30.憧憬―6『〈ドラゴン・チェイサー〉―6』

 かくして時刻は二一時をまわる頃。

 場所ところはジヴェリ機械製作所。

 星明かりだけが照らす敷地の中を、周囲をうかがい、人目をはばかる様子がありありの何とも怪しい影がふたつ。

 手元には明かりのひとつも持たず、シンと静まりかえった構内をコソコソと、まるで這うように移動している。

 言わずと、ハーランとミーシェルの二人であった。

 あれから、一旦それぞれの生活と場所にもどった二人は、一日の勤めを終えた後、事前に打ち合わせた場所で再び落ち合ったのである。

 そして、ジヴェリ機械製作所の終業を待ち、万全を期して決行時間を更に遅らせて、敷地の中に忍び込んだのだ。

 目指すは

 これまで何度もジヴェリ機械製作所を訪れたハーランも、まだ足を踏み入れたことがない、と言うより、ミーシェルに教えてもらうまで存在さえ知らなかった施設だった。


 工場街のこととて、仕事時間を過ぎれば、時折、通りすぎる自動車のエンジン音が聞こえる以外、物音ひとつしない。

 していることへの後ろめたさからか、緊張に顔をつっぱらかせているミーシェルを先頭に、二人は歩を進めてゆく。

 現在、ハーランとミーシェルは、トラックが何台か停められてある大きな車庫の陰にいた。

 事務仕事や設計業務、打ち合わせや食事休憩に使われる事務棟の隣に建つ建物である。

 ふたりが寄り添そうようにして楯にしているトラックは、もしかすると先日、〈エアリエル〉のテストの際にハーランが便乗させてもらったものかもしれなかったが、

 とまれ、

 ことを決行する前に、ハーランはミーシェルからジヴェリ機械製作所の施設レイアウトの説明をうけた。

 ジヴェリ機械製作所は、大雑把に分けて五つの建物からなること。

 表通りからみて、まず正面に事務棟。右側が車庫で、その裏手が倉庫。

「そして、事務棟の左が工場棟で、その裏側に試験棟、か……」

 ぽつりと呟き、配置を脳裡に思い浮かべながら、そろそろと進むミーシェルの後をハーランはついていく。

 リスクを最小限にとどめるためなのだろう、敷地の左側奥に建つ建物に右側手前からアプローチしているのだ。ずいぶんな遠回りだが、さすがに文句は言えない。

 無理強いしておいて今更なのだが、万が一、ことが露見したら、まさか解雇まではされないにせよ、やはり何らかの処罰を少女が受けることは間違いないだろうからだ。

 敷地境界に沿って、ぐるりとめぐらされた塀と建物の狭い隙間を這うようにして二人は進んでいく。

 車庫を過ぎ、さびが浮いた機械や廃材が乱雑に積まれた倉庫の脇を抜け……、

 事務棟の裏手にたどり着いた時には、さすがにハーランもほっとした。


「こっちです」

 先導するミーシェルが、小声でハーランを手招きした。

 暗闇の中、さらに暗がりを求めて、今、その影を利用させてもらっているのは工場棟。

 目指す試験棟は、この裏手にある。

 ようやくここまで辿り着いたと思う矢先に、ちゃりんと金属音がして、ハーランはハッと身構えた。

 見れば、ミーシェルが少しうつむき、手の中にある何かをいじっている。

「試験棟のカギです」

 ハーランが覗きこむと、ミーシェルは手元を見せてくれた。

 リングにまとめたカギ束を探っていたのだった。

 ゴールも間近ということで、安心したのか表情にも余裕がもどっている。

 長かった道のりの最後の部分。

 二人して工場棟がつくる影の中を歩き、建物の角を曲がると、そこが目的地だった。

「……これが試験棟」

 今まで通過してきたそれとは構えの違う建物に、ハーランは、へぇという顔をした。

 通常業務とは別に、技術試験や試作開発等をおこなう建物なのだとミーシェルから聞かされてはいた。

