17.邂逅―17『〈エアリエル〉―9』

「うん」

 ハーランは一つうなずいて、それからニコリと笑ってみせた。

かんげん、ありがたく承った。今後は王族として軍人として、国民からの信を裏切らぬよう、いたずらにおごることなく振る舞うよう、常々心がけることにするよ」

 深々とクラムにむかって頭をさげた。

 そうして、おもむろにパンと大きく手を鳴らす。

「それじゃあ、これでこの問題はおしまいだ。おしまいにしよう。――ミーシェルさん」と前席の少女に声を掛ける。

「訊きたいことがあるんだけれど、大丈夫かな?」

「は、はいッ」

 声をかけられ、座席の上で跳びあがるようにして、少女はこたえた。

「な、な、なんでしょ……ございましょう、で、殿下?」

 ひっくりかえった声で、ぎごちなく、言葉遣いに気をつかいまくって返事をしてくる。

「この飛行機には、もう名前がついてるの?」

 さしつかえなければ教えてほしい、とハーランは言った。

 打って変わって距離のある少女の態度に、一抹の寂しさと後悔が胸をよぎるが、さすがは王族――そんな思いは一片たりとも表に出さない。

「名前……ですか?」

 一方、質問をされたミーシェルは、ハーランの言葉にきょとんとなった。

 完全に、意表をつかれたという表情である。

「うん。外から中からあちこち拝見させてもらったけれど、乗せてもらってあらためてわかった。この飛行機は良い出来だ」

 問い返してくる少女に、ハーランは、ああと頷いた。

 論より証拠と、自分が腰掛けている座席の座面をかるく叩いてみせる。

「たとえば、この座席だな。重量制限もあるだろうし、商品としての単価を抑えるためにもこうしてるんだろうが、しかし、実に座り心地が良い。

金属撥条スプリングの代わりにクッションとしてゴム製のベルトを張ってあるんだね? ハンモック風というわけだ。軽量化と座り心地を両立させた見事なアイデアだな」

 そう言って褒めた。

 軽量化の意図もあろうが、人間も運ぶ、荷物も運ぶ、混載して運ぶ――多様な積載物に対応しようとしてか、ペイロードエリアの座席は折り畳むことに加えて取り外すことが簡単にできるようだった。

 コスト制限にくわえて、そうした条件が加われば、座席としての座り心地は犠牲になりそうなものだが、そうはなっていない。ハーランが軍で乗ることがある車両のそれより、快適と言ってよい程だ。

 まことに工夫のたまものと言うべきで、素直に感心したのだった。

「そして、この見晴らし」

 続いてハーランは、ぐるりと腕を水平に振ってみせる。

「すごいな、これは! まるで座席に直接、翼がはえて空を飛んでいるみたいじゃないか」

 ビックリしたよと、そう言った。

 言いながら、自分で自分の言葉に興奮したのか、ワクワク感が抑えきれずに言葉の端ににじんでみえた。

 しかし、多分、その子供っぽさが功を奏したのだろう。

「本当……ですか?」

 おずおずとした口調で、ミーシェルがそう訊いてくる。

「本当だとも!」

 自分の方に振り返り、目線をあわせてくれた少女にハーランは、おおきく頷いた。

「こんなに見晴らしの良い飛行機にははじめて乗った。以前に一度、陸軍の観測機に乗せてもらった事があるけど、視界のひろがりはこの機体の方が断然上だね」

 軍人としては少しアレな実例までひいて褒めちぎった。

『陸軍の観測機』と口にした時、クラムの表情が、一瞬ピクリと動いたのだが、相互の位置関係からだけでなく、まったく気づく様子はなかった。

 それくらい昂奮している。

 同乗を希望した当初は、まだ、話のタネ的な好奇心でしかなかったのに、それが今では深い満足感に変わっていたから――同乗を希望した自分を、よくぞと褒めてやりたい気分になっていたからだった。

「特にこの窓だよ」と言いながら、今度は軽飛行機の窓を撫でてみせる。

「外から見ても出窓みたいと思っていたんだが、じっさい乗ってみたら上下に前後と視界が実にひろいんだな。ただでさえ窓の面積がひろいから、腰から上が宙に剥き出しになってる感覚なのに、それに加えて、ほんのちょっと外側に身体を傾けるだけで、まるで空中に放り出されたみたいな気分になる」

 天窓が設けてあるのもナイスと褒める。

 機体が地上――まだ滑走路上にあった時点から、このまま空を飛んだらどういう気分になるんだろう? と、離陸を待ち遠しく思っていたハーランであったから、期待を裏切らない結果に、興奮、感嘆することしきりとなっていた。

 そうして、

「そ、そうですか……」

 まくし立てるようにして軽飛行機のことを褒めちぎるハーランの言葉を聞いているうちに、次第次第にミーシェルの顔があかるくなっていく。

 隠しきれない嬉しさが、笑顔となって、その口許にこぼれだす。

「それで? 名前は? この機体、もう、名前はつけられてるの?」

 そこで、ハーランが最初の問いを繰り返した。

「はい!」

 ミーシェルも、今度は元気に頷いた。

「はい! 名前は、もうついてます。

「このの名前はですね、〈エアリエル〉っていいます。――わたしが命名したんですよ」

 どうです、良い名前でしょう? とばかりに顔を輝かせ、それどころか胸までグイとはったようである。

 ハーランに――部外者であり、かつ、プロのパイロットに自社製の飛行機のことを認められ、褒められたのが、よほど嬉しかったものらしい。

 口に出しては言わないが、まさしく、エッヘン! という感じであった。

 返事の後半に付け足した、名付け親が自分であると明かした部分では、ほんのり頬を染めこそしたものの、誇らしげな様子はかわらない。

空気の精エアリエル? それはまた……」

 ミーシェルのいかにも誇らしげな態度と、いまいち機体に似合わない、夢見る乙女っぽい命名に、あやうく吹き出しそうになってハーランが口ごもる。

 さんざん褒めた言葉には、もちろん偽りも誇張もありはしない。

 しかし、自分の予想と実際とのギャップに意表をつかれ、つまりは、ツボにはいりかけたのであった。

 機体の外形等から、たとえばトンボのような名前を彼は予想していたのである。

 とまれ、

 飛行機のはなしで盛り上がる、そんな二人の様子をいまいち醒めた、生あたたかい目でクラムが見ていたりするのだが、もちろんハーランも、そしてミーシェルも、そんな些末なことは視界の隅にもはいっていなかった。

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