政学上の性格のため、イスカンドリア皇帝であるカルロマグノはもちろん、隣接するフランクルの国王、宿敵フランクルーゼ一世にしてもぜひとも手に入れたい土地なのだ。


 ゆえに近年、エルドラニア・フランクルの両国間ではその影響力を巡り、この都市におけるレジティマム派対ビーブリスト派の紛争に軍事的介入をしてきたのであるが、ここはレジティマム教会全体を守るため、互いの損得勘定なしにレジティマム派勢力の支持で一本化しようという条約の締結も、ハーソンがいうように今回のこの会談の目的の一つとなっている。


「ならばなおのこと、あちらが王都マジョリアーナまで陛下への謁見に参るのが筋というもの。それをこんな、海路でバルカーノまで来て、そこへ畏れ多くも皇帝陛下とスシロウテス猊下げいかに足を運ばせたまうなど、なんと無礼なことか……」


「まあ、そう言うな。向こうからすれば、長年敵対してきた国の奥深くまで入り込むのはさすがに勇気がいるのだろう。それにルシュリー枢軸卿はたいそうビーブリスト達から恨みをかっているからな。船で最寄りのバルカーノに来るくらいが安全上の限界なんだろうさ」


 それでもまだ不満を漏らすアウグストに、ハーソンは苦笑を浮かべながら他人事ひとごとではあるがそう弁明してやった。


 会談の舞台となるバルカーノは、エウロパとアスラーマ大陸に挟まれたミッディラ海(※地中海的な海)に面する港町で、歴史をたどれば古代イスカンドリア帝国が手を焼いたカルタンゴ王国の将軍ハンニャバルナンが領地としていた旧跡だ。


 このミッディラ海貿易で大いに賑わう港湾都市はフランクル王国との国境にも近く、陸路ではアルムス山脈の険しい山道に阻まれるが、海路なら北へ行けばすぐである。


 ルシュリーは前述の〝ラ・リッテル包囲戦〟でエジュノー(※フランクル国内のビーブリスト)達から心底恨らまれており、また、それ以外にも強引なその手法で多くの政敵がいることから、襲撃を受ける危険性のある陸路は避け、比較的安全な船での移動で、しかも短時間で来れるこのバルカーノが会談場所に選ばれたのだった。


 他方、バルカーノは王都マジョリアーナからもさほど遠い距離ではなく、エルドラニア側からしてももってこいの立地である。


 ついでに付け加えると、なかなか自由の利かないないカルロマグノ一世本人においても、久方ぶりに海が見れるとこのバルカーノ行きを快諾したらしい……。


「ともかくも、このアルゴナウタイ号を使った演習にはよい機会だ。これはプロフェシア教会の安寧を守るための任務ともいえるし、ならば、護教のために結成された我ら白金の羊角騎士団の本分ともいえる……ま、今日はそう思って、このクルーズを大いに楽しもうじゃないか」


 いまだ苦い顔をしているアウグストをなだめるようにそう告げると、爽やかな潮風に純白のマントを翻しながら、雄大なミッディラ海の景色をハーソンは碧の眼で眺めた。

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