16.邂逅―16『〈エアリエル〉―8』

「全然怒ってはいないし、何一つ遺恨に思ってないからね」

 心底あせっていると察せられる口調でハーランは言った。

 話しかけている相手は操縦士席に座っている少女である。

 自分の正体があかされた途端、ミーシェルが凍りついたように身体を硬直させてしまった。それを何とかしようとしている最中だった。

「軍務に就いている間は、王侯貴族といえど、あくまで一軍人としての権限しかないし、そもそも、あれは事故だったんだから」

 少女の後ろ姿へと向け、意味なくわたわた手など振りまわしながら、気にする必要はないと訴えた。

 クラムが口にした通り、サントリナ王国を統べる王室の一員として生まれたハーランは、多分、この世の誰もがそうであるように、自分の境遇を自明のものとして受け入れ生きてきた。

 つまり、自分が王子であることは、宣伝する気も隠すつもりもないことで、その事実を知ってどう行動するかは、相手が決めるべきことという意識で生きてきたのだ。

 が、

 今更ながらに、その考え方はごうまんだったかもしれないとほぞを噛んでいる。

 今まではそれで通用していたが、それは相手が、あらかじめハーランを王子と承知していたからこそだった。

 いくら知らなかったとはいえ、王子様にバケツの水をかけてしまった。どうしようと、全身を青ざめさせているだろう少女を前にすると、やはり、考えが足りなかったかと反省せざるを得なかったのだ。

 つくづく、やってくれたなと忌々しく思う。

 せっかく初めて乗る飛行機のあれやこれやをたんのうしていたのに、いきなり頭の上から声が降ってきたから驚いた。

 視線をあげれば案内用か、天井の隅に小型のスピーカーが取り付けられてあり、声はそこから漏れていた。

 ミーシェルとクラムが交わす――ハーランのについての推測が。

 〆として、こちらを向いたエルフの青年に念押しされれば否定はできない。

 渋々、肯定すると、途端に少女の態度が豹変し、そうして現在に至るのだ。

 ようやく喉から絞り出したかのような小さな声も絶え絶えに、とんだご無礼をしでかし、お詫びの言葉もございませんと謝罪をされた時には心の底からどうしようと思った。

 それからずっと、冷や汗まじりに四苦八苦、フォローの言葉をかけつづける事となったのである。

 一般市民たる平民が、王侯貴族に対して抱く畏れの程を心底、思い知らされながら、クラムが自分の同乗希望を一言のもとに撥ねつけた理由の一つがコレかとも、遅まきながら理解した。

(もしかすると、呼吸もしてないんじゃなかろうか……?)

 身動きひとつする気配さえ、まったく伝わってこないミーシェルの様子には、そう疑わせる深刻さがあったのだ。

 これが地上であったら、間違いなく卒倒していたろうし、

 離陸前だったら、どんな誤操作をしでかしたか知れない。

 そのあたり、飛行が安定したのを見計らってから、おもむろに口をひらいたクラムのやり方は、認めたくはないが妥当と言わざるを得なかった。

「王侯貴族や軍人というのは、そもそも領民を護るために存在してるんだ。領民たちから敬意をはらわれ、日々の労働で得た糧を税として納めてもらえるのも、そのためだ。

「なのに、そんな王侯貴族や軍人が、自らその領民たちを苦しめるようなら本末転倒。いったい何のために存在するのかということになってしまうだろう?」

 だから、バケツの水をかけられたことくらい、驚きはしたけど何でもないんだ。

 だから、そんなに謝る必要なんてない――ハーランは懸命になって繰り返した。

 女の……、女の子の機嫌をとるのは本当に苦手だ。つくづく自分には向いてないなどと思っていた。

「ま、そうはおっしゃいながらも、いまひとつ、そのお覚悟が足りていらっしゃらないようではありますがね」

 そんなハーランに再びクラムが話しかけてくる――無礼なことを口にした。

「どういうことかな?」

(こいつのせいでこんな苦労をしているというのに……!)

 機内通話装置インカムがオンのままになっていたのは偶然ではあるまい。

 この一部始終はこいつ――クラムが仕組んだことなのに違いないのだ。

 ささくれた心のままにハーランが問うと、薄くわらってかえされた。

 初見の時からクラムがハーランに対して見せている、底意ありげな表情である。

空軍部隊のことを私はよくは知らないのですが」と前置きをして、

「戦闘機の単独行動というのは、通常ありえないのではないですか?」

 ズバリとそう言ってきた。

 ミーシェルとハーラン、そしてクラムが初めて出会った不時着事故の、あの日のことを言ってきた。

「……軍人だなんて職業は、人が生きていく上で必要な生産活動には何ら寄与しません。

「王侯貴族もそれは同じで、なのに、そんな無駄飯食いを私たち庶民が養ってあげているのは、いざという時、自分たちの楯になって護ってくれることを期待しているからです。

「だから、こうした社会的契約に従って、王侯貴族に生まれた男子は必ず軍隊に籍を置き、一軍人として軍事行動に従事する。そして一朝事があったなら、全国民に先駆け先陣をきり、誰よりも早く戦死する。

「まったくもって殿下のおっしゃる通りで、それをして高貴なる者ノーブレス・オの義務ブリージュ――王侯貴族の務めと称するのでしたか」

 ふふんと鼻を鳴らすようにして、一息に言った。

「……なんともこうまいなことで結構ですが、しかし、殿下が所属していらっしゃる部隊は、空軍の第三飛行師団 独立飛行第四七戦隊。

「私の記憶違いでなければ、それは王国空軍が保有する最新鋭機の実験部隊だった筈です」

「つまり――」とクラムは容赦なく結論を口にした。

「まだ試験途中の不安定な機体を王族の権威をカサに我意を通して単独飛行を実行された。――不時着事故は、そうしたワガママの結果だったのではないですか?

「更に加えて通信機まで故障ときては……、正直、王族が一国の命運を左右する時代から遠くなったとはいっても、軽率のそしりをうけても仕方がないのではないでしょうか?」

 言い切った。

「ク、クラム、言い過ぎ、だよ……」

 そのあたりで、何とか再起動を果たしたミーシェルが、兄とも慕う幼馴染みのあまりに不敬な物言いに、蒼白な顔から更に血の気を引かせてず口をはさんでくる。

「べつに間違ったことは言ってないだろう?」

「そ、それは……、で、でも……」

 しれっと答えるクラムに口ごもるミーシェル。

 それはしんらつな、しかし、まさしく正論だからであった。

 事実上、糾弾されたと言ってかまわない立場のハーランは一言もない。

 むしろ、クラムが最初から自分に対して、表向きは丁寧ながら、内心はそうではないのだと明白に不遜な態度をとっていたのは、そういう理由であったかと今更ながら得心さえしていた。

 要するに、尊敬するに値しない相手と見なされていたわけだ。

 そして、思わず笑ってしまいそうになる。

「だから、ミーシャもバケツの水のことくらいでクヨクヨすることはないということさ。

「まがりなりにもミーシャは殿下の命の恩人なんだし、バケツの件も、殿下をこの飛行機にお乗せしたことで、完全にチャラになったんだから」

 付け足すように、クラムがそう言ったからだった。

 このエルフの青年は、自分が一手に憎まれ役を引き受けてでも、何がなんでも妹分の少女をかばうつもりでいるらしい。

 この一連の茶番について、そう了解できたからだった。

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