24.遭遇―4『〈紅い星〉―4』

 ミーシェルの眼差まなざはるか先にはドラゴンがいた。

 いまだ飛行機械が――ということは人間たちが到達できぬ遙かな高処たかみを超大型の爬虫類にも似た姿が悠々と飛翔している。

 体長四〇メートル……、いや、五〇メートルはあろうか。

 いずれ、現世に君臨している猛獣さえ及ばぬ巨体である。

 しかし、それが今は、ややもすると背景にしている空にまぎれ、見失ってしまいそうなほどに小さく、かすんで見えた。

 飛行している高度は一万メートルか、もっと高くか――いずれ彼らの乗る〈エアリエル〉の頭上遙かな高度であることは間違いない。

 もはやそれは成層圏と呼んでよい領域である。

 当然、酸素も希薄だろうし、気温も氷点下マイナス五〇度前後と南北の極地に匹敵する極低温で、およそ生命維持に適さぬ極限環境だ。

 飛行はおろか生存にそもそも支障はないのだろうか。

 そして、

「速い……」

 呻きとも呟きとも知れぬ声をハーランはもらした。

 ミーシェルが発見した時よりも明らかに相互の間隔がひらきつつあった。

 飛行している互いの進路が異なっている――それだけでは説明できない早さの変化だ。

 急速に、頭上はるかをいくドラゴンとの水平距離があっという間に離れてゆく。

 一体どういう原理によるものか。

 きっと巨大な身体にそなわる二枚の翼によるものだけではないのだろう。

 時折、羽ばたいている様は見てとれるが、それだけではドラゴンの飛行速度の説明はできない気がした。

 現状でも信じがたいのに、傍目はためにもスピードが増し、更に更に加速していることが見てとれるのである。

 ハーランも先程のミーシェル同様、もはや周りのことなど目にはいらず、忘我の状態で窓の外の情景に釘付けになっていた。

〈エアリエル〉は山岳保安庁の公募に応じるべく設計された軽飛行機で、もとより高速発揮を追求したモデルではない。

 しかし、それでも時速二〇〇キロ前後のスピードで飛行する性能は有している。

 それがまったく比較にならない。

 こちらが、まるで静止しているのでは? と錯覚をおぼえるくらいの――まさしく桁違いな速度でドラゴンは飛び、見る間にその姿を芥子粒けしつぶのように小さくしてゆきつつあるのだ。

 生き物がだしているとしては到底おもえない、多分に信じがたいスピードだった。

 そして、

「キャ……!」

 ドーン! という砲声にも似た音が、ドラゴンの消えた方向から衝撃波となって大気中を伝播し、〈エアリエル〉を手荒くゆさぶった。

 操縦桿を握るクラムが罵り声をあげ、食い入るようにキャノピーガラスに頬をすり寄せ外を見ていたミーシェルは、不意の機体の揺動に、おでこをゴンとぶつけてしまう。

「音の速さを超えたのか……!」

 痛い~、と瞳に涙をうかべ額をさする少女をよそに、かろうじて衝撃から身をまもったハーランは、信じられないといった表情で思わず呻きをもらしていた。

 ソニックブーム。

 砲声にも似た音、そして大気中をつたわってきた衝撃波は、物体が音の伝播速度をこえたときに生じるものに間違いなかった。

 まだ実際にその速度域にまで到達できた飛行機械は世界のどこにも存在しないのだが、しかし、音速の壁というものが存在するのだということは知られていた。

 そして、その速度域を超越――いや、到達するまでに、空気抵抗によって、そこまで加速した飛行機械はバラバラに分解、破壊されてしまうということも。

 ぜったいに不可能とは言わない。しかし、すくなくとも今の人間の技術では超えること、打ち破ることのかなわぬ、それは壁なのだった。

 その人間の力では超えることのできないもの――それをドラゴンは軽々と超えてみせたのだ。

 噂に尾鰭おひれがついて大げさになるのはありがちなことと、これまでは話し半分に聞き流していた。

 しかし、今、その実物、そして現実を目の当たりにして、ハーランは自分の過ち、認識不足を悟らざるを得なかった。

「〈紅い星〉……」

 ふたたび視線を窓の外にもどした少女がぽつりと呟く。

 ひとりごとだった。

 しかし、ひとりごとと承知しつつもハーランは聞き返していた。

「紅い星?」

 生まれてはじめて本物のドラゴンを目の当たりにしたのだ。

 知りたくてたまらなくなっていた。

 ハーランは知らなかったが、そのドラゴンは時折アーカンフェイルの山並みに姿をあらわすそうだった。

 地上に降りた姿を見た者はなく、何処から来て何処へ行くのか――高空を舞うその姿を地上から見上げるのみの人間たちにはおよそうかがい知ることはできなかった。

 そして、また、そのドラゴンは、銀龍だとも赤龍だとも言われていた。

 つまり、地上から見上げる人間の目にはそう見えたということなのだが、望遠鏡がつくられるようになってからも、依然、その疑問には結論をだせずにいた。

 大倍率のそれで運良く飛行中のドラゴンをとらえたかぎりでは、その体色は灰色ないし銀色だった。

 が、

 時折、紅くも見える。

 太陽の光を反射しているのだろうか?

 それとも見る角度なのか?

 夜空にまたたく星のように赤く輝いて見えるときがあるのである。

 ドラゴンの寿命がどれくらいであるのか、はたして時たま姿を見せるドラゴンが同一の個体かどうかはわからないのだが、かくの如ごとき特徴が共通しているところから、アーカンフェイル山脈の近傍で確認されるドラゴンは、〈アーカンフェイルの紅い星〉と、いつしか呼ばれるようになっていたのだった。

 ドラゴン。

 今はもう人間たちの住まいするこの現世では、目にすることも稀な神話世界の住人。

 幻の獣たちの王。

 人間を遙かに凌ぐ知恵をもち、

 人間にはなしえぬ能力をもつ。

 時には神とも敬われる神聖な存在。

 また時には人間に仇なす邪悪な敵。

 そのドラゴンが、つい先刻まで自分の目で見える場所にいた。

 今はもう姿とて見えなくなった彼方に向け、

「いつか……。

「いつかきっと……」

 少女は切ないまでの憧憬をその瞳に宿し、そう呟いていた。

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