 社内でも、立ち入れるのは一部の人間だけなのだと。

 いま、黒々と目の前にわだかまる試験棟は、その言葉を裏付けるかのように、そこだけ敷地をかこむ塀とは別に、更に金属製の柵が設けられていた。

 くわえて、人間の背丈よりも高い柵の上端には有刺鉄線がめぐらされていて、町工場程度の規模の会社には似つかわしくない物々しさである。

「時々、大手さんからの委託業務なんかもあるものですから、格好だけでも整えておく必要があるんだって社長が……」

 柵づたいに歩を進めながら、ちいさな声でミーシェルが言った。

(格好だけでも整えておく……?)

 どことなく歯切れの悪い少女の言葉に、首をかしげながらハーランが続く。

 ハーランの疑問はすぐにとけた。

 柵づたいに歩いて着いた実験棟の門の部分は、頑丈そうな鋼鉄の扉で閉ざされていた。

 しかし、少女が取っ手を持つと、たいした抵抗もなくすんなり開いた――施錠されていなかったのだった。

「飾りだってことか?」

 ハーランの口があんぐりと開いた。

 つまりはそういうことなのだろう。

 会社の入り口にある誰もいない守衛小屋と同様、この頑丈そうな柵も鉄扉も警備に必要だから設置したのではない。大企業の信用を得、仕事を受注するための一種のデモンストレーション、コマーシャルに過ぎない――実質、飾りということなのだった。

「試験棟そのもののドアには、ちゃんと鍵はかかってますよ」

 ハーランの言葉に、不用心な、という呆れの色でも感じたか、言い訳のようにミーシェルが言った。

 だからこそ、

「……あれ、ミーシャ?」

 準備しておいたカギを使おうとした矢先――自分が施錠を解く前に、内側からドアが開かれ、少女は文字通り跳び上がることになったのだ。

「うわ! あぁああッ! って、ク、クラム……!?」

 心臓が止まりかねないくらいに驚いたのだろう――哀れなくらい声が裏返っている。

 一方の、ドアを開けたクラムもビックリしたようだ。

 それはそうだろう。ドアを開けたら、いきなり目の前で悲鳴があがったのだから。

 どうやらジヴェリ機械製作所の社員で唯一、クラムだけが勤務時間をすぎても帰宅せず、残って仕事をしていたらしい。

 そして、建物の外の物音に様子を見るべくドアを開けたと、そういうことのようだった。

 とまれ、

 ミーシェルは凍りついたように身体を硬直させ、口をパクパクさせるだけであったが、一方のクラムはすぐに気を取り直した。

 ドアの取っ手に手をかけたまま周囲をいちべつすると、ミーシェルの後ろに立つハーランを見て、状況を理解したようだ。

 相変わらず察しの良い男である。

 ため息をひとつつき、肩をすくめると、

「部外者には口外しないでくださいよ」

 仕方がないという口調で許可をだしてきた。

 ようやく、すこしだけ落ち着いたミーシェルが、クラムの言葉に目をまるくする。

「……い、いいの?」

 おそるおそるといった感じ、叱られた子犬がペタンと耳を伏せ、飼い主の機嫌をはかるような眼差しで、いかにも恐る恐るにそう訊ねた。

 それにはクラムも苦笑するしかなかったらしい。

「かまわないさ」

 少女の頭をぽんぽんとかるくなでると、

「もう原型はほとんどできているんだし、いずれテストもしなけりゃならない。それに殿下は現役のパイロットだからね。見ていただければ何か参考になる意見がきけるかもしれない」

〈エアリエル〉の時みたいにね――そう言いながら、ふたりの侵入者を試験棟の中に招じ入れてくれた。

 そして、

 そこに飛行機があった。

〈ドラゴン・チェイサー〉。

 ミーシェルがスケッチブックに描いていた機体が、実物となって、そこにあった。

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