第3話 彼女の正体
謎の美少女に連れられて訪れたのは、人気なのが並んだ行列からも伺えるクレープ屋だった。
平日にも関わらず、既に女子大生らしき集団や制服姿のカップルの姿が多く目についた。
「ここ!エルゼ(lhz)で放送されててね、通う高校の近くだったからびっくりしちゃった」
「あ、そうなんだ」
「うん、村田くんと一緒にいるせっかくの機会だから」
「あ、そうなんだ」
エルゼットエイチ...略して「エルゼ」。毒にも薬にもならない情報を垂れ流している圧縮ファイルみたいな名前をした朝の情報番組。
ところでお気づきだろうか。前回から僕が「あ、そうなんだ」を多様していることに。
これは絶妙に相槌を打っている雰囲気を出しつつ、「話し聞いてますよ」とアピールを促すに最も適した言葉なのだ。
転校ガチ勢が辿り着いたコミュニケーションの究極体の会話術ですが異論は認めます。
行列に参加しながら、「元気にしてた?」とか「前はどこに住んでたの?」と質問を受け、それに答えるのに時間を費やしていると、回転が早いのかさほど待たずに手前まで注文の順番が回り、注文を促される。
「デラックスストロベリージャンボクリームチョコ2つ下さい」
予めメニューは渡されていたけど、最初から注文するモノは決まっていたようなので、私さんは迷わずに答える。しかし名前だけで胸焼けを起こしてしまいそうだ。
「デラックスストロベリージャンボクリームチョコお2つですね~1300円になります」
ひとつ650円か、なんて考えていると、「これでお願いします」と私さんが二千円で支払ってしまう。
建て替えてもらって格好悪いな、と思いながら「はい」とお金を渡そうとしたら「今日は私の奢りです」とやんわりと断られた。
「いやいや、奢られる理由がないけど」
「今日は私から声をかけたし、付き合ってくれたお礼で」
「それだけど奢られる理由にはならないんだよなぁ」
「本当に大丈夫!私からの気持ちだと思って」
「いやいや───」
互いに一歩も惹かない押し問答が続き、埒が明かないと悟った私さんがこう言った。
「それじゃ、今度は村田くんが何か奢って?」
決してあざとくなく、自然に微笑みながら首を傾げる私さんにそう言われたら、「嫌です」と言える男はホモ以外はいないだろう。
漏れずに「あぁ」と曖昧な返事をした僕だけど、その時に妙な記憶が頭を掠めた。
なんだこれ。デジャブ?昔にこういうやり取りがあったような........。
僕の思考の先で待ち伏せをしていたかのように、「今のなんだか昔に戻ったみたいだね」と私さんが言った。
・・・・・・・・やっぱりそうか。
どこの学校かまでは覚えてないけど、僕は転校先でこの子と遇ってたのかもしれない。
僕からすれば、転々とした数ある学校の中の生徒の一人という感覚だけど、私さんにとっては転校をしていなくなった数少ない生徒という認識なんだろうか。
だから僕なんかを覚えていたのかな。
でも、親しい間柄でもないと、久しぶり遭遇した男子生徒に普通声なんてかけるのか?
断言できる。中学の時は仲のいい女子はなかった。ってか、その頃は人付き合いはとっくに諦めていたから男子の友達もいないんだけどさ。
時間が経つごとに記憶のフォルムは霞んで、今は昔のクラスの生徒どころか、隣の席の生徒の顔すら思い出せない始末だ。
こんな可愛い子なら少しくらい覚えていてもいいんだけど、僕の脳は贅沢な奴らしい。
しかし、今までなぁなぁに話しを合わせて「やっぱり君のこと覚えてない」なんて今更言い難くなってきた。
無難に話を合わせる「あ、そうなんだ」作戦の功罪か。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「東京で大人気って謳ってた割には思ったより普通だね」これはデラックス何がしというハイカラなクレープを頬張った私さんが口にした感想だ。
「東京って案外そういうものなんじゃないかな」
「なんだか憧れていたのに残念」
「憧れってのは良くも悪くもその人が抱く一方的な偏見に過ぎないよ。だまし絵みたいに見る角度や視点が変われば違った絵に見えるのと同じでさ」
言いながら、思いの外自分の声に冷たさが宿っている事に気づいた。慌てて引っ込めようにも出た言葉は既に吐き出されてしまった。
自分の境遇と重ねてしまったようだ。理想を描いていた学校生活とその現実を。その違いを。
「なんだか格言めいた事言うね」
「...そうかな」
気にする様子をみせない私さんに安堵し、仕切り直しに「思ったより普通」のクレープにかぶり付く。
ホイップクリームにイチゴの甘い酸味が加わって、その全てを覆うようにチョコソースがアクセントになっている。
うん、思ったよりも普通だ。
