29.憧憬―5『〈ドラゴン・チェイサー〉―5』

「これは……?」

 ミーシェルより先におさえたスケッチブックを手に、ハーランは少女に質問した。

 そう言葉を発しながらも彼の目は紙面に描かれた飛行機の絵に釘付けになっている。

 知らず、立ち上がっていた。

 偶然目にした異様な機体の絵を注視する。

 単発単座の小型飛行機――それはいい。

 しかし、描かれた機体の機首には、あるべき筈のプロペラが無く、まるでやじりのように鋭くとがっていた。

 エンジンがコクピットの前ではなく後ろにあるのだ。

 プロペラが機首にあるけんいん式と異なり、後方に配置をされた推進式のレイアウト。

 可能であり合理でもあるが、およそ目にしたことはない。

 ページをめくると、そこにもここにも何枚も何枚も――すこしずつ変化は見受けられるものの明らかに同一の機体がくりかえしスケッチされている。

 知らず、ハーランはこくりと唾を飲んでいた。

 空軍の戦闘機パイロットという職業柄、様々な種類の飛行機を目にしているし、知識もある。

 専門家であるから当たり前なのだが、専門家であるからこそ、いま自分が目にしているスケッチに目を奪われていた。

 つまり、

 飛行機を作るにあたって、エンジンが――ということは、絶対に機体の前方になければならないといった決まりがあるわけではない。

 たとえば船を考えてみれば良い。

 水の中でスクリューを回転させ、いわば水にネジを切っていくことによって船は進む。

 飛行機のプロペラもまた同じ。

 ネジをきる相手が水か空気かの違いがあるだけだ。

 では?

 船の前方――船首にスクリューを取り付けても、やはり船は進む道理だが、実際にそんな設計をする造船技師はいない。なにより効率が悪くなるからだ。

 スクリューの回転がつくりだした水の流れ――後方に水を押し出すことによって得られた推進力が、船体にぶつかることで減殺されてしまうのである。

(実際には、同じ流動体としての水と空気では、その粘性の違いが理由としては大きいのだが、問題を単純化するためここでは割愛している)

 だから、船と同様、飛行機もプロペラの後ろには何も無いというのが理想だろう。

 しかし、船と異なり、そうした設計の飛行機は現在ほとんど存在しない。

 何故なら、飛行機は地上での取りまわしも考慮しなければならないからだ。

 つまり、飛行機が地上にある時、プロペラが地面と接触して破損しないためには一定のクリアランスが必要だが、エンジン(プロペラ)を前におく牽引式の方が、後ろにおく推進式よりも、そのための処理が楽なのだ。

 だから推進式レイアウトの飛行機は、特に戦闘機のような単発単座の小型機では事実上存在しない。

 だが、いま目にしている絵の中の飛行機は違っていた。

 ハーランは唸った。

 発想の転換といえばそれまでなのだが、やはり、それは自ら操縦桿を握る身として、今まで見たことのない異様なデザインの機体であった。

「〈ドラゴン・チェイサー〉です」

 ハーランにつられて立ち上がった少女は、すこし恥ずかしそうに、しかし、はっきりとそう答えた。

ドラゴン・チェイサー?」

 ハーランは、そう紹介されたスケッチにあらためて目をむけた。

「今、製作中の機体というのは、もしかしてこれのこと?」

 かさねてそう訊ねると、ミーシェルはこくりと頷いた。


〈ドラゴン・チェイサー〉。

 それは文字通りドラゴンを追跡することを目的とする飛行機のことだった。

 人間がつくりだしたいかなる飛行機械よりも速く、どうあがいても未だ辿り着けぬ高処を、何処へ向かうのか行方を見とどけることさえ叶わぬへ飛び去ってゆく幻獣。

 高名な探検家たちが、手を尽くし、犠牲をはらい、世界地図の空白を埋めてしまってなお、地上の何処にもその棲息地をつきとめる事ができない神秘の生き物。

 しかし、存在している。

 現在、地上を闊歩かっぽしているいかなる獣よりも巨大な幻獣は、さまざまな時、異なる場所で絶たえず目撃されていた。

 だから、

 手段はひとつだった。

 地上を隈無くまなく探し求めてなお見つけられないのであれば、空にその姿を見つけしだい、こちらも空を飛んで追いかけるのだ。

 追いかけて、それで何をどうしようというのではない。

 登山家が高峰をきわめようとし、船乗りが大洋の向こうに新世界をもとめ、そして飛行機乗りたちが翼なき身で空を飛ぼうとするのは、実利を得ようとしてのことではない。

 余人には理解も共感もできない衝動――憧れに手を伸ばそうとする行為が、それだったというだけのこと。

〈ドラゴン・チェイサー〉とは、畢竟ひっきょう、そのような想いから生み出された飛行機械の総称だった。

 そして、ミーシェルが、ということは、ジヴェリ機械製作所が、そんな〈ドラゴン・チェイサー〉を作っているのだという。

 ハーランはぶるりと身ぶるいした。

 ドラゴン。

〈エアリエル〉に同乗させてもらった時の興奮が身のうちによみがえっていた。

 つい先ほど見せられた、未だ誰も考えたことのない新しい種類の飛行機械――ヘリコプターの原案を目にしたこともあった。

 なにより天才的な設計者と熟練した技術者、工員たちが一体どのような機体をつくろうとしているのか、ひとりの飛行機乗りとして興味があった。

 だから、気がつけばハーランはこう言っていた。

「見せて」

――と。

 しかし、その願いの言葉を耳にして、途端、ミーシェルは凍りつく。

「あ、や、いえ、それは、そのォ……企業秘密……なので、お見せするわけには……」

 言葉づかいもしどろもどろに、なんとかハーランに翻意してもらおうと、赤くなったり青くなったり、手をわけもなくぶんぶん振ったりして、懸命に訴えかけてきた。

 飛行機が好きな者同士という気安さから、つい、うっかりと口をすべらせた。

 口外してはいけない秘密だったのに、軽率にも部外者にしゃべってバラした。

『しまった』――血の気の引いたおもてには、ありありと後悔が刻印されている。

 が、

「ひどいな。ボクが秘密をばらすとでも思ってるの、ミーシャは?」

 年齢もあるだろうし、王族や士官といった身分、立場もあるだろう――こうした演技にかけては、ハーランの方が一枚も二枚も上手だった。

 ふいと顔をそむけ、すこしうつむき、不本意だな、心外だな、そうか、そういう目で見られてたんだ、傷ついたな、などと、わざとらしくぶつぶつやると、それを真に受けたミーシェルの狼狽ぶりは一層ひどく、気の毒さを感じるレベルにまでなった。

 そんな少女の純真さに、ハーランも胸が痛んだが、それでも好奇心の方がまさった。

 心の中でミーシェルに詫びつつ、しかし、なおも演技をつづけると、

「……わかりました」

 とうとう少女は折れた。

「絶対、絶対、絶~ッ対に内緒ですよ!」

 いかにも渋々といった感じではあったがハーランの願いに同意し、しかし、念の上にも念を押してくる。

 してやったりの歓喜の念は胸に秘め、ハーランは何度もうんうんと頷いたのだった。

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