第9話 暗躍
真っ暗な排水管の中。
私はそこに潜み、彼の居る檻房の排水溝にたどり着いた。
排水溝に響く音を不審に思ったのか、彼の「なんだろう?」なんて呑気な声が聞こえてきた。
私は久々に彼の声を聞いた嬉しさを噛み殺しながら、話し続けた。
私の素性を聞いた彼はとても驚いた様子だった。
「僕の仲間……? あの? 一緒に冒険魔王城から逃げて来たっていう?」
やはりまだ思い出せていないみたいだった。
「うん……、そうよ……」
あの思い出達が無くなっているという事実が、どうしても私の心を重たくさせる。
あの旅立ちの日朝焼けも、一緒に買い出しに歩いた昼時の市場も、難敵に出会って悔しさに打ち震えた夕暮れも、焚き火を囲んで談笑した闇夜も、星空のもとで言ってくれてあの言葉も。
記憶が無いことは分かっていたし、生きているだけでも本当に有難い事だけれど、私の心は動揺して、今にも泣き出しそうになってしまう。
「貴方を……、助けに来たのよ……」
どうやっても声が震えてしまう。
今はそんな場合じゃないのに……どうしよう……。
「……。えっと……、や、やった! 仲間が助けにきた! ようし、これで助かるぞ!」
彼は私が泣きそうなのを察したのか、慌てた様子でわざとらしく喜んで見せた。
その対応は私が知る通りの彼だった。
誰かが泣いていたり、困っていると真っ先に反応してくれる。
自分よりも他人の気持ちに敏感で、お人好しで、嘘が下手くそな。
そんな彼が好きだった。
そんな彼のわざとらしい言動に思わず笑みが溢れる。
「ふふっ、あはははは! 何よそれっ……」
「うっ……笑わないでよ……」
よかった。記憶は無くても彼は彼のままだ。
そんな確信が私を安堵させてくれていた。
さっきまでの悲しさもすっかり忘れる事ができた。
◇
数分後、彼からおおよその事情を聞いた。
私からも闘技場に収容されるまでに何があったのかかいつまんで話した。
「なるほど。要は僕が野盗に捕まったからか。それで奴隷商人に売られたと……」
「そう。本当にごめんなさい、私が油断したばっかりに……」
「ううん、別にルイスのせいじゃないさ。それよりも、ルイス以外に仲間はいるのかな?」
「うん……。私を含めて3人居るわ。1人はここへの侵入を手伝ってくれてる……。今は時間がないから、詳しくはここを出てから話すわね」
既に空が白んできている。
なるべく早くここを出なければアジトに戻れなくなってしまう。
私は手早く脱出計画を伝える。
「まずは、排水管から出るルートよ。これが一番安全に出れるわ。次に鉄格子を破壊して出るルート。確実に大騒ぎになるし力技だけど、人混みに紛れれば脱出は可能よ。」
「なるほど」
「最後に、闘技場の……、うーん。やっぱりこれは現実的じゃないわ、忘れて」
私は言いかけたがやはりこれは無茶な計画だ。
「脱出経路はそんな感じよ。オススメは排水管のルート、どうする?」
「もう一人脱出できるかな?」
「え……? もしかして……」
「うん、今寝てるスミスも助けて欲しい」
先ほどの彼の話を聞いて何となく嫌な予感はしていたけど……。
ここは何とか諌めなくては。
スミスって人には本当に感謝してるみたいだったし、脱出の話をしたら間違いなく『スミスも』と言うだろうとは思っていた。
でも、キッパリと諦めさせなきゃ……。
「無理よ、諦めなさい。3人で脱出するのはリスクが高すぎる。運営も次の仕合こそ殺しにかかるでしょう。絶対に見つかるわけにはいかないの……!」
「でも、ルイスならできるよね?」
「っ……! もう! 話聞いてた……!?」
「僕はスミスも一緒じゃないきゃ脱出しない」
「ああ……! もう……!」
全く、こういう時の頑固さもそのままだ。
しかし、不思議と嬉しい気持ちもあって複雑だ。
「ルイスなら出来るさ……! 一緒に計画を考え直そうよ。スミスも脱出する計画を」
あまりにも真っ直ぐな信頼が胸に刺さる。コイツ本当に記憶が無いの?
「何で……、そんなに私を信じてくれるのよ……」
「うーん、分からないけど……。何となく僕にとって君は特別な気がするんだ」
「な……、なに、わけわかんないこと言ってんのよ……。何も覚えてないくせに……」
唐突な言葉に鼓動が早まり、顔が熱くなる。暗がりでよかった……確実に顔赤いわ、私。
だけど赤くなっている場合ではない。
そろそろいい加減ここを出なくては。彼のお陰でやる事も増えてしまったし……!
「もう、分かったわよ……。また明日、同じ時間に出直すからスミスさんにもある程度話しておいてね。計画を練り直してくるわ」
「分かったよ! ありがとう!」
彼の嬉しそうな囁き声が聞こえる。笑顔がよく見えないのがちょっと残念だ。
彼と話をするのは本当に久しぶりで、いつもの彼を感じるだけで幸せな気持ちになれた。
あんなことがあって、監獄から彼を連れ戻した後も、話せない彼に私は一生懸命話しかけていた。
その日あった何気ない出来事とか、魔法学士のサリーが彼を心配してることや、騎士のミルコが今も魔界を探っていること。
それでも彼は人形のように口を開く事はなかった。
そんな彼の姿を見て、何もかも忘れてしまったという事実が襲ってきて、私には耐えられなかった。
苦しかった。
何度、彼と一緒に死んでしまおうか考えたか分からない。
私はこの幸せを、もう絶対に手放さない。
そう心に誓った。
夜は明け、空に光が刺し始める。
「絶対にあなたを助け出すわ。私を信じて」
「もちろん、君を信じて待つさ」
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