32.憧憬―8『〈ドラゴン・チェイサー〉―8』

「この機体は――」

 モックアップの隣に立つとクラムは話しはじめた。

「きたる次期シュナイダー杯に向け、我が社が開発中の〈ドラゴン・チェイサー〉です。――シュナイダー杯はご存知ですね?」

 質問のかたちはとっているが、周知の事柄について確認する口調である。

 ハーランは頷いた。

=セヴェリナ教主国で、二年に一度開催される国際的な飛行機械の速度競技会だ」

「ご名答です」

 クラムも頷きをかえした。

 ご名答もなにも飛行機に興味のある者ならば常識に属する知識だ。

 いかな小国のとはいえ、空軍士官であれば知っていて当然だった。

「次の大会で一三回目となるシュナイダー杯は、世界各地で作られた〈ドラゴン・チェイサー〉が一堂に会し、互いの最高速度を競い合う大会です。現在の公認記録は時速五八二キロ。前回の大会において、ハイランド共和国の〈ドラゴン・チェイサー〉が樹立したものです。

「私たちは――」

 そこでいったん言葉を切って、クラムはミーシェルにちらと目をやった。

「七〇〇キロを狙います」

「な、七〇〇キロ……!?」

 途方もない数字に、思わずハーランは、いま耳にした言葉をオウム返ししてしまう。

 思わずつるりと磨き上げられたモックアップの木肌に目をやり、まじまじ凝視した。

 列強各国が保有する最新の戦闘機、偵察機――もっとも速く飛べる飛行機でさえも最高速度は時速五〇〇キロ前後の機体がほとんどというのが現状である。

 もちろん開発中の機体はあるだろうが、それにしてもいきなり一〇〇キロ以上もの速度向上をなしとげる可能性はきわめて低い。

 実用機と競技機の違いがあるといえ、彼らジヴェリ機械製作所の人間が目標としている速度――数値の大きさには驚かざるを得なかった。

 が、

 知らず、ふぅ……と息が出る。

 自分のダイナスティを冠と戴く王国――サントリナ。

 その歴史こそふるくはあるが、ちいさな国だ。

 社会体制、産業構造共に、ややもすれば時代、時勢に遅れつつもある。

 その国にあって、空軍でなく、大企業でない、中小企業が挑戦をする。

 しかも、世界中の競争相手を向こうに回し、優勝すると言うのである。

 確かに、山岳保安庁のコンペでは、彼らは〈エアリエル〉を提示して、その技術力の程を見せつけた。

 彼の愛車を瞬く間に分解してのけた社長をはじめの工員たち――鮮やかな手並みは、まさしく熟練工。

 個人的にも親交をむすんだ同社の主任設計者――ミーシェルの天才性も大いに認めるところではある。

 しかし……、

 示された実績と、それを裏付ける能力――それらを知っていてなお、ハーランは、『しかし……』と思ってしまうのだった。

 なぜなら、知っているから。

 王族として、或いは武官として、様々な国を訪問した際に見聞したもの、見せつけられたもの。

 空軍士官、それもテストパイロットという役職上、接する事のある部外秘をふくむ各種の情報。

 その他にもあるが、ハーランは、一見華やかなる飛行競技会の裏面をかなりな部分まで知っていた。

 だからこそわかる。

 元はと言えば、自分たち人間の遙か頭上を舞うドラゴン――〈紅い星〉を追いかける為に作った飛行機の発表会でありお披露目の場であった飛行競技会。

 同好の士たちの交流、技術交換を主目的としていた筈のそれは、今ではそれを見物しようと訪れる観客たちを主な対象とした一大イベントと化している。

 得られる興行収入は莫大であり、当然、そこには各種の利権が発生をする。

 その利権をめぐる欲望や思惑、確執が渦巻き、薄汚い事になっているのだ。

 冒険という一種の憧憬に対し、あらゆる意味での利益を追求しようとする我欲が、怪物的に膨れあがってしまっている状態。

 飛行機械の性能が優れているからといって勝てるとは限らない――つまりは、そういう事になってしまっているのであった。

 ドール。

 トンプソン。

 ベンディックス。

 ピューリッツァー。

 ゴードン・ベネットetc.……。

 もはや乱立と評すしかない多さで催されるようになった飛行競技会。

 その中でも取り分けシュナイダー杯は、開催歴の古さと賞金総額――参加する飛行家、協賛企業の数、そして何よりそこを目がけて集まってくる観客の動員数において最大規模、最高の大会と見なされているものだ。

 そして、

 は、競技に『勝つ』ことで得られる金銭のみにとどまらない。

 人間の頭上はるかを舞うドラゴン――〈紅い星〉を追う、そのために作られた〈ドラゴン・チェイサー〉は、極論するなら人知を尽くし、飛ぶ性能を極限まで突き詰めた飛行機械。

 つまりは、その時点での最高性能の機体ということになる。

 それら、一堂に会した、いずれも『最高』の飛行機械たちを蹴散らし、王座に君臨する。

 そこには、もはや、『個人』としての栄誉にとどまらない。

『企業』……、いや、『

 何故なら、飛行機械――固定翼式飛行機は、戦争に必要不可欠な『兵器』にもなってしまっているからだ。

 ハーランは、再び、ふぅと溜め息をつく。

 ミーシェルに会い、思わぬ発見から坂を転がりおちるのにも似た展開を経て、想像もしていなかったワクワク気分を満喫していたというのに、まったくこの現実世界の世知辛いことと言ったら……。

 しょうきのように重たく胸を塞いでわだかまる、このウンザリの塊をすべて身の内から吐きだしてしまいたい。

 そんな気分に駆られていた。

「できます!」

 叫ぶように言って、ミーシェルが二人の会話に割り込んできたのはその時である。

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