「ジャコスで食べるクレープと変わらないね」
「ジャコス、懐かしな」
私さんのジャコスというフレーズには懐かしを覚えた。地方に行けば必ずあるショッピングモール。僕はあまり行く機会はなかったけどね。
「それに、よく二人で食べた駄菓子屋のかりん糖の方が私は好きかなぁ」
「かりん糖、懐かしな」
程よく会話を合わせていると、ふいに「村田くん」と私さんが僕の名前を呼んだ。
「はい」思わず敬語で応える。理由は、さっきの僕よりも増して声に重たい冷たさが宿っていたからだ。
どうやらどこかでマズったらしい。
「私のこと覚えてる?」
「ウン」
「本当に?」
「HONTONI」
「まだ私の名前呼んでないけどちゃんとに覚えてる?」
移動教室で私さんが友達から呼ばれていた名前を懸命に思い出す。
記憶の糸が脳に繋がった感覚と共に、3文字の名前が浮かび上がってきた。
「レ、レイナだよね」
「・・・さっきの駄菓子屋の話し、よく食べてたのはかりん糖じゃなくて水飴が正解なんだけど」
「あ、そうだったそうだった!水飴だった」
「本当は鈴カステラだけどね」
「本当に申し訳ございませんでした」
潔く腰を深く曲げ精一杯の謝罪をした。場所が場所なら土下座してもいいくらいの完全敗北。
呆れた目を向けて、私さんが小さくため息をついた。そのため息でさえ小瓶に詰めて売れば買い手がつくんじゃないかというかなりアレな思考が頭をよぎってしまう。
「ちなみに」私さんが細長い人差し指をピンと立ててこう述べた。「本名はレイナじゃないからね」
「え!?」
「だから名前も外れ。ダメダメだね村田くんは」
僕を酷評する割には、私さんは可笑しそうに喉をクツクツと鳴らした。不思議美少女は笑って下がった目尻の顔も抜群に映えるみたいだ。
何も言えずにいると、「そっか、流石に随分前だもんね。私も結構印象変わったし覚えてないか」と少し影がさしたように彼女は言った。
「本当にごめん...転校が多くて正直誰の顔も思い出せないんだ」
「多いって何回?3回くらい?」そんな大げさな、といった調子で私さんが訊ねてくる。
「13回」
「13回!?」
驚いた素の彼女の声に、周囲を歩いていた人たちはもっと驚いて私さんを見た。
◇◆◇◆◇◆◇◆
夜が更ける前に帰宅した僕は、妙な疲労感に見舞われてそのままベッドにダイブした。
梅雨明け前のジメッとした気候のせいで、少し汗ばんだインナーが肌にくっついて気持ち悪かったけど気に留める余裕はなかった。
つい先程の出来事について振り返る。
久々に人と話しをした。それも同学年と、しかも女子生徒と。それでそれで超絶美少女と。
自覚がなくてもそりゃ気持ちは疲れるよな。何事も順序や加減が大事だろうに、リハビリにいきなり短距離走を走らされたようなもんだ。
横になり少し落ち着いたので改めて昔を記憶を引っ張りだしてみる。
記憶は断片的にしか思い出せず、縦横の二次元の停止画のように切り取られ、しかも時系列に整列されていないのでゴチャゴチャとしている。
「駄菓子屋」とレイナ(仮)さんは言っていた。でも、引っ越しをした先々に駄菓子屋はあり、どの駄菓子屋を指しているのかは検討もつかない。
そもそも全ての駄菓子屋を覚えているわけでもないと思う。きっと忘れていることすら忘れている。
これ以上煮詰めても仕方がないので今日はこれ以上考えるのをやめよう。
思考を切り替えてシャワーを浴び、甘いもので胃がもたれてあまり腹は減ってないので夕飯はカップ麺で済ませた。
ところで、レイナ(仮)さんは結局本当の名前を教えてくれなかった。代わりに不可解な言葉を残していった。
"レイナでも間違ってはないし...今のところはとりあえずそのまま呼んでよ"
どういう事だろう。「名前も外れ」って言っておきながら「間違ってはない」とか、キュウベイも「訳がわかない」と匙を投げるだろう。
"私の名前は村田くんが自分で調べること。私を忘れてた罰と宿題だよ"
その答えの半分は、翌朝に思いもよらない形で判明する。
いつも通りの時間に起きて、毒にも薬にもならない情報番組のザイフを垂れ流しているときだった。
『今日は夏のファッション特集!今注目のレディースアイテムをいち早くチェック!』
メンズの僕には意味のない特集なので普段は聞き流す。でも、放ってはおけないワードが女性アナウンサーの口から飛び出した。
『今日のモデルは最近爆発的に人気急上昇中の、秋田美人ことレイナちゃんです!』
洗面台へ向かう足を思わず止め、テレビ画面を見た。
そこには確かに昨日の放課後、一緒にクレープを食べた私さんが映っていた。
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