第28話 殴るは恥だが役に立つ①

 探偵は桃園郷とうえんごうから帰った次の日の午後、鳴海法律事務所を訪れていた。

「で?これは何?こんな物であなたを許せと言うの」凛子は探偵も見ずに、冷たい顔つきで言った。

「まぁ、そう言わずに食べてみてよ。桃園郷の名物らしいからさぁ」探偵の言葉を受け、凛子は仏頂面のまま紙包みを開けた。

「えっ、なんかかわいい」凛子は普段の凛とした雰囲気を一変させ、頬を赤らめた。

「なんかね、桃園郷の合掌造りの建物を模した最中もなからいしんだ。味も三種類あるらしい」探偵が言い終わるかどうかのタイミングで、凛子は最中を頬張った。

「なんか幸せ。これは……抹茶じゃん」初めて見る凛子の乙女チックな雰囲気に、探偵は胸をおどらせた。

「ねぇ、それでさぁ、仕事の話しなんだけど」

「はぁっ?仕事。あなたから仕事の依頼なんて珍しいわね。まぁ一応聞いて上げるわ」凛子は憮然とした表情を作って、二個目の紫蘇しそあん味に手を伸ばした。

 探偵は桃園郷での殺人事件について詳細を説明した上で、村上 千代乃の弁護依頼を伝えた。

「分かったわ。犯行を認めてるんなら、ある程度の減刑は可能と思うわ」

「担当刑事の南警部補ってのがいんだけど、連絡があって、僕が推理して事件が解決したところから、自首扱いにするって言ってくれたんだ。どうか彼女が一日でも早く出て来れるように頼むよ」言っている探偵の表情を見て、凛子は訝し気な顔をした。

「な……何だい。何か言いたい事でも?」

「それはこっちの台詞。他にも頼み事があるんじゃないの」クールを決め込んでいても、弁護士にはお見通しのようだった。

「参ったなぁ。言いにくいんだけどさぁ、美々ちゃんの力を借りる事は出来ないだろうか」凛子は一瞬反応したが、め息のような深呼吸をしてから口を開いた。

「いいわ。聞かしてちょうだい」

 探偵が桃園郷から帰った日、事務所のドアに一枚のメモが挟まれていた。メモの内容は以下のようなものだった。

『緊急を要する依頼の為に来訪しました。お帰り次第、ご連絡を希望します。井上 翔子』芳名と共に電話番号が記載されていた。

 探偵は早速記載された番号に掛けた。依頼人の井上いのうえ 翔子しょうこは、事務所のすぐ近くにいるという事で、電話を切った十分後に訪れた。

 翔子の依頼内容はSNSによる誹謗中傷をした人物の特定という事だった。中傷の内容も直接本人を目の前に言えば、名誉毀損罪が成立するようなものだった。

 探偵はつくづく、最近のネット社会のこう言った闇に辟易とした思いを持っていた。顔が見えないからこそ生まれる犯罪。正体が知れないからこそ生まれる他人を傷付ける言葉の横行。しかし自身の手に触れられて感じられるものには強いが、まるで空気のような存在のネットワーク社会には、てんでうとい。

 探偵の頭の中には、無邪気にはしゃぐ一人の女子高生の姿しか浮かばなかった。

「なるほど、分かったわ。美々は言わば私たち家族が生み出した怪物モンスター。良く言えばその能力の使い方如何によっては、天才にもなり得るわ。良いでしょう。ただし条件があります。美々を決して危ない目に合わせない事。守れる?」凛子の毅然とした態度に、探偵はニヤリと笑った。

「詐欺事件の時もそうだったけど、彼女には事務所から指示を出してもらう役割りを担ってもらう。決して現場には出さないよ」

「分かりました。村上さんの事は任せておいて。くれぐれも美々の事をよろしく」凛子は出張の為の身支度を始めた。

「鳴海弁護士。どうか千代乃さんの事を重ねがさねよろしく」探偵はスーツをひるがえし、法律事務所を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る