第25話 名探偵は安らぎの地でも事件に遭遇する④

「死亡推定時刻が違うだとか、犯人は男じゃなく女だとか、適当な事を言ってんじゃねぇよ。探偵さんよ」南警部補は今にも胸ぐらを掴みそうな勢いで探偵を問い詰めた。

「まぁまぁ、とりあえず見てもらいたいものがあります。ついて来て下さい」そう言うと、探偵は菊の間を出た。

 そして中庭まで来て、建物を指差した。

「あれは菊の間です。そして庇を良く見て下さい」南警部補は探偵に渡されたオペラグラスに目を当てがい庇を見た。

「お前さんの言ったように綺麗に雪掻きされてるが、それがどうした」

「では他の部屋の庇と見比べてみて下さい」探偵に言われた通りに、隣の庇を見て、再び菊の間を見た。

「な……隣の庇は完全に雪が残っていないのに、菊の間のはへりに少し雪が残っている」

「その通り。普通あのような足場の悪い場所の雪掻きをすると、どうしたって完全には取り除けない。しかし多少残ったとしても雪掻きの目的は達成できる訳です」

「じゃあ隣は何故、跡形もなく雪が全て除かれてるんだ」南警部補は探偵の言わんとする意味が分からず、苛ついてオペラグラスを探偵の胸に押し付けた。

「落ち着いて下さい。あれは完全に取り除いたんじゃありません。けたんです」探偵はオペラグラスを懐にしまった。

「解けた。じゃあ何故、菊の間のは解けない」

「良いですか。女将の話しにると、雪掻きはその部屋担当の仲居がやる。という事は、客がチェックインする前の午前中には終わらせるはずなんです。雪は今朝早くには止んで、晴れていた。もちろん少量の雪なら解けるはずです。しかし菊の間は、日が落ちた後に行なわれたんですよ」探偵の言葉に南警部補は菊の間と足元を交互に見た。

「おかしいじゃねぇか。日没後に掻いたんなら、ここに雪の山で出来てるだろが」南警部補は足元を指差して言った。

「まぁ寒さも限界です。一度部屋へ戻りましょう」探偵は両腕で身体を抱え込んで旅館に入っていった。

「犯人が雪を残したのは、あるトリックの為です。僕は黒川氏と大浴場で会話をしています。黒川氏が浴場を出たのが午後六時半。ですからそれまでは黒川氏は生きていました」

「それで。何故死亡推定時刻が七時半までになるんだ」

「美久さん。貴女が食事を運ばれたのは何時でしたか」探偵は仲居たちが立っている方に目配せした。

「は……はい。黒川様に言われていた通り、六時半に。その時、黒川様はおられませんでしたが、配膳をしている頃にお戻りになられました」美久は緊張から、つたない口調で話した。

「そうですか。すると黒川氏は浴場を出て、すぐに戻ってきた。そして食事には、半分ほどしか手を付けずに死んでいた」

「何が言いたい」南警部補は探偵を睨みつけた。

「まぁ推測ですがね。死亡時刻は七時頃でしょう。黒川氏は先ず、風呂から帰って食事にあり付いた。そして食事の途中で犯人が入室。殺害された」

「と言う事は、犯人は顔見知りか」

「いえ。南警部補は旅に行って、顔も見た事がない人に持て成されてくつろいだ経験はおありではありませんか」探偵に言われ、南警部補は旅行に行った際の記憶を思い出し想像してみた。

「あぁ、そうか。旅館やホテルの従業員なら、無条件に信頼して心をゆるす。そういう事か」南警部補は思わず柏手かしわでを打った。

「はい。そうして犯人は浴衣姿の黒川氏をその場で裸にし、身体を転がしてバルコニーまで連れて行った。そして庇の雪を全身隈なく覆うように掛けたんです」南警部補は首を捻った。

「しかし発見された時は、ちゃんと着衣してたし、部屋の真ん中に倒れていたぞ。それに何よりバルコニーにも和室にも雪の痕跡などなかったぞ」南警部補は言いながら、一瞬は信頼した探偵の事をいぶかし始めた。

「発見されたのは九時を過ぎた頃です。そして犯行が行なわれたのは推定七時。この二時間の間に死体は冷やされ死亡推定時刻が遅められた。そして再び部屋を訪れた犯人は、内風呂の湯を死体に掛けて雪を解かしたんです。後は死体から浴衣までの間に、使用済みでも良い。バスタオルを敷き詰め、バルコニーまで転がしたのとは逆に浴衣まで転がし、着衣させた。バルコニーの段差は僅か五センチメートルほどだ。女性でも不可能じゃない」探偵はバルコニーの段差を指し示した。

「なるほど。旅館関係者なら大量のバスタオルを持ち歩いてても不自然じゃない。それに雪掻き用の道具をバルコニーのどこかに隠して置くのも容易たやすく出来るって訳か」南警部補は一度失いかけた探偵への信頼を取り戻した。

「えぇ。そして仕上げにあらかじめ梁に掛けておいたロープを黒川氏の首に掛け、思いっきり引いた」探偵は梁を見上げた。

「しかしそれじゃあ女か男かなんて判別出来ないぜ。それに女だったらさすがに黒川氏を釣り上げるまでロープを引くなんて難しいんじゃ」南警部補も連られて梁を見上げた。

「それがね。僕が先っき梁を調べた時、梁の丸太に黒い染みのようなものを見つけました。指ですくって匂いを嗅ぎましたが、あれは食用油です」探偵は指を拭き取ったハンカチを南警部補に渡した。

「うん、確かに。食用油を潤滑油変わりにロープの摩擦係数を下げようとした訳だな」南警部補も匂いを嗅ぎながら言った。

「ここで犯人に誤算が生じた。梁の材質が松だった事から、松脂まつやにのベタつきで思いのほか、摩擦係数は減らなかった。犯人は本当は黒川氏を首吊り自殺に見せかけたかったはずなんです。しかし力が足りず、時間もなかった為、断念せざるを得なかったんです」

「そうか。それで犯人は旅館関係者の女だというんだな。よし、東。旅館の女性従業員に絞って捜査のやり直しだ」勢い良く言う南警部補の腕を探偵は掴んだ。

「その必要はありません」

「何?じゃあ犯人は特定できてるのか」

「はい。犯人は貴方しかいません」探偵は集まっていた聴衆の中の一人を指差した。

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