第3話 ケモノとおじさん③
「荷物を届けたら乗せてくれるの?」
「ああ、勿論。運んでほしいのはこの木箱一つだけだ。難しいことじゃないだろ?」
船長足元に置いた木箱を指差し、ケモノに優しく微笑みかけた。
「これくらいなら……」
その木箱はそこらのお店に積まれているのと何ら変わりのない、ありきたりなただの木箱だった。とりわけ大きいわけでもなく、ケモノが運ぶのにも苦労しない程度の大きさにケモノが安堵の表情を浮かべた。
「だが注意してくれよお嬢ちゃん」
自信無さげに呟くケモノを制するように、船長はズイっと髭の生えたゴツイ顔をケモノの目の前に近づけた。
「この中身は誰にも見られちゃあいけねぇんだ」
「誰にも?」
船長の真面目な顔つきに、ケモノは疑問よりも先に不安を感じずにはいられなかった。が、すでにケモノに手伝いをやめるという選択肢はなく、足元に置かれた木箱をじっと見つめた。
「船に乗りたいんだろ?」
戸惑っている様子のケモノに船長が静かに声をかけた。
その声は落ち着いていて、ケモノを勇気づけるような、脅迫するような、まるでどちらにでも取れる、そんな物言いだった。
数十秒ほどそのままの姿勢で固まっていたケモノだったが、船長の言葉に背中を押されたのか、ケモノはその場にかがんで足元に置かれた木箱に腕を伸ばした。そして木箱の角に指をかけ、ほんの少し背中に力を入れる。
船長が楽に運んできたものの、大の男、ましてや船乗りとケモノでは当然のごとく力に差があるようだ。木箱を抱え上げたケモノは想像以上の重さにバランスを崩し、その場で2、3歩よろけるように波を打った。
「だ、大丈夫すかね、こんな子供に運ばせて……」
「俺らじゃもう運べねぇんだ。しょうがねぇだろ」
ケモノを心配する新入りに対し、船長が小声で唸る。
「大丈夫……。それで、どこまで運んだらいいの?」
抱えた木箱から顔を苦しい覗かせて、ケモノが船長に尋ねた。
「おっと、そうだったな。場所はこの町の端、酒場の裏通りだ。この道をずっとまっすぐに行ったところの薄汚れた酒場を右に曲がればいい。まぁ近くまで行けば案内してくれる奴がいるはずだ」
そう言って船長が海に沿った石畳の道の先を指さす。
大通りから離れてはいるものの、やはり港町だけあってか人は多い。昼下がりの陽気な日差しが一層活気を溢れさせているのかもしれない。
ただ、ケモノの視界は木箱で半分以上が隠れており、加えてケモノの目線からは道行く人だけが視界に映りこんでいた。そのため船長がどこを指しているのかもほとんど分からず、ケモノはただ相槌を打つことしかできなかった。
「もう一度だけ言っておくが、くれぐれも中身を誰にも見られちゃいけねぇぞ。勿論お嬢ちゃんも中を見るのは厳禁だ」
「うん……大丈夫」
念を押す船長に対し、ケモノが弱々しく返事をした。
「それじゃあお嬢ちゃん、俺たちは船で待ってるから任せたぜ」
そう言って船長はケモノの背中を荒々しく叩き、その場を跡にした。
新人も立ちすくむケモノをほんの数秒だけ見つめるものの、すぐに船長の後を追って船の中へと駆けて行った。
一人取り残されたケモノは流れていく大きな白い雲を見上げ、ゆっくりと歩き出した。
おぼつかない足取りではあったものの、ケモノの容姿が子供だったこともあって町の人たちがケモノを避けるように道を歩いていく。そのおかげで人とぶつかることはなかった。
一歩二歩と歩くに連れ、大通りの賑やかな熱がケモノの傍を離れる。
海沿いの道は大通りほど混雑もしておらず、時折木箱を道に置いて休憩できたおかげで運ぶのにそれほどの苦労はなかった。が、冷たい潮風がケモノの赤い布を揺らす度に、ふわりとその頭巾が頭から落ちてしまうのではないかと不安でしょうがなかった。
「ふぅ……」
と、ケモノは抱えていた木箱を足元に置き、また風で歪んだ帽子を耳の位置に戻した。
もう何度こうやって一休みしたのかもわからない。随分と長い距離を歩いたつもりだったが、薄汚れた酒場も未だに見当たる気配はなかった。
それでも、ケモノは船に乗るため、悲鳴を上げ始めた腕に鞭を打つようにまた木箱を抱えあげた。
その刹那、轟音と共に舞い上がったものが町の空を彩る。
まるでケモノが歩き出すのを待っていたように吹き荒れた一陣の風に、歩いていた人たちは一様に顔を伏せた。
それはケモノも例外ではなく、脱げそうになった赤頭巾に咄嗟に片方の腕を伸ばした。
が、それと同時に片手では支えきれなくなった木箱がぐらりバランスを崩す。そして、ちょうど街の人たちが顔を上げ始めようとするころ、ケモノの腕から抜け落ちた木箱は石畳と軽快な音を上げた。
「ケホッ……ケホッ……」
木箱から盛大に巻き上がる灰色の煙にケモノが何度も咳込み、その様子に何か何かと周りにいた人間がケモノを囲み傍観する。しかし何人、何十人と集まってもケモノに声をかける者はいない。
ただ、ケモノの頭に露わになった耳を見て意地悪そうに顔を見合わせていた。
「お、おい……」
そんな中、不意にケモノを囲んでいた男の一人が声を荒げた。そしてケモノのもとへ駆け寄るやケモノには一切目もくれず、あたり一面に散らばった灰色の粉を騒然とした表情で拾い上げる。
「間違いない……」
駆け寄ってきた男が誰にも聞こえない程度の声で小さく呟いた。
煙が風に運ばれ、目の前の落ちた帽子を見たケモノが瞬時に状況を理解する。周りの人間が自分を見ているということ。
獣人である自分を見ているということを。
「あの……ごめ――」
その言葉を言い終わるよりも早くケモノはその場にしゃがみ込み、散らばった白い粉を掻き集める。
が、慌てて立ち上がった男はその様子を指さし、お腹が膨れ上がるほどに大きく息を吸い込んだ。
「コイツ……オピウムの粉を運んでやがるぞおおっ!」
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