第3話 落とし物にはご用心③

 財布を紛失してしまった探偵であったが、銀行のキャッシュカードも現金も、全てが財布に納まっていたものだから、食事はおろか、缶コーヒー一つ買う事も出来ないでいた。そこで探偵は預金通帳を持って銀行へ行ったのが、紛失届を出したすぐ後であった。

 しかし探偵は銀行印をも数カ月前に失くしており、手続きに手間取った。

「あのさぁ、先っきから言ってるけど僕は手続きに来た訳じゃないんだよ。お願いに来てる訳。分かる?そもそも口座の金は僕のものだよ。何故それが降ろせない?」探偵が必死に言うのも無理はない。通帳はあるものの届出印も身分証明書も紛失してしまっているのだ。探偵もその辺の困難さは熟知していたので、数年未使用の、同銀行別支店のキャッシュカードと、仕事上必要に迫られて取った危険物取扱者証明書を持参していた。

「良いかい?今、預けたキャッシュカードを良く見ていてごらんよ。口座番号は0738417だ。僕が仮に伊集 煉斗名義のキャッシュカードを拾ったとしてだ。その彼の危険物取扱者証明書と別支店のキャッシュカードまでも一緒に取得して、口座番号も憶えてって、そんな回りくどい詐欺師がいると思うかい?」受け付けの女性は、ちょっとお待ち下さい、と言って上司と思われる女性に相談をしているようだった。この時点で時計は二時十五分を指していた。

 結局、届出印変更手続きが必要と言う事になり、一銭も持たない探偵は食い下がったが、別支店の口座に百九十二円の残高があり、それを降ろして近所の百円ショップで三文判を買い、変更手続きを取る事で落ち着いた。探偵が小銭を降ろして銀行を出たのは、二時五十二分であった。

 探偵は受け付けの女性に教わった百円ショップに走り、なんとか三文判を手に入れると、銀行のシャッターが降りかけていた。

「おい!ちょっとタンマ!」ギリギリで滑り混んで銀行内に入った。

 なんとか間に合った探偵であったが、急いでいて気付かなかったが、三文判の姓は "伊集院" になっていた。探偵はカッターナイフを借りて、院の字を無理に削って落として、いびつな伊集の判子を造った。

 こうしてなんとか口座から十万円を降ろして事なきを得たのであった。

 それから三日経って探偵が警察署に着いたのは、昼下がりの三時、少し前であった。 

 警察署の会計課の女性から、見つかって良かったですね、などと慰みの言葉をかけられた探偵であったが、大凡おおよその予想通りに現金は抜き盗られていた。しかし全てと言う訳ではなく、不自然なほどに一部が残されていた。

「これはどうもおかしいな。千円札が一枚と小銭が合わせて三百六十二円。なんとも不自然だよね。どう思う?」探偵は会計係の女性職員に同意を求めた。女性職員は、そう申されましても、と戸惑いの表情を浮かべた後、「被害届を出されますか?」と問いかけてきた。無論、拾得物横領の届けである。勿論、との探偵の言葉に女性職員は刑事課へ案内してくれた。暫くして担当刑事が現れた。

「なるほど、それでは中身を抜き盗られた後で届けてくれた中野さんが拾ってくれたと言う訳ですね?」刑事の言葉を聞いて、探偵は顔を歪めた。

「そうとばかりは言えないんじゃありませんか?僕が財布を落としたのは、大体午前三時半頃。そして届けられたのが当日の午前五時少し前。現場から警察署までが片道いくら急いでも三十分はかかる。つまり僕が落としてから小一時間で拾われた事になる」探偵の講釈に刑事はなるほどと聞きながらも、大抵の場合、拾得物を届けた者は中身を抜いたりしない、と言い返した。中身を抜いたのであれば大概は外見を処分するものだと言うのだ。

「なるほど、それも一理はあるでしょう。しかしそれは貴方の警官としての経験に基いた理屈でしょう。もしかしたらそう言った前列を、中野氏は判った上で横領したのかも知れませんよ」探偵の反論に、うーんと頷くと、それも視野に捜査する、と返答した。

 こう言った場合、例に漏れず犯人捜しは進まない事を探偵は良く知っていた。たかだか拾得物横領罪などと言った小さな事件を、少ない人手を割いて真剣に捜査するはずもなかった。

 そこで探偵は、一計を講じた。会計係の女性職員に貰った取得者の中野なかの 義彦よしひこに、お礼の電話と称してかけたのだった。

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